第三十五章 サムライ・ハート

Cold edge



「…………」



 奈落の底で目を回す刃翼を見下ろしながら、正文はふんすと鼻息を吹いた。



「大門 刃翼……本当に手強い敵だった……」



 瞳を閉じて、染み染みと呟く正文を、律は鼻で笑う。



「楽勝に見えたぞぉ?まったく…」



 正文が負ければ良かったのに。そうすれば自分が颯爽と駆け付け助け(仕方なく)、正文に対して圧倒的な格差を構築出来たのに。


 至極つまらなそうな顔を作りながら、律は背負って来た蛇巳を、刃翼と同じように奈落へと投げ落とした。



「あ〜れ〜……」



 その様は、まるでゴミ袋のようだった……。



「いいや、手強かったな」



 正文は澱みの無い鋭い眼光で、律を見てキッパリと断言する。



「嫉妬や支配欲で……あそこまで動けるとは……」

「正文……?」



 正文は再び、その視線を律から奈落の暗闇へと移す。



「その力……もっと別の所に向けられたら……」



 若干の悲哀を帯びた表情を浮かべる正文を、律は今一度じいと見つめて……。


 認めたくない。


 全くもって認めたくないが……。


 薄紅色の照明の下、一人舞台に佇む正文の長身すがたとその哀愁を浮かべたツラは、何処までも何処までも美しかった。


 本当に認めたくなかったが……!



「よっ!御両人!」



 すると突然、体育館の重い扉ががらがらと音を立てて開き、溢れる夕陽が一人の少年のシルエットを出現させる。


 伊織だった。


 学校指定の運動着ジャージを纏った伊織は、全身土埃だらけだった。



「やっぱりお前らの所へも来てたか!」



 その腕には、自身よりもさらに汚れきった運動着姿の男を抱えていた。


 美香が放った刺客の一人、加部 號夢丸かべ ごむまる、その人であった。



「この先輩ヒト奈落そこに投げちまって良いか?」



 伊織は笑いながら担いだ號夢丸をぶらぶら揺らす。


 顔は笑顔だが、伊織のこめかみには怒りの青筋が未だに浮き上がっていた。


 矢張り厄介な目に遭っていたのか。


 お疲れ様ですーー。


 察した正文と律は、伊織を舞台の上へと手招きして誘った。





 ****





「木村くん!嗚呼木村くぅん!俺はこんな……不幸な出会いはしたくなかったァァァァ……」



 奈落の底から響く號夢丸の悔恨の声を背に、正文は律と伊織と共に体育館を後にする。



「くそっ!副会長め!アジな真似をしてくれる!」



 不条理な仕打ちに律は怒り心頭、ぼきぼきと骨を鳴らしながら拳を握り締めた。


 学校の時計台は午後四時三十分を指していた。


 刃翼達の襲撃から現時刻まで僅か十五分程度だが、予想外の疾風怒濤オンパレードに疲れていた正文達の体感時間は、更に長いものに感じられた。



「……駄目だ。繋がらねえ」



 時緒に電話をかけていた伊織が、苦い顔で首を振る。


 矢張り、という顔で正文は流し目で律と視線を合わせた。



「俺様達が狙われたとなると…」

「椎名や真琴、芽依子さんの方にも刺客が来ているだろうな」

「時緒やお嬢は大丈夫だとして……、攻撃力ほぼゼロの真琴まこっちゃんが心配だな」



「問題無い」と正文が目を閉じて、静かな深呼吸を一つする。



「時の字が一緒に居る。何、奴ならちゃんと護れるだろうし、それに……」



 まるでドラマのような、勿体ぶった間を置いて、正文はしたりと笑った。



「神宮寺 真琴は……そんなに弱い女じゃあない」



 伊織と律も不敵に笑って頷き、先程までの考えを改める。


 確かにその通り。真琴は時緒の為だけにエクスレイガにも搭乗しただ。生半可な嫌がらせには、決して屈しはしないだろう。



「じゃあ……俺達はどうする?」



 伊織の問いに正文が応えようとした、その時ーー。



「む?」



 丁度校舎脇の通路を歩いていた時、正文は、薄暗い校舎内を移動する影を確認した。


 一人ではない。


 四人、四人の覆面男が一人の少女を、まるで祭神輿の如く担いで廊下を走っていた。


 廊下は走ってはいけないのに、異様な光景だ。



「うぎゃにゃ〜〜〜〜!?」



 掲げられていた少女の間抜けな悲鳴が、窓ガラスを突き抜けて正文達へと届く。



「「「あ」」」



 正文、伊織、律は同時に口を開けて阿呆面になった……。


 小柄な体躯。


 猫の耳のような癖毛。


 謎の輩に担がれているのは、だったのだ。



「「わっせ!ほいせ!わっせ!ほいせ!」」

「ぎゃにゃ〜〜!気持ち悪い〜〜!」

「「田淵 佳奈美を捕まえたぞ!副会長に献上だ〜〜!!」」



 見るからに怪しい覆面の男達は、意気揚々と声を上げ、青い顔をした佳奈美を上下に揺さぶりながら階段を駆け上り、そして、消えて行った……。





「「「…………」」」




 唐突な出来事に、正文達三人は数秒呆気に取られてしまったがーー。



「か、佳奈美だ!追う……追うぞ!!おい!?固まるな!!」



 最初に我に返った伊織の発破によって、正文と律も何とか正気に戻る。



「入り口、入り口!あ!この窓開いてる!」



 三人は焦燥の駆動で、夕闇の中の校舎へと侵入した。


 佳奈美を、佳奈美を攫った覆面達を追いかけて……!





 ****





「剣を取れ、時緒」



 木刀を構えた灰が、時緒へと歩み寄る。


 時緒は確と感知していた。


 灰のその身体から発せられる、禍々しい気迫ーー。


 この感じは……憎悪!?



「先輩……何故……!?」



 足下へと放られた木刀を拾いもせず、ただ時緒は灰へと問う。


 何故?剣道部へ勧誘してくれた灰が。



「何故…か」



 夕焼けの中、灰がほの暗い微笑を浮かべた。



「……副会長は……空っぽだった俺に生き甲斐を与えてくれた」



 そして、その小柄な身体を、豹の如く滑らかにしならせて……。



「……その副会長が……お前達の排除を望んでいる!!」



 刹那、旋風と共に灰の姿が、時緒の視界から消失する。



「時緒くん!剣を取りなさいっ!!」



 芽依子の一喝が、時緒を現実へと引き戻す!



「その人は戦うことを止めません!!」

「く…っ!!」



 時緒は側転の容量で宙をひらりと旋回、途中で地面の木刀を掴み、手触りを確かめ、手に馴染ませ、着地と同時に構える!



 相克ッ!!!!



 次の瞬間、時緒が構えた木刀に、凄まじい衝撃が迸った。


 見れば、いつの間にか肉薄していた灰の、その電光石火の斬り上げを、刀身で受け止めていた。



 時緒が灰の一撃を受け止めたのではない。


 態々、



 ぎちり、ぎちりと硬質の木刀同士が鍔迫り合い、軋みを上げる。



「ぐ…ぐ…ぅ!」



 灰の剣を受け止めた時緒の口から、苦悶の呻きが小さく漏れた。


 木刀を時緒へと押し込む灰の腕力は、その小柄な身体から発揮されているとは思えないほどの剛力だった。


 それだけではない。


 憎悪。


 悔恨。


 灰から湧き上がる、粘着質で薄ら寒い剣圧が、克ち合う木刀を通じて、感受性豊かな時緒のなかに流れ込み、時緒の何とか保とうとする平常心を蝕んでいく。



「時緒くん!」

「椎名くんっ!?」



 芽依子と真琴の心配する声が、時緒には霞んで聞こえる……。



「せ、せんぱ…い…っ!?」



 何故、これ程の負の感情を……!?


 戦慄し、気圧される時緒に、灰は嗤って見せる。


 愉快そうに。


 苛立たしそうに。


 哀しそうに。





「さあ、時緒……子供の時の続きをしようか……?」







 続く

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