第二十二章 中ノ沢温泉へ跳べ!

決意のお尻ぺんぺん


 イナワシロ特防隊基地、会議室。



 ドアが開いて最初に現れたのは……。



 カウナ美少年を背負った正文美少年


 そんな二人を見てーー





 薫は鼻血を噴いて卒倒した。



「気ン持ち悪りいな。毎度毎度」



 真理子は資材搬入用の手押し台車に薫を無造作に乗せると、会議室ドアを開け、廊下へと無情かつ乱暴に転す。


 薫の夫、嘉男がしょっぱい表情で、転がり消えていく妻を見送った。



「はいみんな、お疲れさん!」



 真理子はカウナを背負った正文、律、伊織、そしてーー



「「ただいま戻りました」」

「何とか勝って来ました!辛勝です!紙一重です!」



 パイロットスーツ姿の芽依子、真琴、苦い笑顔の時緒をホワイトボードの前に並べ、小さく拍手を送った。


 未だ夢の中のカウナを起こさない様に。



「はいお帰り」



 真理子が迎えると、牧を始めとした大人達も時緒達へと拍手を送る。


 心地よい達成感と疲労感が高揚を呼び、時緒は真琴、芽依子の順番にハイタッチをぱちりと交わした。



「時緒くん!お疲れ様でした!お姉ちゃんは鼻が高いです!」

「ありがとうございます芽依姉さん!【シースウイング】!まさかあんなカッコいい戦闘機があったなんて!それにイカロス・ユニット!あれと合体しなければ僕は敗けてましたって!おっとと…!」



 ルリアリウムに精神力を吸われ、疲弊していたにも関わらず興奮気味に話すものだから、時緒は立ちくらみに思わず後ろへよろめいてしまった。


 そんな時緒の手を、真琴が確と握り締める。


 びっくりする時緒の視線と真琴の苦笑が、二人の手のように絡み合った。



「椎名くん、そう興奮しないで。子供じゃないんだから……」

「面目ない…!これで神宮寺さんには二度助けられた!」



 失態を誤魔化さず時緒が笑うと、真琴もまた、半ば呆れるように笑った。



(強くなりたくば、恋をしろ!)



 ふと、時緒は対戦中にカウナが放った言葉を思い出す。


 恋をする。


 恋をする?


 一瞬、ほんの一瞬、心臓と脳髄が熱を帯びていく感覚に、時緒は少し強張った。


 誰と恋をする?


 時緒は思わず目前の真琴と、微笑を浮かべる芽依子を交互に見遣った。



「椎名くん?」

「どうしました?お姉ちゃんの顔に何か付いてます?」



 真琴と芽依子の、綺麗な瞳が時緒を見つめる。


 瑪瑙色と琥珀色の鏡に、時緒自身の阿呆面が映る。



「いえ……!なんでもない……です!」



 堪らず気恥ずかしくなった時緒は目を逸らした。


 芽依子といると心地良い。


 真琴といると楽しい。


 しかし、そんな騒めく気持ちが恋なのか?


 時緒は少し、悶々とした。


 答えは……一向に出ない……。



(成る程成る程…。なんだ…気付いてないだけで、ちゃあんと恋をしているのじゃないか……)



 そんな時緒の様を寝たふりをして眺めながら、カウナは心中で笑った。



(ふ…良かったなシーヴァン…。トキオ彼奴は益々強くなるぞ…!)



 カウナが狸寝入りを決め込んでいたなどと、背中を預けていた正文も、隣の律も、時緒たちですらも気が付かなかった。


 何故ならば。



「ただいまー!復活の佳奈美ちゃん!おにぎりいっぱい買ってきたよーん!!」

「ふう…参った参った…。避難シェルターが閑古鳥とは……なぬ!?何故芽依子と真琴がパイロットスーツを着ているんだ!?」



 ゴールデン・ウィーク補習授業を何とか受け入れた佳奈美と、猪苗代町内会会長の麻生 が来たことで、会議室は一層騒々しくなったからである。




 ****




 麻生は苦悩した。


 前時代的な、古臭い思考である事は自身も十二分に理解している。


 だがしかし。


 麻生は時代小説やドラマが好きだ。


 齢二十にして新政府軍に挑戦し戦死した、会津戦争における烈女、中野 竹子なかの たけこの悲劇を識る麻生は眉をひそめずにはいられない。


 芽依子と真琴、女子が戦いに赴くなど。


 まさか、自分が席を空けていた間に、そのような事態になっていたとは。


 エクスレイガでの戦闘経験のある芽依子はともかく、ごく普通の生娘である真琴の参戦などもってのほかである。



「う〜〜〜〜〜〜む……」



 ただでさえ恐い表情を更に険しくして、パイプ椅子に深く腰をかけた麻生は唸る。



「おっちゃん、まこっちゃんの参戦は今回限りだから」

「はい、緊急事態でしたから」

「芽依のことも、キチンとするからさ…」



 真理子と真琴が弁明すると、麻生は渋い顔のまま、二度頷いた。



「芽依子の参戦か……」



 長卓上のシースウイングの資料と、麻生の傍らで直立して固まる芽依子を交互に見ながら麻生は目を哀しげに閉じた。


 死なない戦争とはいえ、それでも、無茶をする者は必ず現れる。


 麻生の唸りは数分続き、やがてーー



「……無理はするんじゃないぞ?」



 麻生は芽依子に寂しそうな笑顔を贈ると、真理子に資料を返し、時緒を強く見つめた。



「時緒!もし、芽依子が戦場に発つ時は、ちゃんと護ってやるんだぞ!」

「はいっ!勿論です!!」



 真っ直ぐに麻生を見て、時緒は大きく頷く。


 孫のような存在だった時緒が放つ気迫に嬉しく思うも、少々感傷的になってしまった麻生は、年々緩くなっていく涙腺を抑えた。



「すまん、芽依子。昔を思い出した…」



「おじさま?」芽依子は首を傾げる。



 麻生は重々しく、言葉を紡いだ……。



「お前の母親は……暫く俺の娘として……暮らしていたから……」

「……!」

「沙奈が……最期に出撃した日を思い出してしまった。年は取りたくないな…!昔ばかり思い出しちまう。一昨日の夕飯も忘れちまうのに……」



 何も言えなくなってしまった芽依子を他所に、麻生は気を紛らすかの如く真理子たちへ檄を飛ばした。



「皆、今回もよくやってくれた!しかし油断大敵だ!ルーリアではない!前回のような地球防衛軍の介入も未だ考えられる!引き続き…、」

「外部からこの基地に連絡。この通信コードは……ルーリアでス!」



 ディスプレイと睨めっこをしていたキャスリンの報告に、折角の叱咤激励が遮られる。



(やっぱり俺…前時代的なのかなあ…?)



 麻生は独り寂しく唇を尖らせた。





 ****



「映像、出しまス」



 キャスリンの合図と共に、会議室のホワイトボードに映像が投影された。


 焦げ茶色の髪に、柴犬めいた耳。


 ルーリア人の青年が、画面の中で深々と礼をしていた。



『イナワシロ特防隊の皆様、此度の戦争、お疲れ様でした』



 シーヴァン・ワゥン・ドーグス。


 好敵手にして尊敬する男の登場に、時緒は瞳を輝かせ画面へと近付いた。



「シーヴァンさん!」

『トキオ…!』



 時緒の存在を確認すると、シーヴァンはゆっくりと微笑む。


 精悍ながらも友愛に満ちた、凛々しい笑顔であった。



『トキオ…先程の戦い、確と観ていたぞ。見事な戦いだった』

「シーヴァンさん…!やっほい!!』



 シーヴァンに褒められたと思った時緒は思わず歓喜して、画面の前でくるくる踊った。


 シーヴァンは暫く時緒を微笑ましく眺めていたが、ふと笑顔を消して芽依子を見つめた。


 時緒の鍛錬を教授している芽依子を見つめた。


 シーヴァンの無言の圧が芽依子へ訴えている。



(トキオこいつの太刀筋は兎も角、精神面未だ未熟。片腹痛し。更なる厳しい鍛錬を課せられたし)



 芽依子はシーヴァンを見つめ、大きく重く首肯してーー



「やったー!シーヴァンさんが褒めてくれ…あいたっ!?」

「時緒くん、うるさいです。良い加減にしてください」



 小躍りし続けていた時緒の頭頂部に、チョップを食らわせた。



『コホン…』芽依子のチョップに些か驚いたシーヴァンは咳払いを一つ。



『それで…私のカウナ・モ・カンクーザは…?』

「我はここであるぞ?我が友よ!」



 時緒たちは驚いた。


 会議室の端のソファーに寝かせておいた筈のカウナは、いつの間にか起き上がり、気取った笑みで映像の中のシーヴァンに手を振っていた。



「カウナモ…てめえ…」

「お前、起きてたのか?」



 ジト目で睨んでくる律と正文に、カウナは爽やかな……爽やか過ぎて逆に腹立たしく見えてくる笑顔で応じる。



「実は数分前から起きていたのだ!」

「狸寝入りか…!」

「こいつ…っ!」



 顔面を真赤に染め、律はカウナの脚に蹴りを連打する。



「このっ!阿呆んだら!一応は心配したんだからなこの!!」

「ああ!良いぞリツ!愛しい痛みだ!リツは矢張りこうでなければ!」



 律の蹴りの応酬を、カウナは至極幸福そうな表情で受け止めながら、シーヴァンの映像に目を遣った。



「シーヴァン、見ての通りだ!敗けた敗けた!見事に敗けた!ふはははは!!」

『まあ……満足そうで何よりだ』

「という訳で我は暫くイナワシロに厄介になる!羨ましいか!?羨ましいだろう!ふはははは!!」



 会議室に響くカウナの快活な笑い声に、面白いことには首を突っ込まずにはいられない佳奈美が同調する。



「にゃはははははは!」

「む?君はたしかカナミと言ったな?面白い!我も負けんぞ!ふはははは!!」

「にゃははははは!!」

「ふはははははは!!」

「「ふ(にゃ)ははははははは!!」」



 カウナと佳奈美の笑い声の余りの煩さに、会議室の窓がびりびり揺れた。


 あまりにも喧しい……。シーヴァンは渋い顔つきで真理子に頭を下げた。



『……という訳で…マリコさん』

「あいよ」

カウナそこの馬鹿の事、捕虜として暫くお願いします。悪い奴じゃないので』

「大丈夫…見りゃ分かるわ」



 真理子の視界の端で、



「「ふ(にゃ)ははははははははははは!!」」



 一体何が面白いのか。


 カウナと佳奈美は暫く一緒に笑い続けていた、がーー



「煩いんだよお前ら!!」

「「…………」」



 律の一喝で二人は黙り、会議室はやっと静寂を取り戻した。



『それでは、私共は失礼します。トキオ…』

「はい?」



 シーヴァンは時緒にぎこちないウインクをして見せた。



『気を抜くなよ?こんな映像越しではなく、面と向かって会えることを、また戦える日を楽しみにしている』

「……はい!!」



 沸き立つ心を懸命に抑えて、時緒は満面の笑顔で返答する。


 時緒は嬉しかった。


 シーヴァンとまた会える日が、また相見える日が待ち遠しい!




『……うゅ……』



 通信が終わるかと思ったその時、画面の端から、銀髪の幼いルーリア人の少女が姿を現した。


 至極面白くないーーそんな表情で時緒を見ていた。



「あ、ティセリアちゃんだ」



 時緒はその少女を知っている。


 ティセリア・コゥン・ルーリア。


 ルーリアの皇女殿下。



『…………』



 ティセリアは映像越しに暫く時緒を睨んでーー



『んべぇ〜〜〜〜!』



 形容しがたい変な表情で、思い切り舌を出す。


 時緒は絶句した。見事なまでのアッカンベーだからだ。



『トキオのバァ〜〜カ!カウナに勝ったからってちょーしのるな〜!おしりぺんぺ〜〜ん!!』



 尻を突き出し、銀色の尻尾を振りながら、ティセリアは時緒に挑発的な捨て台詞を吐く。



『バァ〜〜カ〜〜!バカトキオ〜〜!!』



 ーーそして、映像はふつりと消えた。



「…………」



 戦いの余韻、シーヴァンと再び話せた喜び。


 そんな時緒の一切合切を、ティセリアの尻とアッカンベーが台無しににしていった。



「き、きぃーーーーっ!ティセリアちゃんめーーーーっ!!」



 あまりに悔しくて、時緒は奇声を発しながら地団駄を踏む。



「来るなら来なさいよ!こっちがお尻ぺんぺんしてやる!!」



 新たな戦意、打倒ティセリア。時緒は決意の拳を突き上げる。


 自分の背後で、芽依子が顔を羞恥の紅に染めてうずくまっているなど、時緒は全くもって気付いていなかった……。



「あのったら…!ほんとにもう…!!」




 続く

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