3 夜闇に落ちる女王の弱音
覚悟を決めた俺は心のなかで、開始線から一歩前へと踏み出す。
「俺でよければ聞くよ。部外者だから、相澤が好き勝手言ったってバレない」
構えた俺の剣先は中央点、相澤の竹刀の先までは一五センチ。彼女が踏み込んでこなければ、剣先は交わらない。勢いよく飛び込んでも、俺の竹刀は彼女にまだ届かない距離だ。
黙って俺を見ていた相澤は、顔を背けると、膝を抱えて小さくなった。やはり、交えることは難しいのか、と諦めかけたところで、小さな呟きが聞こえた。
「きついの、海星女子。稽古じゃなくて、雰囲気が」
ぽつ、ぽつ、ぽつ。
まるで雨だれのようにゆっくりと、途切れ途切れの言葉が落ちてくる。
相澤が進学した地区女王・海星女子高校の選手層は厚い。地区内の強者が集まって来るのだから当然だ。レギュラー争いも熾烈で、稽古への取り組み方よりも、戦績が大きく加味されるのだろう。
そんななかに中学時代の好成績選手として飛び込んだ相澤は、負けん気の強さも手伝ってめきめきと実力をつけていった――それは外から見ていた俺も理解している。
だが、その渦中にいるのは想像以上にきついことなのだと、相澤の漏らす言葉の端々から伝わってきた。
夏の大会で二年生ながら地区内ベスト四という好成績を残し、その次の県大会でも成績が良かった相澤が新しい主将になるのは当たり前という空気だったに違いない。連覇街道を
誰にも負けないために更なる稽古を積み、チーム内でも負けなしになると、当然チームメイトも周囲の大人たちも「あんたは負けないよね」という見られ方になっていったという。チームをまとめる立場が嫌いではないはぅの相澤であっても、周囲からの重圧が大きすぎたのだろう。楽しいという思いはなくなったと、彼女は言った。
「勝ち続けてたら期待が大きくなる。それはわかってたけど、正直きつかった。でも、本当にきつかったのはそこじゃなかったの」
「そこじゃない?」
どうして、と俺は尋ねた。
一度負ければ、こいつだって負けるんだと思ってもらえる。頼りにしすぎるな、と言えるようになるし、プレッシャーだって少しくらい軽くなるだろう。そう考えていたが、実際はそうではなかったらしい。
「今日、
「勝手な奴ら。言わせとけばいいじゃないか」
「でも、勝てない主将の言うことを聞いてくれるほどみんな優しくないの。だって、あそこにはライバルしかいない。こんな話、聞いてくれる子なんていない。こんな状態で明日の団体戦は大丈夫なのかなって思ったら、どうしようもなくなっちゃって。そしたら、あたしの前に真吾が現れたの。小学校に入っていくのを見て、気が付いたら追いかけてた」
思ってもみなかった言葉に、俺は目を丸くした。
「――え? 音に惹かれたって」
「ごめん。あれ、嘘。ただ、真吾と喋りたかっただけなの」
恥ずかしさを誤魔化すような苦笑いをする相澤を、俺は知らない。ドキリとしたが、その表情から目が離せなくなった。
ここにいるのは、地区女王校の主将剣士ではなく、ただの女の子だ。
そう感じながらも、心のなかで向き合っていた相澤とは、いつの間にか剣先が交わっていたことに気付かされる。じりじりと間合いを詰めた彼女が、一足一刀の間合いまでやって来ていたのだ。
俺が踏み込んで、いいのか?
もう一度、自分に尋ねた。
こんなにも近づけるチャンスは、もうないかもしれない。
そう思っているのに、いざとなったら何も言葉が出てこない。自分が全く予想していない展開に対応できないのが、俺の弱点らしい。
「相澤、それ――」
どういう意味だ、とようやく踏み込んだのだが、沈黙に耐えかねたらしい相澤の反応は早かった。
「あ、明日も大会あるのに遅くまでごめん! 真吾だって疲れてるのに」
俺の問いかけを遮って立ち上がると、自転車に駆け寄った。がしゃん、と乱暴にスタンドを蹴り上げて跨った相澤は、振り向きもせずに言った。
「明日、あたしが負けなかったら――ここで会おう。じゃ、お疲れ!」
言いたいことだけ言い、俺の返事も聞かずに相澤は猛然とペダルを漕いで走り去った。
面に向かって踏み込んだところを綺麗に竹刀で返され、代わりに引き面を思い切り食らった気分になった。
「何だよ、その勝手な条件」
顔をしかめた俺は、苦々しく呟く。
しかし、ここでまた会えるかもしれないという期待が、困惑のなかで小さく輝いているのも間違いなくて、心臓が煩い。
ただ、相澤の結果次第というところだけは不満だった。
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