I wish……



「「うわぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!?!?」」




 バスの車内を、園児たちの悲鳴が飛び交う。


 山肌から突然押し寄せて来た漆黒の濁流に足を取られ、がたがたとバスが揺れる。その振動が、子どもたちの恐怖を更に増進させた。


 登園に帰路、馴染み深い幼稚園バスの中で、まさかこのような恐怖体験をするとは、子どもたちは思いもしなかった。



「だ、駄目だっ…!濁流に車体が…っ!」



 車内は空調が寒い程効いている筈なのに、必死にハンドルを操作する運転手の身体は、汗でぐっしょりと濡れていた。

 

 懸命にハンドルを操作する運転手を嘲笑うかのように、流れ落ちる土砂はより勢いを増し、バスを道路端ガードレールへと押し込めていく。


 ガードレールの向こうには、眼下に小さく見える、長瀬川へと続く急斜面。


 滑り落ちれば、一溜りもない。



「大丈夫だ!みんな!大丈夫だからね!!」



 己の恐怖を必死に堪え、若い男性保育士が子どもたちへと声を掛けるが、どぼどぼと車外から聞こえる濁流が無情にも彼の声を掻き消してしまい、園児たちの悲鳴が止むことは無かった。


 バスの巨体がガードレールをへし曲げ、車体の三分の一が斜面へとはみ出る。


 微かに、だが確かに、バスが崖に向かって傾いた。



「せんせ〜〜!こわいよぉ〜〜!!」



 堪らず子ども達数人が保育士へしがみついた。


 床に身を屈めている子もいる。放心状態で天井を眺めたままになってしまった子もいる。



「ご、ごめんよぉっ…!」



 保育士は涙した。この極限状態の中、子ども達を抱き締める事しか出来ない自分の不甲斐なさに、涙が溢れて止まらない。



「も、もう駄目だーーーーっ!!」



 運転手の悲痛な叫びが車内に奔る。


 刹那、濁流に押し切られたバスは斜面へと弾き出された。


 バスは垂直近く傾き、車内にいた全員の平衡感覚を奪い去る。


 どちらが上でどちらが下か?



「「ーーーー!!!!」」



 恐怖が、最高潮へと駆け昇る。


 保育士と運転手はタッグを組んで子ども達を一点に集め、その上へと覆い被さった。


 こうすれば、自分達の身体がクッションになって、子どもたちを落下の衝撃から守る事が出来るかもしれない。そう思ったからだ。


 車窓一面に、谷の奈落が口を開けて待ち構えている。


 出来たら、子どもたちだけでも……。


 そう思いながら、保育士は瞳を固く閉じて自らの死を待った。


 一瞬、がくりとバスが震えた。


 ……。


 …………。



 はて……?


 幾ら待てども、落下の衝撃は、身を裂くだろう衝撃は、一向に来ない。


 それどころか、ふわりとした浮遊感を感じる。



「あ!」



 その時、園児の一人が弾んだ声をあげ、車窓の外を指差した。


 釣られて保育士は恐る恐る目を遣る。


 翡翠色の、巨大な両眼カメラ・アイと、目が合った。


 白と青の装甲を纏った巨人が。


 鋭くも、慈愛を感じさせる眼差しで、見下ろしていた。



「「エクスレイガだ〜〜〜〜!!」」



 先程の悲鳴が嘘であるかのように、園児達が歓喜と興奮の叫びを上げる。


 幼稚園バスごと、エクスレイガの巨腕かいなに抱かれている。


 自分が置かれている現状をやっと知った保育士は安堵に腰を抜かし、運転手と共にへなへなとバスの床にへたり込んだ。


 良かった。子ども達が無事で良かった。


 ただ、それだけを考えてーー。




 ****




「よしっ!間に合った!!」

「凄ェ!!」


 

 エクスレイガのマニピュレータが確とバスを保持しているのを確認すると、時緒は緊張と疲労から来る汗を拭いながら伊織と拳をぶつけ合わせた。



「でも長居は無用だぜ時緒?このままバスを抱えて飛ぶか?」

『その必要はありませんよ。伊織さん』



 伊織に応えたのは時緒ではなく、立体ウインドウに映る芽依子だった。



『時緒くんの飛び方ではお子様達を酔わせてしまいます。ここはシースウイングわたし達にお任せを』



 猪苗代の空にジェット音が響き渡る。時緒と伊織が見上げると、雨天に白と赤の鋭いボディが光って映えていた。


 芽依子が乗るシースウイングだ。後方からイナワシロ特防隊の輸送ヘリが二機随行しているのも見える。



『さてさて。久しぶりの出番だね』



 スピーカーから牧の意気揚々とした声が聞こえた。どうやらヘリのどちらかに搭乗しているらしい。



「姉さん!」

『はいはいお姉ちゃんです!バスをこちらに!』

「合点!」



 エクスレイガがゆるりとバスを空に掲げる。


 すると、シースウイングの下部ウェポン・ベイから磁力牽引機マグネットアンカーが、バスの屋根目掛けて射出された。


 二機のヘリも同様のアンカーを打ち出し、静かに、静かに、バスを釣り上げた。



『芽依子です。各機、水平飛行に注意して行きます』

『キャリー1番機、OK!』

『キャリー2番機、了解です!』



 そして、バスを牽引したシースウイング達はゆっくりと浮上、安全高度を確認。


 バスの車窓から子ども達が、白目を剥いた保育士を支えながら嬉しそうに手を振っているのが見えたので、時緒はエクスレイガの掌を振って応えて見せた。


 バスを揺らさないように細心の注意を払いながら、シースウイングとヘリたちは猪苗代市街地目掛けてゆっくりと飛行、唐松林の彼方へと姿を消した。



「これで、大丈夫…。ふう……」



 時緒は安堵の溜め息を吐く。


 だが……その首筋を大量の汗が伝い、顔はどこか青ざめているように見える。


 伊織の背筋に、悪寒が奔る。


 時緒は……時緒はもう……。



「大丈夫か……?汗が尋常じゃねえぞ!?」

「だ、大丈夫さ……」



 時緒は青白い顔で、伊織に笑って見せた。


 痩せ我慢だ。伊織には分かる。矢張り先程のルーリアとの戦闘で、殆どの精神力を消費していたのだ。



「大丈夫…!直ぐにこの場を…離れよう…!」



 エクスレイガの背中から光の翼が出現する。


 しかし、翼を構成するルリアリウム・エネルギーの光は弱々しく、その翼はまるで陽炎のように揺らめいていた。時緒の精神力が残り少ない証拠だ。



「いま…帰っ…ぁあ」

「と、時緒!!」



 数秒と経たずに光の翼は霧散し、エクスレイガは、いつの間にか膝下までに溜まっていた泥水の中へと、崩れるように突っ伏した……。



 !!!!!!



 そんな時緒の疲弊を、まるで……狙い澄ましたかのように……。


 山間から、更に激しい濁流が山肌を滑り落ちて来た。


 それは、無数の岩や抉り取った木々と共に怒涛の土石流となって……。


 今度はエクスレイガに……牙を剥いた……!



「あぁ……っ!?」

「ぐ……!?」



 コクピットの中で、時緒は戦慄する。


 駄目だ、身体が言う事を聞かない。身体に力が入らない。


 もう、動けない……!


 万事休す、時緒は、とうとう諦めかけた……。



『まだ……まだだよ!』



 悔し涙に霞む時緒の視界の端、猪苗代市街地方面から、谷間を滑るように接近する、巨大な影が一つ。


 ラヴィーだ。ラヴィーの駆るゴーラグルだ。


 穿たれた腹から精神力エネルギーを垂れ流しながら、ゴーラグルはエクスレイガ目掛けて突き進む。



「ラヴィーさん!?来ちゃいけないっ!」

『トキオ…!ありがとう…!やっと…!』



 エクスレイガへと辿り着いたゴーラグルは、その巨大な拳に力を込めて、エクスレイガの躯体をがっきと掴む!



『やっと…僕の夢がわかったよ…!』



 !!!!!!



 そして、ゴーラグルは……ラヴィーは、残りの力を振り絞って……!


 エクスレイガを、土石流の到達範囲外の山端へと思い切り投げ飛ばした……。



『トキオ…、兄さん……がふっ…!』



 最後の緊張の糸がほどけて、ラヴィーの視界が、暗転する……。


 エクスレイガの代わりにゴーラグルが、重い泥の中へと、崩れ落ち……。



『僕は……僕はね…………』



 そして……。


 無慈悲に押し寄せた土石流が、ゴーラグルごとラヴィーを、その怒涛の中へと、呑み込んでいった……。




 ****




『ラヴィー、お前は…どんな大人になりたい?』



 ヘイルの声が聞こえる。


 もう、後ろめたい気持ちは、無い。


 あいつが、トキオが、その拳で、今となっては小恥ずかしい柵から解き放ってくれた。



『兄さんみたいな…いや、兄さんよりも…みんなの笑顔を護れる、凄い騎士おとこになることさ…!』





 澄み切った心で、満ち足りた笑顔でーー。


 ラヴィーはやっと、兄に答えることが出来たのだった……。




 続く

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