雨の向こうの…



「うっひゃあ、凄い雨だぁ…!」



 中ノ沢温泉、老舗旅館【平沢庵】の母屋。


 平沢家の次男坊、修二は窓の外を見て驚嘆の声を上げた。


 三十分程前からしとしと木々を濡らしていただけの雨は、今はまるで風呂桶でもひっくり返したかのような土砂降りとなっていた。


 いつもなら見える沼尻の山々も、豪雨の向こうに姿を隠し、ただ深く濃い鈍色が修二の視界を支配している。



「これじゃあエクスレイガ見に行けないじゃん。ぶぅ……」



 頬を膨らませながら、修二は窓から部屋の中へと顔を向ける。


 その視線の先、開け放たれた押入れの上部にはーー



「…………」



 着物姿の幼女が一人、押入れに敷かれた布団の上で、漫画雑誌を読みながら歌舞伎揚を齧っている。


 スーパー座敷童子(自称)のゆきえだ……。


 修二の部屋の押入れは、今やゆきえの寝床でもある。


 押入れの壁には野球選手や演歌歌手、怪獣映画のポスターが貼られ、枕元にはオレンジ色の携帯端末とタブレット、最新型携帯ゲーム機、USBカメラ付きパソコン、修二のミニ四駆の改造に使う工具箱が所狭しと並べられていた。


 それらは全てゆきえの私物であり、見るからに充実した趣味生活スローライフを送っている風体を醸し出していた。



「ゆきえちゃんは見たくないの?生のエクスレイガ?」

「…………」



 ゆきえは興味が無さそうに鼻を鳴らし、歌舞伎揚の欠片にまみれた手で雑誌のページを捲る。



「…………」

「【ジェジェの絶妙な冒険】の方が気になるだって?……あっそ!」



 面白いシーンがあったのか。にやけ面をしだしたゆきえに背を向けて、修二は泣き止むことの無い雨天を眺め上げる。


 ざあざあと部屋中に響く雨音も、慣れてくれば心地良く、修二の眠気をゆるりと誘発する。



「…………」



 睡眠欲にが修二を誘惑する……。


 窓際で頬杖をつきながら、修二は惰眠に身を任せようとした……。


 だがーー



「ぐえっ!?」



 突如、服の襟を強く引っ張られ、修二はそのつぶらな眼を白黒させた。


 修二が振り返ると、いつの間に押入れから出たのか、ゆきえが修二の襟首を強く掴み、自らの影に沈み込もうとしている。



「ゆきえちゃん!?何!?」

「…………!」

「時緒兄ちゃんが助けを求めてる?何で!?」



 修二が首を傾げている間に、ゆきえはずるずると影の中へ。そして、修二の身体も影へと浸かっていく。



「幼稚園バス!?大ピンチ!?お願い!おいらにも分かるように説明してーーーー……」



 困惑の悲鳴を残して、修二は……修二の身体はゆきえと共に影に飲まれて、消えた。


 無人となった修二の部屋。


 聞こえるのは、雨の音と……。



「正文ィィ!あんたまた女湯覗いたわね!?」

「ふっ!女湯覗きこそ、俺様の生き様…!俺様のアイデンティティ…!」

「やかまし!その首と根性へし折って然るのちバラバラにしてボイラーに焚べてやる!!」

「ぐえええええ…!?ご、悟空ーーーー!!」

「だ・れ・がフリーザだ!!」



 そして、女将文子の怒号と、長男坊正文の悲鳴。


 ただ、それだけだった……。




 ****




 修二とゆきえが姿を消す、その一時間前ーー。


 猪苗代町。五月雨降る町に……。


 鋼と鋼が克ち合う音が、響き渡る!



『僕の箔になれっ!!エクスレイガァァッ!!』

「むざむざられる訳にはァ!!」



 ゴーラグルとエクスレイガ。二騎の鉄拳が、真正面からぶつかり合った!


 相克ッ!!!!!!!!


 互いのエネルギーに軋む二つの巨体!激突の度、地は震え、田の水面は波立ち、傘差す見物人達は跳ね上がる。



「すげぇ!この重厚感!堪まらねぇ!!」

「心臓までズンズン来るぜ!!」



 野次馬達の興奮の声も、今の時緒とラヴィーには聞こえない。


 そのような、余裕は無い。


 !!!!



『潰れてしまえよっ!!』



 間髪入れず、ゴーラグルの拳がエクスレイガへと牙を剥く。


 上半身を回転させ、遠心力により威力を増した、エクスレイガを殴殺するだけに特化された剛拳が空を切る。


 しかし。



「っっのおおおおおお!!」



 エクスレイガは、滑り込むように身を屈め、猪苗代の地を蹴り上げた。


 エクスレイガの頭上擦れ擦れに、ゴーラグルの拳が掠っていった。回避成功!


 あと一秒判断が遅かったら、エクスレイガの頭部は豆腐の如く粉砕されていただろう。


 戦慄に、時緒の背中から汗で濡れる。


 まだ安心などしていられない。安心してはいけない!



『猪口才…なぁっ!!』



 ラヴィーの攻撃ターンはまだ終わらない!


 エクスレイガよりも寸胴な巨体からは考えられないスピードで、ゴーラグルは拳を連打ラッシュ



「な、ん、の…っ!これしきぃぃぃぁ!!」



 だが、今の時緒は、恥の泥濘から蘇ったその気迫は、攻撃を受けることを拒絶する。



「あの人みたいにっ!跳べよ!エクスッッ!!」



 刹那、自身へと襲い来る拳の嵐を、エクスレイガはことごとく回避する。


 跳ねるように……舞うように!


 時緒の反射神経が、脚部伝導筋肉繊維リンクナーヴに伝わり、凄まじい回避能力をエクスレイガへ付与する。


 その様は、まるでエクスレイガが何騎も存在しているよう。



『これは…!?』



 エクスレイガのその華麗な回避行動、ラヴィーは見覚えがあった!



『カウナの……高騎動戦術!?』



 エクスレイガの鋭い相貌に、カウナの軽薄な笑みが浮かんで見える。


 ラヴィーの頬を、初めて焦燥の汗が伝う。


 ここで初めて、ラヴィーは時緒に対して戦慄した。時緒を恐ろしい存在モノだと思考した。


 かつて倒した相手の技を吸収し、自分の技へと昇華させるのか!時緒あいつは!



 ラヴィーは後悔した。前回倒して置けば良かったと。


 ラヴィーは恐怖した。もしかしたら、敗けてしまうかもしれないと。


 そして、その動揺は。



「ラヴィーさんっ!捉えたぁぁぁあ!!」

『しま…っ!?』



 ラヴィーに、ゴーラグルに、致命的な隙を与えたのだ。



 エクスレイガの剛拳に、翡翠色の光が宿る。


 時緒の気迫が還元された、ルリアリウムの眩ゆい輝き。


【スパルタン・ナックル エネルギー充填完了】



 時緒は決意する。


 この拳は宿命の拳だ。


 伊織に支えられ、芽依子に赦された、決して無下にする事の出来ないちから


 故に。


 時緒は全身全霊で叫ぶ。


 誰かに嗤われようと、誰かに飽きられようと。


 時緒じぶんは、時緒じぶんだ!



「エクスレイガァァッパァンチィィィィ!!」



 打撃ドワオッ!!!!!


 暖かな光を纏ったエクスレイガ渾身の激拳が、ゴーラグルの防御を突破して、その腹部へ無慈悲に突き刺さる!



『ぐああああああああッッ!?』



 強靭であった筈のゴーラグルの装甲が、猪苗代の空へ砕けて舞った。




 ****




『ぁ……ぁあ……っ』



 腹部に受けたダメージは大きい。


 足下のガードレールを踏み潰しながら、ゴーラグルはその巨体の体勢を崩した。


 その、操縦席なかで……。



『ぁあ……』



 ラヴィーは独り、恐怖に凍り付いた。


 暗い、底の無い泥のような恐怖の中に、今のラヴィーは居た。


 エクスレイガがゴーラグルの装甲を砕いた。その事実は即ち、時緒の精神力がラヴィーの精神力に打ち勝った事を意味している。


 ラヴィーは恐怖した。


 このままでは、敗ける。


 敗ける。敗ける。敗ける。


 敗けてしまう……!


 ラヴィーの脳裏を幾人もの人々の顔がよぎった。


 両親、社員達、シーヴァン、カウナ、そして兄。


 皆、一様に、呆れた表情を、失望の顔色を浮かべて、ラヴィーを侮蔑していた。



(やはり、その程度か)

(最初から期待していなかったさ)

(カロト社の未来は…)

(役不足なんだよ…)



 ラヴィーの負の感情が、己への劣等感が、彼等の顔と声を借りて……ラヴィーを侮辱してーー



『う…あああああがあああああ!!!!』




 ラヴィー自身を、悲しい怒りへと駆り立てたのだった。




 ****




「うっ!?」



 時緒は思わず、エクスレイガを身構えさせた。


 パンチ一発に精神力を注ぎ過ぎたようだ。粘り着くような疲労感が時緒を襲う。


 だが、しのごの言ってる暇は無い。


 悶えるように拳を振り上げるゴーラグルの、その凄まじく、禍々しい気迫を時緒は感じた。


 シーヴァン戦、カウナ戦のような、洗練された闘志とは違う。


 まるで殺意だ。


 止め処の無い、濁流のような意思が、ルリアリウムを通して体内へと流れ込み、悪寒となって時緒を包み込もうとしていた。



『……頼むよ。……お願いだから』

「ラヴィーさん……!?」



 エクスレイガの中に響く、ラヴィーの尋常でない声が、時緒の心臓を掴んで離さない。



『お願いだから……消えてしまえよ……!君も……僕も……!』



 ゴーラグルからルリアリウム・エネルギーの燐光となって溢れ出る気迫は禍々しいものなのに……、スピーカーから聞こえる操主ラヴィーの声は、何処か、泣いているようだった……。



『じゃないと……僕は……誰からも……必要の無い人間に……』

「そ……そんな……」



 感受性豊かな時緒の胸が、ずきりと痛む。





 雨の勢いが激しくなる。


 冷たく、情け容赦無い雨粒が、猪苗代の街を叩く。



 まるで、ラヴィーの心情を、代弁しているかのように……。




 続く

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