大義名分の名の下に



「よくも…よくも…!」



 放課後の生徒会室に、佳奈美への怒りをふんだんに蓄えた美香の唸りが、重く響く。



「田淵 佳奈美…!よくもこの私に恥を…!よくも…よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもおおおおおっ!!」



 美香の白い手に携えられた教鞭が、ひゅうと空を斬ると、ファイルや花瓶が細切れになって砕ける。


 美香の鬱憤晴らしの犠牲になったこれらの備品は全て廃品予定の物である。怒り心頭に発しているとはいえ新品の備品に手を掛けなかったのは、今の美香に僅かながら理性と慈悲が残っている証であった。



「副会長……」



 ストレスにきりきりと痛むはらを摩りながら、かいは己が忠義を向ける者を、美香を見遣る。



「貴方の所為よ!灰!」



 美香の眼光の刃が灰の心を裂いた。



「貴方に言われた通りに折角のに!誰も田淵 佳奈美を糾弾しないじゃないの!」



「申し訳ありません」と、美香に首を垂れながら、灰はタブレットを操作する。



 画面に映し出されたのは、入学から数度行われた学力テストに於ける、佳奈美の答案用紙だ。



「俺の情報収集不足でした。まさか…田淵 佳奈美の成績が…これ程とは…!」



 美香は灰に顔を近付け、空中に立体映像として投影された佳奈美の答案を目にする。




「……うぷっ!?」



 凄まじい悪寒、眩暈、吐き気が美香を襲った。


 酷い。酷過ぎる点数だ。


 長谷川 町子、藤子・F・不二雄、さくらももこの漫画フィクションキャラクターが取るような点数だ。


 このような点を取る者がこの会津聖鐘高校アイショーに居るとは……。



「校長先生も、教頭先生も、生活指導の先生も皆雁首揃えて田淵のカンニング説を否定しました。"この点数でカンニングなどありえない"と…」

「ぐふ……」



 顔面蒼白で美香は頷く。


 確かにその通りだ。カンニングをしておいてこんな点数なんて、あまりにも馬鹿げている。


 佳奈美の答案用紙のあまりにもの酷さが与える壮絶な吐き気が、皮肉にも美香に冷静な判断能力を取り戻させてくれた。



「それに……うぅ……田淵…佳奈美に精神的揺さぶりを掛けることにも…失敗したし…」

「そうなのですか?」

「……ずっと……へらへらしてましたわ……あの娘」

「……鋼の精神メンタルですね」

「敵を褒めてどうするの……うっぷ!」



 美香は佳奈美の忌々しい阿呆面答案を思い出し、ついでに答案用紙も思い出してしまう。


 それがいけなかった。



「と…トイレ…!トイレ…!!」



 再び波のように押し寄せて来た吐き気にとうとう我慢出来なくなった美香は灰を押し退け、トイレ目指し生徒会室を出ていく。


 手で抑えられたその顔は、黄土色に変色していて、あまりにも哀れな様相だった。



 暫くしてーー



「きゃあああああ!副会長が廊下で吐いてるうぅぅぅ!!」



 遠くから、どこぞの女子生徒の悲痛な叫びが聞こえた。


 間に合わなかったか。


 灰は失念に、肩を落とした……。




 ****




 三〇分後。



「ぅぅ……」



 ぐったりと机に突っ伏す美香に、灰は恐る恐るーー



「しかし、宜しいのですか?」



 そう、問いかけてみた。



松平 主水まつだいら もんど生徒会長が【全国高校生徒会長サミット】福島代表として不在である今に、このようなことをして……」



 美香はゆるりと顔を灰に向けた。


 その眼光は虚ろではあるが、灰の背中を戦慄の冷や汗で濡らすほどの威圧感を放っていた。


そこいらの不良ならば失禁していたことだろう……。



「主水様が居ない今だからこそよ。灰」



 美香は視線だけを窓の外へと移す。


 鮮やかな夕陽が、会津の街を真紅に染め輝かせていた。



「主水様が居ない今の内に、この学園から…主水様が下賤な不良共を一掃して作り上げてくださったこの学園から、不穏分子を一掃するのよ」



 そう言って、美香は微笑む。


 恍惚と獰猛がごった煮になったその妖艶な笑顔に、形容しがたい威圧感を感じた灰は息を呑み、思わず後ずさった。



「主水様の存在は私の理想そのものですわ。田淵 佳奈美のような存在シミなんて…主水様の広げてくれたこの清廉な学園シーツに在ってはなりませんわ…!」



 恐ろしい笑顔のまま美香が灰を見つめるものだから、当の灰は生きた心地がしなかった。



「ならば、計画をプランBへ移行させましょう」



 灰がそう言ったのは、美香へ対する忠義半分、恐怖からの逃避半分であった。


 汗でじっとりと濡れた指で、灰はタブレットを操作すると、宙に映像を投影させる。


 時緒、芽依子を始めとした、猪苗代仲良し倶楽部の生徒写真だ。



「友人の身に何かあれば、田淵 佳奈美も心底穏やかでいられませんでしょう」

「ええ、そうよね」



 灰と美香が、同時に頷き合う。



「他のメンバーも同意しました。明日から実行出来ます」

「任せますわ」

「はい。それから…」



 灰はゆるりと指を動かし、一枚の生徒写真を指差した。


 時緒の写真を、指差した。



「この、椎名 時緒の相手は…自分にさせてください」



「あら?珍しい」美香は小首を傾げて薄ら笑いを浮かべた。



「灰、貴方が実行するの?」

「はい……」



 灰は美香に肯首すると、片目を細め、時緒の写真を睨む。




「彼奴には少々、縁……がありますので」




 ****




「ふーん、何だか面倒臭い人に絡まれたもんだ」


 イナワシロ特防隊基地。エクスレイガ格納庫。


 猪苗代が誇る鋼の巨人、エクスレイガの足下で、時緒はラヴィーと剣の鍛錬に勤しんでいた。



「うちの学校の副会長です」

「フクカイチョー?」

「う〜ん。生徒の中でちょいちょい偉い人です」

「なるほど。ルーリアだったら訓騎院の院生統制員みたいなものかな?よっと!」



 ラヴィーが腰を屈めながら時緒に切迫し、携えた手斧型の光刃を時緒の脇腹へ、素早く叩き込んだ。



「はっと!」



 自身へと迫る一撃を、時緒は翡翠色に輝く光刃で受け止める。


 シーヴァンから貰った剣が、ラヴィーの光刃と克ち合い、ばちばちとルリアリウム・エネルギーの火花が散った。



「どの星にでもいるもんだね?そういう小煩いひと……」



 時緒の剣撃を容易く受け流しながら、ラヴィーは溜め息一つして苦笑した。



「ルーリアにもいるんですか?」

「いるよ。正確にはルーリア人じゃないけど…。シェーレ・ラ・ヴィースっていう…いけ好かない女っ!」



 時緒の一閃を、ラヴィーは宙返りをして華麗に回避。ついでといった感じで、隙が生まれた時緒の右手を軽く爪先で小突く。


 びっくりした時緒は思わず剣を落としてしまった。


 好機。ラヴィーは落下の慣性を活かし、光の斧をーー



「はいっ!僕の勝ちっ!」

「あーーーーっ!?」



 手ぶらになってあたふたしていた時緒の脳天へと叩き込んだ。



「ぶぶーっ!勝負あり!勝者!ラヴィーにいちゃん!!」



 声高に宣言したのは、格納庫のコンテナに座って時緒達の鍛錬を見物していた修二だった。


 その隣では、自称スーパー座敷童子のゆきえが、歌舞伎揚を美味そうに齧っている。


 ラヴィー戦での一件以降、エクスレイガと時緒達の関係を知った修二とゆきえは、小学校が終わるや否やイナワシロ特防隊基地に入り浸るようになっていた。


 勿論、修二はイナワシロ特防隊の事を両親はおろか、学校の友人にも話してはいない。


 本当は話したくてしょうがないらしいが……。



「時緒にいちゃん、テンパり過ぎ。武器落としたなら一回離れて体勢立て直そうよ」

「はい…………」



 至極ごもっともな修二の意見に、時緒はぐうの音も出ない。



「修二くん、もっと言ってやってください」



 すると、エクスレイガのコクピット内の調整を終えた芽依子が現れ、修二に向かって微笑んだ。



「時緒くんは所々気が抜けてしまう所があるんですから。お姉ちゃんはもう心配で心配で!」



 呆れを含んだ態とらしい顔で、芽依子はふふんと笑いながら時緒を見遣る。


 時緒は堪らず縮こまった。



「本番には強いようだけど、慢心してると僕みたいになるからね?」



 ラヴィーからの一言が、僅かに残存していた時緒の自尊心にとどめを刺して、時緒は穴があったら入りたい気持ちになった。



「…………!」



 時緒の意を汲んだゆきえが、格納庫の隅にあったゴミ箱の蓋を開け、時緒に向かって手招きをする。




「ゆきえちゃん…、虫が入るからゴミ箱の蓋を閉じて欲しいのヨ…」

「………………」



 時緒の寂しい呟きが、微かに夏の土の香りを放ち始めた磐梯の空気に、ゆらゆら漂って、消えた……。




 ****




「さてと!帰ってお店の配達しないと!」

「今日も伊織さんの家でバイトですか……?」

「もちろん!」



 落胆して芽依子に背中を摩られている時緒を他所に、ラヴィーは擬態装置を起動させて地球人の姿へと変身。居候をしている伊織の家へ帰る為の支度をし始める。



「そう言えば……」



 ふと、ラヴィーは思った。



「そのフクカイチョーにいちゃもん付けられた…カナミってどんな子なのさ?」

「あ、えっと…」



 時緒はすっくと立ち上がり、鞄の中から携帯端末を取り出す。


 そして、ラヴィーの目の前の宙に、佳奈美の写真を投影させた。



「こんなヤツです」



 チョコバナナを両手に持ち馬鹿笑いをしている、浴衣姿の佳奈美の写真が宙に投影される。



「……!」



 佳奈美の写真を見た途端、ラヴィーの顔が、みるみる朱色に染まっていく。



「ラ、ラヴィーさん…?」



 自分の名を呼ぶ時緒に応えもせず、ラヴィーは紅い顔で写真の佳奈美を見つめ続けた。


 今までに感じたことの無い、激しくも何処か心地良く感じる動悸が、ラヴィーの心身を侵食していった。



「ラヴィーさん…もしかして佳奈美さんに…」



 ラヴィーの様相を見ていた芽依子が嬉しそうに、面白そうにはにかんだ。



「こ、これがカナミ……さん!な、なんて可愛いんだ……!」



 写真を眺めながら、うっとりと呟くラヴィーに、時緒は耳を疑い、芽依子は瞳を輝かせた。



 「初めて見た。佳奈美を可愛いって言う人……」

「あら時緒くん、素敵じゃないですか」




 時緒と芽依子、そして修二とゆきえに見守られながら、ラヴィーはその心のときめきのままに、舞うように帰り支度を再開する。


 見事なステップ。蕩けた笑顔。佳奈美の笑顔が、ラヴィーの心の柔い部分を刺激する。



 それは初夏の猪苗代での捕虜生活を楽しんでいた、一人の宇宙人に初めて訪れた、恋であった……。






 続く

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