暗雲の帯



「ちょっと!?そこの人!!」

「ひぃっ!?」



 佳奈美の居場所を探るべく、時緒はそこいらで倒れていた影の軍団員のうち、一人の首根っこを片手で持ち上げた。


 団員が恐怖に震える。


 少々乱暴だが、致し方無い。



「椎名くん、お、お手柔らかに!ね?」



 背後から聞こえる真琴の声が、怒り心頭の時緒を冷ましてくれた。


 冷静になった時緒は、白い歯を剥き出しにして威嚇の表情をしながら、男の覆面を剥ぎ取った。



「ぎゃっ!?」



 先程の攻撃の凶悪さとは裏腹に、男はオカメインコの如き愛嬌のある顔をしていたので、時緒は少しショックを受けた。



「教えてください!佳奈美は何処ですか!?」



 すると男はそのおかめ顔を歪め、若干の怯えをはらみながらもくつくつと時緒を見て嗤った。



「ば、馬鹿な奴よ。最初から我々の目的は田淵 佳奈美を美香様の下へと連行すること也…!」

「じゃあ僕との戦いは…まさか!?」

「然り…!只の陽動…!只のおまけよ…!」

「そ、そんなっ…!」



 時緒の怒りが再燃しかけた、その時ーー



「時緒くん!っ!!」



 芽依子の切迫した声音が響く。時緒は咄嗟におかめ男を手放し、その身をひらりと翻した。



 !!!!


 刹那、二条の斬撃が地を奔り、時緒がつい先程まで居た場所を斬り裂いた。



「なっ!?」



 斬撃の一つは時緒の目の前を掠め、前髪を一房斬り落とし……。



「ぎゃああああっ!な、何故ぇぇぇえ

 っ!?」


 もう一つは、回避どころか気付きもしなかったおかめ男を直撃!彼の着ていた制服を無惨に斬り裂いた。



「きっ貴様……っがぁぁぁあ!?」



 ブリーフパンツ一丁姿となったおかめ男は、そのまま他の軍団員諸共、垣根の彼方へと吹き飛ばされて、消え失せた。



「な…っ!?」



 時緒は戦慄せずにはいられない。


 芽依子のおかげで躱して見せたが、もし直撃していたら……。


 恐怖冷や汗が、時緒の背中を流れ落ちる。


 何という無情な斬撃!常人には速過ぎて分からないだろう。現に時緒の視界の端で、真琴は何が起きたか分からずあたふたしている。剣に心得がある時緒や芽依子だからこそ理解出来る、凄まじい一太刀であった。


 一体誰が?


 誰が、何処から、斬撃を放ったのか?



「っ!そこっ!」



 不意に芽依子が鞄から箸を取り出し、校舎の影に向かって投げる。


 エクスレイガの装甲材と同じ、磐梯山由来の火山岩を無重力空間で精製して出来る【超合金イナメタル】製の箸だ。総重量五キログラムのスペシャルカツレツを持ち上げてもびくともしない愛用の箸を、芽依子は暗器の如く投げ付けたのだ。



 ッ!!


 校舎の壁に、芽依子が投げた箸が深々と突き刺さる。



「は…っ!」



 芽依子の予想は、的中した。


 箸が突き刺さった壁の、その死角から、人影がゆるりと姿を現わす……。


 そのシルエットは、小柄だが男の形をしておりーー



「え…?」



 その姿を見て、時緒は、我が目を疑った……。



「……ふん」



 人影が軽く鼻を鳴らす。



「風紀委員め、何が影の軍団だ。陽動をしろと言ったが…そこまで無様に敗けろとは言っていない…」



 人影が革靴の音を鳴らしながら、校舎の影、闇の中から夕陽が満ちる空間へと、その身を晒した。



「な……!?」



 時緒は、呆気に取られた顔で立ち竦んだ。


 何故ならば、その男は……。



「さ……西郷……先輩…?」



 立っていたのは、剣道部の主将、西郷 灰であったのだから……。




「さ、西郷先輩?あの…陽動をしろと言ったって…?」

「…………」

「先輩……何故見てるんです……!?」



 灰は時緒の質問に応じることは無く、只々、時緒を見つめていた。


 どこまでも、冷ややかな眼差しで……。


 その手には、二本の竹刀が携えられていた。



「時緒くん……気を付けて……!」

「芽依姉さん…!?」

「先程の斬撃……!放ったのはそちらの殿方です!!」



 緊迫の表情で芽依子が灰を指差すのと、灰が冷淡な、機械めいた微笑を浮かべたのは、ほぼ同時のことだった。


 否定もせずにただ笑っている。


 灰のその仕草は、芽依子が言ったことを灰自身が肯定しているものであった。



「椎名……受け取れ」



 何処までも静かな動作で、灰は二本の竹刀のうち一本を時緒の足下へと投げた。




「俺と戦え」



 灰は、淡々と時緒に宣い、そして、木刀を構える。


 時緒は灰の言葉の意味が分からなかった。


 まるで、一時的に日本語が分からなくなってしまったかのように。


 何故?何故自分が先輩と戦わなければならないのか……!?



「椎名、頼む」

「せん……ぱ、」



 灰の言葉が。


 灰自身の存在理由が。



「先輩…!?」



 時緒には理解出来なかった。


 ただ。



(お前が必要なんだ。一緒に剣道をやらないか?)



 以前、剣道部へ勧誘された時の、申し訳なさげな笑顔が、時緒の脳裏にこびり付いて離れなかった……。




 ****





 薄い赤、オレンジ、乳白色。


 体育館の中、暖かな印象を視覚に付与する照明の中で、二つの人影が克ち合う。


 正文と刃翼であった。



「ほらほら!どうした?美男子君!」



 刃翼のサーベルが奔り、正文のサーベルが受け止める。



 相克ギンッ!!!!



 二人のサーベルがぶつかり合う度に火花が迸った。舞台の迫力を出す為に演劇部のサーベルの素材には重いジュラルミンが使われていた。刃翼の独断である。



「ぐ…っ!?」

「ほらほら!あんよがふらついているよ!ステップ良く!あっはははは!」

「こ…この俺様が…がっ!?」



 刃翼のサーベルは流星の如き軌跡を弾いて、正文の身体を襲う。


 正文は防戦一方だった。否、刃翼の攻撃総てを受け切れていなく、防御を擦り抜けたサーベルが正文の端正な顔を掠め、赤い蚯蚓腫れを作っていく。



「ふっ!」



 学園有数の美男子が、この有様。


 今の正文の無様な姿に、刃翼は恍惚の笑みを浮かべずにはいられない。



「駄目じゃないか正文君!君は悪役なんだ!悪役はちゃんと一度は主役ボクを窮地に陥れないと!じゃないと……あまりに一方的で観客オーディエンスが退屈してしまうじゃないか!」



 嘲笑を浮かべた刃翼は、猫の様に身体をしならせ、壇上を蹴って疾駆!


 タン!タタン!リズミカルに革靴を鳴らして、照明に依る残像を描きながら、瞬時に正文の懐へと入り込む!



「まぁ…でも…一方的な強さチートな主役も……最近の流行らしいけど……ねっ!!」



 そして、サーベルを一八〇度くるりと回転させて、その柄を正文の腹へと叩き込んだ!


 !!!!



「ぐほっ!?がぁぁぁぁっ!!」



 柄が正文の腹へ深々と減り込む!相殺不可能!


 刃翼の攻撃を急所に受けた正文は、胃液を吐きながらまた吹き飛び、壇上の床を四、五回転げ回りながら悶絶した。



「ぐっ……!う、うぅ……!?」


 死に掛けの蝉のように床上で痙攣する正文の姿は、刃翼の加虐心をじくじくと刺激し、脳内に甘美な快楽物質を分泌させる。



「あっはははは!良いね正文君!君、スタントマンの素質あるよ!」



 けたけたと嗤う刃翼に、正文はゆっくりと起き上がり、顔を向ける。



「もう…やめてくれ……!」



 学園でも注目の的であったその顔はーー



「も、もうやめてくれえぇぇっ!!痛いよっ!怖いよぉっ!!」



 恐怖の涙と鼻水にまみれていた。


 正文は泣きながら四つ這いで刃翼の足下へと寄り、刃翼のローファーをべろべろ舐め始めた。完全降伏、完全服従の証である。




「も、もう佳奈美アイツなんかどうでも良い!他の奴等も好きにして良い!だから俺は…俺だけは…助けてくださいぃぃぃ…っ!!」



 正文は情けなく号泣しながら、床に頭を擦り付け懇願する。



 何という下種!何という無様な姿!


 あの正文を屈服させ、敬愛する副会長の勅命を達成した……!


 今まで味わったことの無い勝利の美酒!その甘美な悦楽の味に酔い痴れ、灰翼は歓喜絶頂する!



「これで……!これでまた演劇部は……またボクのモノだぁぁぁっっ!!」





 続く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る