愚か者どもへの鎮魂歌
「会津に入りました、
「……やっと帰って来れたな、爺や」
母親譲りの長い金髪をなびかせながら、主水は思い切り深呼吸をした。
山の緑の香り、川の清流の香り。人工的に製造し得ない自然の芳香が、主水の全てを癒していく。
「…………」
静かに空色の瞳を閉じ、主水は後部座席で瞑想の体勢に入る。車の中で、会津の天地と一つになる。
そんな主水を見て、運転手を務める初老の紳士、ギャルソン・
「会津が恋しかった御様子。東京に御滞在していたのはほんの一週間ではございませんか」
「一週間もだ!」主水は態と驚いた顔を繕い、バックミラー越しに春清を睨んだ。
「帝都のごみごみとした空気と湿気は俺には合わん!郡山くらいが丁度良い!爺やが飯盛山の御守りと猪苗代の湧き水を持って来てくれなかったら、俺は滞在二日目で発狂していただろうさ」
「【全国高校生徒会長サミット】でのスピーチ、誠にお見事でございました。火星ステーションでお仕事中の旦那様と奥様も大変お喜びでしたよ」
「……なら直接お褒めの言葉を貰いたいもんだ。俺は褒められて伸びる……、」
ふと、主水の口が、不自然な形で停止した。
「如何なさいましたか?御坊ちゃま?」
不審に思った春清は赤信号で停車、主水を見ると、当の主水は厳しい表情で窓の外を注視していたーー。
「御坊ちゃま…!?もしかして…おもらしですか…!?」
「んな訳無いだろう!俺の寝小便は中学二年で止まった!」
「は!仰る通り…!」
主水は顔をしかめつつ、意識を再び集中させる。
「爺や、今から
「は…?今から…でございますか?」
「ああ!」
長旅を終えた主水を休ませるつもりだった春清は少し驚いて、改めて空を見る。
会津若松の空は、まるで鮮血の如き夕焼け模様だった。リムジンのデジタル時計は午後の四時五◯分を表示している。
もう殆どの生徒は下校している時間であるのにーー。
「すまないギャルソン。急いでくれ」
「は。畏まりました御坊ちゃま」
主水は真っ直ぐな眼差しで、ギャルソンへ頷いて見せた。
嫌な予感が、主水の背中を這い回る。
たかが勘だが、己が動くには十分過ぎる要因だと、主水は確信する。
会津聖鐘高等学校。主水が生徒会長を務める学び舎で何かが起こっている。
武士めいた己の第六感が、今もなお主水に警鐘を鳴らしていた。
****
会津聖鐘高等学校、午後四時丁度ーー。
「にゃ〜〜!伊織も正文も律もいないなんて…つまんな〜〜い!一緒に帰るって言ったのに〜」
校舎の昇降口にて、頬を膨らませながら上履きからお気に入りのスポーツシューズへと履き替えた佳奈美に、時緒、芽依子、真琴は揃って「仕方ない」と苦笑した。
「三人とも、其々の部活の先輩に呼ばれたんだ。仕方ないよ」
「そ、そうだよカナちゃん…」
時緒と宥め、真琴が賛同するも、佳奈美の頬は萎むことは無く、提灯めいたその顔は、夕陽に照らされて艶々と健康的に輝いている。非常に滑稽だ。
「だってだって〜〜……、今日正文また女子更衣室ノゾいたんだよ?折角りっちゃんの正文処刑ショー見れるかと思ったのにナ〜!」
佳奈美の意見に、リップグロスを塗り直し終えた芽依子が優しく微笑んだ。
「それは私も見たかったのですが、律さんのことです。日を改めて、私達の見ている所でちゃあんとあのエロガ…正文さんをきちんと処してくださりますよ」
「う〜〜ん…うん…そうだにゃ〜」
芽依子の言葉にそことなく気を取り直した佳奈美は、その場でたんたたんと、シューズで軽快なステップを踏んだ。
「それでは…佳奈美さんの為に私が独自に探した会津のオススメ大盛り店を紹介しましょう」
「あ、芽依姉さん、途中で本屋寄って良いかい?」
「…何買うのですか?またあのウサギ耳の巫女が触手でやりたい放題されるエッチな漫画ですか?」
「いや普通のバトル物を……って?姉さん?何故知ってるの?僕の秘密の場所に隠してある本の内容を?」
「………………」
「……場所……変えなきゃ」
「
芽依子と真琴から放たれる絶対零度の視線を背に受けながら、時緒はいそいそ焦り顔で佳奈美の後を追う。
「…………」
佳奈美は、時緒の二メートル先でぽつりと立っていた。
「佳奈……?」
いや、佳奈美はただ突っ立っていた訳ではなかった。
「「………………」」
時緒と同じ、男子生徒用の学生服を着た男達数人に、進路を塞がれていたのだ。
夕陽の逆光故に、男達の顔は見えない。
時緒は最初、佳奈美がまた何らかをやらかして、彼等の怒りを買ったのかと思った。
「すみません、その子僕の友達なんです。何かしたのなら……、」
時緒の言葉を遮るように、男の一人がゆるりと顔を上げる。
「…っ!?」
時緒は息を呑んだ。
男の顔は逆光で見えていなかったのではない。
最初からその顔を漆黒の覆面で覆い隠していたのだ。
他の男達も顔を上げる。
案の定、皆同じ覆面を付けていた。
見るからに異常な者達!
時緒は臨戦体勢で、ぽかんとしている佳奈美と並び立ち、背後の芽依子は真琴を庇うようにその肉付きの良い背中へと真琴を隠した。
「だ、誰なんだ貴方一体!?」
時緒の険しい声色に、覆面の一人がーー
「…我等は…風紀委員会特戦隊。潔き校則を遵守し、規律乱す不届き者に血の粛清を下す者。人呼んで…【影の軍団】」
「影の軍団……!?」
「椎名 時緒、田淵 佳奈美、斎藤 芽依子、神宮寺 真琴とお見受けするが……?」
「何故…僕達を…?」
「ふ……」
腰を低く、足に力を込める時緒に、覆面男達が揃ってくつくつと嗤う。
その抑揚の無い冷たい声と不穏な雰囲気にに、時緒は十分過ぎるほどの嫌悪と寒気を覚えた。
そもそも自分達を『人呼んで』と称する者達など、碌な者達ではないだろう。
「にゃ?何?何?コスプレ部?」
通常思考なのは、佳奈美だけであり、そのお陰で時緒は些か冷静さを取り戻す事に成功した。
「その影の軍団とやらが……僕達に何の用ですか……!?」
「知れたこと。貴様等は校則を乱し、学園を混沌へと陥れようとしている。最早捨て置けん。ここで全員排除する」
「意味が分からない!」
時緒は怒った。
校則を乱した?いつ、どこで乱したというのか!
廊下を走ったことは無い。学園の備品は大切に使っている。
糾弾される云われは無い!
「止めてください!僕達は何もしていません!話せば分かります!」
「問答無用…!」
刹那、覆面男達の殺気が爆ぜ上がった!
気を察知した時緒と芽依子は同時に拳法の型を取った。脚を広げて接地面を安定させ、構えた拳の無駄な力を抜き、代わりに臍下丹田へとその力を込める。
「ほう?このひりひり来る闘志……中々やるようだ。そこの一年坊」
覆面達は全員揃って腰を低く構えて……。
「散っ!」
「「応っ!!」」
ほぼ同時に跳躍、まるで鳳仙花の種の如く飛び散った。
漆黒の人間達が、会津の赤空を疾空する。その異様!
縦横無尽!凄まじく速く、それでいて統制の取れた集団行動!相手を眩ます為の華麗なジャンプとターン!
時緒は覆面達の動きを総て追随することが出来ない。夕陽の輝きが覆面達に味方をして、時緒の視界を阻害していた。
「先ずはお前だ一年坊!」
「なっ!?」
時緒の周囲を覆面達は取り囲み、同時に抜き手を構える!
覆面と同様、漆黒の手袋を纏った手は、まさに黒く光る刃そのもの!
「「美香様へと捧げる首級と成れ!必殺!【
覆面達の手刀が無数の刃となって空を斬り、驚愕する時緒へ四方八方、ほぼ同時に襲いかかった!
続く
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