4 女王との再戦

 翌日は、新人戦の本番ともいえる団体戦の日。俺たち矢島高校は二回戦は突破したものの、三回戦の壁は高く撃沈。昼前には出番がなくなった。あとはひたすら見取り稽古という名の見学になる。

 だが、海星女子高校は違う。地区女王の名は代が変わっても本物で、圧倒的な力で決勝まで進み、会場の注目を集める決勝も危なげなく勝ってしまう。大将に据えられていた相澤はというと、堂々とした試合運びで止めの一勝をもぎ取っていた。


『やっぱり恵梨ちゃんは恵梨ちゃんだったね。昨日のショックなんて引き摺ってないんだろうなぁ。メンタル強すぎ』


 これは、会場の片付けをしていたときの本田のぼやきだ。

 そんなことはなかったけど――そう言ってやれたらよかったのだが、余計なことをツッコまれるのも困るので『そうだな』で済ませた。


  * * *


 すっかり日の暮れた帰り道。自転車を走らせていると、だんだんと小学校が近付いてくる。本当に相澤は来るのだろうか、と疑いながらも、会いたいと願う僕は小学校の正門の前に自転車を止め、門に手をかけた。

 しかし、今日は日曜日。正門はしっかりと閉まっていて中に入れない。


「よく考えてみれば、そうだよなぁ」


 溜息が漏れた。フェンスや柵を乗り越えれば敷地内に入れるだろうが、昨今の不審者対策を考えればまずいだろう。

 相澤もなかにはいないと思ったが、すんなりと帰れるほど俺の諦めは良くない。 せっかくのチャンスを、みすみす手放して溜まるかと、塀を背に座り込んだ。

 暗くなった空をぼんやりと眺めていると、キッと甲高いブレーキ音。「いた」とハスキーな声が耳に届いた。


「お疲れ、女王様」

「やめてよ、そんな呼び方」


 むっとした相澤が、僕と同じように正門の柵を揺らした。


「開かないね」

「そう。だからここで待ってた」

「待っててくれるとは思わなかったよ」

「だって、負けなかったら会おうって言ったの、相澤だろ。準決勝で一回引き分けただけだって本田から聞いたし。それって、負けてないってことじゃん」

「本田って……ああ、麻衣ちゃんか。学校、同じだったね。仲良いんだ」

「仲が良いっていうか、よく寄っては来るな。同中だし、喋りやすいんじゃないか」


 淡々とした会話が、「ふうん」という相澤の相槌で途切れる。

 並べて自転車を止めた彼女は、俺の横に座り込んだ。

 昼間の試合よりも、緊張する試合の時間がやってきた。

 心の開始線で構え、立ち上がった瞬間から僕は動いた。


「今日の試合、調子よくて安心した」


 先手必勝とはいかず、間合いは詰めるも様子を見る。


「ああ、それね!」


 相澤の声が弾んだ。すっと、向こうからの間合いも詰まる。剣先が触れる距離になると、攻防の始まりだ。


「昨日のことね、あたしの勘違いだった。あたしが落ち込みすぎてて、声が掛けられなかったんだって」

「は? みんなに冷たいことを言われたんじゃないのかよ」

「言われた、なんて言ってないじゃん。そんな空気だったってだけだよ」

「お前、説明足りなさすぎ。じゃあ、心配することなかったな」

「え? 心配してくれたの?」

「そりゃ、あんな弱音聞かされたら」


 眉を潜めると、きょとんとしていた相澤が言った。


「でも、真吾が話聞いてくれたおかげですっきりしたのは間違いないよ。みんなの態度が誤解だってわかったのだって、立ち直って学校に行けたからなんだもん。ありがとね」


 にこりと笑う彼女に胸が高鳴る。中学校の入学式の日、『部活、頑張ろうね』と真新しいセーラー服で笑った少女の姿と重なった。あの日生まれた恋は、いまだに自分のなかで成長を続けていて、摘むこともできずにここまで来ていた。

 こんなふうに話せるチャンスはもうないかもしれない。今の距離は一足一刀。手を伸ばして踏み込めば、相澤に竹刀が届く距離だ。ここで必要なのは、もう一歩踏み込む勇気だけだ。

 ぎゅっと拳を握りしめる。聞こえるはずのない心臓の音が、体のなかに煩いほど響く。喉がからからに乾く。まるで、試合の前と同じ症状を丸ごと飲み込んだ俺は、我慢できずに口を開いた。


「あのさ、相澤。ずっと言いたかったことがあるんだ」

「……何?」

「俺さ――好きだったんだ。相澤のこと。中学校に入ったときに、好きだって思ったんだけど、恥ずかしくてずっと言えなかった」


 今だって恥ずかしくて、とても相澤の顔が見られない。どんな顔をして聞いているのかを確かめられず、沈黙のなか、ただ足元だけを見つめた。

 渾身の一撃を放ったのに失敗し、鍔迫つばぜいに持ち込まれた気分になる。ここからどうしよう、と迷っていると、相澤が揺さぶりをかけるように問いかけてきた。


「もしかしてさ、それがあったからあたしのこと、名字で呼ぶようになったの?」

「……そうだよ。悪いか」


 あまりにも的確に言い当てられ、俺は頭を抱えた。

 相澤の言う通り、俺も小学生の頃は彼女のことを名前で呼んでいた。けれど、中学校入学式の日にそれは一変した。つい数日前まで自分と同じようなパンツ姿ばかりだった子が、真新しいセーラー服に身を包み、スカートを翻して笑っているのを見たら、異性だと意識しないわけに行かなくなって、恥ずかしくなってしまったのだ。

 何て言うだろうか、と返事を待つ。鍔迫り合いからの技も出せず、押し合うしかできない俺に、相澤がくすくすと笑った。


「何だ。あたしと同じ」

「は?」

「あたしも、学ラン姿の真吾を見たら――ああ、男の子なんだって思って。はにかんで笑ったのを見て、好きだなぁって。だから、名前で呼べなくなったの」

「え?」


 ガツンと手元を崩され、がら空きになった頭を思い切り叩き切られたかというような衝撃に、俺は完全に動きが止まった。


「だから昨日、すっごい緊張したんだよ。真吾って呼ぶの」


 言った相澤が、「いま、すごく大事なこと言ったんだけど?」と付け足して睨んできた。

 大事なことといわれ、言葉を反芻し――一気に顔が熱くなる。

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