礼我(れいが)〜礼を以って我と成す〜


 一九九六年。


 イナワシロ特防隊、エクスレイガ格納庫。



「……ありゃ?」



 時緒の酷使にすっかり劣化した、エクスレイガの筋肉リンクナーヴの束を片付けながら、ふと整備員の一人が顔を上げた。


 整備員の視線の先には薄暗い空間の中、まるでマリオネットの様に整備ハンガーに吊り下げられたエクスレイガの姿があった。


 カウナとか言うルーリアの二枚目が操るロボットとの決闘を終え、隻脚となった鋼の巨人がーー


「……光った?」


 

 ーーように見えたのだ。


 そんな筈は無い。整備員は頭を振った。


 エクスレイガの動力機構【ルリアリウム・レヴ】のは既に落としているし、炉の糧となる精神力を発する時緒は既に帰宅して基地には居ない。


 ルリアリウム・レヴがひとりでに稼働する事など、ある筈が無い。



「う〜〜〜〜ん……?」



 怪しい。整備員は目を凝らして、エクスレイガに近寄ろうとした。


 その時ーー。



「野郎ども喜べェ〜!真理子さんが、今日は作業終わって合コン行って良いってヨォ〜!!」



 格納庫に駆け込んで来た整備班長の茂人の報告。整備員の意識は瞬時に茂人へと移行した。


 合コン、即ち合同コンパに行ける!


 【ふくしま国際宇宙港】の麗しきキャビンアテンダントたちと、酒が飲める!


 もうエクスレイガが光ったかなぞ、整備員にはどうでも良かった!



「野郎ども〜!片付け始めェ〜!30秒で支度しなァ〜!!」

「「うおおおおおおお!!」」



 やる気に火が着いた整備員たちは素早く、尚且つ安全に、抜群の連携作業で修復中のエクスレイガにシートを被せる。


 工具を片付け、クレーンや照明の電源を切り、火の元を確認。



「ヨシ!」



 更に確認。



「「ヨシ!!」」



 更にもう一度確認!



「「「ヨ〜シッ!!」」」



 エクスレイガ整備班がここまでの行動に要した時間、二十五秒。



「征くぞてめえらァァァァ!!」

「「待っててねCAさ〜〜ん!!」」



 そして、茂人を先頭とした整備班は、鼻息荒く、汗臭い作業服のままワゴン車数台に飛び乗り、エンジン音と、タイヤと砂利が擦れる音を残して去っていった……。


 ………………。


 …………。


 ……。


 格納庫は無人となり……。


 唯一の灯りは、天窓から差す半月の光。


 聞こえるのは夜風に震える木々のざわめきと、宿直室でお笑い番組を観ている大迫警備員の笑い声……。



(……ふふっ)



 シートの下で、エクスレイガが独り、淡い翡翠色に輝き出す。


 その光はやがて集束し、重い闇に沈みかけた格納庫に、独りの少女のヴィジョンを形成した。



(うふふ…。やっぱりイナワシロは面白い人たちでいっぱいなのだわ)



 少女のヴィジョンは麦藁帽子を脱いで、頭頂部から生えた狐の様な耳を震わせると、爪先で軽やかなステップを踏む。



真理子マリィたちったら…昔話に花を咲かすから…私…ほんのちょっと具現しちゃったじゃない)



 呆れたような、懐かしむような、嬉しいような、哀しいような……。


 そんな微笑で、少女はステップを踏む。


 エクスレイガに搭載された結晶ルリアリウム沁み込んだ残留思念ヴィジョンは踊る。


 月明かりのスポットライトの下で、独り。


 サナリアの残留思念ヴィジョンは踊る。



 二十年前あの日の様に……。




 ****




「うふふ〜!気持ち良い〜!マリィ〜!一緒に踊りましょ〜!」

「サナ!?あっこいつ!粕漬け食いやがったな!?」



 群青に燦めく桧原湖の畔で、サナリアと真理子はくるくる舞う。


 美しい絵画にもくだらないコメディにも見て取れるそんな様を背景に、バーベキュー奉行へと変貌した文子は汗を垂らして肉を焼く。



「フミコも一緒に踊りましょ?」

「はいはいはい!後でサンバでもルンバでもリンダでも踊ってやるから!」



 手招きするサナリアに手振りをして断ると、文子は嘉男の紙皿へ程良く焼けた牛カルビを乗せた。



「中学生!あんた育ち盛りなんだから肉食いなさい!肉のみ食いなさい!!」

「いえーい!」



 文子の命令に嘉男は遵守して、口いっぱいに肉を頬張る。



「…………」



 嘉男の隣で、正直まさなおは苦悶の顔で肉と文子を交互に睨んでいた。



「くっ…!この平沢 正直…!魔女の施しを受ける訳には…!」



 我慢の脂汗を垂らす正直に、文子はしたりと嗤う。



「正直君?我慢は身体に毒よ?この近所の田淵ちゃんから教わった特製ダレ漬けカルビの誘惑に耐えられるかしら?えぇ?中ノ沢のサムライボーイちゃん?」



 正直は絶望した。


 周りを見れば、牧も、卦院も、麻生でさえもーー



「いやあ!美味いなぁ!」

「文子のカルビと真理子の梅握り飯!堪らねぇ!」

「う〜ん!キンキンに冷えたビールがあれば……いかんいかん!俺は運転手!運転手!」



 真冬の滝行にも平然と耐えることが出来る正直ではあるが、食欲中枢をじくじくと刺激するカルビの誘いを断つなど、ほぼ不可能であった。



「すまないっ!」



 正直は、文子率いるマクベスとの戦いで敗けていった者たち自らの未熟を謝罪すると、欲望の赴くままにカルビを頬張る。



「…っ!?うんまぁぁぁぁい!!」



 口の中に広がるにんにく醤油の香りと溶ける脂の旨味!桃か林檎でもタレに混ぜているのか、後味はさっぱりと爽快で、舌が次のカルビを求めてしまう!


 若い身体が嬉しい悲鳴をあげる程の肉の美味さに、正直の心は肉体を離れ、猪苗代の蒼穹を駆け翔んだ。





 ****




「ちょっと卦院!カルビの隣でタン塩焼くんじゃな!…ちょい麻生ポリスマン!カルビにキャベツを被せるな…!私はバーベキューをしてるの!野菜炒め作ってるンじゃないの!!」



 文子の抗議の叫びを聴きながら、ダイガは湖畔で一人、釣り糸を垂らす。


 釣竿はそこいらに落ちていた枝に糸を括り付け、糸の先端に針金を曲げただけの釣り針を付けた単純な物。



「釣れますか?」



 背後から聞こえる声にダイガは視線だけ後ろに向ける。


 ヨハンが、穏やかな笑顔を浮かべて立っていた。


 ダイガは少し緊張する。変貌したヨハンに未だ慣れていないからだ。



「糸を垂らしてるだけでも、気が落ち着きますよ?」



 そう応えてダイガは腰を浮かし、ヨハンが座る場所を開けた。


 ヨハンは礼を一つしてダイガの隣に座り、二人揃って湖を眺める。



「綺麗な所ですね…ダイガ」

「はい…」

「こんな惑星が禁足地にされているなんて…銀河連邦も頭が固い」

「……同感です」



 つい前まで自分も野蛮と宣っていたではないか。


 自分で言った台詞が恥ずかしくて、ヨハンは眉を顰めて俯いた。



「……この間は……無礼を働き……申し訳ありませんでした」



 突然のダイガの言葉に、ヨハンは首をもたげて傾げた。


 この男は、自身に対して何か粗相をしただろうか?最近の生活が濃密過ぎて、ヨハンは思い出す事が出来ない。



「無礼?」

「…姫様と、マリコと…戦った時のことですよ」



 やっとこ記憶を遡る事に成功したヨハンは「ああ…」と息を吐いた。


 サナリアのエクスツァンドとダイガのバドゥルバスが交戦した時のことか。


 泣き声を言ったヨハンを、ダイガは強い口調で窘めて見せた。


 黙って見ていろ、と。


 ヨハンは再び苦笑して、首を横に振った。



「ダイガ殿は正しいことを言ったのです。むしろ非があるのは貴方の手を煩わせた僕の方」

「ヨハン様…?」



 湖の彼方に見える裏磐梯を、ヨハンは目を細めて眺めながらーー



「……僕は昔から自分に自信がありませんでした。家柄も僕の先祖が成し得たこと、僕自身には何も無い。そう思って僕はずっと…ハリボテの虚勢と家柄の自慢で身を固めて生きて来ました。サナリアの許婚に選ばれた時からは……更に……」

「…………」



 ダイガは黙ってヨハンの話を聞いた。相槌を打つ事すら不粋だと思ったからだ。



「地球は…イナワシロは…先生は僕に大切なことを教えてくれました。成らぬ物は成らぬ。無ければ……新しく作れば良い。僕も……友も…守りたい者も…」

「ヨハン様……よくぞ……」

「今は…真っ直ぐにダイガ殿たちが見える…。そんな…気がするんです」



 釣竿を置き、自身に向かって傅きかけたダイガをヨハンは慌てて制す。



「ダイガ殿…!いや…ダイガ!僕の大切な友達…!」



 そして、ヨハンはダイガへとその手を差し出した。



「僕は未だ…サナリアの夫に成り得る器じゃない!だから僕にも教えてくれ!戦士きみの矜持を!イナワシロここで…一緒に…!」



 猪苗代の空の如く、真っ直ぐに澄んだヨハンの瞳。


 目の前に差し出されたヨハンの手は血豆だらけで、彼が厳しい鍛錬をこなして来たことが、ダイガには十二分に理解出来た。


 拒む理由など無い。あるものか。


 ダイガは、ヨハンの手を強く握った。



「俺も未だ道半ばだ…!共にイナワシロで学ぼう…ヨハン様…いや…ヨハン…!」



 男の握手を組み交わし、ダイガとヨハンは微笑み合った。



「おいおいおいおい〜〜?」



 そんな二人を、いつの間にか近付いて来ていた真理子とサナリアが、にやにや笑いながら見ていた。



「お前ら男同士でナニやってんだ?気持ち悪りぃ!!」



 真理子の野次にダイガは「やかましい」と唇を尖らせる。



「皆、仲良しで嬉しいのだわ!」



 サナリアは満面の笑顔で真理子、ダイガ、そしてヨハンの順に見渡しながら、眩しげに目を細め、空を見上げた。



「いつか、私たちみたいに…!地球人とルーリア人が一緒に遊べる日が来ると良いのだわ!」



 そう言った後、サナリアは慌てて首を振り、勢い良く白い拳を天に突き上げる。



「ううん……絶対作るわ!そんな日を絶対作るのだわ!私が無理でも…きっと…私の子どもたちが!絶対作ってくれるのだわ……!」



 サナリアの物言いは力強かった。


 心を震わされ、嬉しく感じた真理子は同意の頷きをする。ダイガとヨハンも同様に。



「良いねえ!私たちの子供か!どうせだったらド派手にやろうぜ!」



 真理子は以前、サナリアから聞いたことを思い出す。


 今現在、ルーリア人達異星人は戦争を常にしている。


 しかし、殺し合いをする地球とは全く異なる、死ぬことの無い、互いに切磋琢磨し、讃え合う戦争を成り合いにしている、と。


 面白い。まるで自分と文子のようではないか。



「いつか…ルーリアと地球が戦争するんだ!ド派手な面白え戦争を!!」

「だが…地球には騎甲士ナイアルドは無いだろう?どうする?」



 意見するダイガを仏頂面で睨みつけて黙らせると、真理子はサナリアと同じように拳を上げる。



「私が造る!」



「「はあ…?」」ダイガとヨハンが異口同音に間抜けな声を出した。



「私が造るんだよ!ルーリアのロボよりめっちゃ強くて!めっちゃかっけえロボをな!」

「素敵!マリィだったら出来るのだわ!」

「マリィはやめろ!」



 同意してくれて、感激したサナリアは真理子に背中から抱き付き、再びくるくる踊り出す。



「そうだなぁ!ロボが出来たら……私のガキが操縦して戦うんだぜ!覚悟しろよサナ!デカブツ!」

「負けないのだわ負けないのだわ!私の子どもの方がきっと強いのだわ〜!」

「誰がマリコの子なぞに負けるものか。返り討ちにして説教をしてやる……!」

「サナリアの子どもってことは…え…?僕の子供…?どきどきするなぁ…!」



 真理子、サナリア、ダイガ、ヨハン。


 四人は揉みくちゃにはしゃぎ合い、笑い合い、広がる青空に未来を描いた。



「…何やってんだか…」



 そんな四人の話を、文子や麻生達は呆れた笑顔で聞き、眺める……。


 所詮は絵空事。そんな大事にするのは容易くはない。無理に近しい。


 しかし、何故か?何故かは分からないが……。


 真理子ならば。サナリアならば。


 ダイガならば。ヨハンならば。


 そんな無謀な夢も、叶えられる気がする。


 真理子達の笑顔を見ていると、文子はそう思わずには、いられなかったのだ。




「う〜ん……取り敢えずはロボの名前だけでも決めとくか……?」

「どうせなら私の騎皇士ロイアードも入れて欲しいのだわ!」



 サナリアのリクエストを受けながら、真理子はうんうんと唸って考える。



「エクスツァンドのを取って……エクス……エクス……」



 これといった良い響きが見つからず、真理子は顔をしかめる。


 その時ーー



「マリコ……」



 ダイガがひょいと挙手をした。





「…… 《》……なんてのはどうだ?」





 ****




 昨晩のことであるーー。



「おいデカブツ〜?風呂空いたぜ?」



 サナリアとの入浴を終えた真理子は、濡れ髪をタオルで乾かしながら居間の戸を開けた。


 しかし、ダイガの姿は無い。


 真理子は廊下を軋ませながら家のあちこちを探す。



「………………」



 ダイガは、仏間にいた。


 六畳間のど真ん中でダイガは佇み、じっと、仏間に掛けられた掛け軸を見詰めていた。


 掛け軸には達筆で二文字。


【礼我】と、書かれていた。



「その掛け軸がどうかしたか?」



 真理子が声をかけると、ダイガはゆっくりと真理子の方を振り向き、掛け軸を指差しながら尋ねる。



「あの飾りには、何て書いてあるんだ?」

「ああ、【礼我れいが】だよ」

「レイガ?」

「私のご先祖様が遺したモンだ。我が家の格言だよ」

「レイガ……。どんな意味だ」



 幼い頃、未だ健在だった真理子の父が何度も何度も教えてくれた……。


 少し感傷的な気分になった真理子は、父の教えの通りに、ダイガへ伝える。



「【礼を以って我と成す】。掛け替えの無い友が……最愛の家族が出来た時、決して驕る事無く……最大限の礼を以って応えよ……ってな意味だよ」

「礼を以って……我と成す……。礼を以って……か」



 ダイガは、掛け軸へと一歩近付き、今一度まじまじと見詰めながら……



礼我レイガ……綺麗な響きだ……」



 真理子に向かって、その鋭い表情を、微笑に和らげた。



「姫様と友となってくれた……お前にぴったりの言葉だよ。マリコ……」





 ****





「良いんじゃねえか! 《エクスレイガ》 !!」



 嬉しくなった真理子は、ダイガの背中を強く張り手で叩いた。



「おいおいデカブツ〜!お前意外とセンスあるじゃねえか!見直したぜ!!」



 サナリアとヨハンも便乗して、真理子と共にダイガを囃し立てる。



「ダイガは名付けの天才なのだわ!」

「もし……子どもが生まれたら、是非ダイガに名前を付けて貰いましょう!」



 すっかり小っ恥ずかしくなったダイガは顔を赤くして、その大柄な体躯を縮こませた。



「…………やかましい」

「痛え!ははは!!」



 ダイガは笑顔の真理子の額を爪弾くと、そそくさ文子たちの所へ戻り、黙って肉を食べ始めた。



ダイガでっかいの、はい…!」

「ああ、すまない」



 文子から貰った焼きたてのウィンナーを頬張りながら、ダイガは苦笑した。


 恥ずかしいが、嫌な気分にはなれなかったからだ。




「待ってろよサナリア!作るぜ!エクスレイガ!!」



 真理子の高らかな声が、猪苗代の空と桧原湖、二つの青に響き渡る。



「待ってるのだわ!マリィ!地球とルーリアが一緒に戦える日!」



 笑顔を輝かせるサナリアを抱き上げて、真理子は桧原湖の畔で踊る。


 楽しかった。嬉しかった。


 ずっと、ずっと、サナリアと共にいたい。真理子は心の奥底から思った。



「ルーリアを迎え撃つのは礼我レイガ!【防衛騎甲エクスレイガ】だ〜〜〜〜!!」

「マリィ!カッコいいのだわ〜!」

「だからマリィはやめろぉぉぉぉ!!」



 サナリアと戯れ合いながら真理子は願う。


 大人になっても。


 親になっても。


 老人になっても。



 サナリアと、一緒に時を過ごせるように……。


 地球とルーリアの……ときつなげられるように……。





 続く

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