赤点娘と座敷童子





 時緒が携帯端末をしまった途端に。


 床に映る時緒の影が、風船ように不自然に膨らんでいく。



「来た」時緒はニヤリと笑った。



 やがて影の中から、ゆきえが鬼灯色の瞳で周囲を見回しながら、まるでかくれんぼに負けた子どものようにゆるゆると出現した。



「……!」



 時緒や周囲の芽依子や真琴や律の姿を確認すると、ゆきえは元気良く敬礼の仕草を一つ。


 相変わらず、見れば見る程摩訶不思議な娘だと、時緒は思った。


 最初、座敷童子を自称してゆきえが現れた時は余りに面食らって彼女の存在を受け入れてしまったが、改めて彼女を見ると夢を見ているような、幻を見ているような不思議な気分になる。


 影を使った空間転移能力。真理子や文子、薫の話では巨大な獣へと変貌する変身能力をも持つという。他にも多彩な技を神通力と称して所持しているとは、正文から聞いた話だったか……。


 正に非現実アンバランス超自然的スーパーナチュラルな存在。


 ゆきえは、本当に座敷童子なのか。妖怪は本当に実在したのか?


 そもそもゆきえとは、妖怪とは何なのか?


 河童や天狗の正体が宇宙人だという説を、時緒はオカルト雑誌で見たことがある。


 ならばゆきえも、我々地球人類には到底たどり着けない、高度な能力を持った地球外生命体ではないのか?



「う〜〜む……」



 時緒は、そうもやもやと考えていると……。



 ゆきえは、着物の袖からタブレットを取り出しーー



【惜しい。さすが特撮オタク】



 画面に文字を入力して、時緒へと見せた。


 どうやら時緒の思考を読み取ったようだ。タブレットで会話をしたのは、いつも代弁をしてくれる修二が不在だからだろう。



「惜しいって?何が?」



 首を傾げたのは時緒ではなく、時緒の横にいた真琴であった。


 眼鏡の奥の、つぶらな瞳を輝かせる真琴に対し、ゆきえは再びタブレットを操作する。



【ひ・み・つ!】



 そうデジタル文字が記されたタブレットを掲げて、ゆきえは仏頂面のまま不器用なウィンクをした。



「…………」

「…………」



 つまらなさそう眉をハの字にする真琴とは対照的に、ゆきえの眉は陽気に上下へ動いていた。



「ゆきえちゃん、来てそうそう悪いけど…やってくれるかい?」

【応さ!坊主、出すもの出しな!】



 坊主とは自分のことか、時緒は苦笑した。


 ゆきえのは可愛らしい幼女だが、実際は数百年と時を生きる座敷童子なのだから……。



「はいよ五百円」



 時緒が五百円硬貨を爪弾く。硬貨は宙に弧を描いて、ゆきえの小さな掌の中へとくるくる輝き回って収まった。


 ゆきえは素早く二度頷くと、テーブル席で笑い合うラヴィーと佳奈美に目をやった。



【契約成立。あの二人をうまーく良い感じに発情させて繁殖に持ち込めはいーんだな?】


「「「「はんしょっ!?」」」」



 時緒、芽依子、真琴、律がほぼ同時に、その顔面を羞恥で真赤に染める。



「繁殖って!おいおいおい!」と律が激しく首を振り否定した。



 繁殖。雄と雌の生殖器官を用いた繁栄活動。


 すなわち……。



【よし!あーしの二千の技の一つ、〈惚れたその日にいやんビーム〉で……】

「ゆ、ゆゆっゆきえちゃん!早い早い!あの二人にはまだ早い!!」

【え〜〜?】

「発情させなくて良いの!二日会わないと寂しく思っちゃうような……そんな感じの仲良しにするだけ!!」



 焦りのあまり、時緒はやや裏返った声色でゆきえを制する。その背後で芽依子と真琴が赤面顔で同時に首肯し、更にその後ろで律が呆れて天を仰いだ。



「そうだよなぁ…。十五でも早いよなぁ…。私は…早過ぎた…。正文アイツのせいで…畜生め…」



 律が何故そこまで落胆しているか、時緒にはさっぱり分からなかった。



【つまらんなぁ〜〜!】



 不満げに頬を膨らませながら、ゆきえはラヴィーと佳奈美の所へ向かってとぼとぼ歩く。



 ……時緒は気付かない。


 ゆきえを召喚したこと自体が、悪手であった事に……。




 ****




「へー!ラヴィーちゃんバイオリン弾けるんだー!すっごいにゃー!」

「い、いやぁ!地球の楽器は面白くて!」

「……バイオリンてぱんぱん叩くとしゃんしゃん鳴る楽器だよね!」

「……それは……タンバリンです……」



 ラヴィーは幸せだった。


 自分の話に対して、佳奈美は常に眩しい笑顔で喜んでくれる。


 嗚呼、この一時が永遠に続けば良いのに。ラヴィーはそう思っていた。


 しかし。


 そんな、ラヴィーの幸せの時間は……。



【しゃらんらー!可愛い座敷童子ちゃんの登場だぞー!】

「うわぁ!?」



 テーブルの死角からぬっと現れたゆきえに、ラヴィーは仰天して後頭部をソファーにぶつけた。



「え!えぇ!?ユキエ様!?」



 ラヴィーは命の恩人であるゆきえを様呼びをする。急に偉くなった気がして、ゆきえはふんすと鼻息を噴いた。



【ふふーんご両人!このあーしが直々に相性占いをしてしんぜよう!】

「いっ…いらない……!」



 ラヴィーは戦慄する。


 ゆきえには悪いが……邪魔だった。


 まだまだ話したいことがあったのに!


 しかし、命の恩人であるゆきえを丁重に退がらせる程、ラヴィーは豪胆ではない。


 藁にも縋る思いで時緒を見遣るとーー



(ラヴィーさん!ファイトッ!)



 してやったりな笑顔で親指立てサムズアップをしている。時緒の仕業か、ラヴィーは苛々した。



「〜〜〜〜!」



 そんなラヴィーの横で、ゆきえは己が身体に淡い光を纏わせる。


 無数の粒子光の花びらが、ゆきえを中心に舞い踊る。


 正に神通力。人知を超越した力で行われるのは……。



【さあさあさあ!このお似合いなご両人の相性は〜〜!?】



 ただの相性占い。


 座敷童子から占って貰えばありがたみがあるだろうという時緒の策である。


 佳奈美との相性は確かに気になるが、たかが占いに神秘的な神通力を使用するとは、何やら勿体ないと、ラヴィーはしみじみ思う……。



【ご両人の相性は〜〜!?勿論!ラブラbtwくあせjkふじこlp?】



 しかし、突如として予想外の衝撃を受け、ゆきえの占いは中断される。



「にゃーっ!ゆきえちゃんだーーっ!!」

「……!?」



 佳奈美だった。


 しばらくゆきえを見ていた佳奈美が、突如、爆弾の如く跳び爆ぜて、ゆきえに抱き着いたのだ。


 これには、流石のゆきえも驚愕した。



「え?カナミさん?ねぇ?カナミさん?」



 ラヴィーは慌てて佳奈美に声を掛けたが、既に佳奈美はゆきえに夢中で、全然聞いていない。


 一瞬でラヴィーは、佳奈美に蚊帳の外にされてしまった。




 ****




「お、おい?椎名?何か変だぞ?」

「佳奈美さんてば、ゆきえちゃんに夢中でラヴィーさんを無視してしまってますよ?時緒くん?」



 様子がおかしい。律と芽依子が、怪訝な表情で時緒に尋ねる。



「し、しまった……!!」



 やっと己の悪手に気付いた時緒は、先程まで真赤だった顔を、今度は真青へと変じる。


 馬鹿だ。僕はとんでもない失敗をした。時緒は己を恥じた。



「佳奈美……ゆきえちゃんと初対面だった……!!」



 時緒の解答に、芽依子、真琴、律の三人は異口同音に「「「あ!」」」と呻いて、顔を引きつらせる。


 


 思い出した。



 カウナ戦から数日後の、佳奈美の言葉をーー。



(好きなガチャ当ててくれる座敷童子!?うにゃー!?何その子!?会いたい〜〜!!)



 そうだ。当時、補習授業に追われていた佳奈美はゆきえに会っていない。そして会いたがっていた。


 そして今、時緒は、そのゆきえを佳奈美へと会わせてしまったのだ。


 ラヴィーと佳奈美の仲を発展させるという、重大な任務があったのに!



「ねぇねぇゆきえちゃん〜!好きなガチャ当てさせてくれるんでしょ〜!?ねぇねぇねぇ!?」

「!?!?!?」



 ぷにぷにとゆきえの頬を突きながら佳奈美はゆきえに擦り寄る。



「ねぇねぇ!私の好きなスマホゲーの十連ガチャ!全部SSRとかに出来る〜〜!?ねぇ出来る〜〜!?」



 佳奈美の勢いに気圧されたゆきえは、こくこくと頷きながらタブレットを操作する。



【可能だ。個人のアカシック・データに少し干渉して書き換えるだけだから】



 ゆきえの解答に、佳奈美は輝く太陽の如き歓喜の笑顔を咲かせた。ラヴィーのトークでは浮かべることの無かった、それはそれは凄まじい笑顔だった。



「よっしゃにゃ〜〜!!早速ガチャろう〜〜!!」

【お願い賃五百円寄越せ】

「オッケーオッケー!お母さんに前借りして貰おーー!!早速レッツゴーー!!」



 そこからの佳奈美の行動は、正しく韋駄天の如く。


 唖然とするゆきえを持ち上げ、ラヴィーから貰ったグミの詰め合わせ袋を掴みーー。



「ラヴィーちゃんグミありがと!じゃ!そゆコトで!!」

「え!?」



 息注ぐ暇無く、佳奈美は残像を残さんばかりのスピードで店を飛び出し、雷雨の彼方へと走り去って行った。



「〜〜〜〜!?!?」



 混乱して目を白黒させる、ゆきえを連れて。




 ………………。


 …………。


 ……。


 奇妙な沈黙が、きむらやの店内を包む。


 聞こえるのは、雨が屋根を打つ音だけ。


 ラヴィーは独り、呆と佳奈美が消え去った方向を見つめた。




 何故?何故こんなことに?


 最初は上手く行っていたのに。佳奈美と楽しく話をしていたのに。


 幸福の時間よ、いずこへ?



「カナミさん…、カムバック……!」



 涙が溢れて止まらない……。そんなラヴィーが振り返ると……。



「…………」



 芽依子と律の冷たい視線と、真琴の憐憫の苦笑を背に受けた時緒が、深々と土下座をしていたのだった。



「なんかもう……ごめんなさい……!」



 そうだ。時緒こいつがゆきえを呼び出したのだ……。



「もう……君には何も頼まない……!」



 悔恨のラヴィーの呻きが、雨音に霞んで消えていった……。




 ****




 翌日、会津若松駅前。



「いやーーっ!ゆきえちゃんのお陰で欲しかったSSRキャラいっぱいゲット出来たーー!!」



 艶々とした表情で笑う佳奈美を、正文はジト目で睨み付ける。



「おいおい佳の字、どうしてくれる。ゆきえっち…昨晩干からびて帰って来たぞ」

「にゃ?」

「どんだけ神通力ちからを酷使させたらああなる……?お陰で守護神が居なくなった温泉街は大変だったんだぞ?」



 時緒達がよく見遣ってみると、正文の目にはくまがあった。



「謎の大怨霊がお袋に憑依して…一晩中戦ってた…。親父の必殺剣と修二の祈りが無かったら俺様達は死んでいただろう…」



 そう言って欠伸を吐く正文の肩を、佳奈美は「ごめんごめんにゃ!」と笑顔で叩く。



 謝意が微塵も感じられない謝罪に、時緒達は揃って呆れた。




「……あれ?」



 其々の学校へ、其々の職場へ。駅前を歩く大勢の人々、その波の中にーー。


 時緒は見知った顔を見つけた。



「西郷先輩!」



 時緒が声を掛けると、人混みの中一人だけ、小柄な少年が振り返って時緒を見た。



「……椎名か」

「おはようございます西郷先輩!良い天気ですね!」

「ああ。ずっとこうであって欲しいな」



 時緒の言葉に、少年は頷いて同意した。



「時緒くん?こちらの方は?」



 芽依子の問いに、時緒はぱっと人懐こい笑顔を見せる。



「この人は〈西郷 灰さいごう かい〉先輩です。剣道部の主将さんです」



 時緒が紹介すると、灰は芽依子達に対して、深々と頭を下げた。理知的な風格を漂わせる綺麗な礼だ。


 芽依子も咄嗟に頭を下げる。



「…………」



 芽依子達の視線が離れた一瞬、灰は佳奈美を、そして芽依子達を冷たい眼差しで見渡した。



「西郷先輩、この間はすみませんでした。折角剣道部に誘ってくれたのに…断ってしまって……」



 眉をハの字にする時緒に、灰は薄く笑って、首を横に振る……。



「いや、良い。俺はお前の意志を尊重する。やりたいことをやれば良い」

「西郷先輩…!」

「それに……これで正解だった」



 灰が、時緒を見る。


 灰の、気迫が変わる。


 その時、一台の救急車が時緒達の側を通り過ぎ……そのけたたましいサイレン音が、灰の言葉を掻き消した。




「お陰で……お前を潰すことが……俺の記憶からお前を消すことが出来る……やっと……」





 続く

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