サタデー・ナイト・インベーダー




「芽依子さん、お醤油取ってください」

「嫌です」

「…………」



 時緒はただ、シューマイに垂らす醤油の小瓶を、取って欲しいだけだった。


 しかし、うず高く積み上がったシューマイをおかずに白飯を頬張っていた芽依子は途端に不機嫌になり、時緒に対してそっぽを向いてしまう。


 夕飯時の椎名邸ーー。


 真理子はいない。エクスレイガの新装備の調整で帰りが遅くなると、時緒の携帯端末に電子メールが届いたのは、もう二時間も前のこと。


 時緒と芽依子の、二人っきりの食卓が嫌な静寂に包まれる。


 時緒はたじろぎながら、恐る恐る芽依子に尋ねてみた。



「……何故に?」



 すると芽依子は、頬を朱色に染め、唇を不満げに尖らせて言った。



「…………時緒くん…また私のこと、”芽依子さん”と呼びました…」

「……へ?」

「……昔みたいに…”おねーちゃん”と呼んで欲しいって……言ったじゃないですか」



「……あぁ……」時緒は思い出した。



 一週間以上前、芽依子と真琴とのデート中のことだ。


 うっかり時緒は芽依子のことを”芽依姉さん”と呼んでしまった。


 すると、当の芽依子はーー



「実は私、ずっと不満に思ってました。”芽依子さん”なんて…他人行儀でイヤです。またおねーちゃんって呼んでください…!」



 この有様である。



「…………」

「…………」

「…………」

「…………」



 再び静寂が食卓を支配した。



「むう……」



 芽依子の頬は赤い風船のように、不満にどんどん膨らんでいく。



「う〜〜ん……」



 時緒は困惑した。


 胸がどぎまぎする。


 何だか気恥ずかしい……。



「よし……!」



 暫く考えて、時緒はその表情を引き締める。


 男たるもの、何ごとも潔さが肝心である。


 そう己に言い聞かせた。


 デートの時と同じだ。


 芽依子の為ならば、男時緒、例え火の中水の中。である。



「芽依……!」



 意を決して、芽依子の顔を見ながら、時緒は呼んでみた。



「…………」

「芽依姉さん…?」

「…………」

「芽依姉さんてば」

「……うふ、うふふふふ〜〜」



 さっきまでふくれっ面だった芽依子の顔はみるみる蕩けて、顔面真赤のだらしない笑顔へと変貌した。

 


「なんか…嬉しいですね」



 そう言って、芽依子は照れ笑いを浮かべながら、時緒の取り皿に頼みもしないのにシューマイを積み上げていく。あっという間にシューマイのバベルの塔が完成した。



「そう、ですか?」時緒は照れ臭くて後頭部を掻いた。



 臍下丹田が、むず痒い。


 だが……嫌な感触ではない。



 時緒と芽依子の照れ笑いの応酬は、一時間後、焼き鳥を土産に携えた真理子が帰宅するまで続いた……。





 ****






「カウナ・モ・カンクーザ、出陣である!」



 航宙城塞【ニアル・ヴィール】の格納宮に、真新しい騎士装束を纏ったカウナの雄々しい叫びが木霊した。



「「きゃああああ!カウナ様ぁぁ!!」」

「「カウナ様こっち向いてぇぇぇぇ!!」」

「「カウナ様投げキッスしてぇぇぇぇ!!」」



 格納宮の周囲には、捕虜となっていた地球防衛軍の女性兵士が集まっていた。その数、千人を超えている。


 彼女たちは皆、【カウナ様 LOVE】と印されたタペストリーや、カウナの顔写真が貼られたウチワを狂ったように振って、闊歩するカウナに黄色い声援を投げつけ続けた。



「見送りありがとう!女性兵士こねこちゃん達!君たちの為にも我は、美しく…エクスレイガと戦ってみせよう!!」



 専用騎甲士ナイアルド【ゼールヴェイア】、真紅に彩られた鋭いシルエットの巨人下で、カウナはひらりと旋回し、女性兵士たちに向けて投げキッスを撃ち放つ。



「「ぎゃああああああああああっっ!!!!」」



 断末魔に近い叫びを上げて、女性兵士たちのうち何人かが、昇天顔で失神した。



「うゅ…なにコレうるしゃい…」

「仰る通りです……」



 その騒々しさたるや、見送りに来たティセリアは勿論、真面目で寛容なシーヴァンですら顔を顰める程だった。



「興が乗った!女性兵士こねこちゃんたち!出陣を前に昂ぶる我の舞を見ておくれ!!」

「「きゃああああ!!カウナ様スッテキ〜〜〜〜!!!!」」



 格納宮の桟橋を花道にして、すっかり気分が高揚したカウナは、桟橋の端から端まで、ひらりひらりと華麗に舞い続ける。



「さっさと征けよ……!」



 寡黙ながら心優しいシーヴァンが、眉を釣り上げ苛々とした声をあげた。







 ****






『緊急警報!緊急警報!エクスレイガ緊急発進スクランブル!エクスレイガ〜!あ!緊急発進スクランブル〜!!』



 イナワシロ特防隊基地に、茂人整備班長の甲高いアナウンスが響き渡ったのは、土曜日の夜七時のこと。


時緒と芽依子が【お姉ちゃんと呼んでほしい】問答から、丁度一日が経過していた。



「数は!?スターフィッシュですか!?」



 楽しい土曜日の夜の予定サタデー・ナイト・フィーバーを邪魔され、ぶつくさと文句を垂れていた整備員たちを躱しエクスレイガのコクピットへと入り込んだ時緒は、動作システムを起動、ディスプレイに向かって声を掛けた。



『時緒くん!です!』



 立体モニターに映った芽依子の第一声に、緊張感が抜け落ちた時緒はがくりとうなだれた。


 昨日からこの有様である。余程”芽依姉さん”と呼ばれた事が嬉しかったのだろう。



『おっと…気を取り直して…』

「芽依姉さん、最近ハイですよね」

『コホン!』



 時緒の小言を芽依子は咳払い一つで受け流す。



『五分前にルーリアの城塞から未確認物体が射出されたのを、多々良島の天文観測所が確認しました。数は1。おそらく、有人機です』

「有人機…っ!」



 ”有人機”。この語句に、時緒の背筋が強張る。


 有人機。すなわち、シーヴァンと同格の騎士が乗っているということだ。


 二つ目の立体モニターが投影される。こちらにはキャスリンが映っていた。



未確認物体アンノウン、真っ直ぐ猪苗代こちらへ向かってくるヨ!飛行速度…以前の…シーヴァン君の騎体の…およそ三倍!』



「なんてスピードだ…!」時緒は驚き息を呑んだ。


 追随するのがやっとだったシーヴァンの騎体ガルィースよりも、更に速い騎体が、猪苗代に向かってくる。


 時緒は深呼吸一つ。


 きっと強い騎士が乗っているのだろう。


 緊張するが、同時に楽しみでもある。


 シーヴァンのような強く面白いルーリア人に会えるかと思うと、心が踊る。



『バカ息子?征けっか!?』



 立体モニターの中の真理子が、その鋭い眼差しで時緒を見遣った。


 時緒は、しかと頷いて見せた。



「勿論さ!いつでもどうぞ!」



 きっぱり断言して、時緒はエクスレイガの操縦桿を握り締める。


 操縦桿に嵌められたルリアリウムが淡く強く光り出す。時緒の精神が豊かな証拠だ。



「そうだ…芽依姉さん?」

『はい?』

「今夜の【土曜ロードショー】、何やるんでしたっけ?」

『【八つ墓村】です。七七年の、渥美 清が金田一 耕助役の』



「ああ…!」時緒は渋い顔で天を仰いだ。大好きな映画だ。


 今からおそらく戦闘が始まる。番組開始には到底間に合わない。



『心配すんな。こんなこともあろうかと、録画予約しといた!』

「流石母さん…っ!」



 モニターの中でピースサインをする母真理子に、時緒は手を合わせた。


 母の心遣いが嬉しかった。


 これで、心置きなく戦える!



『発進許可下りました!エクスレイガ、ユーハブコントロール!』

「アイハブコントロール!エクスレイガ!椎名 時緒!征ってきます!!」



 倉庫の天井が空き、深い蒼黒の夜の中へーー。


 エクスレイガは、その白く輝く騎体をはしらせた。





 ****





 猪苗代湖の畔、夜闇に沈む雑木林。


 そこが、ルーリア兵器の落着予想ポイントだった。


 しかし。



「あれ…?」



 滞空するエクスレイガのコクピット内で、時緒は首を傾げる。



「なんにも……ない?」



 コクピットスクリーンに映る風景は、何の変哲もない、猪苗代湖の夜景だった。


 黒く、ぽっかりと空いた闇と化した猪苗代湖。


 眼下には、風に揺れる木々や草むら。


 遠くに、レイクサイドホテルやペンションの灯がちらほらと見える。


 ただ、それだけ……。



「こちらエクスレイガ、時緒です」

『こちら特防隊基地。です』



 噴き出しそうになってしまうのを、時緒はぐっとこらえてーー



「よ、予想落着ポイントに到着。しかしレーダー反応ありません。肉眼でも目視不可」



 そう言い終えて、時緒は再びスクリーンを見渡す。


 やはり何も居ない。


 近くの民家の灯が点き、ベランダから姿を現した老夫婦が、エクスレイガに向かって手を振るのが見えた。



『こちら真理子だ』

「母さん、敵影反応なし。どうしようか?」

『うーん…?30分ほど辺りを飛んで偵察してみろ。何もなかったら帰ってこい!』

「…分かった」



 時緒はーーエクスレイガは老夫婦に頭を下げて一礼すると、ゆるりとした飛行を開始した。


 今は土曜のゴールデンタイム。人々の団欒をエクスレイガの飛行音で邪魔する訳にはいかない。



「…………」



 ふと、時緒はエクスレイガを停止させた。


 誰かに見られている気がしたからだ。


 害意ではない。


 まるで遊び相手を見つけた子供のような気配。


 しかしながら、見回しても見下ろしても猪苗代の夜景が広がるばかりなので……。



「ふぅ……」



 若干、後ろ髪を引かれる思いを感じながらも、時緒はその空域を去ることにした。






 ****






「ふっ…!流石はシーヴァンのお気に入り…!あの距離から我の美しい視線に気付くとは…!」



 猪苗代が誇る観光名所【野口 英世記念館】裏の駐車場に、ぽつりと人影が一つ。飛び去るエクスレイガに向けて、夜闇の中微笑を浮かべていた。



 ルーリアの騎士、カウナ・モ・カンクーザ、猪苗代に立つ。



「それにしても…これがイナワシロ…!何と美味い空気か…!美しい地か!」



 ゆっくりと深呼吸、猪苗代の空気を肺いっぱいに取り入れ、満天の星空を恍惚の表情で仰ぎながら、カウナは騎士装束を翻して独り舞う。


 寒々しい駐車場の街灯も、カウナの前では芸術品を一層映えさせるスポットライトと化す。



「さて…楽しみにしていると良い…美しきエクスレイガ…!そしてトキオ…!この我…カウナ・モ・カンクーザの美しき妙技の数々…その身をもって御覧じろ…!ふははははははははっ!」













『野口 英世記念館の裏の駐車場でヘンテコなお兄ちゃんが踊ってる』



 塾帰りの小学生から猪苗代警察署に通報が入ったのは、エクスレイガが飛び去ってから五分後のことであった。





 ****





 同時刻。


 猪苗代中心街から車でおよそ三〇分。


 中ノ沢温泉、【老舗旅館 平沢庵】。



「むっ!?」



 純和風の自室の中。


 アニメの美少女キャラクターが印された抱き枕を抱いてうたた寝を楽しんでいた正文は、かっと目を見開いた。


 側頭部に疾る、痺れるような感覚。


 正文は勢い良く障子を開けた。


 立ち込める木々と川と、微かな硫黄の香りを思い切り吸い込んでーー



「この感覚…。天下一の美男子である俺様をも脅かす…イケメンの気配だと…!?」



 身を締め付ける緊張感に、正文は鋭い眼光で夜を睨んだ。








 続く

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