幸福の王子


 大門 刃翼だいもん はつばさ


 会津聖鐘高校そこは、彼女にとっての楽園だった。


 特に演劇部は、何人なんぴとにも侵されることの無い聖域であった。




 刃翼は子どもの頃から演劇が好きだった。演じることが好きだった。


 だから、刃翼は力の限り演劇に打ち込んだ。




「王子!王子!」

「刃翼様!お慕い申し上げます!」

「先日の舞台、とてもお美しゅうございました!」

「きゃぁぁぁぁ!刃翼お姉様ぁぁぁぁ!」




 憧憬の眼差しで自分を見る部員達に、刃翼はいつも微笑んで見せた。


 口では「そんな事はないよ」とも言ってみる。謙遜は大事だ。



 しかし……奴等の言う通りだ!刃翼は心底そう思う!


 自分は美しい!


 自分は清廉なる存在!



 誰もが自分を慕ってくれる。誰もが自分をまるでモナリザの絵画の如く崇拝してくれる!



「大門 刃翼、貴女のその美貌と才能が……ここ学園に、生徒会わたくしたちに必要なのです」



 敬愛する生徒会副会長、蝦名 美香にその手を差し伸べられた時、刃翼は人知れず絶頂した。



 この学校の総てが自分を愛してくれた。


 もう自分を咎める者はいない。



 挫折した自分を。


 宝塚音楽学校落選ゆめやぶれた自分を。


 この学校は認めてくれた!



「皆!ありがとう!ボクは幸福しあわせだよ!!」



 故に、刃翼は、夢見心地であったーー。



 ……夢見心地の、筈だった。





「一年三組、平沢 正文だ…!この俺様が入部したからには、この演劇部を最強…いや究極の演劇集団にして魅せる…!!」





 しかし、今年……平沢 正文という一年生が入部してから、刃翼の中で何かが崩れた。



 すらりとした長身。


 迷いを感じられない眼。


 甘さと鋭さを兼ね揃えた美貌マスク


 媚びもへつらうことも無い、豪快な出で立ち。


 そしてーー



「立て!万国の労働者ァ!!」


「死ぬか…生きるか…、それが…それが問題なのだ……!」



 必要とあらば舞台上で落涙し、危険を省みず高所から落下して見せる、自然でいて大胆、迫真の演技!


 素晴らしい!美しい!


 刃翼が望み、焦がれ、そして身体や精神を疲弊させてまでしても手に入れることが出来なかった総てを、正文あの男は、さも当然といったふうに所有していたのだ。



「すごいや!平沢君!」

「よっ!千両役者!!」

「きゃぁぁぁぁ!正文様ァァ!!」



 周囲の部員達からの黄色い声を浴びても、正文は奢らない……。



「……俺様は俺様よりも華麗な漢達を知っている。そいつらに負ける訳にはいかないんだよ」


 と、正文は常に素っ気の無い態度。



 刃翼は許せなかった。


 他人を魅了して止まない程に才能に満ち溢れているのに、何故そんなにつまらなそうなのか?


 何故?何故!?



 何故、自分が持っていないものを。欲しくて欲しくて堪らなかったものを、沢山持っているのに!


 この男は何が気にいらない!?



 刃翼の正文に対する羨望が、やがて憎悪に変わる頃……。



「田淵 佳奈美に属する者達を……学園的に抹殺なさい」



 美香は刃翼へ、刃翼達へそう命じられたのだ。



「刃翼……貴女は平沢 正文を処理なさい」



 ーー天啓だ。


 神はまだ自分を見限っていない。


 邪魔者を抹消して再び輝けと言っている。


 そうに違いない!



 刃翼は心棒し、被虐的な微笑と手の甲へのキスを以って、美香の命令への絶対遵守を誓ったのだった。


 刃翼の肢体は、熱い悦びに震えていた。




 ****






「はぁあっ!!」



 薄暗い体育館に、鋭い剣の一閃が煌く。



「ぁが……っ!?」



 凄まじい剣風に、正文は吹き飛び、その長身が舞台上の、城壁を模したハリボテへと叩き付けられた。



「ぐっ…!?」



 身体を馳しる鈍痛に顔を顰めながら、正文は衝撃に霞む眼で舞台中央を睨む。



「良い表情だ。やはり君は生れながらの役者なんだね」



 突然、眩い照明が壇上を照らし、正文の視界を一瞬ホワイトアウト状態にした。


 壇上に立っているのは、演技用サーベルを構えた男子制服姿の美丈夫。


 ーー否。


 胸の僅かな膨らみと腰の曲線を、正文は見逃さない。決して!


 男子制服を纏った少女。男装の麗人。


 正文は、この少女の名を知っている。



「……大門……刃翼……!?」



 驚愕の表情を浮かべる正文に、刃翼は妖しく微笑んで二度頷く。


 細められたその瞳の光は、獲物を前にした捕食者の様相をはらんでいた。



「いけないな、正文君?ボクは一応先輩だよ?"先輩"もしくは"さん"をつけてくれないと……!」

「大門…先輩、何故……こんな……!?」

「出来たらと呼んで欲しいな?嫌いなんだよ……この苗字」



 刃翼は態とらしい苦笑を作りながら正文に数歩近付いて……サーベルの切っ先を正文へと向ける。


 その一連の動作は艶めかしく、それでいながら雄々しく力強い。



「うん、個人的な恨みは有るよ。でもこれは生徒会のお仕事。ボクの尊敬する人がね?君達が邪魔なんだって。君達がこの学校にいると、学校が滅茶苦茶の無法地帯になってしまうのさ。だから排除させて貰う」

「……クレイジー過ぎるぞ生徒会」



 気怠げに立ち上がり、母文子譲りのきめ細やかな髪を掻き上げながら、正文は刃翼を睨み付けた。


 先日の副会長といい、目の前のこの刃翼おんなといい、生徒会関係者には碌な女がいない。正文は本気でそう思った。



「だからと俺様みたいなをイジメて……引き篭もりにしてピザとコーラとギャルゲー漬けにしようって魂胆か…?」

「…その想像力、眼力、本当に素晴らしいよ…!君みたいなを…本物の天才と言うんだろうね…!」



 刃翼の瞳孔が、戦闘開始の意志に見開かれる……!



……!」



 顔から不要になった作り物の微笑みを消し払って、正文を壇上から睨め下げた。



 氷めいた気迫を放つ刃翼の憎悪の眼差し。普通の人間ならば恐怖に萎縮するだろうが……。



(……ヤバい、勃起した……!)



 股間を抑えている正文を、恐怖に尻込みしたと勘違いした刃翼はニヤリと嗤い、自身の得物と同じサーベルを正文へ向けて放り投げる。



「む……っ!」



 やっと股間が収まった正文は、回転しながら宙を舞うサーベルを片手で掴み取る。


 正文のその一連の挙動はまさしく美麗で、気にいらない刃翼は眉をひそめ、小さく舌打ちをした。



「一方的に打ちのめしてしまったら、それこそイジメになってしまうからね?君、剣に覚えは?」


「少々」正文は答えサーベルを構える。



「まぁ……時緒しんゆう程ではないがな……」

「ハ…結構!」



 刃翼がサーベルを天高く掲げる。


 すると、刃翼を照らす照明が変色し、彼女の肢体を虹色に染め上げた。



「これから始まるのはボクの先輩として指導さ!ボクの演技指導に耐えられなかったキミは不登校になり、最終的に不名誉の途中退学!ボクはキミの挫折に涙する……!」

「成る程……それがアンタの書いた脚本スクリプトか…?」

「そう……!学園の秩序を護る勧善懲悪の英雄譚さ!」



 正文の身体に、真紅のおどろおどろしい照明が降りかかる。


 正に、悪役ヒールといった印象だ。



「そうか……英雄譚か……」



 鮮血色のシルエットにその身を染めながら、正文はーー



「面白い…!確かに…悪役おれさま向きだな…!」



 凛とした構えで、サディスティックに微笑んだ。




「じゃあイかせて貰おうか……英雄ヒーローさんよ。勧善懲悪なんざ今時ウけないこと…その身体で分からせてやる……!」




 正文が放つ眼光は、邪悪で、威圧的で、であった。





 ****




 一方、校門前ーー。



「か、佳奈美がいないぞ!?」



 佳奈美の姿が消失していたことに時緒が気付いたのはーー。



「「ぐあぁぁぁあああああああ!?!?」」

「「ぎゃぁぁぁあああああああ!?!?」」



 母、真理子直伝の鉄拳を……その拳圧を以って影の軍団全員を吹き飛ばし、ようやく芽依子や真琴の顔が視界に入った時であった……。





 続く

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