恋はそうさ不思議さ?



 その日ーー。


 時緒は夢を見た。


 何処までも広がる、薄い桃色に染まる靄の中を、時緒はただ佇んでいた。


 何処からか微かに、バニラの様な良い香りがする、ように感じる。


 すると……。



『時緒くん、お姉ちゃんと遊びましょう』

『椎名くん、おいでおいで』



 靄にそのシルエットをぼやかせて……。


 微笑を浮かべた芽依子と真琴が時緒へ向かって手招きをしていた。



「二人とも?こんな所で、な、に、を……!?」



 芽依子と真琴に駆け寄ろうとした時緒は、二人の姿に絶句した。


 芽依子も真琴も、衣服を、下着ですら纏っていなかったのだ。



『『おいでおいで〜〜』』



 艶かしく瑞々しい、生まれたままの健康的な白肌で、芽依子と真琴は笑って手招きを続ける。


 それは、今までの青春を青臭い友情と自己鍛錬で費やし、同年代の女体なぞコミックでしか見たことの無い時緒には、あまりにも刺激の強過ぎる光景であった。



「姉さん!?神宮寺さん!?い、いけませんて!?」

『何がいけないんです?』



 時緒の焦燥の叫びに、芽依子は首を傾げる。



「だって!嫁入り前の娘さんが!は、は、はだ!はだ!はだっ!?」



 ふと、時緒の右腕に柔らかな感触があてがわれる。


 時緒が恐る恐る腕元に視線を下ろすと……。



『大丈夫。椎名くんになら……裸見られても平気だから』

「はがぁーーーーっ!?」



 裸の真琴が、真琴の腕が時緒の腕へと巻き付き、その肢体を密着させていた。


 皮膚下の感覚神経を伝わる、真琴の柔らかな感触。


 女体への興奮が見えない拳となって時緒の頸椎を殴り、鼻腔の奥がつんと痺れる。



『うふふ。隙ありです』

「めいーーーー!?」



 今度は、時緒の左腕に芽依子が抱き付いた。


 真琴のとは違う、重厚感のある胸の温もりが時緒の情緒を、これでもかと刺激する。


 血が沸騰するような感覚。心臓がロールを叩く。荒い鼻息を止めることが出来ない。


 時緒の愛読するライトノベルの主人公は、自身が転移された異世界の美少女達を何人も侍らせて喜んでいたが、自分にはそんな胆力は無い。時緒は改めて自己確信した。



『嫁入り前の女がはしたないことするな。時緒くんさっきそうおっしゃいましたね?』

「お、おっしゃいました……」



 たじろぐ時緒の頬を、芽依子の柔らかい手が撫でる。


 芽依子と真琴は自らの唇を時緒の耳元へゆるりと近付けて……。



『だぁいじょうぶです。時緒くんが』

『だって……椎名くんが』

『『私達を…お嫁さんに貰ってくれるんですから…』』



 時緒の左耳に芽依子の唇が触れる。


 時緒の右耳に真琴の唇が触れる。


 その柔らかく、微かに湿り気を帯びたくすぐったさは、官能の濁流となって時緒の青臭い理性を袋叩きにした。


 それでも。それでも尚。


 時緒は己を律した。


 芽依子も真琴も、大切な存在だ。


 特に芽依子は。


 芽依子は……!


 自制心が臨界に達した時緒は、悲鳴にも近い叫びをあげた。




「勘弁してくださぁぁぁぁぁぁい!!」

「勘弁して欲しいのは俺の方だぁぁぁぁ!!」



 鼓膜をつん裂く男の絶叫に、時緒は覚醒する。


 夢から醒めた目の前には知らない天井ーー。


 否、教室の天井だ。


 会津聖鐘高校、一年三組の教室。


 時緒はゆっくりと周囲を見渡す。



「「…………」」



 クラスメート達が皆、引きつった表情で時緒を見つめていた。


 その中には、芽依子と真琴も含まれている。勿論制服姿。裸ではない……。



「よう……お目覚めかな王子様ァ?」



 どすの効いた声に、時緒は顔を引きつらせて教卓に視線を移す。


 時緒達一年三組の担任にして、現代国語担当の小関教諭が、血走った目で時緒を睨んでいた。



「時緒よぉ、俺の授業は寝やすいか……?」



 小関教諭の質問に、半ば寝惚け眼の時緒は思考する。


 寝やすいか寝づらいか。


 難しい問題だが、寝づらいと答えれば、それは小関教諭の声や姿勢を否定してしまう。時緒はそう考えた。


 だから、時緒はきっぱりと解答する。





「寝やすいです」

「顔洗って廊下立ってろ」





 小関教諭の対応に、教室の誰もが納得の首肯をした。




 ****




「なぁ?お嬢よぉ……?」



 四時限目の授業が修了し、机の上に五段重ねの弁当を置いた芽依子を、三人の男子生徒が取り囲んだ。


 硬派を気取る、一年三組のヤンキーグループである。


 勉強用の赤縁眼鏡を外し、芽依子はきょとんとした顔をする。



「どうしました三人とも?また必殺拳お教えしましょうか?」

「あ、その件は大変お世話になり……、いやいやそうじゃなくて……」



 ヤンキーの一人は咳払いを一つすると、困ったような表情で芽依子を見た。



「何か時緒のヤツ……変じゃね?」

「時緒くんはいつも変ですよ?」

「うん、確かに変……いやいやいやいや!お嬢がそれ言っちゃあ駄目だろう!?」



 ヤンキー達は慌てた様子で芽依子を窘めると、其々もごもごと呟き始めた。



「何か……変……なんだよ!」

「いつもと、調子が違うっつーか?」

「動きもギクシャクしてるし」



 ヤンキー達の言動に、芽依子は唇を尖らせた。


 思い当たる節があるからだ。


 先日、芽依子が風呂上がりに時緒に話しかけたら、時緒は慌てた様子で、逃げるように去ってしまった。


 そんな時緒の態度が、芽依子の心にずっと突っかかっていたのだ。



「まぁ……俺たちの取り越し苦労だったら良いんだけどよ……」

「ありがとうございます。時緒くんのこと、ちょっと見ておきますので」

「あぁ……、伊織や正文よりは頼りねえけどよ。何かあったら俺達相談乗るぜって言っといてくれ」



 芽依子が頭を下げると、ヤンキー達は安堵の雰囲気で頷き合い、財布を携えて教室を出て行った。購買室で販売しているソースカツ弁当を買いに行ったのだろう。



 そして、およそ数分後。



「はぁ……、なんで居眠りなんかしたんだよ…。未熟だなぁ」



 小関教諭の説教を受けて来た時緒が、疲れ切った表情で教室へと帰還した。



「お疲れ」

「うん……」

「何バカやってんだ……!」

「ごめん」

「にゃはは!バカだ〜!」

「……佳奈美お前にだけは言われたくない!」



 労う正文に手を振り。


 しかめ面をする律に手を合わせ。


 大笑いする佳奈美に歯を剥き威嚇をして。


 時緒は重い足取りで席に座った。



 芽依子は真琴と顔を見合わせ頷くと、二人足取りを揃えて時緒の所へと赴く。



「時緒くん、大丈夫ですか?」

「椎名くん?」

「ぃ……っ!?」



 芽依子は見逃さなかった。


 自身が声を掛けた刹那、時緒が怯えた様子で肩を震わせたのをーー。



「な、何でも…ないですヨ!?」

「「…………」」



 時緒は首を振るが……。


 嘘だ。芽依子と真琴はそう思った。


 何か隠しことをしていると、二人の女の勘が報せた。





「…………」



 時緒は言えない。


 芽依子と真琴が、裸体で自分に迫って来たなど、口が裂けても言える筈が無い。



「さ、さぁ?気をとりなおして?昼飯にしませう?」



 エクスレイガよりもぎこちない挙動で、時緒は弁当を机に置く。不自然極まり無い。



「そ、そう……ですね」

「う、うん」



 怪しい。しかし、無理矢理聞き出す訳にも行かない。


 芽依子と真琴は若干不本意ながらも時緒に同意した。



「あれっ!?」



 突如、携帯端末でテレビを観ながら昼飯を食べていた生徒が素っ頓狂な声を上げた。



「誰か!?テレビ、テレビ!!」



 黒板付近にいた伊織が、素早い動きで教室のテレビのリモコンを押す。





『イナワシロ、並びに周辺区域の地球人の皆々様。お昼時に突然の電波ジャック、大変失礼致します』



 テレビ画面の中で、兎めいた耳を生やした少年が、中性的な微笑で頭を下げていたーー。


「ルーリア人だ!」と、教室の中で誰かが叫ぶ。


 他のクラスからも響めきが聞こえてくる。


 全校の職員、生徒が。否、会津若松のほぼ全ての人間が、突如として映し出されたこの映像を観ていた。



『改めまして、僕の名はラヴィー・ヒィ・カロト。エクスレイガに挑戦状を叩きつける者です』



 クラス全員が、息を呑んだ。



『ト…エクスレイガの操者、見ているかい?二日後、僕はイナワシロに出陣するよ。お互い、見応えのある、面白い戦争をしようね』



 電波ジャックというド派手な方法で、いきなり叩きつけられた挑戦状。


 しかし……。



「…………」



 芽依子達に対する複雑な感情に囚われていた今の時緒に、それを真っ向から受け止める度胸は無かった。


 時緒は戸惑いに黙り込む……。



「…………」



 そんな時緒を、伊織はただただ見つめていた……。




 続く

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