きむらやの新入りさん


「ただいまっと…」

「おかえり」



 帰宅した伊織を迎えたのは、父賀太郎でも、母翠でもなくーー。



 地球人に擬態した、ラヴィーであった。



【きむらや】は今、夕食ディナータイムに向けて準備中である。ラヴィーは腰にサロンを巻いてカウンターの端に腰掛けて茹でたスナックエンドウの筋を丁寧に取り除いていた。


 中々様になっている。



「ガッコウは楽しかったかい?」

「時緒や正文のおかげで暇知らずっすよ」

「そりゃあ良かった!」



 伊織はスナックエンドウの一つをひょいと摘まんで、自分の口へと放り込む。


 程良く温かいスナックエンドウは、しゃきしゃきと歯応え良く、自然の甘味が伊織の口内に広がった。



「あ!ずるい!」



 スナックエンドウを美味そうに咀嚼する伊織を、ラヴィーは眉を吊り上げて睨んだが……。



「う〜ん!スナックエンドウうんめぇ!!」

「イオリ、盗み食いはルーリアでは重罪なんだからね!」

「盗み食いじゃねっす!摘み食いっす!」



 伊織の幸せそうな面を見ていると、何やら心が穏やかになる。ラヴィーはその顔を、徐々に柔和な苦笑へと変えていった。



「ラヴィー君凄えぞ!頼んだ出前先の人達から、丁寧な接客だったって褒められっぱなしよ!!」



 厨房から現れた賀太郎が豪快に笑いながら、ラヴィーにコーラを注いだグラスを差し出した。



「昼間の仕事も文句なしだったし、2週間なんて言わずにずっとここに居て貰いたいわ!」



 賀太郎の背後から次いで現れた翠の言葉に、ラヴィーの頬は一層紅くなる。



「い、いやいや…。僕の方こそ…違う星…じゃなくて違う国の経営を学ぶ切っ掛けになって…イオリくんと御両親には感謝してもしきれませんよ」



 愛嬌のある照れ笑いをするラヴィーを見て、伊織は思う。


 我が家にラヴィーを誘って良かった、と。




 ****




 先日の話である。



「さて、ラヴィー君の仮の住処を探さねえと」



 時緒がシーヴァンの長い説教を喰らっている、その間。


 イナワシロ特防隊基地の休憩所で、真理子は眠たそうなラヴィーを見遣りながら呟いた。


 シーヴァンの時の様に、椎名邸に泊まらせるのも良い。


 カウナの時の様に、平沢庵に滞在させるのも良い。


 しかし。


 ラヴィーの身の上話を聞いた真理子は、自らのその考えに、決して満足はしなかった。



「あの、僕どこでも良いですよ?雨風凌げれば」



 申し訳ないといった表情のラヴィーが言うが、そうはいかない。


 ラヴィーは捕虜だ。捕虜は囚われた土地での生活を楽しまねばならない。


 しかも、ラヴィーは将来実家ルーリアの大会社を背負って立つ者だ。


 雨風凌げれば良いなんて、そんなこと観光地である猪苗代に生まれた者としてプライドが許さない!


 ちゃんと楽しめて、もっと勉強になる、刺激になるような……。


 そう思考する真理子の視界の端で薫が挙手をした。眼鏡の奥の眼が爛々と妖しく輝いている。



「却下だ腐女子」

「私まだ何も言ってない!?」



 ラヴィーを薫のBL同人誌の生贄モデルにする訳にはいかない。


 眉をハの字にして呻く薫を突っぱねて、真理子は腕を組み、唸りながら思考し続ける。


 すると、今度は……。



「あのーー……」



 今度は、休憩所の端で酪農コーヒーを啜っていた伊織が、ゆっくり、皆の注目を集めるように。


 日焼けた、健康的な手を挙げたのだった。



「俺ん…どうっすかね?」




 ****




 そして今現在、ラヴィーはきむらやに居る。


 勿論、賀太郎と翠はラヴィーの正体をルーリア人だとは気付いていない。


 ラヴィーを店に招いた際、伊織は両親に、



「彼はとある北欧の小国に有るIT会社の御曹司。猪苗代には、見聞を広める為の世界行脚修行のついでに立ち寄った」



 と言ってあるのだ。



「あら?平沢庵に似たような境遇の男の子、来てなかったっけ?」



 と、翠が首を傾げた時は伊織は内心どぎまぎしたが、その後は大したトラブルは無く、ラヴィーは今の今まで平穏に過ごしている。


 今やラヴィーはきむらやの看板ウェイターである。



「イオリ、ありがとうね」

「何がっすか?」



 自分が何かしたか、きょとんとした顔で伊織はラヴィーの横のカウンター席に座る。



「君の家に招いてくれたことも嬉しいし、それに……」

「ん?」



 ラヴィーは鼻の頭をぽりぽり掻いた。照れ隠しの仕草である。



「…トキオから聞いた。君…僕が死んだかもって…泣いてくれたんでしょ?」

「が…っ!?」



 羞恥心が瞬間的に湧き上がり、伊織はカウンターに額を擦り付けて突っ伏した。



「と、時緒め…!あの野郎密告チクりやがったな!?」

「まぁまぁ……僕は嬉しいよ」



 ラヴィーは最後のスナックエンドウの筋を取り終えると、感嘆の一つ溜め息を吐く……。



「…僕は、色んな人に思われて生きてたんだ。昔も…今も」

「ラヴィーさん…」

「一人で何でも出来るって…出来なきゃいけないって思ってた…ずっと」

「…………」

「違ったんだね…。一人で生きるなんて誰にも出来ない。する必要もなかったんだ。トキオに……エクスレイガに教えられたよ」



 そう言って、ラヴィーは笑いながら、伊織を真似てスナックエンドウを一つ、摘み食いをした。


 ラヴィーの、その中性的な円らな瞳に、火が灯っているのを、伊織は決して見逃さなかった。


 これまでの自分を省みて、これからの自分を生きる、決意の火だ。



 伊織は、本当は色々言いたかった……。


 今のあんたは確実に強くなっている、とか。


 あんたなら立派な社長になれる、とか。


 しかし、言うのはやめにした。


 今のラヴィーには、どんな言葉も、野暮に聞こえて仕方がなかったからだ。


 だから、伊織は簡潔に応えたのだ。




「大丈夫っすよ、あんたなら」



 根拠の無い言葉ではあるが……


 ラヴィーの屈託の無い満面の笑顔が返って来たので、伊織は満足して笑い返したのだった。




 ****





 翌日。


 会津聖鐘高等学校。


 その日も、普段と何ら変わりの無い日々が送れる。


 ……筈だった。



「……という訳で、今朝の模擬剣戟も私の全勝です」

「芽依姉さん……少し手加減してくださいって」

「絶対です」



 授業開始、一時間前。


 上履きへ履き替えながら、豊満な胸を張る芽依子に、時緒は肩を落として意気消沈をアピールする。



「さぁ時緒くん、お姉ちゃんにもっと貴方の困ったお顔見せてください」

OHオゥ…!」



 芽依子の悪戯な物言いに、時緒は堪らず赤面した。


 そんな時緒に、伊織と香奈美が豪快な笑い声を上げ、真琴がくすりと微笑む。


 そんな時緒達の背後ではーー



「おい正文ハゲ。今すれ違った女教師をいやらしい目で見てたな?」

「いやらしい目?ふっ…!冗談は無駄に長えポニテだけにしておけ…!俺様はこのハンサムな眼差しで"やべえ!あの教師オンナええモン持ってまんなぁ!堪らんでごわすグヘヘ!"と思っていただけだ…!」

「ド低脳だなこの包茎野郎」

「吠えるな陥没乳首」



 律と正文が、その端正な顔立ちからは想像出来ない下品な語句を用いて口喧嘩をしていた。


 何時もの風景、何時もの友達。



 しかし……。





「みんな!おは……」



 時緒が、一年三組の扉を開けた、途端にーー



「「…………!」」



 一斉に注がれる。クラスメート達の気まずい視線と……。


 黒板にでかでかと、白チョークで書かれた文字に……。



「な、なんだコレ……!?」




 時緒達の平穏な学園生活は、ゆっくりと音を立てて崩れようとしていた……。



 


【田淵 香奈美はこれまでのテストに於いてカンニングをしている!】


【見下げ果てた屑!退学しろ!この学校から出て行け!!】


 





 続く

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