総て吐いてしまおうか
「親父!お袋!今日、時緒泊まるからー!あとシゲさんもメシ食うからー!豪勢なヤツでお願いしまーす!」
時緒が、伊織と茂人と共に猪苗代駅行きのバスに乗り、伊織の実家であるレストラン【きむらや】に着いた頃には、先程まで滝の如く降っていた雨は嘘のようにすっかり止んでいた。
鉛雲の裂け目から猪苗代へと差し照らす夕陽のオレンジが、きむらやの玄関に佇む時緒の顔を照らす。
優しくて、暖かな
まるで芽依子のようだ。
そう無自覚に思ってしまった時緒を、罪悪感が湧き上がって襲う。
(うるさいっ!何がお姉ちゃんだ!気持ち悪いっ!!)
叫んだ
「ぅ……っ!」
時緒は顔を両手で覆って俯いた。
何故、あんなことを言ってしまったのか。
惑う心情を制御することが出来ず、芽依子に向かって、幼稚な戯言を吐いてしまったのか。
またも芽依子を悲しませてしまった。
時緒はそんな自分が許せなくて、立てた爪で自らの頬をばりばり引っ掻いた。
「やめろやめろ。姐さん譲りの美形が勿体ねえ」
茂人が重苦しい表情で、そんな時緒の手を懸命に抑えてくれた。
****
「さあ!食え食え!」
「替え玉欲しかったら遠慮しないで言いなさい!」
「い、いただきます……」
暖かく迎えてくれた伊織の両親、二人が出してくれた熱々の喜多方味噌ラーメンを、時緒は己が食欲のままに啜る。
猪苗代所以の幅広多加水麺を噛むと、歯応え良い麺が口の中で跳ねた。
「おいしい……!」
濃厚な味噌スープが時緒の胃袋を歓喜させる。辛味噌の程よい辛さに、食欲が更に更に増進する。
自家製チャーシューは噛むとほろほろと解け、旨味の詰まった肉汁と化して蕩けていった。半熟の煮卵も絶品だ。
今まで食べて来たラーメンの中で最高の逸品だ。時緒は替え玉を二回も注文し、煮卵も追加でお願いしてしまった。
時緒の食べっぷりに、伊織も、伊織の両親も、肉汁たっぷりの餃子を頬張っていた茂人も、皆笑った。
(芽依姉さんにも……食べさせたいな)
ラーメンの温もりが時緒の精神を癒していく。
芽依子に謝りたい気持ちでいっぱいになる。
満腹感と謝罪感に、時緒は涙を流しながらラーメンを完食した……。
「ご馳走さまでした……」
空になった丼をカウンターに置き、時緒は手を合わせ、頭を下げて礼をすると、時緒は謝罪の表情で伊織と茂人を見遣る。
「少し、相談したいんだけど……?」
伊織と茂人が、同時に頷いた。
「「待ってました……!」」
****
今自分に、隠し事をする資格なんて無い。
時緒は意を決して、全てを話した。
裸の芽依子と真琴の夢を見たこと。
以来、芽依子と顔を合わせると、緊張して上手く話す事が出来なかったこと。
そんな混乱から来る苛立ちを、今日、芽依子にぶつけてしまったこと。
総て、洗いざらい吐き出す。
「「…………」」
最初、時緒は笑われるかと思った。
助平な奴だ、と。
しかし……。
伊織も、茂人も、厨房から聞いていた伊織の両親もーー
「「う〜〜〜〜ん……」」
と低く唸って、揃って天井でくるくる回転する換気扇を暫く眺めた。
十数秒経過してーー。
「時緒よぉ……?」
最初に口を開けたのは、伊織の父にして【きむらや】店主の、
「それはお前……
「……恋?」
時緒以外の全員が頷いた。
首を傾げているのは時緒だけ。
「恋って……人に恋するの【恋】?」
再び、時緒以外の全員が頷いた。
「僕が?芽依姉さんに……恋?」
「さっきの話からすると……真琴ちゃんのことも意識してるなァ」
「神宮寺さんも……!?」
時緒は信じられなかった。
「でも、恋が理由で……芽依姉さん達の裸を夢に見る!?」
「見るさ」
茂人が即答し、伊織が続く。
「異性を意識し始めたのさ。心が健やかな男の証だぜ」
「じ、じゃあ……胸の辺りがざわざわするのは……!?」
「時緒ちゃんの中身が大人になろうとしてるのよ」
そう答えたのは伊織の母、
翠は時緒の前にウエハースが刺さったアイスクリームを置くとーー
「時緒ちゃんの心が大人になろうとして、そんな大人になる様を、未だ残ってる時緒ちゃんの子どもの部分が恥ずかしがっているのよ」
「そ…っ!」
ぱちりと、自身の中で何かが弾けたような感覚。
時緒は、やっと納得をした。
そうだ。この胸のざわめきは、恥ずかしさ。
芽依子の裸の夢を見た事への恥ずかしさだ。
決して裸を見たくない訳ではない。
寧ろ見たかったのだ。
見たかった自分がいたのだ。
芽依子ともっと繋がり合いたい自分がいたのだ。
「……!」
時緒は目を見開いて顔を上げる。
胸の詰まりが取れたような気がした。
視界が開けていく気がした。
同時に、自分の過ちにも、向き直れた。
「芽依姉さんに……他の皆にも謝らないと」
立ち上がろうとする時緒をーー
「「まぁまぁまぁ!!」」
と、伊織と茂人が御して、再び椅子に座らせる。
「ひと段落したらで良い。今日は取り敢えず休め。話はそれからよ」
そう言いながら、茂人はジョッキのビールを一気に煽った。
大人の余裕だと、時緒は茂人を羨む。
「みんな、詳しいんですね……?」
「「「そりゃもう一度通った道だもの!!」」」
茂人、賀太郎、翠は自信満々に胸を張って見せた。
「…………」
その時。
幼い時から時緒達と、猪苗代の大自然の中で遊んだことで鍛えられた伊織の感覚神経が、店の外から何者かの気配を感じ取った。
気持ちに揺らぎが未だあるのか、時緒は気付かない。普段ならばもの一番に気付いている筈なのに。
伊織はトイレに行くふりをして席を外し、自然な動作で、テーブル席の窓のカーテンを、そっと開けた。
(あ……!)
きむらやから道路を挟んだ歩道。闇の中で寂しい光を降ろす街灯の下にーー。
コンビニ袋を携えた芽依子が独り、寂しげに佇んでいた。
カーテンの間から覗く伊織の姿を確認した芽依子は、ほんの少し驚いた顔をして、一礼をする。
伊織は慌てて携帯端末のメッセージアプリを起動させ、芽依子から教えて貰った芽依子自身のアドレスへとメッセージを送信した。
【時緒はもう大丈夫っすよ!ちゃんときっちり謝らせますから、良かったら明日また来てください】
夜闇の中の芽依子が、咄嗟に端末を取り出すのが見える。
【時緒、お嬢に謝りたいって言ってました。取り敢えず今日は俺んちに泊まらせますんで】
安堵したような、疲れきったような……。そんな微笑を芽依子は浮かべると、伊織に向かって再び深々と礼をして……椎名邸の方向の、闇の中へと消えていった……。
伊織は芽依子の淑やかな後ろ姿を見送ると、アイスを食べている時緒を見遣り、そっと悪態を吐いた。
「親不孝ならぬヒロイン不幸者め!明日はこき使ってやるからな……!」
背後でサディスティックな笑みを浮かべる伊織に、どう芽依子に謝れば良いか考える時緒は、終ぞ気付くことは無かった。
****
同時刻、椎名邸。
『ト、トキオはどうしちゃったのさ!?今日の戦いは!?』
立体ウインドーの向こうで狼狽える芽依子の父、洋にーー
「知らねーよ!私が知りたいくれえだわ!!」
真理子はそう言って、徳利に注いだ日本酒をぐいと仰いだ。
不機嫌な時の真理子の酔いは早い。
「原因は芽依との仲だ!最近、芽依に話しかけられると、何だかわかんねえがぎくしゃくしてやがる」
『…………え?』
一瞬肩を震わせた後、洋は硬直した。
目が泳いでいる。唇が小刻みに震えている。
「……洋てめえ……何か知ってるな?」
この男は知っている。真理子の女の勘がそう告げた。
『え?いや……あの……?』
「言えこら。言わねえと殴るぞ?」
『ひっ!?わ、わかった!!』
洋は深く深呼吸をして、
『実は……トキオに言っちゃったんだ…』
「なんて?」
『将来……メイを君にやるって』
真理子の手の中で、陶器の徳利がぐしゃりと潰れ、砂になって畳に落ちた。
「やっぱりてめえのせいか!?」
『ひぃーーっ!!ご、ごめん!!』
「余計な一言言うの昔からちっとも変わんねーな!!」
『も、もう言わない!!』
もう
「洋お前、今平沢庵にいるんだろ?文子と替われ」
『え?フミコ?……おーいフミコー?』
立体ウインドーから洋の姿が消え、暫くしてーー
『何よ野ザル!?私今客の夕食の支度で忙しいんだけど!?』
鋭い眼差しをした不機嫌顔の文子がウインドーに投影された。
「よお文子ぉ」
『だから何よ!?さっさとしなさいっつの!!』
「
『…………』
真理子が言った途端、文子の顔から感情が消え、能面のようになった。
『ちょっ!?』
文子の背後で洋が戦慄した。
「もうブクブク!ブクブクブクブク!太ったっていうより肥えた!膨らんだってよ!もうフミコというかブタ子だってよ!あしたは食肉加工場行きかなってよ!!」
『言ってない!言ってないよ!!』
『………………』
能面顔の文子はゆっくりと、ゆっくりと洋へと振り返り……。
『れっどらーむ……れっどらーむ……』
文子はまるで、ホラー映画に登場する悪霊憑きの少女のような不気味なポーズで、洋へと襲いかかりーー。
『ぎゃーーーーーー!?』
そして、映像は途切れた……。
幾分すっきりした真理子は、新しい徳利で独り晩酌を続ける。
時緒のいない椎名邸は、真理子にとって寂しいことこの上無かった……。
続く
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