第三十五章 総ては正義と秩序の御為に…
傷だらけの秩序
一年前、体育館の裏ーー。
例え、その他の全てを忘却の彼方へと置き去ってしまったとしても、忘れはしないだろう。
「おい、そこの
「あ?なんだよこの金髪!?」
「お前二年だなァ!私達はさァ?先輩としてこの後輩"指導"して……ぎゃっ!?」
まるで空腹の豚のような悲鳴と共に、美香は苦痛から解放された。
顔面中の擦り傷がもたらす激痛の中、美香が目を開けると……。
「どうだ……?さっきお前がその子にやって馬鹿みたいに笑ってたのと同じ……くだらねぇ技だ……」
金髪碧眼の少年が、一人の少女の腕をーー寄って集って美香に殴る蹴るの暴力を繰り返していたーーけばけばしい外見をした女子生徒達の内一人の腕を締め上げていた。
「い、痛い痛いっ!やめろぉっ!折れるぅぅぅあ!?」
「痛いか?苦しいか……?その子は今のお前よりももっと辛い目に遭っていたんだぞ?」
そう、態とらしい日焼け肌の女子生徒の耳元で少年は囁く。
哀しい声色だが、その瞳は獰猛な光を放っていた。
「全部見た。全部聞いた。……だから来た。お前ら、
少年の言葉に、女子生徒達の顔が緊張で強張る。
「矢張り、図星か」少年は凶暴な笑顔で美香を見た。
「君、こいつらを注意したんだろ?」
「…………」
痛みと驚愕で声が出なかった美香は、ただただ、少年を見てーー
「そ、そのひと…たちが……同級生の子の……財布を…!」
震える唇で、美香は言った……。
「て、てめぇこのガキ!チクってんじゃ…ぎぁああっ!!」
焦燥の顔で吠える女子生徒の腕を、少年は更に力を強めて捻る。
「お前!男が女に手ェだすんじゃねえよ!!」
「私らに喧嘩売ったらどうなるか…分かってんだろうなァ!?」
「今彼氏呼んだから!仲間連れてくるってよ!死にたくなかったらその女と有り金全部置いて消えな!パツキン!!」
群れることで自分達が絶対強者と信じきっている周囲の女子生徒達が、慎みの欠片も感じられない罵詈雑言を少年に浴びせる。
しかし、少年は笑顔の中の狂気を悲哀に変えて、美香を見ながら何度も何度も頷いた。
「
「…………」
「
そして……体育館裏に、聞くに耐えない断末魔が響き渡る。
美香が目撃したのは、自分を痛めつけた女子生徒達が怯え、震える様。
彼女達が呼び寄せたと思われる、人相の悪い作業着姿の男達がーー。
「校内は!関係者以外!立ち入り禁止だぁああああっ!!」
少年にーー松平 主水に、ほぼ一方的薙ぎ倒されていく様だった。
この
正義が、秩序がそこにあった。
悪を許さない。絶対的な正義。圧倒的な秩序!
生まれながらに持った、両親からも同級生からも理解されず、自身を孤独にしてもなお望み続けた思想、それを体現した
「大丈夫か一年娘!?立てるか!?」
生徒指導の教諭達に連れて行かれる女子生徒達に見向きもせず、主水は美香へと駆け寄り、傷一つ無い白く細い手を差し出す。
擦り傷だらけの美香を見た主水は、悲しげに顔を歪ませる。
「酷え傷だ…!急いで保健室へ行くぞ!」
「あ、あの…私は…きゃっ!?」
美香の返事を待つことなく、主水は美香を抱え上げ、騒ぎを聞きつけて集まった生徒達を掻き分け疾駆する。
「…………」
主水の筋骨に身を委ねながら、美香は思う。
これは、天恵だ……!
自分の怪我なんかどうでも良い。傷痕が残ろうが知ったことではない。
それよりも。それよりも。
貴方の正義を語って欲しい。貴方の秩序を教えて欲しい。
もっと、もっと、もっと!
私に……貴方の正義を……秩序を!私に!!
****
そして、現在。
「会津の黄昏……。なんて美しいのかしら……」
生徒会室の窓に背を預け、美香は沈み行く陽に手をかざす。
本町、日新町、七日町方面の街並みが紅の光に包まれ、その輪郭を曖昧にしていく……。
この夕陽を、この会津を守る為に戦い、散っていった曽祖母を始めとする英霊達も見たのかと思うと、美香の心は形容し難い感動でいっぱいになった。
レイリー散乱の波長変化によって紅に変色した陽光はかざされた掌を透過して、美香の肢体を血の色へと染めていく。
まるで、学園の秩序を守る為ならは、如何なる非情も辞さない。そんな美香の決意を体現するかのようにーー。
「ねえ?何故会津が……何故この学園が美しいか分かる……?」
「…………」
「例え恥辱に塗れても、正義を信じ……悪いもの……汚らわしいもの……その総てを秩序の下に排除したからですわ」
獲物を前にした猛禽の如き眼差しで、美香は背後へ振り返る……。
「でも…今…この学園は再び…混沌に満ちようとしている。
「…………」
佳奈美の身体は、マットとロープで雁字搦めにされ、床に転がされていた。まるで春巻のようであった。
「今頃、貴女のお友達を私の部下が排除していますわ?どう?田淵 佳奈美?貴女の頓珍漢な奇行の所為でこの私を怒らせ……貴女のお友達が傷付いてますのよ?」
「…………」
この生徒会室に連れ込まれてからというもの、佳奈美は一言も発さない。
すっかり恐怖に囚われている。そう確信した美香はサディスティックに満ちた、勝利の笑みを浮かべた。
その時であった。
「失礼いたしますっ!」
黒い覆面を付けた男が入室して来た。美香の意志に同調した風紀委員会の一人だ。
「西郷 灰が……敗北しました!」
「なっ!?」
美香の顔から笑顔が消えた。
灰が敗北?信じられない。あの灰が敗けた?剣の道に総てを費やしてきた、あの灰が!
「大門 刃翼…真弓 蛇巳…加部 號夢丸も…敗北との報告が……」
風紀委員は、恐る恐るといった口調で報せながら、首を垂れる。
美香は目眩めいた者を感じた。
灰だけでなく、刃翼達も倒れた。
自らがその実力を確かめて生徒会へと入れた強者達を、悉く倒して見せた……?
「そんな…馬鹿な…!?」
ここで初めて美香は、時緒達の力を思い知り、認めたくないが恐怖を覚えた。
「いいえ…いいえ!」
美香は頭を振って芽生えかけた恐怖を払うと、「
「田淵 佳奈美!貴女も……、」
美香は苛立ちを露わにして、先刻から黙りこくったままの佳奈美へと近づき……
「え……?」
そして、呆然と立ち竦んだ。
「…………」
佳奈美は、恐怖に黙っているのではない。
「…ぅ…………ぅ…………」
佳奈美は……。
「ぐぅ……ぐぅ……芽依子ちゃん……あと二、三十人分は食べられるでショ………フガッ!」
……
「……………………」
美香は、絶句した。
怒りで思考が白く濁っていく。
自分が学園の秩序のなんたるかを語っていた時に、この
己が必死で守ってきた秩序を蔑ろにして、ぐっすりと寝ていたのだ!
ぷつり。
自身の堪忍袋の緒が千切れる音を、美香は聞いた気がした。
「……っあ!ああああああああっっ!!たぶちぃぃぃかなみいぃぃぃぃぃ!!!!」
怒りが爆発した美香は目を血走らせ、胸元から教鞭を出し、その激情のままに佳奈美へと叩き付ける!
夕陽を反射して紅の一閃と化した美香の教鞭が、佳奈美を包んでいたマットをずたずたに斬り裂いた!
「ぎ!?ぎにゃああああああああ!?!?」
何が起こった!?無理矢理覚醒させられた佳奈美は混乱!
その身体は、美香の攻撃によって生徒会室の天井高く弾き飛ばされた……!
続く
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