第三十六章 新世界へ
馬と鹿
「 ちょっと…待って…! 」
顔面から血の気を喪失させて、ウェイター姿のラヴィーは頭を抱えた。
「 話についていけない……!ガッコウとやらで何があったのさ!? 」
「 いやあ……本当にてんやわんやだったんですよ! 」
時緒は苦笑いながら、大好物のカルボナーラスパゲティをフォークでくるくる巻き取る。
その気の抜けた笑顔が、今のラヴィーには少々癪に触った。
「 ラヴィっち、水くれ 」
「 ラヴィっち……!? 」
時緒の隣、自分を変な渾名で呼ぶ正文のコップに水を注ぐと、ラヴィーは時緒や、その隣で蕩けるチャーシューを頬張る芽依子を見遣った。
「で?その……セイトカイ?とやらと戦って…!?何!?どうなったの!? 」
「 そこから先の話は……
突如、カウンター席の端……巨大な椀のスープを幸せそうな顔で飲み干している芽依子の横で一人の少年が立ち上がった。
純白の制服を纏ったその少年は、爽やかだが何処か他人の心内を見透かそうとしているような笑顔で、ラヴィーへと礼をした。
彼が握手を求めなかったのは、食品を取り扱っている仕事をしているラヴィーを気遣ったからである。
「 失礼、俺の名前は〈
「 は、はぁ 」
気取った自己紹介をする主水の背後、窓際のテーブル席でーー
「 田淵 佳奈美!お口にソースが付いてますわよ! はしたない!! 」
「 にゃ〜…美香ちゃん拭いて〜 」
「 だから
口の周りをカレーだらけにした佳奈美を……美香が甲斐甲斐しく世話をしていた。
****
ーー数時間前に遡る。
「 さようなら。無知な
己の総てを放棄して、美香の姿はベランダ柵の向こう側へと消えーー
「 にゃっ! 」
間髪入れず佳奈美は疾駆した。躊躇い無くベランダ柵を飛び越え、大の字体勢で宙へとダイブ!
「 佳奈美ぃっ!? 」
時緒の叫びを置き去りにして、佳奈美は夕闇の中へと落ちていく。
「 よいしょー! 」
そして……佳奈美は宙で美香を、その身体を確と受け止め、固く固く抱き締めた。
まるで、落下の衝撃から美香を守るかのように……。
二人の身体は落ちていく。
みるみる地面が近づく。
死の恐怖に強張る美香の身体を、佳奈美は抱き締め続けた。
そして、二人はアスファルトへとーー。
「 さ・せ・るかああああっ!! 」
アスファルトを韋駄天の如く地を駆ける少年が一人。
少年は天高く跳躍、佳奈美と美香、二人の身体を纏めて宙でひしと受け止めた……!
「「 いぎ…………っ!? 」」
「 お、重ええ……っ 」
青年は佳奈美達の落下慣性を抑えることには成功したものの、二人の体重と自身の走行慣性を相殺し切れなかった。
凄まじい擦過音が響く。
三人は揃って地面を勢いのままごろごろと転がり、校庭の端の芝生に突っ込むことで、やっと静止した。
………………。
…………。
数秒経って、自分達の生を互いに実感した佳奈美と美香は、自分達を助けてくれた少年を見つめる。
「 痛ってえぇぇ……くそ…っ!爺やと生徒の次に大切な……生徒会伝統の白制服が…… 」
土埃で汚れた純白の制服、フォックステールに結わえられた長い金髪。
「 あ…ぁぁ……!ああああ!! 」
唇を震わせ、落涙する美香の頭をーー
「 おい…この
松平 主水は、強く撫でた……!
「 挙げ句の果てに飛び降りたぁ……」
「主水様……!」
「お前が居なくなったら…………はぁ、取り敢えず……」
休ませてくれ……。
項垂れる主水の胸で、阿呆面の佳奈美が見守る前で……。
美香は、子どものように号泣した……。
****
そして今現在、【きむらや】店内ーー。
「俺は一年生達を集め、取り敢えず爺やの車で……こうして猪苗代に送った……という訳だ 」
ふう、とラヴィーへの説明を終えた主水は、疲れ切った溜め息を吐いた。
「 信じられない……!自らの命を捨てようだなんて……!正気の沙汰じゃないよ! 」
ルーリア人には自殺の概念が皆無。ふらふらと蹌踉めくラヴィーに、主水は「その通りだ」と返す。
因みにラヴィーは地球人に擬態しているので、主水と美香はラヴィーがルーリア人であることは、無論知らない。
「 という訳で……改めて……一年生の諸君…… 」
眉をハの字に曲げて、主水は時緒達に向かって頭を下げた。
「生徒会副会長……その他諸々が大変……大変迷惑を掛けた。本当に申し訳ない 」
特に主水は、頬に湿布を貼った真琴を。灰から直接暴力を受けた真琴を申し訳無く思った。
「 真琴お嬢様、ほっぺたのご様子は如何ですかな? 」
「 あ…はい…えと…あの…? 」
真琴は自分に湿布を貼ってくれた老紳士を戸惑いの表情で見ると、老紳士は朗らかに笑う。
「 私の名前は主水御坊ちゃまの執事、〈 ギャルソン・春清 〉と申します。真琴お嬢様、皆様方もどうかお見知り置きを 」
「 ええと……それ……本名ですか? 」
「 ノーコメントでございます。私はギャルソン……。それ以上でもそれ以下でも御座いません 」
春清のウィンクにより真琴の治療が終わったことを知った主水は、再び頭を下げる。
「 いや……そんな…… 」
その真摯な姿勢に、時緒は戸惑った。
時緒の優しさと優柔不断さが、主水を、否、生徒会を許してしまいそうになった。
「 時緒くん…、その優しさは貴方の魅力ですが 」
「 姉さん… 」
「 生徒会が何をしたか……貴方も知っているでしょう? 」
余程腹に立っていたのか。そして余程腹が空いていたのか。
「 伊織さん…!会津牛バーガー、ポテトとセットでお願いします! 」
「 うっす…!……で?お嬢?サイズは…? 」
「 アルティメットラージで! 」
苦笑する伊織を厨房に引っ込ませ、芽依子はふんすと鼻を鳴らしてラーメンを啜る。
「 本当に…時緒くんはお人好しで…!ぶつぶつ… 」
またも芽依子に心配を掛けてしまった事を、時緒は申し訳無く思った。
「 主水様は何も悪くはありません…!これは…私が……独断で……」
すると、美香は悲痛な面持ちで立ち上がり、主水に罪が無いことを主張する。
「 私が指示をしました。邪魔者を追い出せと……、学園の秩序の為に……、」
「 止めろ馬鹿。何が秩序だ 」
しかし、庇われた主水の、美香に対する視線は冷たいものであった。
「
「 ………… 」
美香には返す言葉が無い。
主水に着席のジェスチャーをされ、美香は身を縮こませて椅子に座った。
「 随分としおらしくなったな? 」
「 どんな風の吹き回しだ? 」
冷たく嗤う正文と律の皮肉に、美香は唇を噛んで耐える。
「 田淵 佳奈美……? 」
「 んにゃ? 」
美香は、気力も覇気も喪失した瞳で佳奈美を見て、尋ねた。
「 どうして?どうして私を助けたの? 」
「 ん〜? 」
「 貴女を学園から追い出そうとした私を……どうして助けたの……!? 」
佳奈美は口周りをカレーまみれにしながら、暫くきむらやの天井を眺め、思考する。
そして……。
「 いやいや、
素っ頓狂な口調と阿呆面で佳奈美が言うものだから、当の美香は勿論、主水や時緒達もぽかんと口を開けて呆けてしまう。
「 落ちたら死んじゃうよ。そしたら私は悲しいなぁ 」
「 いや…だから…私は…貴女を… 」
「 ん〜〜? 」
佳奈美はクリームソーダを飲み干し、豪快なげっぷを一発かました。
「 難しいことは分からないや!取り敢えず美香ちゃんは無事で良かった!美香ちゃん面白いもん!! 」
そう言って、佳奈美はにゃはは!と屈託の無い笑みを浮かべた。
「 …………は…………はは………… 」
佳奈美のその言葉を耳にした途端、気力が完全に抜けた美香は、糸が切れたマリオネットのように椅子の上で脱力した。
気力と共に、今の今まで美香ぎ必死に塗り固めていた心の壁が、佳奈美の馬鹿笑いによって、いとも簡単に砕けていく。
美香はやっと分かった。
しかし、無軌道な只の馬鹿ではない。
純粋な、自由な、大馬鹿なのだ。
そしてーー。
そんな馬鹿を無理矢理に追い出し、その場凌ぎの秩序を作ろうとした
「 美香……」
主水が美香の肩を力強く叩く。
「 お前には……今回の件の償いをして貰う 」
「 ……はい。主水様……」
如何なる罰も受けよう。
覚悟した美香を待ち受けていたものは……。
「お前には、こんな奴らが伸び伸び学園生活を謳歌出来るよう……今まで以上に働いて貰うぞ……俺の下で!」
……てっきり、生徒会を追放されると思っていた美香は驚愕の眼差しで主水を見上げた。
美香の視線が、躍起に爛々と輝く主水の蒼い双眸と交錯する。
「 お前達を退けるような凄い
「 ………… 」
「 美香!またやるぞ……!俺と初めて会った時のように!」
「主水様……!」
何処までも溌剌とした主水の笑顔に、最初は不満たらたらだった芽依子や正文や律も、毒気を抜かれていった。
「 まぁ……佳奈美さんに免じて……」
「 ああ 」
「 やる気だけは買ってやるか…… 」
美香が周囲を見遣れば、呆れた時緒達の苦い笑顔。
歓喜。後悔。懺悔。そして、希望。
様々が感情が満ち溢れ、美香は上手く心境を言い表せない……。
「 美香ちゃん!唐揚げいかが?伊織ん家の唐揚げ美味しいよ! 」
佳奈美は唐揚げの乗った皿を美香へと差し出す。
そんな佳奈美の阿呆面が、今の美香には眩しく感じられる。
このように在りたい。そう思ってしまう程に。
「 改めて……俺が会津聖鐘高校生徒会長の松平 主水だ!俺たちと一緒に学園を作ろうぜ!!取り敢えずこの食事代は俺の奢りだぁぁ!! 」
主水と時緒達の歓声が、美香を包む。
こんなにも、賑やかで、安らかな気分は、美香にとって初めてのことだった。
「 本当に美味しそう……。いただきますわ 」
優しく微笑んで、美香は唐揚げを口にする。
だが……。
「 …っ!?田淵…佳奈美? 」
「 んにゃ? 」
「 貴女……唐揚げにレモンかけましたわね……? 」
「 え?かけたよ?当たり前じゃん? 」
レモンが、当たり前?
美香の肩が、再燃する怒りに震えた。
唐揚げにはマヨネーズが基本なのに……!
****
満天の星空の下。
「うん……もう少ししたら帰るから。じゃ…… 」
きむらやの店外、真理子へと電話を掛け終えた時緒は深呼吸。心地よい山風を肺いっぱいに堪能する。
「椎名一年生……」
ドアが開いて、店の逆光と、佳奈美と美香の騒ぎ声を背負った主水が現れた。
「 会長、僕の名前知ってるんですか? 」
「 学園の生徒の名前は全員知っている。生徒会長として当然だ 」
凄い……!
感嘆する時緒に、主水は得意げな笑みを浮かべた。
しかし。
突如主水は、その笑顔を若干寂しげなものに変えた……。
「 灰が…休学する。さっき本人から聞いた 」
「 え…!? 」
「 暫く…会津を離れるそうだ… 」
「 ………… 」
時緒は絶句した。後頭部を金槌で叩かれたようだった。
灰が休学……?
どうして……?
矢張り、僕の所為……?
困惑する時緒の心内を察した主水は、静かに、呟くように時緒に語った。
「あいつは……入学した頃から……劣等感を抱え、己の価値を見出せていない……そんな奴だった」
「それは……昔の僕が西郷先輩を……」
主水は、静かに首を横に振る。
「 いずれ……灰が通る道……灰の心の問題だったんだ。その切っ掛けが……結末が……お前だっただけだ 」
蒼い主水の眼が、時緒を射抜く。
「 椎名一年生、灰からの伝言だ 」
「 ………… 」
「 『自分を鍛え直して来る。必ず強くなって会津に帰る。その時はまた手合わせしてくれ 』」
「 西郷……先輩 」
「 『今の俺には面と向かって……お前に言う勇気が無い』」
そして、主水は、瞳を潤ませた時緒に向かって言った。
「『椎名……本当に済まなかった……』」
時緒の頬を、涙が伝う。
怒りのままに灰を痛めつけた自分が、矢張り許せなかった。
主水は黙って、ただ頷いて時緒が泣き止むのを待った。
主水の背後ーー時緒が心配になった芽依子と真琴は、扉の前で二人揃って佇んでーー黙って時緒の涙を見守った。
強くなろう。なって見せる。身体も。心も。
そしてまた、鍛えた心で、灰と相見える。
涙で頬を濡らしながら、時緒は猪苗代の夜の下、誓った。
続く
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