グミキャンディ・トランスレーション



「貴女はシミ……!この学園を……主水様が折角綺麗にして下さった学園を穢す……汚いシミッッ!!」



 美香の教鞭が空気を斬って唸るーー!


 通常、教鞭に斬撃機能など無い。有る筈が無い。


 しかし、美香の狂気とも言える愛校心をはらんだ教鞭の閃きは、確かな攻撃となって花瓶や鉛筆、周囲のあらゆる物を斬り砕き、標的である佳奈美を追い詰めていた。



「ヨゴレの分際で……寝るなあああああっっ!!」

「ぎ、ぎにゃ〜〜〜〜っ!?」



 間抜けな悲鳴を上げながらも、佳奈美は身軽な動作で、美香の教鞭を紙一重で回避する。


 椅子や棚を足場に飛び跳ねる佳奈美のその様は、まるで因幡の白兎だ。


 佳奈美は訳が分からなかった。


 いきなり連れて来られ、着いた早々簀巻きにされ、何やら会津が美しいだ学園が美しいだ秩序が何だかんだと小難しい話を聞かされたのだ。


 



「にゃっ!」



 幾度目かの攻撃を、佳奈美は跳躍で回避。空中でひらりと二回転し、美香の背後のテーブルに音も立てずに着地する。


 しかし、佳奈美の安息は長くは続かない。


 まるで佳奈美の着地点を予測していたかのようにーー。



「そこおおおおっ!」



 眼光が軌跡を描くほどの速さで振り向き、間髪入れずに教鞭を佳奈美へと叩き付けた!



「にゃ!!」



 すかさず佳奈美は跳躍して回避。


 しかし、僅かに遅かったーー!



「にゃぎゃあっ!!」



 しなる教鞭が佳奈美の爪先に直撃。鋭い痛みに佳奈美は跳躍の体勢を崩してしまい……。



「ぅげっ!?」



 生徒会室の隅、書類が詰まった段ボール群の中へと佳奈美は落下した。


 佳奈美の体重にダンボール数個が押し潰れる。



「……ぅ、うぅ〜〜……」



 尻を強打し、佳奈美は呻いた。


 寝起きだからか、佳奈美の身体は思ったように動いてくれない。


 それに、佳奈美は小腹が空いていた。


 佳奈美の身体が大好物のグミキャンディを欲していた。


 しかし、佳奈美が持参していたグミキャンディは登校途中に佳奈美自身が全て平らげてしまった。


 グミが無い。


 その現実が、佳奈美にグミキャンディへの渇望を更に強くする。



「グ、グミ……グミ〜〜……」



 身体にのしかかる段ボールを、グミキャンディが尽きたことに所以する震え手で退かしながら、佳奈美は弱々しく起き上がろうとする。


 だが……。



「ふんっ!」

「ぐえっ!」



 美香に首を掴み抑え込まれ、痛みと呼吸困難に佳奈美は床へと倒れ伏した。



「み、美香ちゃん……痛い……っ」

「馴れ馴れしく……美香ちゃんと呼ぶああああああああああああ!!」



 美香、怒りの咆哮ーー!


 霞む目で佳奈美が見ると、本当に獣が吠えているように見える!



「ふ、ふふっ、ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」



 突然、美香は笑い始める。


 笑っているが、その瞳孔は限界まで引き絞られ、白目は真赤に充血、文字通り血走っていた。


 正気の目ではない。



「うわぁ…………」



 先程まで怒り狂っていたのに。美香の情緒の不安定さに、その瞳の異様さに、流石の佳奈美も戦慄する。



「これで……これで終わる。何もかもが解決しますわ……!」



 歓喜に身を震わせながら、美香は教鞭を、天上高く振り上げる。


 夕陽を反射して赤く輝く教鞭は、まるで血塗られた魔剣のようであった。



「貴女が……貴女達がいなくなれば……学園は平和になる。私の学園聖域が……が戻って来る!!」



 狂気の笑顔で美香は宣う。


 この時、佳奈美は確かに感じた。



 美香から溢れる、強く、真っ直ぐでーー



「返せ!主水様が折角綺麗にしてくれた秩序を返せっ!!」



 それでいて、怒りに満ち満ちた気迫。


 それほどまでに、自分を憎んでいたのか。


 それほどまでに、この学園を愛していたのか。



「…………」



 だから、佳奈美は。


 美香を見た。


 真っ直ぐな気迫に応える、真っ直ぐな瞳で……。


 美香が悪者とは、心底思えなかったから……。



「……っ!そんな目で見るのを止めろおおおお!!」



 佳奈美の澄み切った瞳に見透かされそうで、戦慄した美香は込み上げる激情のまま教鞭を振り下ろすーー!




「佳奈美ーーっ!!」

「佳奈ちゃん!!」

「佳の字、まだ生きてるか?」



 その時ーー。



 勢い良く開かれた扉から、三つの人影が生徒会室へと飛び込んで来た。


 時緒、真琴、そして正文だった。


 間に合った!時緒は急いで胸ポケットから菓子袋を取り出す!



「佳奈美!お前の大好きなだっ!!」





 ****





 佳奈美と美香が触発する、そのおよそ二分前ーー。



「急ぎましょう!生徒会室は三回廊下突き当たりです!」

「「合点!」」

「はい…っ!」



 走る。


 走る。


 芽依子を先頭に、時緒、正文、そして真琴は、長く伸びる影を床に映して、夕陽の廊下を疾走する。



 【廊下は走らない】



 全世界全学校共通のルールだが、しのごの言っていられない。


 何故ならば……。



「「待てい!ここから先は通さぬ!!」」



 天下の風紀委員影の軍団も、だ。



「影の軍団!まだ居たのか!?」



 苦い顔をする時緒を、覆面達はせせら笑う。



「「笑止なり椎名 時緒!我々は美香様の影!美香様おられる所、我等有り!!」」

「「左様!あの数の同胞を倒した所で我々は痛くも痒くもない!!」」



時緒は煩わしさに舌打ち一つ。


 どれだけ居るのか風紀委員!


 邪魔だぞ風紀委員!



「「死ねえええい!!」」



 廊下の壁に貼られた『廊下暴れるべからず by風紀委員会』と書かれた張り紙を吹き飛ばし、覆面達は一斉に跳躍!


 或る者は拳。


 或る者は蹴り。


 それらをもって、時緒達を討滅しようと襲いかかる!


 ーーだが!



「我流脚……【雷迅脚】!!」

「必殺……【正文に使うごく普通の蹴り】!」

「「グワーーーーッ!?」」



 時緒達から見て左方向、階段から現れた二つの人影に、覆面達は蹴り飛ばされ、皆壁へと叩き付けられた!



「お!やっぱり時緒か!」

「は……合流したのか」



 時緒を、微かな安堵が包んだ。


 現れたのは、伊織と律だったからだ。



「伊織!律っ!!」

「おい椎名、埃だらけじゃないか。私が汚れる。近づくんじゃないこの野郎」



 律の辛口な言葉も、今の心身共に疲弊した時緒には、とても心地の良いものだった。



「佳奈美を追って来たんだよ!俺達!」

「木村くん達も!?」

「佳奈美は生徒会室!犯人は副会長だ!」



「「やっぱりあの女!!」」伊織と律が同時に吠えた。



「皆様!お喋りしたい気持ちは分かりますが!」芽依子が廊下の彼方を指差す。「新手が来ます!」



 成る程、新たな覆面達が群れを成して迫り来ていた。どれだけ居るのか風紀委員!


 芽依子は素早く時緒達を見回してーー。



「合流して早々で恐縮ですが、改めて二手に分かれます!時緒くん、正文さん、真琴さんは佳奈美さんの救出に!伊織さんと律さんは私と一緒にあの有象無象を迎撃します!」

「「合点!!」」



 時緒達が揃って頷くや、芽依子は覆面達を睨み、彼等目掛けて拳を掲げる。


 芽依子の白く細い腕に血管が浮かび上がる。



「……お腹は空いて……真琴さんや正文さんに良い場面は取られ……今の私のフラストレーションは臨界点です……!」



 刹那、練りに練り上げられた芽依子の気迫がーー拳が唸る!



「【訓騎院格拳術・其の九十一】!威圧いああああああああああああっっ!!」

「「グワーーーーーーッッ!?!?」」



 芽依子の拳が空を切る!


 その威力は凄まじく、まるで大型台風の如き衝撃波が廊下に吹き荒れ、覆面十数名を一度に吹き飛ばした!


 通路上に隙がーー生徒会室への途が出来た!



「時緒くん!今です!」

「ありがたい!姉さん!」



 時緒は芽依子と頷き合い、正文と真琴を連れ、再び走り出す。



「さあ!さあさあさあ!何処からでもこのお姉ちゃんに掛かって来なさい!!」



 躍起にふんすと鼻息を荒らげる芽依子を見て、律はそっと伊織に耳打ちをした。



「なあ木村?」

「ん?」

「芽依子さん凄いやる気だな……?この人一人で良かったんじゃないか?」



 言うな。伊織は思った。


 自分達の存在意義が無くなってしまう……。




 ****




 背後から、肉と肉、骨と骨がぶつかり合う音、つん裂く悲鳴が聞こえるーー。


 しかし、時緒は振り向かない。


 芽依子を、伊織を、律を、心の底から信じているからだ。


 正文も同じ!


 真琴も同じ!



「椎名くん!あの!」



 ふと、真琴は走りながら自身の鞄を開け、中からアルミ製の小袋を取り出した。



「これ!佳奈ちゃんに!もしかしたら……」



 それは、グミキャンディの袋だった。


 ラベルには【頭に効く!DHAグミ】と印されている。



「これ食べたら……佳奈ちゃん……頭良くなるかもって……!」



 真琴は恥ずかしそうにグミの袋を時緒に差し出した。



「もしかしたら……コレ!」

「ああ……!使えるな!」



 時緒は正文と悪戯小僧の顔で笑い合い、真琴から袋を受け取った。


 常人ならそうはいかないが……。


 佳奈美なら……あの佳奈美になら……使える!




 ****





 そして、今ーー。



「佳奈美!グミだっ!お前の大好きなグミだっ!!」

「なっ!?」



 生徒会室へとたどり着いた時緒は、突然の侵入者に唖然としている美香を他所に、倒れ伏している佳奈美へと叫ぶ!



「にゃ…時緒?グミ……?」

「そうだ!グミだっ!!」



 そして、時緒は真琴から貰い受けた小袋からグミキャンディを三個取り出しーー



「受け取れ!だっ!!」



 佳奈美向けて放り投げる!



「にゃーっ!グミーーっ!!」



 渇望していたグミキャンディを目の前にした佳奈美の力は凄まじく、圧倒していた美香の拘束を振り解き、舞うように跳躍!



「いただきますーーっ!!」



 煌めく瞳で、グミキャンディを見事口の中へと収めた。



「佳奈美!よく噛め!それはだ!」

「佳の字、それを食えば



 時緒と正文に発破を掛けられながら、佳奈美は幸せそうにグミを頬張る。



「な、何を……!?」



 生徒会室で飲食をする。


 佳奈美のその様は、美香には到底許されるものではなかった。



「何をっ!しているかあああああああああああ!!!!」



 佳奈美の頭上目掛け、激情の美香は教鞭を振り下ろす!



!!!!!



 空気が爆ぜて、美香の慈悲無き一撃が佳奈美の頭部へと炸裂した!



 勝った!勝った!



 今度こそ、今度こそ、美香は勝利を確信した!


 これで学園の秩序が保たれる!美香は未来に思いを馳せーー




「………………え?」




 美香は気付くのが少々遅れた。



 佳奈美が……。





 佳奈美が、ことに……。



「な、何!?は、離しなさいっ!」



 混乱する美香。佳奈美の力は強く、美香が全力を込めても教鞭は離れない。



「………………」



 佳奈美はゆるりと立ち上がって、美香の方を向く。



「……

「っ!?」



 清廉な響きを放つ佳奈美の声ーー!


 美香の全身に寒気が奔った。



「貴女はこの学園を愛しているのですね。狂おしい程に……」



 佳奈美は凛とした、静かな口調で、力強く鋭い眼差しで言い放つ。


 その顔からは、先程までの阿呆面は消え失せてーー



「そして……私が過去にしてきた騒ぎもまた悪。これは認め……謝罪致します。申し訳御座いません」



 淑やかで、高貴な気迫オーラを放つ佳奈美レディが。


 其処にーー存在していたーー。



「な……なに…が…!?」

「しかし、だからと言って……一方的な暴力に訴える。副会長……今の貴女にも……大義は有りません」




 何が起きた?田淵 佳奈美に何が起きた?



 ただグミキャンディを食しただけで?性格が豹変している!?



 何が起こっている!?



「私が憎いのでしたら仕方ありません。覆水が盆に返ることは無いのですから……」



 知的な微笑を浮かべ、佳奈美は美香へと手招きをした。



「戦いましょう副会長。私と貴女…己の威信を賭けて」

「……っ!」

「私もこの学園を愛しています……。友達とのひととき……このまま壊される訳には参りません」



 静謐な闘志を纏った佳奈美は、唖然とする美香に、強く宣言をした。



「かつて名君保科正之に仕えた忍者しのびの血を引く、不肖この私……田淵 佳奈美が……お相手仕りましょう……!」





 続く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る