桧原湖ノススメ


「皆でハイキング!行きたいのだわ〜〜!!」



 麻生の提案を伝えたサナリアの第一声がこれである。


 いきなり上がったサナリア興奮の叫びに、同じ卓袱台で真理子手製の肉じゃがに舌鼓を打っていたダイガは引きつった顔でサナリアを見た。


 サナリアの返答に真理子は満足する。


 だが、以前に疲労から来る貧血でサナリアが倒れたことを思い出し、念には念を押し、サナリアへと尋ねてみる。



「少し歩くからな?サナ?少しでも気分悪くなったら遠慮無く言えよ?」

「分かったのだわ!」



 瞳を満天の星空のように輝かせて、サナリアは嬉しそうに何度も頷いた。



「デカブツ?良いだろ?」



 真理子がダイガを見遣ると、ダイガは咀嚼した肉じゃがを嚥下しながら、ゆっくりと頷く。



「このイナワシロの自然は、姫様を随分と癒してくれる。万が一の薬も皇帝陛下から預かっている。問題無い」

「そっか…!良かった…!」

「…この俺も同行しても?」

「当たり前よ!サナもデカブツもいなくちゃ始まらねえぜ!!」

「……そうか…。楽しみだ……」



 ダイガの鉄面皮が微かに緩むのを、真理子とサナリアは見逃さなかった。



「ねえマリコ?」

「んあ?」

「アソウのおじさまが提案したってことは……」

「…………」

「……ヨハンも来るって事なのよね?」

「来んじゃねえの?」



 真理子が頷いた途端、サナリアとダイガはあからさまに嫌な顔をした。


 あのヨハンが来る。


 泣き虫ヨハンが来る。


 大丈夫だろうか?


 またぐずり出さないだろうか?


 そもそもこの一ヶ月、ヨハンを見かけていないが、どうしているのだろうか?


 麻生に迷惑をかけていないだろうか?


 食事はきちんと摂っているのだろうか?


 ヨハンは好き嫌いが激しいから…。



「「…………」」



 塩っぱい表情で、サナリアとダイガは顔を見合わせた。


 そんな二人が何を考えているか、何となく理解した真理子は、胸を思い切り叩いて自信を示す。



「またヘタ漕いだら尻叩いてでも歩かせるさ!」



 真理子は豪快に笑った。


 ヨハンの泣き言と真っ向から付き合うのは疲れる。


 サナリアも、流石のダイガも、今回ばかりは真理子を頼りにした。


 今まで、麻生の下へ無理矢理預けられたヨハンは絶対にヘソを曲げているぞと、サナリアとダイガはそう確信して止まない。




 故に……。




 翌日ーー



「やあサナリア!ダイガ!お久しぶりです!!」



 屈託の無い爽やかな笑顔を浮かべた……がらりと印象が変貌したヨハンと相対したサナリアとダイガは、



「「…………どちら様ですか?」」



 二人揃って、素っ頓狂な声を上げた。





 ****





 麻生が運転するワゴン車が、裏磐梯へと続く道を駆け登っていくーー。


 運転する麻生。助手席には真理子。


 中央席にはヨハン、牧、卦院、嘉男。


 そして後部座席にはサナリアを挟むように座った牧とダイガ、正直まさなおだ。



 因みに文子はいない。



 いたら面白くなりそうだと、真理子は土曜日に猪苗代町をうろついていた文子を発見、誘ってみたがーー



(良いこと野ザル?最近私とアンタが敵同士なの忘れてない?私?……忘れそうだったわ!だからパス!敵とハイキングなんか行けますかっての!あ……あのプリンセスには宜しく言っといて……!)



 ぺらぺらと長台詞を捲し立てて、文子は真理子へ背を向けて去っていき、そのままである……。



「……つまんねー奴め」



 あかんべえをする文子の姿を脳内に思い浮かべながら、真理子は不満げに口を尖らせた。



「ヨハン兄ちゃん!おやつ何持ってきた?」

「ヘイチュウの青リンゴ味とチョコボーイのピーナッツを持って来たよ!地球は美味しいお菓子がいっぱいあるね!」



 真理子の背後では、嘉男の質問に、満面の笑顔で答えるヨハンの姿があった。


 中性的な顔は血色良く、猫めいた瞳は活気に輝いている。



 今のヨハンに以前の、地球人を野蛮と呼び、何かあれば悲鳴をあげて我儘を口走らせる、情けない少年の姿は微塵も感じられなかった。


 そんなヨハンの姿が全く信じられないサナリアとダイガは、呆気に取られた顔で、嘉男だけでなく卦院や正直とも談笑を始めたヨハンを見つめていた。


 まるで魑魅魍魎を前ににしたような目だ。



「おっちゃん、あのヨハンヘタレにナニしやがった……?」



 真理子が半ば呆れた表情で麻生に尋ねると、麻生はハンドルを握りながら笑顔を浮かべた。



「驚いたか!?」

「驚いたも何も…」

「大した事はしてない!ちょっとした…滝行やら火渡り行やら座禅やらをさせただけだ!毎日!」

「何て事しやがる!」

「あと寝る前に『白虎隊物語』を毎晩読み聞かせた」

「ほぼ洗脳じゃねえか!」

「最初の三日は泣き叫んでいたが、一回目が虚ろになって、四日以降は笑いながら鍛錬に励んでいたぞ?いや…若者の吸収力は素晴らしいな!」



 あまりの仕打ちにヨハンの理性は一回壊れたのか……。


真理子が呆れの溜め息を吐こうとしたーー



「マリコさん!」

「うおっとびっくりしたぁ!?」



 すると突然、運転席と助手席の間からヨハンが顔を覗かせたので、真理子は至極驚いた。



「サナリアを泊めてくれてありがとうございます!」

「お、おう…。良いってことよ」



 笑顔で頭を下げるヨハンに、真理子は引きつった笑みで頷いた。


 ヨハンは微かに眉をハの字にして、それまでの笑顔を苦笑に変える。



「ことの発端は僕の女々しい態度が招いたのです。いずれマリコさんには御礼に伺おうと思っていました……」

「ま……まぁ……もう気にすんな。これから誠意を持ってサナやデカブツと付き合ってくれれば……」



 ヨハンの顔に笑みが蘇る。



「ありがとうマリコさん!ヘイチュウはお好きですか?」

「だ、大好き…」

「良かった!お一つどうぞ!アソウ先生も!」

「お!すまんな!」



 真理子と麻生の掌にソフトキャンディを一つずつ乗せて、ヨハンはにこにこ微笑みながら自席へと戻り、また嘉男と談笑を始める。


 ヨハンの爽快さにすっかり気圧された真理子は、卑屈だったヨハンをここまで変貌させた麻生の手腕に、改めて戦慄した。



「……おっかねえオヤジ」




 ****




 桧原湖とは、猪苗代町から車でおよそ四十分。北塩原村、磐梯朝日国立公園に属する湖の名である。


 磐梯山が明治時代に起こした噴火により出来た比較的新しい湖であり、その南北に伸びた細長い湖の外周はおよそ三十キロメートル。裏磐梯地域では最大の湖である。


 周囲は磐梯山由来の豊かで美しい自然に溢れ、真理子たちが訪れたこの日も、桧原湖は自然散策やキャンプを目的とした観光客の姿が確認出来た。



「サナ!ほらよ!」

「わ?」



 桧原湖畔の駐車場に車を停めると、真理子はサナリアの頭に麦藁帽子をかぶせる。



「九月になったとはいえ山の日差しはまだキツいからな!その帽子やるよ!」

「ありがとう!マリィ!」

「私のお古だけど……だからマリィは止めろ!」



 顔を赤くしながら、真理子もスポーツキャップを被る。


 鍔広の麦藁帽子は日陰を作り、サナリアの身を日光から守ってくれていた。


 帽子から微かに漂う藁の香り、そして真理子の匂い。


 堪らず嬉しく嬉しくなったサナリアは帽子の鍔を握り締め、真理子へと微笑んだ。



「ありがとうマリィ…。大事にするわ…!」



 ………………。


 …………。


 ……。



 湖へと続く散策路を、真理子達は意気揚々と進む。


 左右に広がる木々の緑は、夏の深緑とは違い淡く、秋の訪れを感じさせた。



「探検隊!探検隊!俺ら桧原湖探検隊!!」



 大手を振って歩く嘉男が先頭。その次にサナリアが続く。



「サナ副隊長!ジャングルは危険に満ちている!気を付け給えよ!」

「分かりましたのだわ!ヨシオ隊長!」



 隊長気取りの嘉男に、サナリアは満面の笑顔で頷いて見せる。


 最初はサナリアの体調を危惧していた真理子とダイガ、そしてヨハンだったが、当のサナリアは終始不調を訴えることは無く、血色の良い顔色のまま散策路を嘉男と共にずんずん進んでいく。時々立ち止まり、胸いっぱいに磐梯の風を吸い込みながらーー。


 やがて木々が開け、真理子達の視界いっぱいに桧原湖の湖面が広がる。


 鮮やかな群青を彩られた水面の彼方には、未だ噴火の跡が残る裏磐梯の荒々しい山体が見える。


 サナリア、ダイガ、ヨハンのルーリア人三人組は、初めて風景の美しさに思わず感嘆の息を吐いた。



「凄い…綺麗なのだわ!」

「はい…!」

「ルーリアにもこんな絶景…そうそう無いよ…!」



 とうとう耐えられなくなったサナリアは笑い出してしまう。サナリアに吊られ、ダイガも肩を震わせた。


 可笑しくて。可笑しくて。



「どうしたんだい二人とも?」ヨハンは首を傾げた。



「だって!」可笑しさによじれそうな腹を抱えて、サナリアはヨハンを見遣った。



「ヨハンが絶景って言ったのよ!あの泣き虫ヨハンが!地球を綺麗って言ったの!もう面白くて…!何だか嬉しくて…!」



 そう言って、サナリアは悪戯小僧の笑顔を浮かべる。


 ダイガもサナリアとヨハンに背を向けながらも、同意に肯首をして見せた。


 以前の女々しい自分を存分に知るヨハンはーー



「……はは……」



 恥ずかしそうに頭を掻いて、サナリアとダイガに、ゆっくりと頭を下げて、麻生直伝の礼をした。





 ****




「おっと……!?」



 ヨハンが投げたフリスビーをキャッチしながら真理子が腕時計を見ると、すでに正午を五分程過ぎていた。


 楽しい時間は早く過ぎる。真理子はしみじみ思った。



「そろそろ飯にしようか?」



 木刀を使ったダイガと正直の手合わせを見ていた麻生が、真理子を見て尋ねて来たので、真理子も「そだな」と頷く。



 程良い食事の場所は無いか?サナリアの体調も考慮し、出来るだけ日陰が良いだろう。



 そう考えながら、真理子は桧原湖の畔を見回すと……。



「……お?」



 畔の直ぐそば、大きな欅の樹の下。


 一人の少女が、岸辺に立てたバーベキューグリルをじゅうじゅう鳴らし、肉やら野菜やらを焼いていた。


 ニンニクを効かせた良い匂いが、真理子の鼻をくすぐるが……。


 真理子の関心は肉の匂いではなく……。



「……おい?」



 真理子はその少女に、ずかずかと近付いて……尋ねた。



「此処で何やってんだオメェ……」

「何って……見りゃ分かるでしょ!肉焼いてンのよ!!」




 真理子の質問に……は汗の滲む顔を上げ、脂の乗ったカルビ肉をトングで掴みながら、ニヤリと笑った。




 続く

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