オータム・サプライズ


 サナリアたちが地球へと来訪してから一ヶ月。


九月を迎えた猪苗代は、短い夏に別れを告げ、町の人々は皆、首を垂れる程重くなった稲穂や蕎麦の実の収穫を見て、豊穣の秋を待ち望む。


 天高く、淡く澄んだ青空を背負った磐梯山の膝下には、黄金色をした稲の絨毯が広がる。


 その様の、何と美しい光景か……。


 そんな猪苗代の景色を……豊かな大自然を瞳に映しながら、猪苗代の人々は今を生きる。


 自身たちのすぐ側に、地球の文化を学ぶ異星人が存在している事実に、気付くことも無く……。





 ****




「よぉ〜、真理子ぉ」



【県立猪苗代高校】の廊下を、鼻歌を歌いながら歩いていた真理子を、緩慢さをはらんだ少年の声が呼び止める。



「何だ…青木かよ?」



 真理子が振り返ると、その視線の先に、制服姿の少年が一人、友好的とは到底思えない湿った笑みを浮かべて立っていた。


 真理子はこの少年を見知っている。


 名は 青木 祐之進あおき ゆうのしん


 防衛軍高官である両親の威光を笠にして威張り放題のどら息子と、校内では悪い意味で有名な存在オトコだった。


 しかしながら真理子はこの青木が、余り嫌いになれなかった。


 若さと親の権力を捏ね混ぜ、肥大化した青木の自己顕示欲。余りに人間臭くて、いや、地球人臭くて、面白いのだ。



「何だ何だ?将来のエリートである僕に向かってその態度はぁ?」



 痩身を揺らして青木はくつくつ笑う。



「真理子ぉ!お前…夏休み中何してた?」

「何って、文子たちと喧嘩して、バイトして、近所のガキ共の勉強見て、それから……」



「ハッ!」途端に青木が鼻で嗤った。



「哀れだなぁ親無しの貧乏人は!僕なんかパパやママに連れられてジョンスン島のリゾートでサマーバカンスさ!いやあ…ウェルカムドリンクを飲みながら眺める海は最高の一言だったぜ!!」



 夏休みの自慢話をつらつらと喋くる青木を見ながら、真理子は「ほお」と素直に感嘆の声を漏らす。


 ジョンスン島など、あまりに高額で真理子には行けない。


 いや、行けないことは無い。両親が遺した遺産を使えば海外旅行も可能だが……。


そこまでして行きたいとは思わない。


 何せ、海外どころか、別の銀河の惑星の話をしてくれる友人が、我が家に居候しているのだからーー。



「羨ましいだろ〜?」

「羨ましいな」

「お前には土産は無いぜ?」

「そりゃあ残念だ」



 素っ気無い真理子の反応に、狭量な青木は苛立ち、眉間に青筋を立てた。



 青木は真理子が気に入らなかった。


 両親が亡い癖にそれを苦にせず、そのさばさばとした気前の良さでクラスメイトからの人気と信頼を独占している。


 気に入らない。気に入らない!


 真に人気者となるべきなのは、親の威光と金を持つ自分である。


 そう自己崇拝する青木にとって真理子の存在は、まさしく目の上のたんこぶだった。



「旅行話楽しかったぜ。じゃあな青木。私、客待たせてんだ」

「あ、ま、待てっ!待てよ!?」



 鞄を肩に掛けて、下駄箱へと向かおうとする真理子を、青木は懸命に追い縋る。


この女が羨む顔を見なければ気が済まない。


 だが……



「「きゃあ〜〜!!真理子お姉様〜〜!!」」

「「椎名さ〜〜ん!!今日もカッコいい〜〜!!」」

「ぎゃあああっ!?」



 しかし、そんな青木の細い身体は、真理子を慕う女生徒の群れに押され、踏み潰され、廊下の端へと弾き飛ばされて終わった。


 ボーイッシュで腕っ節が強く、それでいて面倒見の良い真理子は、異性よりも同性に好かれる傾向にあった。


牧や卦院が思い切って告白した女生徒が『真理子に惚れてる』なんてのは、ざらにある話だ。



「おのれ真理子……ネバー…ギブアップ…!」



 いつか真理子を泣かせてやる。


 震えながら掲げられた青木の誓いの拳に、大きな綿ボコリが舞って落ちた……。




 ****




「「む〜す〜ん〜で〜ひ〜ら〜い〜て〜」」



 女生徒の群れを何とか撒き、校門を出てから約十分、生家である椎名邸の前に差し掛かった真理子は、敷地内から聞こえる歌声に顔を綻ばせる。



「「そ〜の〜て〜を〜う〜え〜に〜!」」



 真理子は静かに家門を潜り、庭を覗く。


 案の定、縁側に腰掛けたサナリアが、近所の子どもたちと楽しそうに童謡を歌っていた。


 今のサナリアには狐めいた耳と尻尾が見当たらない。


 ダイガの用意した擬態装置によって地球人に擬態している。


 狐耳や尻尾が在ろうが無かろうが関係無い。


手遊びをして微笑むサナリアの姿は美しく、可愛いらしく、そして何処か儚く、真理子の心臓を甘く締め上げる。



「あぁマリィ!おかえりなさい!」

「「真理子ねーちゃん、おかえりー!」」



 真理子の帰宅に気付いたサナリアは、子どもたちと共に真理子へと駆け寄った。


 遊びの邪魔をしたか。真理子は少しだけ後悔した。



「ただいま。あとその"マリィ"ってのやめろ」

「そうかしら?可愛いのだわ?」

「だから嫌なん…、ありゃ?サナ?お前の声…なんか違くね?」



「えっへん!」サナリアがほっそりとした胸を張る。



「地球滞在を認めてくれたお父様が新しい翻訳機を買ってくれたのよ!…というか…以前私が使ってたのが、かなりの旧式だったから…」

「だから扇風機通したみてえな声だったのか……。あれはあれで趣があって良かったけど……」



 その時、真理子の腹がぐう、と鳴った。小腹が空いた。


 サナリアと子どもたちが揃ってくすくす笑い出すので、真理子は「育ち盛りなんだよ!」と言い訳を喚き、縁側から家へと入る。


 目指すは台所だ。麻生から貰ったカップラーメンが大量にあった筈。



「お?デカブツは?」



 ふと、サナリアの他に存在するルーリア人、もう一人の居候人、ダイガの姿が無いことに気付き、真理子サナリアへと尋ねる。



騎甲士ナイアルドのチェックと定時報告をしに出かけたのだわ」



 帰宅する子どもたちに手を振りながら、サナリアは返答する。真理子は呆れ笑いを浮かべた。



「生真面目だねぇ」

「それがダイガの良い所なのだわ」



 確かにそうだ、と真理子は思う。


 ダイガの生真面目さと実直さを、真理子も信頼している。だから、女二人しかいないこの椎名邸への居候を認めたのだから……。



「じゃあその生真面目クンに…この優しい美少女真理子ちゃんが美味しい晩御飯でも作ってやりますか!」



 水を溜めたヤカンに映る自身と睨み合いながら、真理子はニヤリと不敵に笑った。



「マリコのご飯はとっても美味しいのだわ〜!」



 嬉しそうに、サナリアは真理子の背中を抱き締める。


サナリアが椎名邸に滞在してから、良くするスキンシップだ。


サナリアの暖かい、生きている感触が伝播して、真理子は心底……嬉しく思った。




 ****






 数時間後、麻生邸。



「ああそうだ…。サナリア君たちを連れて…桧原湖にでも…。車は俺が出すから真理子は弁当を用意してくれたら…!……そうか!済まないな!じゃあ明後日の日曜日に……あぁ!あぁ!」



 麻生 彰は満足げに黒電話の受話器を置くと、その鬼瓦のような顔に満面の笑みを浮かべた。


 男というのはいくつになっても企て事が好きな生命体だ、と麻生は自嘲気味に笑う。


 だが、止められない。楽しくて仕方が無い。



「サナリア君もダイガ君も、きっとびっくりするぞぉ!」



 高揚する心を懸命に抑えながら麻生は廊下を小走る。



「落ち着きが無い」といつも苦笑する妻は町内会の三味線教室に、反抗期街道猛進中の娘も学校の宿泊訓練に出掛けていない。



 今の麻生邸に居るのは、一家の大黒柱である麻生と、だけ。



 麻生は下駄を履き、玄関を開けて庭へと飛び出た。



「ようやく…ようやくこの時が来たのだ!」



 輝く麻生の視線の先。


 麻生の趣味全開な、純和風庭園の中央でーー。



「成らぬものは成りませぬ!成らぬものは成りませぬ!成らぬものは成りませぬ!成らぬものは成りませぬ!!」



 一人の少年が、木刀の素振りを行なっていた。


 下半身は道着で、引き締まった上半身をさらけ出し、その肌に玉のような汗をびっしりと浮かべながらもそれを拭いはせず、ただ一心不乱に素振りを続けている。



「……よくぞここまで!!」



 その少年の姿に、麻生は大満足した。


 およそ一ヶ月前の、目に余る情け無さは……今の少年には微塵も感じられない。



「セ、センセイ!気付かずに…申し訳ありません!」



 麻生の姿を確認した少年は麻生に向かって深々と頭を下げると、首輪状の機械をかちりと鳴らした。


 途端に、少年のシルエットが変わる。


 服装はそのまま。だが頭髪はやや燻んだ銀色になり、その頭頂部からは狐の耳が、尻からはふさふさとした尻尾が現れる。



「俺の鍛錬によく付いてきた!もう誰も…誰もお前をろくでなしとは言うまい!」

「御冗談を…センセイ…!未だ僕は若輩者!ダイガの足下の草にも及びません!」



 少年の凛とした応答に、麻生は堪らず目頭を熱くした。



「……そんなお前に朗報だ!明後日、真理子やサナリア君達と桧原湖へハイキングに行く!無論、お前も一緒だ!」

「…………」

「逞しく生まれ変わったお前の姿……今こそ見せる時だ……!!」



 引き締まった筋肉を持って木刀を一振り。邸内に剣風を吹き鳴らしてーー。


 ヨハンは、細長い瞳孔を夕陽と情熱に輝かせ、静かに……だが確と頷いた。



「今の僕で……!サナリアやダイガに……罪滅ぼしが出来るなら……!」




 続く

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