Distance
『自由騎士〈ヘイル・ヒィ・カロト〉卿は!避難民の命を救う為に!
若いルーリア騎士は泣きながら、幼いラヴィーや、ラヴィーの両親の前で、何度も何度も地面に頭を擦り付けた。
『ヘイル卿は……惑星【ショグスー】の惑星規模の暴雨災害への救助活動に出動し……精神力が枯渇し果てるまで……
ラヴィーはただ立っているだけであった。いや、立っていることしか出来なかった。
頭の中が、真白に染まって、何も考えられない。
『全ての避難民を救助艦に収容し終えた後……
両親の嗚咽も、騎士の慟哭も。
何も聞こえない。
兄が、死んだ。
その現実を。現実を受け入れることを。
幼かったラヴィーは、ずっと、ずっと。
拒み続けた。
****
「…………」
航宙城塞【ニアル・ヴィール】、騎士専用遊戯室。
幼い頃のことを思い出したラヴィーは、今まで弾いていた愛用のバイオリンを静かに棚へと置いた。
「う?もうおしまい〜?」
カウナが地球で購入したラグチェアに腰を掛けていたティセリアが、不満に頰を膨らませる。
「申し訳ございません。ゴーラグルの調整を行わなければなりませんので。
「ゔゅっ!!」
ラヴィーの言葉に、ティセリアは耳をぴんと立てて頷いた。
「前回はあまりに白けたので帰りましたが、今度は容赦はしませんよ」
「うゅーっ!
給仕に現れたリースンとコーコにティセリアを任せて、ラヴィーは遊戯室を後にした。
白亜の回廊を、ラヴィーは余裕の歩調で進む。
しばらく歩いたその先……、人影が一つ現れて、ラヴィーの進路を阻んだ。
「…………」
シーヴァンだった。
シーヴァンは何処か不機嫌な顔で、ラヴィーを見つめたまま、微動だにしない。
「カウナは?」
ラヴィーの問いに、シーヴァンの重い口が開いた。
「……まだ寝ている。頭痛がするんだと」
「無様な
は、と鼻を鳴らしてラヴィーは中性的且つ小悪魔めいた笑みを浮かべる。
対象的にシーヴァンは眉間に皺を寄せ、何かを我慢するかのように唇を噛み締めた。
「君の
「……返す……言葉も……無いな……」
振り絞るように、シーヴァンは唸りにも似た苦言を呟く。
ラヴィーの身体の奥底が、罪悪感にずきりと痛んだ。
そんなに、
仲の良い兄弟。
頼り甲斐のある兄。
可愛い弟。
(ラヴィー、お前はどんな大人になりたい?)
「……っ!」
息が詰まるような居心地の悪さがラヴィーを襲う。
「ゴ、ゴーラグルの調整があるんだ。失礼するよ」
シーヴァンから視線を外し、ラヴィーは歩を早める。
逃げだった。この息苦しさから、ラヴィーは逃げたいだけだった。
それに。
このまま廊下に留まったら、シーヴァンに心の内を見透かされてしまうようで、それもまた怖かったのだ。
「ラヴィー……」
己の名を呼ぶシーヴァンにラヴィーは振り向かず、
「ラヴィー、お前は…
「……!?」
「お前の、
背後から聞こえるシーヴァンの声が、ラヴィーに息苦しさを貼り付け、雁字搦めにして逃がそうとしなかった。
「僕の…志は…兄さんの…!死んだ兄さんの代わりに……!」
****
「すみません〜!特製カレー大盛り!」
「ごめんなさいー!うちの子がソーダひっくり返しちゃってぇ!」
「お冷やくださいな〜!」
「四名なんすけど、ボックス席ありますか?」
「喜多方ラーメン醤油でください。あと、五色沼に行くにはどのバス乗れば良いですか?」
日曜日の正午。
【きむらや】は大盛況だった。
家族連れや観光客、最近噂のエクスレイガ見たさに訪れた者達で店内はいっぱい。賀太郎、翠、そして二人の息子である伊織は右に左にてんてこ舞いといった有様である。
しかし。
「特製ソースカツ丼セット!お待たせしました!」
「うっひょ〜〜!待ってました!」
満員御礼の店内を、エプロン姿の時緒が颯爽と駆け抜けていく。
師匠、平沢 正直から教えを受けた剣術の足運びを時緒はフル活用。
素早く、尚且つ安全に。
無駄の無い動作で、時緒はてきぱきと給仕をこなして見せた。
「はい!こちら特製カレー大盛りです!」
「あ!今拭きますね!伊織!代わりのソーダお願い!」
「お冷やお待たせしました!」
「いらっしゃいませ!ボックス席ですね!こちらへどうぞ!」
「喜多方醤油ラーメンでございます!五色沼へは【裏磐梯行き】と書かれたバス停からお乗りください。次のバスまで一時間ほどありますから、それまでは当店でお寛ぎください」
活き活きとした表情で仕事をする時緒。
その姿は、伊織達だけでなく店を訪れた客達をもはつらつとした笑顔にさせるものだった。
二時間後……。
「伊織、そして時緒!お疲れさん!休憩にしてくれ!!」
「「よっしゃあぁ……!」」
賀太郎の号令に、時緒と伊織は疲れ切った顔で同時にカウンターへと突っ伏す。
昼飯時という嵐の時間は終わり、今は時緒達以外誰もいない。
『奥さん、そんな亭主構う事ないよ。離婚だよ離婚!特別ゲストのルーリア東京統制官さん、どう思う?』
『こんな横暴、ルーリアではあり得ませんよ!我が星では極刑ですよ!』
店内のテレビでは、浅黒い肌の司会者とルーリア人の男性が苦い顔をしていた。
「ふうっ」
心地よい疲労感に、時緒は安堵の溜息を吐く。
「助かったぜ時緒…!」
「なに…、一宿一飯の恩ってヤツだよ…!」
勝ち誇った笑みを浮かべ、時緒と伊織は拳をぶつけ合った。
「伊織、ホントにありがとう。一晩眠って、こうやって頑張って働いて、なんかスッキリしたよ」
「お嬢に謝りに行くか?」
…………。
……。
時緒は数秒黙った後。
「うん……!」
決意の笑顔で、大きく、力強く、確と頷いた。
「うん。
己に言い聞かせるよう、時緒は何度も頷く。
「まぁまずは腹拵えよ!お話はそれからでも間に合うでしょう?」
意気揚々とした表情の翠が、時緒と伊織の前に大きな丼を置いた。
賄い飯だ。
丼の中には特盛りのカレーライス。その上には切り分けられたトンカツがロース一枚分。茹で卵と大きなエビフライも乗っている。
瞬く間に、時緒の口内が唾液でいっぱいになった。
「じゃあ…お言葉に甘えて…!」
カツから食べるか、エビフライから食べるか、それともカレーそのものから入るか。
時緒は爛々とした瞳でカレーライスを見つめ、手にしたスプーンで食そうとした。
その時である。
店の扉が開いて、扉に付けられた鐘がからん、からんと鳴った。
「いらっしゃいま…、」
時緒は慌てて立ち上がり。
「…………」
そして、金縛りに遭ったかのように硬直した。
「……御免…くださいまし」
白い肌。
琥珀色の瞳。
亜麻色の長い髪。
凛とした声色。
紛れも無い……芽依子だった。
芽依子が、扉の前に立って、時緒を見つめていた。
「俺だよ。俺がお嬢を呼んだんだ」
緩みの無い伊織の言葉が、時緒の背中を叩く。
「お嬢、昨日の夜、店の前まで来てたんだぜ」
時緒の心臓が大きく跳ねた。
店の前まで来てた?見に来てくれた?
あんなに、酷いことを言ったのにーー。
溢れ出そうな涙のせいで、目の前にいる芽依子のシルエットが滲んでしまう。
時緒は、顔面をエプロンでごしごし拭いた。
対する芽依子も、涙ぐむ時緒を見てすんすんと鼻をすすった。
「「…………………」」
二人は無言のまま、ゆっくりと、頭を下げ合った。
店内に立ち込める、何やら気恥ずかしい雰囲気の中でーー。
「……そこのカレー……美味しそうですね?」
涙を紛らわそうと、芽依子は時緒に尋ねた。
「……半分こしよう……」
顔を紅く染めて、時緒は応えた。
続く
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