顕現!ゼールヴェイア!


  



 時緒は今でも、昨日のことのように、はっきり思い出す。


 三年前。


 中学一年生の時の、冬の始まり。


 正文と律の恋仲が、終わりを迎えた時の事ーー。



 ひしゃげた机と椅子が散らばった教室。


 恐怖に怯えて腰を抜かす同級生たちを、伊織と佳奈美が大の字で守る。


 粉砕された窓から、鉛色の雲から吐き出されたぼた雪が入り混んで、鈍痛に火照った正文の身体を冷やしていく。


 だが、どうしようもない、説明しようがない正文の怒りが冷めることは無かった。


 何故。何故こんなにも律を腹立たしく感じる。


 あんなに、好きだっかたのに……!



『そうか…、それが…お前の本心か!』



 見るも無残に破壊された教卓に身を委ねた、満身創痍の律が正文を睨む。


 律の瞳に、怨嗟の炎が揺らぐ。



『もう…分かった…!お前にとって私なぞ…!』

『…………』

『もう…お前なんか…お前なんか…!』



 歯を軋ませ、律は呪詛の念を零す。


 その暗い瞳には涙が溢れ、ぼさぼさに乱れたポニーテールは使い古した藁箒わらぼうきと何ら変わりはないように見えた。


 !!


 正文の視界の端、残骸となった学級文庫の本棚が吹き飛んで、その内側から人影がゆらりと姿を見せた。


 時緒だった。



『正文…!律…!』



【避難訓練 対痴漢用】と印された竹刀を杖代わりにして、時緒は弱々しく立ち上がりーー



『どうして…!?二人とも…あんなに仲良かったじゃないか…!?』



 時緒の悲しげな問いに、正文も律も答えない。


 爛々とした怨嗟の眼差しで互いを睨み合い、そして。



『…っ!正文ぃぃぃぃっ!』



 教卓を足場に、律はその身をしならせて跳躍。両手の指を鉤爪状に折り曲げ、正文目掛けて急降下する。



『正文!私は!お前の!お前の為なら!なんだって出来たのに!!』

『それがウザいと言っているのがなぜ分からない…!俺だって…俺だって…!』

『ああああああああ!!』

『俺だって…お前に…お前の…ぉ!!』



 正文とて、攻撃体勢の律を前に棒立ちしてた訳ではない。


 正文は掃除用モップの柄先を右手に持ち構える。


 左手は添えるだけ。


 狙うは律の胴体。


 一撃で貫く。


 仕損じれば、律の爪に八つ裂きにされるだけ。


 それでも良い。正文は思う。何故かは分からない。



『やめろって……言っているんだぁぁぁぁ!!』



 正文と律の間に、竹刀を構えた時緒が割って入った。


 正文達の醜態を目の当たりにした時緒の瞳からは、理性の光が消えていた。


 怒りが今の時緒を支配していた。


 怒髪天を通り越した時緒の濁ったその瞳は正文と律を、ただの殲滅対象としか映していなかった。



「「「!!!!!!!!」」」



 正文。


 律。


 そして、時緒。


 三人の戦闘意思が、様々な感情が爆発した叫びとともにぶつかり合ってーー





 ****





 御節介ではあると思った、少女たちはどうしても聞きたかった。



 かつて、正文と律に何があったのかが知りたい、と。


 イナワシロ特防隊基地へ向かうジムニーの中。時緒から過去の話を聞いた真琴と芽依子はーー



「…あの二人が…そんなに…」

「…といいますか…時緒くんも加勢していたのですか…」



 二人共々口を開けて固まった。





 一時間前。


 学校が終了して直ぐ、会津若松駅へ向かおうとしていた時緒たち七人を、真理子が校門前で待ち構えていた。


 真理子は時緒たちを愛車に乗せると、戦闘準備の為猪苗代へと急ぐ。


 高速道路経由で。


 今、車内には伊織、正文、律の姿はない。


 律の生家である磐梯神社で異変が起きたらしく、それを確かめるべく彼等三人は磐梯神社近辺で下車してしまった。




「お恥ずかしい限りです…。二人を止めようとしたら怒りに我を忘れて…。気がついたら教室が半壊してまして…」



 助手席の時緒は、昔話に苦笑した。


 そんな息子を、真理子は運転しながら鼻で笑う。



「ったく!けったいな真似してくれたじゃあねえか!」



 しかし、真理子の顔は懐かしいような、切ないような、そんな顔をしていた。



「お陰様であの正文と律野獣と野獣は無事破局」

「無事って…」

「私闘に介入した罰として時緒は当時仕えていた剣の師匠、正文の親父から破門言い渡し」

「母さんヤメテ」

「私は教室の修理費の一部を弁償。あぁ!久しぶりに思い出したら腹立ってきた!」

「あ痛ァーー!?」



 ばちり、と真理子は時緒の額を爪弾いた。


 バックミラーに時緒の苦悶が映る。



「はぁ…時緒くんてば…昔からそんな無茶を…」



 苦々しい顔で溜め息を吐く芽依子の横で、真琴は合点がいったかのように、ぽん、と小さく手を叩いた。



「…椎名くんが剣を辞めたって…破門されたことだったんだ…」



 時緒の過去を一つ知ることが出来た真琴は、ほんの少し、嬉しく感じた。


 不謹慎だが、時緒との心の距離が一歩、近づけた気がして……。



「でも、正文と律さん…そんな酷い喧嘩別れをしたのに、何故いつも共に行動しているのでしょうか?」

「ふん……」



 芽依子の問いに、真理子はおかしそうに鼻を鳴らす。



「今の距離感が、アイツらにゃ丁度良いんじゃね?」

「そうなのですか?」

「よう分からん。あいつらの中身の問題だからなぁ」

「…………」



 真理子はバックミラー越しに芽依子を見遣った。


 黙りこくったまま、芽依子は時緒を後頭部を見つめている。



 "私が喧嘩しても、時緒くんは側にいてくれるかしら?"



 芽依子の瞳がそう言っているようで、何やらいじらしい気持ちになった真理子は、優しい声音で呟いた。



「くっついて、ぶつかり合って…、そしてやっとこあの二人は今の位置に、あいつらにとってベストな距離にやっとこ辿り着いたんじゃねえのかな?」

「「「…………」」」



 首を傾げたまま、時緒たちは何も言わない。


 多分、未だ分からないだろう。


 特に、恋に恋をしている芽依子と真琴には。


 それで良いと、真理子は思う。


 時緒たちの未来は様々に分岐している。


 恋をして、喧嘩して、また恋をして、そうして子供達には成長して貰いたい。


 そこまで考えてーー。


 椎名 真理子、華の三十六歳は、自分の老婆心に心の底から嗤ったのだった。






「……所でよ」



 気持ちを切り替えた真理子は、またもバックミラーを睨む。



「ソイツは一体どうしちまったんだ?」



 芽依子の左横。



「アヘ…アヘアヘ…レンキュウガ…レンキュウガ…アヘアヘアヘアヘ…」



 白目を剥いたまま小刻みに震える佳奈美がいた。


 時緒は包み隠さず母に告げた。


 佳奈美のゴールデンウィークが成績不振の為に、補習授業に潰れたことを。



「……中学の問題から復習し直せ…。いい加減」

「…アヘ………」





 ****




「…何だ…これは…!?」


 実家に辿り着いた律は、目前に広がる光景に唖然とする。


 律の生家である【磐梯神社】。


 その、律にとって見慣れた境内が。


 で埋め尽くされていたのだ。


 バラ。ばら。薔薇。


 一面真紅のバラ。


 


 バラまみれ。



「こりゃまたとんでもねぇ…」



 律の背後で、伊織が顔を引きつらせた。


 本来ならば大笑いしたかったが、律が激怒しそうなので、やめる。



「ええと…『磐梯神社バラまみれワロタ』と…。バズれバズれ…!」



 正文に至っては、境内と自分の気取り顔を携帯端末のカメラ機能で撮影し、写真をSNSへ投稿しようとする始末。



「いらん事するな!」

「んごっ…!?」


 律はそんな正文の後頭部に回し蹴りを入れて沈黙させるとーー



「……こんな漫画みたいな真似する奴ぁ……地球人離れした非常識者か……自分の美学を……他人に押し付けようとする……ナルシスト!」



 バラの送り主に思い当たりがある律は、はっと空を仰ぐ。



「はーっはっはっはっ!」



 はつらつとした男の高笑いが境内に響き渡り、律は心底嫌な顔をした。


 居た。


 エクスレイガもくぐれそうな、巨大な鳥居の上に細身の人影が居た。


 臍あたりまで届く赤髪を三つ編みに結わえた異星ルーリア人の美男子。



「我がプレゼントは気に入って頂けたかな?リツ…我が愛しい其方よ!」



 カウナ・モ・カンクーザが、其処に居たのだ。



「出たなカウナモ!矢張り貴様の仕業か!?」



 怒り心頭の律に対し、カウナは気取った笑顔で、口元で細い人差し指を振って見せる。



「ノンノン!リツ、カウナモではない。カウナ・モ・カンクーザだ。カウナで一回区切ってくれ。間違い屋さんめ!ハッ!」



 嬉しそうにウィンクをするとカウナは鳥居から跳躍、空中で二回転して石畳の上へと着地した。美麗な動作であった。



「うげ……!」



 カウナの、ウィンクから始まった一連の行動に、これ見よがしに格好つけた動作に、律は全身に鳥肌を立てた。


 カウナの挙動一つ一つが律の神経を逆撫でる。


 なので……!



「いや…このイナワシロの人々は本当に心美しい。"リツの家を知らないか?"と尋ねたら直ぐに教えてくれた。ああ、このバラかい?大したことはない…。我のポケットマネーで…、」

「喰らえカウナモッ!」



 律は瞬時にカウナへと接近。間髪入れずその細く伸びた足の脛へ思い切り蹴りを入れた。



「おうふっ!?」



 突然の激痛に、カウナは素っ頓狂な悲鳴を上げる。



「馬鹿か貴様は!?若しくは阿呆か!?人様の境内をラブホのベッドみたいにしやがってからに!!」


 懸命に脛を摩るカウナに、律は追い討ちをかけるが如く叱咤する。


 しかし。


 だがしかし。



「ふっ!ふはははは!!」



 要した時間はたった五秒。


 ルーリア人の生命体としての特性か、それとも騎士として鍛錬により鍛えた所以か。


 痛みから回復したカウナはすっくと立ち上がり、またも気取った笑顔を律へと向ける。



「流石リツ!我が愛した女性!我の美しい脛に蹴りを入れたのは姉上に続いて二人目だ!我は一層其方の虜になってしまったではないか!ふはははは!」



 "駄目だこりゃ"


 軽い疲労感を覚え、律は項垂れる。


 カウナには何を言っても通用しない。


 正文とは違うベクトルの馬鹿さ加減に、律は思わず後ずさった。



「ふむん…。もう少しリツとは戯れていたいが…」



 カウナは騎士装束から懐中時計を取り出した。


 金色の装飾が施された懐中時計に、伊織が「カッコ良いっすね!似合ってますよ!」と言うと、カウナはーー



「そう言ってくれて嬉しいぞ!我が友イオリ!数日前にトーキョーに訪れた時、知り合った店主から戴いた逸品だ!確か店名は……何だったかな?クジゴジドーとか…だったかな?…おっと!」



 話が逸れてしまった。カウナは苦笑すると懐中時計をしまって、律を見詰め直す。


 律の鳥肌が復活した。



「ではリツ!我は今から戦争へ赴く!見ていてくれ!我の美しい戦いを!」

「どうでも良いからこのバラを片付けろ!どうしろってんだコレ!」

「エクスレイガに勝利した暁には…、リツ…、いや!今は言うまい!」

「人の話を聞け!」



 騒ぐ律を尻目に、カウナは決意の表情で腕輪を掲げる。


 腕輪に取り付けられたルリアリウムが赤玉色に輝く。



「来い!我が愛騎!ティセリア騎士団最速の騎甲士ナイアルド…… 《ゼールヴェイア》 よ!!」



 途端、丹野神社の上空、カウナの直上に紅い稲光が奔った。


 稲光はカウナのルリアリウムの輝きに呼応するかの様、瞬く間に集約し、やがてヒトのシルエットを構成していく。



「うおおおお!敵メカながらかっけええ!!」



 伊織が感嘆の叫びを上げた。


 バラの花弁を舞い踊らせながら、その騎甲士ナイアルドは神社の境内へと音なく着地する。


 病的な程に鋭く華奢な体躯を真紅に輝かせ。


 騎甲士ゼールヴェイアはそのナイフめいた騎体を律たちの目の前に表したのだ。



「ハッ!」



 カウナは跳躍して、ゼールヴェイアの腰部に取り付き、そのまま装甲上を華麗に疾駆、頭部の操縦席へと入ろうとした。



「…………」



 ふと、強い視線を感じたカウナは眼下を見下ろす。


 最初は律が己に情熱的な視線を向けているかと思った。


 だが、そうではなかった。



「マサフミ……!」



 境内にどっかと胡座をかいて、正文が口を真一文字に結んで、只々カウナを見上げていた。


 カウナは正文と一瞬だけ視線を交錯させると操縦席へと入る。


 そして、自身の意思をゼールヴェイアへと伝達させる宝玉へと手を置いた。


 ゼールヴェイアの四つ眼が輝く。


 カウナは笑みを消すと、無表情で深呼吸をした。


 正文が見ている。


 律の、過去の男が、自身の戦いを観ている。


 そう考えると、冷ややかだが何処か心地良い緊張感がカウナを確と縛り付けた。



(リツ…この戦い…我の愛の総てを其方に捧ぐ!そしてマサフミ…!リツのかつての男よ!我の強さを見よ!そして…安心してリツを我に任せると良い!)



 カウナは自らの頬をぱちりとひと叩き。


 同時に、ゼールヴェイアの周囲警戒システムが鈴音のような警告音を奏でた。



【敵騎 接近中】



 カウナはスクリーンを睨む。


 遠く、山と山の間から一筋の翡翠色の光が飛び出て来たのが見えた。


 やがて光はゼールヴェイアへ向かって接近し、その正体がルリアリウムエネルギーを背中から放出する巨人である事をカウナへ視認させた。


 白と青の装甲。大きな肩。羽飾りめいた二本角を携えた頭部。





「約束の時間五分前に来るか…!何処までも美しいぞ!トキオ!そして…エクスレイガ…!」



 操縦席の中で、カウナは一人微笑む。




 ゼールヴェイアとエクスレイガ。


 バラの花びら舞い踊る丹野神社の上空で。





 今、二騎の巨大ロボットが対峙した。






 続く


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