奈落 〜Fall in darkness〜
歓喜、歓喜、歓喜!
正文を屈服させた!よくもよくも大仰な態度を取ってくれた
狂おしい程の悦びに、刃翼は身震いした。
これで私の……演劇部での地位は盤石である!
また今までのように、他の部員達は私を、
それに、美香の命令を自身は叶えて見せた。美香からどのような寵愛を受けられるかと思うと、刃翼は嬉しくて嬉しくて肌が粟立ってしまう。
「うううう!なんでもします!ごめんなさいごめんなさいぃぃ!!刃翼様ぁぁあ!!」
足下でうずくまる正文の頭を愉悦の表情で踏み付けながら、刃翼は余裕の心持ちで思考する。
さあ、この一年坊をどう
ぱち、ぱち、ぱち、ぱち。
すると、何処からか拍手が聞こえた……。
ゆっくりとした、勿体ぶるような……まるで意識を発生源へと注目させるような拍手のリズム。
赤子ならば眠気を覚えるだろうが、刃翼にとってはその逆、警戒すべき侵入者の証。
「っ!?誰だっ!?」
警戒心を露わにした刃翼が体育館を見渡す。
自身と正文の他に、誰かが体育館の中に居る?人払いは完璧な筈。
一体何者?
「良いぞ、大門 刃翼。素晴らし過ぎる劇だ」
居た。
体育館のキャットウォークに。
カーテンの隙間から漏れる夕陽にそのシルエットを、その
刃翼はその
美香による、今回の
「律!?丹野 律!?何故キミがここに!?キミは!?」
キャットウォークの上で、律がにやにやと笑っていた。
****
意外。刃翼は驚愕した。
何故ならば……何故ならば!
「蛇巳!キミには蛇巳が!
「蛇巳?ああ…、弓蔵先輩か?」
すると律は気怠げな表情で腰を屈めた。
「
律は足下の暗闇から、あちこちに矢で射られた跡を残す、ボロボロな弓道着姿の、お下げ髪の少女を担ぎ上げた。
刃翼と志を同じくする弓蔵 蛇巳の、変わり果てた姿であった。
「蛇巳っ!?」
悲痛な刃翼の声に、蛇巳は重苦しく頭を上げ応える。
「は…はっつん…」
「こんな時に渾名で呼ぶな馬鹿者っ!」
「はっつん…ごめんなさい……。貴女の……台本通りに……動けなかった……!」
「じゃ…蛇巳……!ああ蛇巳っ!!」
「こいつ……予想以上に……強す、」
蛇巳の言葉が、最後まで紡がれることは無かった。
「何がこいつだ失礼な…!」
「ぎゃんっ!」
蛇巳を担いでいることに疲れた律が、蛇巳の身体をキャットウォークの床へと落とす。
ただでさえ満身創痍だった蛇巳は落下の衝撃に目を回し、崩れるように失神してまった。
「じゃ…!?」
絶句する刃翼を他所に、律は不機嫌が凝り固まった溜め息を吐く。
「全く……いきなり弓の撃ち合いなんて可笑しな勝負挑んできやがって。生理二日目でイライラしてたからコテンパンにしてやったわ!何が学園の秩序だ馬鹿馬鹿しい……!」
肩を小刻みに震わせながらそう独り言ちた律は、その鋭い眼光を舞台上の刃翼へと再び顔を向けた。
「ほら!大門 刃翼!さっさとその
「はぁ!?」刃翼は律が理解出来なかった。
正文と律は仲間の筈。
それなのに、何故に律は泣きじゃくりながら命乞いをする正文を見て嬉しそうなのか?
「キ、キミは何を言って…!?」
動揺する刃翼に律はまたも応えず、心からの嘲笑を顔面に貼り付けて正文を見下ろした。
「大門 刃翼は素晴らしい立ち回りをしているのに…それに引き換え……お前は……とんだ
刃翼はぽっかりと阿呆面になった。
「そんな
本当に、
正文が演技?まさか!
正文は演技などしていない。真に正文は自分に負けたのだ。真に正文は自分を恐れたのだ!
「……おい律、よくも俺様の一世一代の名演技を邪魔しやがったな…!」
まるで照明の切り替わりで素早く変わる舞台の空の如くーー。
刃翼の慢心を、正文の声がばらばらに打ち砕いた。
****
「な…!?な…!?」
状況が理解出来ない刃翼の前で、正文はゆっくりと、それでいて美しく無駄の無い動作で起き上がる。
「……俺様が大根役者だと?
そして正文は、キャットウォーク上の律を睨め上げて笑う。
その目にあるのは自信と活気で、先程刃翼に対して存在していた畏怖の気配は、もう何処にも無かった。
「まさか…本当に…演技…?」
「はっ…!」
信じられない。信じたくない。
わなわなと震える唇で問う刃翼に、正文はにやりと笑って見せた。
「俺様は生粋のエンターテイナーなのさ」
「そ、そんな…、だってボクの靴も…アアッ!?」
自身の皮靴を見下ろした刃翼は驚嘆の声をあげた。
正文が舐めていた筈の皮靴には、修正液で描かれた【著作権に厳しい某夢の国のネズミ】がアカンベーをする様が見事に描かれていた!
「俺様が輝けるなら…、俺様はアンタの小便だって飲んで見せるぜ…?」
正文の、何処までも自信に満ちた、否、自信だけで構成されたような、澄み切った目。
欺かれた?魅入られた?
この私が!大門 刃翼が!?
「ふっ……ふざけるなっっ!!」
認めない!認められない!怒りに目を見開き、刃翼は般若の形相でサーベルを構え、改めて正文に突入した。
「お前さえぇっ!お前さえ居なければァァァアッ!!」
最早、今の刃翼に、演劇の心ーー役をやりきるという役者を目指す者としての最低限の心持ちすら存在していなかった。
"正文を消さなければ"
"私が消えてしまう"
ただ、そんな恐怖だけで、刃翼はサーベルを振るう。
「……先輩、前言撤回だ」
「っ!?」
「勧善懲悪の英雄譚……気に入った……!」
余裕綽々の動作で、正文は刃翼の剣を難無く躱し……。
二人のシルエットが重なる、その刹那。
正文はその手に携えたサーベルで、すれ違い様に刃翼を斬り伏せたのだ……。
「ば…か…な」
電光石火。疾く、流麗な剣筋に、刃翼は……どうすることも出来なかった……。
「佳の字をどうにかしようと云う不埒な悪行…、例え天が許しても……」
「み…か…さ…ま…」
「俺様が許さん……!」
正文の剣戟の凄まじさに、刃翼はふらふらと蹌踉めく。
刃翼の手元が狂い、指先がポケット内にしまっていた舞台装置を操るリモコンに触れてしまう。
刃翼の背後で、舞台の奈落が音も無く開いたーー。
刃翼は奈落へ向かって後ずさる……。
無論、自ら勧んで……ではない。
刃翼本人は奈落が開いたことなど知る由も無い。
まるで、刃翼本人の運命であるかのように……。
「俺様の真の敵は……
「ボ、ボクが……ボクこそが……」
「俺様は常に俺様自身と戦い……勝ち続けた。だからこそ……今の俺様が、そして……今の俺様を凌駕するだろう未来の俺様がいる」
「ボクが……ボクこそがこの学園で……そうでなくては……」
「大門 刃翼……、アンタは
「ーーーーッ!?」
そして、声になっていない悲痛な断末魔と共に……。
大門 刃翼は、己で開けた奈落の闇の中へと落ちて……そして、消えた……。
(宝塚に入学できると思ったんだがなぁ…)
(お金の無駄だったわ、まったく)
勝手に期待して、勝手に失望した。
かつて、挫折した自分に浴びせられた家族の心無い声を思い起こしながら……。
刃翼は、深い闇に飲まれていった……。
「
照明が、
憐憫と軽蔑が入り混じった正文の独語が、正文以外誰も居なくなった埃臭い舞台に漂っていた……。
「敵は徹底的に……上げて、上げて、上げて……偽の勝利の美酒を味わせてから……堕としてやる……」
続く
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