光の中へ



「動け…っ!動けよっ…!」



 時緒がどれだけ叫んでも。


 ルリアリウムにありったけの力を込めても。



「動けって…!動けよ…!動いてくれエクスッッ!!」



 雑木林に倒れ伏したエクスレイガが、起き上がることは、もう無かった……。


 以前に精神力枯渇の苦痛を味わった身体が、無意識に精神力をルリアリウムへ流すことを、エクスレイガの再起動を拒絶しているのだと、時緒は知らない。


 いやーー。


 知ってはいるだろうが、時緒自身が認識する事を拒んでいた。



「戦争は……"ルーリアの戦争"は……!!」



 ルーリアの戦争は、地球の戦争殺し合いとは違う。己の清廉潔白な力をぶつけ合い、そして互いを称え合う、素晴らしいものである。


 その筈なのに……!



「こんなのって!無いよ……っ!!」



 時緒の慟哭に応える者は居ない。



「そん…な…」



 同乗していた伊織も、呆然としていた。


 ゴーラグルを搭乗者のラヴィーごと呑み込んでおいて、総てが終わった今は山肌の一部に成り済ましている土石流を、ただ眺めることしか、出来なかった。


 伊織にとっては、初めて目にした人の死であった。


 日焼けた伊織の頬を、一縷の涙が伝う。



「くそ……くそっ!!」

「時緒!?」



 ラヴィーの死を認めたくない時緒は、背後から響く伊織の涙声も聞かず、エクスレイガのコクピットを開け、雨と泥の匂いが立ち込める外へと飛び出す。


 雨水の怒涛に崩れた崖は見る影も無い。一面の泥、瓦礫、岩塊。


 時緒はぬかるみに足を取られ、パイロットスーツを泥で汚しながら、ゴーラグルが居た位置を見定め、手で土を掘り出した。



「ラヴィーさんは生きてる…。ラヴィーさんは生きてる…。ラヴィーさんは生きてるんだよ!!」



 そう自分に言い聞かせて、時緒は泥まみれになって掘り続ける。


 雨は未だ降り続けている。また土砂が崩れるかもしれない。


 だが、ならば、尚更……。


 時緒は掘るの止めなかった。早く、早くラヴィーを土の中から助けたかった。


 しかし、掘っても掘っても、ゴーラグルの装甲に行き着くことは無い。



「あぎっ!?」



 指先に走る激痛に、時緒は顔を顰める。


 見てみれば、掌は傷だらけだった。


 指は皮が擦り剥け、爪は先端が折れ曲がって白くなっていた。



「ぐ…ぅ…」



 痺れる痛みと、滲む血の赤に、時緒は打ちひしがれた。


 ラヴィーを助けられない。ラヴィーが何処に居るかも分からない。


 どうにも出来ない。諦めたくないのに。どうすることも出来ない!


 そんな自分が哀しくて。



「誰か…!」



 そんな自分が悔しくて。



「誰か……ラヴィーさんを助けてくれよおぉぉぉぉ!!!!」



 時緒は、涙を雨にぶつけながら叫ぶーー。


 磐梯山が、連なる山々が、時緒の叫びを反射する。山彦だ。


 子供の頃は面白かったのに、今の時緒には薄ら寒い呪文に聞こえる。


 一頻り泣いて、そして泣きながら、時緒は震える手で再び、まるで夢遊病の如く土砂を掘ろうとした。



 その時。



「……?」



 くいくい、と。


 誰かがパイロットスーツの裾を引っ張っていた。


 伊織かと思って、時緒は振り返ったーー。



「時緒兄ちゃん!」

「…………」



 時緒の影に半身を沈めながら。


 がスーツの裾を引っ張っていた。



 ****




「凄いや!ゆきえちゃんの言った通りだ!!」



 修二はその大きな瞳を輝かせながら、エクスレイガと、パイロットスーツ姿の時緒を見比べた。



「本当に時緒兄ちゃんがエクスレイガのパイロットだったんだね!」

「しゅ、修二くん、ごめん…今は…」



 悔しいが、修二の興奮に、時緒は応えることが出来ない。


 今はラヴィーの救出が先だ。



「ゆきえちゃん!!」



 時緒の叫びに、今まで土砂と瓦礫を見渡していたゆきえが、くるりと振り向いた。


 鬼灯めいた真紅の瞳で、ゆきえは時緒を見つめる。


 時緒は一縷の望みにかけた。


 ゆきえは座敷童子(自称)だ。超自然的スーパーナチュラルな存在だ。


 ゆきえなら、その不思議な能力ちからで、きっとラヴィーを助けてくれる。



「ゆきえちゃん!お願いが、」

「……!」



 頭を下げようとした時緒を、ゆきえは手をかざして制止した。



「"皆まで言うな!あーしは何でもお見通しなのさ!"って言ってるよ!」



 修二の代弁と共に、ゆきえは時緒に向かって親指を立てるサムズアップ


 そして、目前に広がる土砂へ向かって掌を掲げ、ぐるりぐるりと舞い回る。


 やがてーー



「……!?」



 ある一定の場所で、ゆきえはぴたりと止まった。


 そこは、時緒が掘っていた場より、五十メートル程、谷底を流れる長瀬川の、その川辺に近い所だった。


 ゆきえは両手を碗の形にしてーー



「…………」



 下から上へと、宙を掬うような仕草をした。


 何度も。何度も。



「ゆ、ゆきえちゃん?」



 首を傾げ、訝しむ時緒に、修二は己の唇に人差し指を当てた。



「しっ!ゆきえちゃん今集中してるから!!」



 背後の時緒と修二の掛け合いを気にもかけず、ゆきえは何かを掬う仕草を繰り返す。


 下から上へ。


 下から上へ。


 ゆきえの周囲には湯気が纏い、鬼灯めいた真紅の瞳は妖しい輝きを放つ。


 不可思議な神通力ちから表現あらわれであった。



「なんだ!?」



 いつの間にか時緒の背後にいた伊織が、素っ頓狂な声を上げる。



「これは…!?」



 時緒も息を呑んだ。足下が震えている。地震か?違う。また土砂崩れか?それでもない。



「〜〜〜〜!」



 ゆきえが仕草を大きく、激しくしていく。


 重く響きはじめた轟音と共に、ゆきえの目先の土が大きく……大きく盛り上がり始めた。



「「……っ!?」」

「がんばれ〜!ゆきえちゃん〜!!」



 鼻息を荒くして、ゆきえは一際大きく両手を振り上げた!



 !!!!!!



 土砂が爆ぜ、巨大な影が、轟音と共に時緒達の前へと出現する。


 泥まみれだが。


 無残な姿ではあるが。



 ゴーラグルであった!



 ぱちり、ゆきえが指を鳴らす。


 ゴーラグルのひしゃげた頭部コクピットがめきめきと音を立てて、ひとりでに開いていくーー!



「…………」



 中から、微動だにしないラヴィーが、そよ風に舞う綿帽子のように浮かび上がり、ゆきえの足元へ、ゆるりと着地した。



「ラヴィーさん!?」



 ラヴィーのもとへ駆け寄ろうとする時緒を、またもゆきえが手で制止した。



「ゆきえちゃん!?ラヴィーさんは!?」



 焦る時緒を傍目に、ゆきえは目を開こうともしないラヴィーをじいと見つめ、暫くして修二に目配せをした。



「"かなり衰弱しているが、大丈夫だ。生きてる"だって!」

「ぁぁ……!」



 修二が代弁したゆきえの言葉に、時緒は安堵のあまり、伊織と共にその場へへたり込んだ。


 ゆきえがラヴィーの頭に手を添える。ラヴィーの体内へ、見えない力を送り込んでいるようだと、時緒は思った。



「よ、良かったな…!時緒…!」

「ああ…!ああ!!」



 涙目の伊織に、時緒も涙目で同意する。


 いつの間にか雨は止んで、雲の合間から日差しが射し込んでいた。







 ****






 心地良い微睡みの中に、ラヴィーは居た。


 暖かい、優しい温もりを感じる。


 まるで幼い頃、兄に、ヘイルに背負われた時のようだった。



 『さぁ…ラヴィー?そろそろ起きる時間だ』



 何処からか、ヘイルの声が聞こえる。



 『ラヴィー、歩け。自分の…自分だけの人生みちを歩け』



 天から降るようなヘイルの声に、夢見心地のラヴィーは頷いて見せる……。



『さぁ行け。お前の友達が待ってるぞ?』



 潮騒めいた心音と共に、ラヴィーの感覚は拡大していく。


 自らの体温を感じる。血液の流れを感じる。


 ラヴィーは覚醒する。


 微睡みから、現実へと……。







 ラヴィーが重い瞼を開けると、一人の地球人の少年と目が合った。



 ーー時緒だった。



 生気と優しさに満ち満ちた時緒の瞳。それは何処か、兄ヘイルの眼差しに似ていた。



 そうだ……。


 時緒は、兄に似ていた……。


 溌剌とした声色も、前向きな気迫も全部。


 だから嫌いだった。


 でも……今は……。



「…ラヴィー…さん?」

「…………」



 ラヴィーは過去の記憶を呼び戻す。


 そうだ。時緒を庇って、自分が土石流に巻き込まれたのだった……。



「ラヴィーさん!?大丈夫ですか!?」



 時緒がそう切迫した口調で詰め寄るものだから、気恥ずかしくなったラヴィーは伏し目がちにーー



「……夢を……見ていた」

「夢…?ですか?」



 ラヴィーはゆるりと頷く。



「死んだ兄さんが居てさ?僕に聞くんだ。"おまえはどんな大人になりたい?"って」

「それで…ラヴィーさんはどう答えたんです?」



 時緒の淀みの無い瞳に、ラヴィー自身の自嘲気味な微笑が映る。



「…兄さんよりもでっかい大人になるよって…言ってやった…!」

「それは……」

「兄さん……笑ってた。"なれるもんならなってみろ!"って…笑ってたよ。ずっと…ずっと…僕が夢から覚めるまで…ずっと笑ってた…」



 時緒は何も言わない。何か言うのは野暮だと思ったからだ。


 ただ笑って、頷いて、未だ身体の自由が戻らないラヴィーを伊織と共に支え続けた。



「ありがとう、トキオ…。君に…君達に会えて良かった…」

「もう僕のこと嫌いじゃないです?」

「ごめんごめん…」



 その時、「あ!」と、修二が笑って空を指差す。


 雲の間から降る陽の光が、磐梯山を照らしていた。


 ラヴィーは、時緒達と共にその光景やまを見上げる。


 地球の山。初めて見る地球の景色なのに、何故か、懐かしい……。


 雄々しい磐梯山を美しく照らす、光の柱。


 ふと、光の中に、ラヴィーはヘイルの姿を見た気がした。


 ヘイルは手を振っていた。


 人懐こい、幸せそうな、笑顔で。



(兄さん、僕は…ここに…イナワシロにいるよ。やりたい…やってみたいコトが…いっぱいあるんだ)



 ラヴィーが心の中で宣うと、ヘイルは満足げに頷いて、光の中へと消えていった。



 その姿ヴィジョンは、疲弊したラヴィーが視た幻か、それとも……。



「ありがとう、兄さん」



 暖かい涙を流すラヴィーを、雨の香り漂うそよ風が吹いて優しく包む。



 まるで、ヘイルがラヴィーを、弟の未来を祝福するかのように……。





 続く

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