第三種接近遭遇
「姫様!?お待ちください!姫様ぁ!!」
「御身体に障ります!お待ちくださいませぇ!」
背後から侍女たちの切迫した声が聞こえる……。
しかし、サナリアは振り返らない。
待つものか、待ってやるものか。
サナリアは回廊を全力で疾駆する。
頭髪と同じ銀色の体毛に包まれた耳、そして大きな尻尾を振りながら、少女は走る。
運動に慣れていない心臓がどくどくと跳ねた。
「姫様!ヨハン様がお待ちです!どうか…どうか!」
「だから逃げているのだわ!あんな泣き虫の
半泣き顔で追いかけてくる侍女の一人に、サナリアは声高に宣言する。
「
やがて少女は、サナリアはドレスの胸元から翡翠色に輝く宝玉を手にした。
「姫様!?それは…操縦用のルリアリウム…!?」
「勝手に婚談を進めた皇帝への、これは反抗の証です!私は…私は家出を致しますのだわ!!」
「い、家出…!?そんな!?」息を呑む侍女たちを嘲笑うように、サナリアが持つ宝玉は一層輝きを強くした。
「私の
突如、窓の外に、漆黒の真空に、巨大な人影が顕現した。
白銀に輝くソレはサナリアへとゆっくり
途端、サナリアの身体は、光の粒子に包まれていき……。
「ひっ姫様っ!?」
「だ、誰か!?騎士殿達は何をしているのです!?リーオ卿は!?ドーグス卿は!?」
慌てふためく侍女たちにサナリアはあかんべえをすると、その存在を粒子に変え、彼女たちの前から消えた。
同時に窓の外で浮かんでいた巨人の眼に光が奔る。
巨人は背中から翡翠色に煌めく光の羽を広げると、身を伸ばすように飛翔、加速。
侍女たちが気付いた頃には、巨人は既に飛び去り、その光放つシルエットは宇宙に瞬く星々よりも小さくなっていた。
****
一九七六年。
「ぶはぁっ!?」
首の後ろから胸へと突き抜ける衝撃に、牧は意識を覚醒させた。
「牧先輩!?ご無事ですか!?」
「生きてるか森兄さん!?」
「ま、正直…卦院…!?」
牧が見上げれば、後輩の正直と卦院が、緊迫の瞳で見つめていた。
「すみません…!呼吸が止まっていたので少々きつめの気付けを一発……」
「あ、あぁ……ありがとう……」
自分は気を失っていたのか。そして正直が気付けをしてくれたか。夢うつつの牧は曖昧な礼をするのが精一杯だった。
「皆は……?」
牧の問いに正直は「皆、無事です」と答える。
だが、その顔は険しいままで、ゆっくりと目を牧の視界外へと向けた。
卦院もまたゆっくりと立ち上がりーー
「…………」
息を飲んで、川岸の土手の向こう、雑木林の方向を見つめた。
「…………」
実の所、牧も目を覚ました時から、薄々気付いていた……。
その正体を識るのが怖い気がして、牧は態と目を逸らしていた。
だが、後輩である正直と卦院が"ソレ"を見詰めている以上、自分だけ見ない訳にはいかない。
牧は恐る恐る、ゆっくりと、首を動かす。
「何だよ……アレ……?」
正直や卦院に視線を移すことなく、牧は二人に尋ねる。
「光の……巨人……」
正直が呆けた口調で呟いた。
ヒトが、蹲っていた。
酸川岸の雑木林、夜の帳に沈む筈だった木々を狂おしい程に白く照らして、巨大なヒト型が、翡翠色の光を放ちながら蹲っていた。
ヒト型の頭部に当たる部分はスラリと鋭角的で、頭頂部には三角形の耳状の部品が左右一対ずつ配置されている。夏祭りでよく売られている狐面のような形だ。
蹲って尚電柱より大きな体躯はふっくらとした曲線を描く鎧で覆われており、牧たちに女性的な印象を抱かせる。
そういった出で立ちの存在が今、目の前で光り輝いていた。
半ば凍結しかけた思考で、牧、正直、卦院の三人一様に思う。
あんな
とんでもない
「俺たちは……【トワイライト・ゾーン】の世界にでも入り込んだか?」
「もしくは……【アウター・リミッツ】」
冗談のつもりで牧は言った。
冗談のつもりで正直は返答した。
「そういや
二人の冗談に付き合わなかった卦院が、周囲を見渡す。
真理子がいない。
ついでに言えば、文子もいない。
もしかして……?
「「「…………」」」
三人は揃って顔面を蒼白にし、未だ妖しく、美しい翡翠の光を放つ巨人を見上げ続けた。
****
『落チ着クカラ飲ンデミテ?』
「……おう?」
翡翠色の
ぶっきらぼうに返事して、真理子はサナリアから差し出された小瓶を受け取った。
硝子とは違う感触をした小瓶の中には黄緑色の液体が揺れている。
「飲めるのか?」
『ウン』
サナリアが朗らかな笑みを浮かべて頷く。
その笑顔に邪な気配は感じられない。
猪苗代の大自然で培った野生動物並の感知能力でそう察した真理子はーー
「よっしゃ!私は飲むぜっ!」
思い切って小瓶に口を付ける。
「ちょっと野ザル!?」
傍らで正座していた文子が慌てて真理子を制しようとした。
「そんな得体の知れないモノよく飲もうとするわね!?」
「うるせぇ!私はこの
異星人の来訪。まさに
最初は驚愕のあまり二度も失神したが、よくよく考えてみたら、このような経験、逃したら二度とないだろう。
逃す手はない。真理子の好奇心が鎌首を持ち上げた。
思い切って、真理子は小瓶の中の液体を口内へと流し込む。
「あっ!?」文子が息を飲む。
途端、強烈な酸味が真理子の舌から身体中へと突き抜けた。
「美味ぇぇぇぇっ!!」
液体の爽快な味に、真理子は瞳を輝かせ叫ぶ。
強烈で、爽やかな酸味が真理子の意識を更に活発にさせる。文子との激闘で蓄積した疲労が吹き飛んでいくようだった。
「美味え!すっげえ酸っぱくて、そのあとちょい甘くなって美味え!!」
真理子は瓶の中の液体を全て飲み干すと、快活な笑顔でサナリアに礼を垂れた。
「ありがとな!美味かったぜサナリア星人!」
『サナリアヨ。出身ハルーリア本星。ダカラ私ハルーリア星人ネ。オ近付キノ印ノ
「ルーリア星人サナリアか!気に入ったぜ!」
真理子はサナリアの掌を握った。
サナリアの掌は細かったが柔らかくて暖かい。子を健やかに育む母に相応しい、そんな掌だった。
『手ヲ握ル?コレガ地球ノ挨拶?』
「応よ!私は真理子!椎名 真理子!覚えておいて損はねえぜ!!」
そう言って真理子は、サナリアに向けて親指を立てる。
「ちょっと!?私を蚊帳の外にしないでよ!」
自分を差し置いて話を進め出した真理子とサナリアに我慢出来なくなった文子は堂々と立ち上がり、二人の間にずいと入り込んだ。
「文子よ!卜部 文子!こんな野ザルより私を覚えなさいな!!」
真理子に文子。二人の地球人の名を覚えたサナリアは笑顔を浮かべた。
『嬉シイワ!嬉シイワ!地球ニ来タバカリナノニ、オ友達ガ二人モ出来テシマッタワ!』
真理子と文子の周りを、サナリアは華麗なステップで踊り始める。
『ハイ!フミコモドウゾ!』
「ふんっ!いただきます!」
途中、文子にも例の液体が入った小瓶を渡す事も忘れず。
真理子には、目の前のサナリアが別の星から来訪した異星人などとは到底思えなかった。
狐めいた耳や尻尾。地球人にはない器官の存在は無視できないが、それでも、笑って、踊っている、そんなサナリアが異星人などという酷く異質な存在には、決して見えなかったのだ。
「あらやだ美味し!!」
感嘆の声をあげる文子を傍目に、真理子は翡翠の天を見上げる。
不思議な空間だ。
最初は異次元と思ったが、此処は矢張り酸川の川岸に在る土手だ。土手を翡翠色の光が包んでいるのだ。
現に地面のあちらこちらには草が生え、川石が転がり、真理子自身も何処ぞの犬が垂れた糞を思い切り踏んでいたことに今しがた気付いた。
「…………」
真理子はサナリアの背後をゆっくりと見上げる。
白と青に彩られ、そして豪華な金色の装飾を施された、巨大なヒト型の巨人が、四つ目を輝かせて静かに鎮座している。巨大過ぎて、背景として見落としてしまう。
「凄えな…何だサナリア?この巨人は…?マジンゴーG(ロボットアニメの主役ロボの名前)みてえだな」
『アァ…エクスノコト?』
微笑みながら、さも当然、といった面持ちでサナリアは小首を傾げる。
真理子は頭の中をハテナマークでいっぱいにした。
「……えくす?」
『ソウ! 《エクスツァンド》 。私専用ノ
「造ってって…これ…ロボか!?」
『私……モット可愛イ騎体ガ欲シカッタノダワ……』
大袈裟な動作で項垂れ、これまた大袈裟な溜め息を吐くサナリアに、真理子は引き攣った笑みを浮かべる。
「そんなロボと一緒になって…お前…
「やっぱり……ウェルズの小説みたいに……攻撃侵略……?」文子が緊張に唾を飲む。
『…………』
先程までの天真爛漫な姿から一転、サナリアは薄ら寒い影を背負い、陰気な眼差しで真理子を見つめた。
『私……逃ゲテ来タノダワ……』
「誰から?」
『……ヨハン……』
「誰だソレ?」
『スグ泣ク……情ケナサ過ギナ……私ノ許婚』
****
民間の宇宙ロケットが上がるようになって、ごく一般な市民でも気軽に宇宙へと行けるようになった、この一九七〇年代。
地球人の誰もが蒼く輝く母星を眺め、その美しさに言葉を失った。
だが地球人は知らない。
「ひぃーーーーっ!地球だーーーーっ!青いーーーーっ!青くて怖いーーーーっ!!」
地球を見て恐怖の悲鳴をあげる異星人がいる。
地球の衛星軌道上に、地球の技術では到底製造不可能な、赤金色の巨人が浮かんでいる。
「ひぃーーーーっ!怖いよーーっ!本当に地球にサナリアがいるの!?ねえダイガ!?ねえねえねえってばぁ!!」
巨人の頭部に在る操縦席の中、少年、 《ヨハン・ルイ・ネヴェルツァ》 のけたたましい悲鳴にを背に受けてーー
「はい、ヨハン様。姫様のルリアリウム反応は、確かにあの
ルーリア銀河帝国、サナリア騎士団の若き筆頭騎士、 《ダイガ・ガウ・リーオ》 はうんざりした口調で頷く。
「ひぃーーーーっ!!」甲高いヨハンの叫びがダイガの耳元で炸裂する。
三半規管を狂わされたダイガは操縦席の壁に勢いよく頭をぶつけた。
「地球だよ地球!あの野蛮な星!!全惑星が交流を禁止している危険な星にサナリアがいるのかい!?」
「だから自分がこうしてヴェリアス皇帝陛下勅命で救出に赴いたのです。ヨハン様、貴方まで同行しなくても良かったのですよ?」
「君は愚かなのかい!?」涙目のヨハンがダイガの後頭部を叩く。
「…………」速攻で殴り返してやりたい衝動を、ダイガは懸命に、懸命に堪えた。
「未来の妻があんなゴミ星にいるのに…この僕がのんべんだらりとしてたら皆に笑われてしまうじゃないか!」
「……はぁ……」
「御託は良いからダイガ!さっさと地球へ降りてさっさとサナリアを救出してよ!」
「……
「良いダイガ!?ちゃんと僕を守ってよ!僕に何かあったらダイガの所為だからね!!」
「…………」
「無視ダメ!ちゃんと返事してーー!!」
「はっ……!」
巨人こと、ダイガ専用の
「ちょっ!?ダイガダイガダイガ!速い速い速い!!もっとゆっくり降下して〜〜!!」
ダイガは自らの精神力をルリアリウムへと流し込み、愛騎の騎動を御する。
"もっと速く降下しろ"とーー!
「ぎゃ〜〜〜〜!ママぁ〜〜〜〜!!」
ヨハンの号泣が大気圏を降下するバドゥルバスの振動に同調する。非常にうるさい。
ダイガは独り想った。
(何でこんな大馬鹿野郎が…姫様の許婚なのだ…!!)
続く
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