君の名は……


「えーー……、そういう訳で……高校生最初の夏休みだからって羽目を外し過ぎないように……ってコレゴールデンウィークの時にも言ったな」



 生徒全員に通知表を渡し終えた小関教諭は、ゆっくりと教え子達を見渡した。


 午前の陽気に白く照らされた生徒達は皆、行儀良く無言ではあったが、机の下の足はそわそわと浮き足だっていた。


 無理も無い。小関教諭は心の底でほくそ笑む。


 あと十分。終業のチャイムが鳴れば、そこから夏休みが始まるのだからーー。



「それにしても佳奈美、期末テストよく頑張ったなァ」



 小関教諭が目の前の机に座る佳奈美を見て言うと、



「コレが私の実力にゃー!」



 と、佳奈美は胸を張る。だがーー。



「「………………」」



 何故佳奈美が期末テストを制する事が出来たのか。その真意を知る小関教諭と、生徒達は、揃って芽依子を見遣った。



「……あれだけ頑張って赤点取ったら……私は腹を斬りますよ……フッ!」



 凍り付いた真顔で、芽依子はぶちぶちと呟いていたーー。



「しかしながら小関先生?」



 わくわくとした面持ちで、時緒が小関教諭に尋ねる。



「夏休みの一ヶ月間、独り身の小関先生としては少々物寂しいんじゃ……?」



 時緒の物言いに、伊織や正文を始め、男子生徒達が含み笑いを漏らす。



「あれ?言ってなかったっけ?」



 小関教諭が至極真面目な面持ちで首を傾げた。



「俺……ぞ?」

「「……………………え?」」



 小関教諭の応答に、時緒達男子生徒は勿論、芽依子達女子生徒も硬直した。



「え?先生……?ご結婚を?」



 真琴が目を白黒させながら尋ねる。



「あれでしょ?結婚て……」

「ゲームの話でしょ……?」

「二次元の嫁ってヤツ……」



 緊張の面持ちのコギャル三人組(時緒命名【黒い三連星】)が真琴に同調して言うが、小関教諭は待ってましたとばかりに、自身の携帯端末を操作した。



「ホラ……うちの嫁……!」



 そして、小関教諭は教室の空中にでかでかと、写真を立体映像として投影させた。


 タキシード姿の小関教諭に抱えられてお姫様抱っこされているのはーー。


 満面の笑顔を浮かべる、ウエディングドレス姿の女性だった。


 若い、あまりにも若く、それでいて美人だった。


 他校の生徒と言われたら、疑いもせず信じる。時緒はその自信があった。



「「はっ!?!?」」



 時緒達一年三組生徒全員に、戦慄がはしる。


 その写真は最初合成かと思った三組生徒達は一斉に、特撮研究会所属の時緒を見た。幼い頃から特撮映画を見て来た時緒は、様々なトリック写真、合成映像を見破る眼を持っている。


「………………本物だっ………………!」



 時緒は血の気の引いた、病人めいた顔で解答。生徒達は更に深く項垂れた。



「妻は俺が初めて教育実習を行った【会津聖サヴェリア女学院】の生徒だったんだ。いやもう熱烈な告白を受けてさぁ?俺はさ?教師と生徒の恋愛なんてって思ったんだ?でも向こうが……もう好き好き大好きって」



 小関教諭が惚気を宣う。


 サヴェリア女学院。名家の令嬢が集う名門校……!即ち、小関教諭は逆玉の輿。


 しかも……相手の方から小関教諭に告白……。


 無精髭にやる気の無い眼。生徒がテストをしている時なぞ、教卓に突っ伏していびきをかく男に告白……!?


 信じがたい現実に、生徒の何人かが激しい頭痛と腹痛、目眩を覚えた。



「あ、あの…………つかぬ事をお聞きしたいのですが」



 芽依子が震える手を挙げた。



「あの……奥様は……お幾つなんです?」



 芽依子の質問に、小関教諭はしれっとした顔で、



「ん?二十三歳」



 小関教諭の現年齢が三十五歳だから……年の差十二……。更なる頭痛が襲い、時緒達は呻きを上げた。



「因みにこの写真は六年前な?つまり俺まだ二十九歳!」



 小関教諭の年齢などどうでも良いと、時緒達は思った。


 つまり相手は……十七歳の時。


 まるでドラマのような、教師と生徒の結婚。



「私と同い年で結婚……ッ!」



 そう呟いて、悪寒を感じた芽依子はよろよろと、崩れ落ちるように席へと着いた。


 その日、会津若松市は今年最高気温の三〇度だと言うのに、此処一年三組教室は、生徒達が小関教諭を見遣る、冷たい視線で寒々しい空気を漂わせていたのだった……。




 ****




「くそう……小関先生コッセンめ……」

「一学期最後の最後で……とんでもねえ爆弾落としていきやがった……」

「大人っていつもそうだ……」

「簡単に私たち子どもを裏切る……」

「小関先生は一生独身だって……信じていたのに……」

「もう誰も信用出来ないわ……」

「嗚呼……まだ頭痛がする……」



 終業のチャイムが鳴って、折角の夏休みが始まったというのに、一年三組生徒一同は皆暗い顔でぶつくさ文句を言いながら、一人、また一人と教室を後にしていった。



「…………よしっ!」



 時緒はぱしりと頬を叩いて立ち上がる。


 小関教諭が結婚していたという精神的ダメージを、先日見てしまった芽依子と真琴の鮮烈な裸体ビジョンが軽減してくれた。



「……何を鼻の下伸ばしているんです?」



 芽依子がジト目で睨んで来たので、時緒は唇を硬く結んだ、凛々しい顔を作って嘘を吐く。



「知らないの姉さん?男はホルモンの関係で、直射日光を長時間浴びると鼻の下が伸びるのさ」

「……嘘ばっかり」



 芽依子は呆れて苦笑する。


 すると、芽依子の背後から真琴が姿を現した。少し、緊張した面持ちで、はにかみながら……。



「えと……と、……?今日はこの後どうするの……?」



『裸を見たお詫びに、下の名前で呼び合う』


 真琴が時緒にそう願ったのは、もう三日も前の事ーー。だが、未だ慣れていない真琴には、時緒の名前一句一句を紡ぐのにかなりの緊張を要した。


 しかし、嫌いな緊張感、ではない。


「特撮研究会の部室に顔出しで、休み中の活動スケジュールのデータを貰ってくるよ。ロケハンの打ち合わせもしなきゃいけないし」

「そっか……」


 寂しそうな顔をする真琴に、時緒はにっこり笑った。



は?」

「〜〜〜〜っ!」



 時緒が名前で呼んでくれた。


 時緒に望んだ事とはいえ、真琴は全身に甘い痺れを感じてしまう。



「わ、わた私は、昨日のうちに済ませちゃったから……」

「そっか!」



 真琴は呼び捨てしにしてくれた嬉しさを噛みしめる。その身体を、芽依子が優しく抱き締めて引き寄せた。


 芽依子は時緒に向かって、勝ち気なウィンクをした。


「じゃあ……は私と帰って……きむらや 伊織さん家でお茶でもしてますね。ね?真琴?」



 真琴も芽依子に合わせて、渾身のウィンクを時緒にして見せる。


「う、うん!といるね!!」





 ****




 芽依子や真琴と別れて、時緒は考え事をしながら部室へ向かった。



 明日、イナワシロ特防隊の量産騎【エムレイガ】のトライアルテストーー実戦試験が始まる。


 結局真理子は時緒に、エムレイガのパイロットが誰なのか教えてくれなかった。


 芽依子か?


 もしかしたら、イナワシロに滞在しているシーヴァン達か?


 正文がロボットに乗りたがっていたが……。


 否、正文が乗りたいのはエクスレイガのような専用騎スペシャルであって量産騎エコノミーではない……。





「椎名 時緒」



 不意に声を掛けられ、時緒は慌てて振り返った。


 生徒会副会長、蛯名 美香だった。


 美香はロングウェーブの髪をなびかせ、厳しめな眼差しで時緒を見据える。



「上の空でしたわ。いくら【風紀委員・影の軍団わたくしの兵達】を敗退させた貴方といえど……それでは怪我をしましてよ?」

「すみません副会長……。以後、気をつけます」



 礼をしながら時緒は、矢張りこの女は苦手だ……と、思った。



「分かれば良いのですわ……。それよりも……」

「はい?」



 美香は、バツが悪そうに視線を時緒から逸らして言った。



「た……田淵 佳奈美は……大丈夫だったのかしら……?その……?成績表は……?」

「はい?ああ……!大丈夫でしたよ!姉さ……芽依子さんが、勉強見てくれましたから……後半見事に巻き返しましたよ!」



「そう……」美香は、安堵の溜息を吐いた。



「心配だったのですか?」

「勘違いしないで。あの子の成績の悪さが目に余ったから……気になっていただけですわ……!」


 つんと、美香は唇を尖らせた。



「…………あの?」



 ふと……灰の事が気になった時緒は、思い切って美香に尋ねてみた。



「西郷先輩から……何か連絡はありましたか……?」

「……………………」



 美香の表情が哀しげに沈むのが、時緒にも一目で分かった。



「……無いわ。主水様は……便りが無いのは元気な証拠と仰ってくれたけれど……」

「副会長……」

「……貴方達を粛正しようとした事は、間違いでは……我が校の秩序を維持する最善策の一つだったと今でも思っているわ……」

「…………」

「……でも、灰の……あの子のコンプレックスを煽って貴方に焚きつけた事だけは……わたくしの失態……」



 嗚呼、この人は不器用なんだと、非情になりきるには不器用過ぎる女なんだと、時緒は思った。



「もし……連絡来たら……教えてください。待ってますので……」

「ええ……もし来たら……主水様のその次に……貴方にお教えしましょう」



 力無く苦笑して、美香は上履きをきゅっと鳴らしながら、時緒の視界から姿を消した。




 ****




「よし!時間通り!」


 携帯端末の時計機能を見遣りながら、時緒は【特撮研究会!我ら総天然色!!】と、達筆の半紙が貼られた部室のドアをノックする。


「お早うございます!一年椎名 時緒……入室します!」


 がらがらと、時緒が若干滑りが悪い部室のドアを開けると、


「お!来たな椎名一年生!お前が最初だ!」



 特撮映画関連の資料だらけの席に腰掛けて、一人の少年が、ヒーローのフィギュアを弄って遊んでいた。


 金色の髪。


 純白の制服。


 生徒会会長の、松平 主水だった。


「生徒会長が、なんで、此処に?」


 時緒の何気ない質問に、主水はフィギュアを机の上に仁王立ちさせて答えた。




「だって俺……特撮研究会の部長だもの」




 続く

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