恥ずかしくて猪苗代湖




『改めて、ルーリア騎士ラヴィー・ヒィ・カロト。これは僕の愛騎……騎甲士ナイアルド【ゴーラグル】。お互い、良い戦争たたかいをしようね』



 立体ウインドーの向こう側で微笑むラヴィーに、時緒は慌てて首を垂れる。



「こ、こちらこそ!し、椎名 時緒、エクスレイガです!よ、よろしくお願いしゃみゃっしゅ!」



 焦燥のあまり呂律が回らず、時緒は噛んでしまった。


 笑われただろうか。基地の芽依子も笑っているだろうか。それとも呆れているだろうか。


 そう考えると、時緒は自分が恥ずかしくて……恥ずかしくて堪らなくなる。



『焦っているのかい?大丈夫大丈夫。落ち付いてろう』

「は、はい……っ!」



 フォローのつもりでラヴィーが放ったであろう言葉が、時緒の波立つ羞恥心を逆撫でする。


 恥ずかしい。恥ずかしい。


 何故、こんな心持ちになってしまったのか。


 時緒は泣きたくて仕方がなくなってしまった。



「あ、改めて、参りますっ」

『うん。お先にどうぞ?』



 ラヴィーの快諾に時緒は一度頭を下げ、エクスレイガを後退。拳を撃ち込み易い間合いを形成する。



「…………」



 時緒は、深呼吸を一つ。



『はは。良いね。その気迫』

「…………」



 もう一つ、時緒は深呼吸。


 雨足が強くなって来た。


 対峙するゴーラグルの輪郭が、雨霞の薄い白にぼやける。



「……疾っ!」



 呼吸と心拍を合わせ、時緒はエクスレイガの足裏スラスターを噴かす。


 弾けるルリアリウム・エネルギー。


 足を踏み締める度に増す加速。


 装甲を叩いていた雨粒を周囲の空気諸共霧散させながら、エクスレイガは音を置き去りにして、ゴーラグル目掛けてはしる。


 対するゴーラグルは、ラヴィーは、微動だにしない。



「先手……必勝ッ!」



【スパルタン・ナックル、エネルギー充填完了】


 エクスレイガが装着した闘拳ナックルが翡翠を光を纏い、肘に配置された噴射口バーニアから粒子光が噴き上がる。


 疾駆による加速、肘部バーニアによる加速、それらがもたらす運動エネルギーはエクスレイガのナックルを巨大な弾丸へと変え、真っ直ぐにゴーラグル目掛けて突き進んだ。



「砕け…っ!エクスレイガパンチィィッ!!」



 翡翠色に輝く拳が、ゴーラグルの腹部へと捻じ込まれる!





 この時、時緒は己も知らぬ間に相手を過小評価していた。


 ゴーラグルは見るからに鈍重そうな体躯。故にスピード勝負ならば勝てる。絶対に勝てる。


 時緒は、勝利を確信し過ぎていた。


 未だにざわめく心が生んだ、早とちりな勝利を……。



「……え?」

『……』



 だから、時緒は理解をするのに、時間を少々必要としたのだ。


 ゴーラグルが、いつの間にか視界から消えていた。


 エクスレイガ渾身の拳が、空を斬って終わっていた。


 そして……。


 !!!!!!



「ぐがぁっっ!?」



 やっと、自身の攻撃が無駄に終わったことを知った時、空間まるごと蹴られたような、凄まじい衝撃が時緒を襲った。



「あ?が…っ!?」



 脳味噌が乱暴に揺さぶられ、時緒の視界に火花が散る。


 反射的に分泌された涙と鼻水で濡れたコクピットスクリーンに映るのは。


 上下が逆になった猪苗代の街並み、その中央にぽつんと、掲げ上げた豪腕から蒸気を立ち昇らせたゴーラグルが存在していた。


殴られた……?



(い、つ、の間に?)



 自負の置かれた状況が理解出来なくて。


 猪苗代の空高く殴り飛ばされたエクスレイガのコクピットなかで、時緒は現状をまるで他人事の様に思っていた。



『まさかこれ一発で終わりじゃないよね?』



 通信機から聞こえるラヴィーの淡々とした声も、今の時緒には何かの雑音にしか、理解出来なかった。




 ****




「ノォーーーーゥ!美しくないーー!!」



【ニアル・ヴィール】管制局内に響くカウナの甲高い叫びが煩くて、シーヴァンや他のルーリア人は眉をひそめる。


 シーヴァン達の見つめる先には、ゴーラグルの一方的な攻撃を受け続けるエクスレイガの映像が有った。


 ゴーラグルから繰り出されるパンチの連打を、エクスレイガはおぼつかない挙動で受け続ける。


 反撃に出てもエクスレイガの攻撃にキレは全く無く、動きを予測したラヴィーに易々と交わされる。



「美しくない!美しくないぞトキオー!何故だー!?この前の美しい戦いをしたお前は何処に行った!?!?」



 エクスレイガの無様に、とうとうカウナは泣き出した。


 泣き伏せるカウナの横で、シーヴァンは静かに唇を噛む。


 ーーシーヴァンは苛々していた。


 かつてシーヴァンを歓喜させた振る舞いを、今の時緒は、エクスレイガはしていない……。


無駄な力が入った、お世辞にも勇猛とは言えない有様だった。



「何があった…!?トキオ…!?」



 シーヴァンが落胆の言葉を独り言ちる……。


 管制を担当するルーリア人達もエクスレイガとの戦闘を楽しみにしていたようで、今回のエクスレイガの予想外な有様に、管制局のあちらこちらから退屈げな溜め息や欠伸が聞こえてきた……。



「うゅっうーー!いーぞラヴィー!!エクしゅレイガをやっつけろーー!!」



 たった一人。上機嫌なのは、ティセリアだけであった。





 ****




『時緒くん!?どうしたんですか!?』



 緊迫した芽依子の映像に、時緒は応答しない。応答出来ない。


 それ程までに、時緒は焦っていた。



(駄目だ…!駄目だ…!)



 攻撃が当たらない。相手の動きが読めない。



(ちゃんと戦わなきゃ笑われる…!芽依姉さんに笑われる…!)



 エクスレイガの動きが重い。いや、自分の身体が重く感じる。


 重い。重い!重苦しくて仕方がない!



『時緒くん!バイタルが不安定です!一回呼吸を整えて!』



 何故……何故!ルリアリウムの訓練はちゃんと受けたのに!日頃の鍛錬も欠かさなかったのに……!


 上手く動けない。上手くいかない。


 それなのにーー。


 一瞬、芽依子の裸体が時緒の脳内でちらついた。



(何で…何で!何で何で!何で何で何で何で何で何で何でなんだよぉぉぉぉ!!)



 自分は何たる破廉恥か!時緒の苛立ちと焦燥が、一気に頂点に達した!




『時緒くん!お願い!お願いです!お姉ちゃんの言うことを、』

「うるさいっっ!!何がお姉ちゃんだっ!!気持ち悪いっ!!」




 少し経って、時緒は、吃驚した。



「…………」



 今、自分は何を言った。どうして言った。


 自分が叫んだ内容が、信じられなかった。


 芽依子に怒声をぶつけた自分が、信じられなかった。



「ぼ、僕…は……」



 芽依子の立体映像は、もう何も言うこと無く、悲しげな表情を浮かべたまま、ゆっくりと消えた。



「あ……」



 とんでもないことをした。


 何時も、何時も自分を勇気づけてくれた芽依子を傷付けてしまった。


 指が震える。足が震える。


 涙が溢れて止まらない。


 コクピット内で独り後悔する時緒を、誰も待ってはくれなかった。


 時間も。


 ラヴィーも。



『……そういう気持ちで戦争やられると……迷惑なんだよね』



 立ち尽くすエクスレイガを、巨腕を構えたゴーラグルの影が覆う。


 完全に戦意を喪失した時緒は、ゴーラグルから放たれるラヴィーの気迫に圧倒され、ただゴーラグルを見上げる事しか出来なかった……。



『僕はね……騎士として箔を付けて、ちゃんと他人から信頼を得て、親の会社を継がなきゃいけないんだ……』



 そして…。



『……君みたい心此処に在らずでってるんじゃ……ないのさっ!!』



 ゴーラグルの無慈悲な鉄拳が、衝撃波と共にエクスレイガの顎へと捻じ込まれる。


 強烈なアッパーカット。


ばきばき、みしり。エクスレイガの各パーツが破損する音が、コクピットに響く。


 全高十二メートルのエクスレイガの巨体は雷鳴にも似た轟音と衝撃を猪苗代中に伝播させながら、軽々と宙高く吹き飛んだ。


 スパルタン・ナックルは大破してばらばらに砕け散り、エクスレイガの駆体は、ガラス館や喜多方ラーメン館、野口英世記念館をも飛び越え、猪苗代湖の水面へと叩き付けられた。



『……キミみたいなの倒しても箔にも何にもならないや。トキオ、出直して来たら?シーヴァンみたいに待っててやるからさ』



 エクスレイガは雨打つ湖面から二本足のみを突き出したまま、ぴくりとも動かない。


 その姿は、無様も無様。無様の極みといった様相であった……。



『トキオ……。初めてキミと対話した時から……僕、思ってたんだ』



 足のみとなったエクスレイガを暫く眺めた後、ゴーラグルはゆっくりと浮上する。




『僕は……キミが嫌いだ 』





 ****





 そして、ラヴィーは、ゴーラグルは、暗く澱んだ雲の中へと消えた。



 ざあざあとーー激しい雨音だけが、猪苗代の町を虚しく支配していた……。





 続く

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