そして、逢魔が刻に魔人は目覚める


 航宙城塞【ニアル・ヴィール】内、ティセリア騎士団員用娯楽室。



「むっ…?」



 背中を撫でる様な悪寒を感じたシーヴァンは、怪訝な顔で背後に目を遣った。


 背後の大窓には、青い凛光オーラに包まれた地球の姿が映っていた。それだけだ。


 それだけなのに……。



「どうした?貴様の番だぞ?」



 シーヴァンが視線を戻すと、ビリヤード台越しにキューを携えたカウナが首を傾げていた。



「すまない。少し寒気がしただけだ」



「風邪か?」カウナが心配そうに眉をハの字に曲げた。



「気を付けた方が良いぞ?地球の風邪はタチが悪いらしいからな。何なら大姉上直伝の栄養ドリンクを……」

「訓騎院時代に飲んだアシュレア殿下が奇声あげて卒倒した奴か……。大丈夫だ、あそこまで深刻じゃない」



 体調は万全だ。カウナにそう告げて、シーヴァンは改めてキューを構える……。



「…………」



 ふと、時緒の顔が脳裏を横切った。


 根拠は無い。


 だが、シーヴァンは嫌な予感を感じた。


 時緒に、何かが起きている。


 そんな、予感が……。





 ****






「うぁっ!?あぁぁぁぁぁっ!?」



 灰の剣戟に吹き飛ばされた時緒は、今度は校門の柱へと叩きつけられた。


 彼此十数分、時緒はほぼ一方的に灰の攻撃を受けている。


 何故、灰は時緒を圧倒しているのか?



 過去の因縁に燃える灰の戦闘技量が、純粋に時緒よりも上であること。


 そして。


 シーヴァン、カウナ、そしてラヴィー。


 相手への慈しみの為に。


 美と恋した女の為に。


 亡き兄への想いの為に。


 気高い意思と共に相対した三人のルーリア騎士との戦いで、時緒のなかに芽生えた矜持が、この理不尽な戦いを拒絶し、時緒自身を思うように動かなくさせていたのだ。



「先輩…!先輩とは…戦いたくないんですっ!」

「まだそんなことを言っているのか……?」



 哀しい瞳をした時緒を、灰は何処までも何処までも冷めきった眼差しで見舐める。



「俺はお前が邪魔だと思っている。副会長もお前達が邪魔だと思っている。利害が一致したが故に俺は、生徒会の手先として学園の不穏分子の一部であるお前を全力で排除する」



 すると灰は、木刀の切っ先を時緒から、引き攣った表情で見守っていた芽依子と真琴に向けた。



「俺とちゃんと戦え。でなければ芽依子と真琴彼女達から先に排除しなければならなくなる」

「なっ…にを…!?」



 時緒は己が耳を疑った。


 今、この先輩おとこは何と言ったか?


 芽依子と真琴を排除すると言ったか?


 害を為すと言ったか!


 時緒のなかに、微かだが炎が灯る。


 怒りの炎が……!



「そうだな…彼女達には少々辱めを受けて貰おうか?俺としても不本意だ…そん、」



 "そんな事、したくない"


 そう灰が言いかけたその瞬間、時緒の身体が跳ねた。



「そんなこと!されて溜まるかっ!!」



 高く跳躍した時緒は宙で体勢を整え、木刀を上段に構えて、自由落下の慣性を利用して灰へと斬りかかる!



「ああああああああっ!」

「は!それで良い!」



 刀と刀がまたぶつかる。エネルギーの相殺に空気が圧縮、そして……!


 一気圧壊に爆ぜる!


 一撃、二撃、三撃、四撃!


 時緒の怒りの連刃が灰を襲う。


 だが、灰はそのことごとくを打ち払う。


 齢十七でありながら未だ幼さの残る顔を、加虐と淘汰から来る悦びに歪ませて。



「そうだ!それで良い!それでこそお前だ!椎名!」



 太刀筋が夕陽に反射し、光の軌跡となって斬り結ぶ!



「そのお前を倒せば…今度こそお前を倒せば!俺は過去を払える!!!」



 常軌を逸した灰の気迫。時緒は灰に対する恐怖を怒りで無理矢理に塗り潰す。



「母さん…!?何を…言っている…!?」

「お前には分からないだろう…!常勝のお前には敗者の苦痛など!」

「なっ!?」



 一瞬、時緒に生まれた隙を逃す程、灰は愚鈍ではない。



「疾ぃぃっ!!」



 灰の木刀が袈裟の形に時緒の身体を凪いだ。



「ぎあっ!?!?」



 身体を突き抜ける鋭い激痛に、時緒は膝をついた。



「時緒く……!?」



 痛みに歪む視界の端に、引き攣った芽依子の顔が見えた。


 芽依子が時緒に近寄らないのは、恐怖が故ではない。


 未だ灰に立ち向かう時緒じぶんに操を立ててくれている。


 そう思うと、微かだが痛みが和らいだような気がして、時緒は再び立ち上がった。



「それが敗者の痛みだ…!お前が今の今まで対戦者に…敗者に与え自らの悦びとしてきたものだ…!!」


 勝ち誇った笑顔で、灰が宣った……。





「ち……違う。……違います!」



 その時……時緒と灰の間に女子制服のシルエットが割って入る。



「し…し…椎名くんは…椎名くんは!相手を負かして……悦んでなんか……優越感に浸ってなんか…いません!」



 脚を恐怖で震わせた、であった。




 ****




「そこを退け。神宮寺 真琴」



 笑みを消し、彫刻めいた顔で灰は真琴を睨む。


 情の一片も感じられない絶対零度の声色に、真琴は気絶してしまいそうになる。



「真琴さん!?下がりなさい!!」



 背後から芽依子の叫びが聞こえる。


 包容力のある声に、つい、甘えてしまいそうになる。



「じ、神宮寺さん…!下がっ…て!」



 しかし、時緒の声が……初めて恋をした少年の声がして、真琴は決意する。


 退いてやるものか!下がってやるものか!



「違います…椎名くんは…そんな人じゃない!」



 真琴じぶんが時緒を守るのだ!



「椎名くんは……優しいんです!いつも……いつも自分の事よりも他の人の事を優先して……!他の人の事で悩んで考えて……!貴方が言うような……人を負かして楽しむような人じゃありません!」



 真琴は思い切り深呼吸をして、全力で灰の説得を試みた……。


 こんな闘い、やめて欲しいから……!




「お願いです先輩……!こんな……、」



 顔面を襲う鋭い衝撃に、真琴の意識は真白になって吹き飛んだ。




 ****




 時緒はその光景を、まるで脳に焼き付けるように、ただ呆と見ていた。


 灰の平手打ちを顔面に喰らい、真琴が倒れていく……。


 真琴のチャームポイントの一つだった丸眼鏡が、地面に落ちて砕け散った。


 あの真琴が。


 優しくて、本が好きで、子どもが好きな真琴が。


 ……



 ぱりん。



 真琴の眼鏡が砕けると同時に、時緒の頭の中で何かが弾けて壊れた……。



「な……んで」



 今まで知った事の無かった激怒ものが濁流の如く溢れてくる。



「じんぐうじさんを・なぐったな?」



 止め処の無い怒りと憎悪が、時緒の自我ぜんぶを飲み込んだ。



「椎名……もう邪魔者はいな、」

「がりゅうけんしき……【桧原ひばら風薙かぜなぎ】……」




 ****




「…………」



 夕暮れの中に浸かった廊下の途中、正文は立ち止まり、背後を振り向く。


 背筋にひりつくような感触。嫌な予感。



「おい、正文?」

「どうした正文バカ?」



 訝しんだ伊織と律の問いに、正文は答えもせず……。



「……俺様ダッシュ……!」



 突如、今まで来た路を回れ右、一目散に走り戻った。


 折角、佳奈美を追いかけて此処まで来たのに!?



「おい!?正文!?」

「先に行ってろ…!」

「小便か!?」

「そんな所だ」

「おいおいおい!?!?」



 走る。


 走る。


 正文は韋駄天の如く走る。


 その眉間に滲む汗は、疾走による体温の向上によって分泌されたものではなかった。



「時の字……!この禍々しい気迫は……お前なのか……!?」



 その汗は、焦燥の汗だ。


 堪らず正文は、この場に居ない時緒を昔のあだ名で呼んでしまった。





「やめろ…!ときちゃん…!」





 ****





「ぃぎああぁぁぁぁぁぁぁぁあっっ!?!?」




 全身を疾る、感覚神経を直に抉るような激痛に灰は悶え叫んだ。



「な、何が……何が起きたぁぁぁあ!?!?」



 灰は現状が理解出来なかった。



 ゆっくりと時緒が立ち上がり。


 ゆっくりと木刀を構え。


 再び斬り結んだ、かと思った。


 刹那。


 のだ。



「ば、馬鹿な…!まさか…お前が…!?」



 未だ続く激痛に歯をがちがちと鳴らしながら、灰は夕陽を睨む。


 否、正確には。


 夕陽を背負って、ゆらゆらと佇む、時緒の妖姿すがた


 どこまでもリラックスしきった状態で木刀を構えながらも。


 その身体から放たれる気迫は重く、熱く、禍々しい怨念ものであった。



「よくも……神宮寺さんを殴ったな……」



 虚空を見つめる、時緒の暗く濁った瞳は活気を喪失し、頬を涙が止めどなく流れて落ちる。


 それなのに、口元は緩やかな笑みの弧を作っていた。



「と……時緒……くん……?」



 時緒のその異様、その気迫に、芽依子は呆然と時緒を見つめるしか出来ない。


 一体、何が?このどす黒い気迫の時緒は……?



「時緒くん…!時緒くん!どうしたんです!?時緒くん!」



 芽依子の悲痛な叫びに応えること無く、時緒は泣きながら笑うーー。



「……お望みどおり……ってやるよ……!」



 狂気をはらんだ時緒の冷たい声に、芽依子は戦慄、気を失った真琴に駆け寄り、しっかりと抱き寄せた。


 目の前にいる時緒は、何時もの優しい、ちょっとお馬鹿な時緒ではない。


 怒りに身を任せてしまった、まるで……『魔人』……?



「覚悟しな……?痛覚を持って生まれてきたことを……後悔させてやる……」



 ぶつぶつと呟きながら、時緒は木刀を携え、丸腰となった灰へと歩いていく。


 一歩。二歩。三歩。


 まるで、死刑執行人のように。



「や、やめろっ!やめてくれ!」

「………………」

「た、たす……たすけ、」



 時緒へと向けられた、灰の懇願は……。



「ぎゃあっ!ぎゃあああああっっ!!!!」



 狂気に笑う時緒が、その木刀が打ち据える音と灰自身の絶叫に、無惨に掻き消された……。








 続く

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