第三十一章 震える磐梯山〜後編〜

夢の扉



「なぁ?ラヴィーはどんな大人になりたい?」




 そうラヴィーに問いかけることが、ラヴィーの兄、ヘイルの口癖であった。


 同時に、具体的な夢が無いラヴィーが、兄に対して辟易する原因でもあった。



「社長になった兄さんを補助する仕事」



 幼いラヴィーがぶっきらぼうそう答えると、ヘイルは至極つまらなそうな顔をした。



「おいおい?他になんかあるだろ?」

「無いよ。僕は何も無い」



 リラックスしていた顔を真面目なものに変えて、ヘイルは弟へと詰め寄る。



「だって僕、兄さんみたいに出来ないもん」



 ラヴィーは頬を膨らませてヘイルを睨み上げた。



「兄さんは騎士としても立派だし、強いし、幼騎院のみんなも兄さんのこと凄いって言ってた……」

「ラヴィー?」

「それに引き換え僕は……」



 ラヴィーの頭を撫でようとしたヘイルの手がぴたりと止んだ。


 昔のように甘えているかと、不貞腐れているかと、ヘイルは思っていたのだが……。



「僕は兄さんみたいに…いかなかった……」



 だが、違う。


 机に向かうラヴィーの手は豆だらけだった。


 幼騎院で一生懸命に勉強して、騎士になる為の鍛錬を積んでいることは明らかだった。


 努力して、それでも思うように行っていない。そんなラヴィーの有り様が、ヘイルには手に取るように見て取れた。



「ラヴィー、それは……」



 その時、ヘイルの通信機が鳴る。


 時間だ。ヘイルは征かなければならない。


 惑星規模の大雨が起きているショグスーへ、避難民救助へと赴かなくてはならない。



「ラヴィー!」

「ん?」



 ヘイルは自分の騎士装束から正ルーリア騎士に授けられる金属製の団証を引き剥がすと、



「これ、俺が帰るまで持っていてくれ!」



 ラヴィーの小さな掌へ、半ば強引にねじ込んだ。



「兄さん、これ…大事な…」

団証ソレ見ながら…よく考えてくれ。俺なんかの補佐なんて、そんなつまらないこと考えてくれるな……!」



 驚くラヴィーの顔が、愛する弟の顔が余りにも愛しくて、ヘイルは満面の笑顔を見せた。



「お前、自分を見くびるなよ」

「え?」

「世の中ってのは意外に広いぞ?ラヴィーにしか出来ないことが……お前だけの夢がきっとある!まだお前は気付いてないだけ」

「兄さん……兄さんは……何でも出来るからそうやって……」



 兄の顔を見つめる事が恥ずかしくて、ラヴィーは俯く。


 そんな弟と、ヘイルはもっともっと話をしたかったのだが……。



「……俺、ちょっと征ってくる。なぁに!明後日には帰って来るよ!!」



 ヘイルの意気揚々とした声を発するが、ラヴィーは顔を上げなかった。応えようともしなかった。



「……帰ったら、また話そうぜ?お前が本当に……本当に何がしたいのか」

「…………」

「俺…楽しみなんだよ。お前がどんな大人になるのか…今から楽しみで仕方がないんだ……」

「…………」



「じゃあな……」の言葉を最後に、ヘイルはラヴィーの部屋の扉を閉めた。


 ラヴィーを独りにして、騎士としての任務の為に出て行ったーー。





 惑星ショグスーに於ける豪雨災害は、ルーリア政府が思っていたよりも被害が甚大で、騎士達による国民の救助活動は難航を極めた。


 数多の騎士達が精神力を過剰に費やし、次々と体調に不調をきたしていく……。


 騎甲士ナイアルドに乗れなくなるものが続出する中、ヘイルだけは愛騎に乗り続け、ショグスー人達の救助を続けた。


 周囲の騎士達の制止も聞かず。


 やがて、総ての避難民の救助が完了した頃ーー。





 精神力を全て使い果したヘイルは、廃人になって世を去った。




 ヘイルが、ラヴィーの部屋を訪れることは、もう、二度と無かった。




 ****




「…………」



 仰向けになったゴーラグルの中、ラヴィーはただ視界スクリーンに広がる鈍色の雨天を見つめた。


 身体が動かない。精神力を使い過ぎた上、ゴーラグルの動力部が損傷し、ルリアリウム・エネルギーが駄々漏れになっているようだーー。


 こうなっては、戦闘の継続は不可能だ。


 ラヴィーはディスプレイを操作し、動力部への精神力エネルギー供給を遮断する。


 これでゴーラグルは、文字通り手も足も出なくなった。


 ラヴィーの敗北は、確実なものとなったーー。



「…………」



 ラヴィーは静かに瞳を閉じる。


 エクスレイガの首、取ること叶わず。


 これで自分に付いていく者は誰一人としていなくなるだろう。



「……やっぱり……僕は……何にも出来なかったよ……」



 ラヴィーは、胸に飾られた古ぼけた団証を撫でた。


 不思議だ。


 もう勝機は無いのに。己を箔付ける事など出来なくなってしまったのに。


 ラヴィーは心地が良かった。


 体内の淀みを全て吐き出したような感覚の中に、今のラヴィーはいた。


 真芯を突き抜ける衝撃。ルリアリウムを通して、嫌でも分かる、どこまでも真っ直ぐな闘志。



「全く……前回……倒しておけば良かったよ、トキオ……」



 疲労と共に、後悔と賞賛の波が押し寄せ、ラヴィーは苦笑せざるを得ない。


 そう思うほどに、今回のエクスレイガのーー時緒の戦いは、ラヴィーが無自覚に抱いていた騎士としての矜持を満足させるものだった。



『ラヴィーさん……』



 微かな振動と共に、視界スクリーン端に白と青の巨人が姿を現した。


 エクスレイガだ。


 その装甲は激しい拳戟に所々不細工にへこんでいる。それはラヴィーの闘志による武勇の賜物であるが、今のラヴィーには至極どうでも良いことだった。



「……とどめ、刺したら?」



 ラヴィーが言うと、エクスレイガは静かに首を横に振った。



『ラヴィーさん、貴方は』

「…………」

『これは…今までの貴方の台詞から見た僕の予想ですが……』

「……なに?」

『貴方は……』

「……なんなのさ、はっきり言いなよ」



 通信機の向こうから、時緒が呼吸をする音が聞こえる。



『……貴方は、僕じゃなくてんじゃない…ですか?』

「…………」

『僕も…前回は同じような感じ…だったので、もしかしたら……と思いまして……』



 申し訳なさげな時緒の優しい声が、ラヴィーの耳朶をくすぐる。



『それに……さっきラヴィーさん……"僕には何もない"って言ってましたよね?』

「……言ったっけ?」



 ラヴィーは観念して、己を除くエクスレイガの相貌を見つめる。


 ……。


 …………。




『カウナさんから聞きました。ラヴィーさんはカウナさんやシーヴァンさんと同年代じゃないですか…』

「…………」

『僕もラヴィーさんも…まだまだこれからなんです。これからなのに……自分で"何もない"なんて決め付けないでください』

「ぇ……」



数秒、エクスレイガは黙り、やがてーー



『少なくともさっきの貴方は……今の僕にとって……なんですから』



 ラヴィーの中で、形容しがたい何かが、弾けて飛んだ。


 "お前、自分を見くびるなよ"


 亡き兄、ヘイルが遺した言葉がフラッシュバックする。



 こいつは、この地球人はそんなことを思いながら、自分ラヴィーのことを考えながら戦っていたのか。兄と同じことを……。


 兄にも、時緒てきにも心配されて。思われて。



「……はっ、ははっ…!ははははははははははははは!!」



 ラヴィーは笑った。笑いながら泣いた。


 兄が死んだ時に流さなかった涙が、今になって溢れたような気分だった。


 泣いて、笑って。


 心が透き通っていく。



 "ラヴィー、お前はどんな大人になりたい?"



 昔は億劫だった兄の問いに、今なら向き合える。ラヴィーはそんな気がした。




 "兄さん、僕はね…本当はね…"





 ****





『時緒!ナイスだぜ!!』



 エクスレイガの集音システムが外部の音声を捉える。


 聞き覚えのある声に、時緒が周囲を見回すとーー



『時緒、下、下。踏み潰すなよ』



 エクスレイガの足下で、黄色いレインコートを着た伊織が手を振っていた。



「伊織?なんでそこに!?」



 伊織は雨の中、白い歯を見せて笑う。



『心配だから来てみたけど、取り越し苦労だったようだな』



 エクスレイガが膝をつき、伊織の前にマニピュレータを差し出す。


 時緒の意を察した伊織は掌の上に乗り、そのままエクスレイガの腕から胸、そしてコクピットハッチがある背中へと駆け上がる。


 時緒はディスプレイを操作して、エクスレイガのコクピットハッチを開けた。



「「……よ!」」



 そして、ハッチのすぐ横で待ち構えていた伊織と、威勢良くハイタッチして笑い合った。



『ん?トキオ?今の音なに?』



 通信機からラヴィーの声が聞こえ、時緒は慌てて伊織をエクスレイガの中へと引っ張った。



「ラヴィーさん、僕の友達の伊織です!不調だった僕の相談に乗ってくれて!」

「は、はじめまして…!」



 時緒が伊織を紹介すると、『よろしく』というラヴィーの声と溜め息が聞こえて来た。



『成る程、つまり、僕の敗因を作った子だね?』



 悪意の無い皮肉を孕んだラヴィーの声に、伊織は苦笑を浮かべながら、心の中で安堵をした。



(さっきまでの暗い殺気が消えてる。時緒の奴、上手くやりやがったな)



 時緒の、友人の成長に、伊織は感心した。


 伊織の意味深な笑みに時緒は照れながら、エクスレイガの掌を、今度はゴーラグルへと差し出した。



「ラヴィーさん、起きられますか?」

『うん、大丈夫。起きるくらいなら』



 ぎしぎし、ぎしぎしと、ゴーラグルはダメージを負った躯体を軋ませながら、起き上がろうとした……。


 その時。



 〜〜〜〜!〜〜〜〜!



 突如、サイレンが猪苗代中に響き渡る。


 嫌な予感に、時緒は伊織を乗せたままエクスレイガのコクピットハッチを閉め、イナワシロ特防隊基地への通信回線を開いた。



「イナ特基地!時緒です!このサイレンは!?」



 立体ウインドウには、緊迫した顔の芽依子と麻生が映っていた。



『たった今、磐梯山麓、磐梯沢付近で土砂崩れが発生しました。ここ最近の大雨で地盤が緩んでいたようです!』



 時緒の背中に悪寒が走る。


 芽依子が重苦しく頷いた。



『時緒くんの悪い予感が当たったようです…!先程の幼稚園バスが…巻き込まれたと、先程消防に連絡が…!』



 そこからの、時緒の行動は早かった。



「伊織!ベルト締めて!降ろす時間が惜しい!」

「お、おう!」

「姉さん、救助行きます!エクスの出力なら幼稚園バスの一台二台!」

『問題ありません!ただ地盤に気をつけて!私もシースウイングで出ます!通信はこのまま!』

「了解!ラヴィーさん!」



 一人事態が理解出来なくて、ラヴィーは『へっ!?』と上擦った声を上げる。



「すいません!ちょっと行って来ます!」

『トキオ!?何が!?』

「ラヴィーさんは休んでいてください!」

『トキオ……』



 エクスレイガは光の翼を放ち、天高く空へ舞い上がるとーー



「ラヴィーさん、ありがとうございました!後で…ゆっくりお話ししましょう!」



 雨靄に霞む磐梯山へ向かって、飛翔する。



「……僕は……」



 ルリアリウムを通じて、時緒の覚悟の念を感じ取ったラヴィーはーー



「兄さん…!僕の……僕のやりたいことは……!」



 エクスレイガが飛び去った方角を睨み、ルリアリウムに力を込める。


 ラヴィーは今一度、満身創痍の愛騎ゴーラグルをフル稼働させた。



「う…!」



 激しい吐き気と倦怠感がラヴィーを襲う。精神力が枯渇しようとしている。


 それでも。


 それでもラヴィーは。



「ゴーラグル…!まだ僕らは…終われない…!!」



 残りの力を振り絞り、再び猪苗代へと、起ったのだ。







 続く

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