玄関開けたらキザ野郎



  



 時緒がーーエクスレイガがルーリアからの射出物を見失って、一夜が明けた。


 春爛漫な陽気に包まれた、猪苗代町の日曜日。




「もうすこし、もうすこし…!」



 民家よりも大きく成育したクロマツの上で、男児は一生懸命に手を伸ばす。


 その手の先には、枝先で震える一匹の仔犬がいた。


 どうやってこの樹の上まで登ったのか、仔犬はくんくんと鼻を鳴らして怯えている。



「だいじょうぶ!いまたすけるからね!」



 そう仔犬に笑いかけて、男児は幹の上にしがみつきながら前進する。


 恐怖と緊張で流れた汗が、枝の下へと落ちて消えた。



「あぶない!あぶないよ!!」

「おりてよ!おねがいだから!!」

「お、おれ大人よんでくる!!」



 眼下に小さく見える友人たちの声を無視して、男児は懸命に仔犬へと近づく。


 ひやりと濡れた仔犬の鼻先に、指先が触れた。



「だいじょうぶ!いじめないよ!キミをたすけにきたんだ!」



 男児は精一杯の笑顔を浮かべて見せると、彼が害意を持っていないのを動物的本能で感じ取ったのか、仔犬は腹這いのまま男児に近寄っていく。


 男児の手か仔犬の柔らかい腹の体毛に埋もれる。顎を舐める舌がくすぐったい。



「やった…もうだいじょぶ!」



 男児は優しく、仔犬を抱きしめた。


 これで一安心ーー


 ぱきり。


 その時、子気味の良い音を立てて、男児の総てを支えていた枝が折れた。



「ぁっ……!?」



 足場を失った男児と仔犬の身体は、たちまち万有引力に引っ張られ、遥か下の地面へと落下していく。



「「ーーーー!!!!」」



 友人たちの悲鳴が轟く。


 下から上へと素早く流れる景色。


 恐怖に消し飛びそうな意識を必死に繋ぎ止めて、男児は仔犬を抱きかかえ、その身を丸めた。


 仔犬の身体を全身で包み込むーー。


 これで、地面に落着しても、自身の身体が衝撃を緩和し、仔犬を護ることができる。


 男児は幼い正義心を満足させた。



(ぶつかったらいたいかな?いたいよね?…死んじゃうかな?)



 まるで他人事のように男児は思い、そして笑った。



(このわんこ…まもれたら…)



 腹の上でうずくまる暖かく小さな命を感じて、男児は瞳を閉じた。



(…なれたかな?あの日…こうえんで…、ぼくのことまもってくれた…あのおにーちゃんやおねーちゃんみたいな…せいぎのみかたに)



 男児は思い出す。


 かつて、夕暮れの公園で、若者たちに苛められていた自分を、身を呈して守ってくれた少年の姿を……。


 凄まじい拳法で若者たちのリーダー格を吹き飛ばした少女の姿を……。



(ぼく…なれたかな?…なれたよね?…やったぁ…)




 男児は落着の衝撃を覚悟して待った。



 …………。



 ………………。



 ……………………。




 しかし、地面にぶつかる感覚など、いつまで経っても来なかった。


 男児は恐る恐る瞼を開く……。



「ふむ!間に合って良かった!」



 目の前に、笑顔があった。


 長い赤髪を春風に靡かせ、白い歯を輝かせた青年の笑顔だった。


 男児を包んでいるのは引き締まった筋肉によって程良い硬さ柔らかさを保った、青年のかいな



わらべよ…!小さな命を守る為…己が身を犠牲にしようとしたその勇気…!美しい物を見せて貰った!!」



 青年が笑って満足げに頷く。


 微かな、ほんの微かな振動が男児を揺らす。


 青年が空中の男児を跳躍して抱きとめ、たった今、華麗に着地を決めたのを、腕の中の男児はやっとこ理解した。



「しかしながら童よ…少々無謀だったぞ…!危ないではないか!」



 すると青年は、三つ編みに結わえた赤髪を揺らしながら、今までの笑顔を少し困った表情に変える。



「もう少し我がこの近くを通り掛かるのが遅れていたら…!あぁ!我は想像もしたくない!美しくない!悲しいものだ!」



 青年は男児を地面に優しく降ろすと、まるで舞台演者の如き仰々しいポーズを取り、悲痛な表情で天を仰いだ。



「…ご、ごめんなさい…」



 男児は青年に頭を下げて謝る。


 同時に、瞳から涙が次から次へと溢れ、流れて、地面に落ちていく。


 安心した途端、落下の恐怖が蘇って来たのだ。


 仔犬が、くうん、と一鳴きして、涙が伝う男児の頬を舐めた。


 先程までは守る立場だった仔犬に、今は守られている気がして、男児はほんの少し気恥ずかしく思った。



「…すまないな。無茶は感心しない。だが…其方の勇気は真に美しいものだった…!」



 青年は、男児が泣き止むまで、優しく男児の頭を撫で続ける。


 時折、男児が助けた仔犬と戯れあいながら。


 そして、男児が泣き止み、朗らかな笑顔を見せた頃。


 青年は。


 地球人に擬態したルーリア騎士、カウナ・モ・カンクーザは男児に問いかける。




「ところで童よ!トキオという少年を知らないか!?」





 ****






「僕を探してる人がいる?ですか?」



 椎名邸の裏庭で木刀の素振りをしていた時緒は眉を顰めた。



「そうなのよ〜!」



 垣根越しから顔を出したのは、椎名邸の隣に住む中年女性。名を、 《阿部 和枝あべ かずえ》 と言う。


 気さくな性格だが、【生きたワイドショー】と称される程ゴシップ好きな人物で、彼女がすっぱ抜いた猪苗代スキャンダルは数知れず。中には眉唾ネタも存在したが。



「これは明確な情報よ時緒ちゃん!あ!素振りをしたまま聞いてちょうだい!」



 和枝に言われた通り、時緒は木刀を振るいながら、和枝の話に耳を傾けた。



「今朝からよ……。猪苗代の町中で、人助けをしているイケメン…いえ、超イケメンがいるって噂……!」

「超イケメンですか?」



 斬り払いから突き、振り下ろし、そして斬り上げ。これら一連の流れを淀みなく、尚且つ瞬時に時緒は完了させる。


「お見事!」和枝は拍手をしたが、時緒は不満だった。


 剣の腕、未だ未熟。シーヴァンならば、もっと疾く、無駄なく出来ていただろうと、時緒は思った。



「…でね?その超イケメンが出会った人達に尋ねるんですって!『トキオを知らないか?』って…!」

「…やっぱり…僕…?」

「時緒ちゃんの知り合いじゃない?その超イケメンも凄い運動神経の持ち主みたいよ!猪苗代湖ボート乗り場の佐藤さんは側溝に落っこちた所を凄い力で引き起こして貰ったって、ガラス館の山口さんとこの娘さんは木に引っかかった風船を凄いジャンプで取って貰ったって!凄くない!?ねえ時緒ちゃん凄くない!?」



 和枝がそこまでぺらぺらと喋り立てた所で、突然電子音が鳴り響いた。和枝の携帯端末のアラーム音だった。



「あらいけない!テレビにキムタクが出る時間だわ!じゃあね時緒ちゃん!その超イケメンに会ったらよろしくね!写メ撮っといて!写メ!」

「は、はぁ…」



 言いたいことを言い切った和枝は、ややすっきりとした表情で自宅の中へと消えていった。


 呆気に取られた時緒が、独り残される。


 自分を、探している者がいる。らしい。



「誰だろう…?」



 首を傾げ独り言ちる時緒の、焦げ茶色の髪を、爽やかな春風が撫でていった。




 ****




 その日、椎名邸には時緒の友人達が集合していた。


 伊織に真琴。


 佳奈美に律。


 そして正文。


 いつものメンバー。


 ゴールデンウィークは何をして遊ぶかを会議する為に椎名邸に集まった伊織たちだったが、会議なぞを行なったのは、最初のわずか十分足らず。


 鍛錬から戻った時緒が居間の戸を開けるとーー



「ぬあぁぁ!?だから止めろって正文!しょーりゅー拳やめろって!!」

「ふっ…!貴様の股間に…俺様必殺…しょーりゅー拳…!しょーりゅー拳…!」



 コントローラーをがちゃがちゃ鳴らしながら、伊織と正文はテレビゲームに熱中していた。



「おい椎名!【カラスの仮面】の23巻がないぞ!?どこにやった!?早く持ってこい!」



 律さ巫女装束のままで畳に寝そべり、長編漫画を我が物顔で読みふけっていた。



「だからよぉ!ここの公式が間違ってんだよぉ!!」

「ふにゃ〜ん!おばちゃん分かんない〜!!」

「…どこが分かんねえんだよ?」

「……どこが分からないかが分からない……」

「…………おめえ、どうすんだよこの先……」



 佳奈美は卓袱台に広げた宿題を半泣き顔で見渡し、真理子はそんな佳奈美の将来を、頭を抱えて嘆いていた。



「えぇ!?椎名くん…芽依子さんのこと、”芽依姉さん”て呼んでくれたんですか?」

「はい…!昔に戻ったみたいで…もう嬉しくて…」

「良いなあ…私も椎名くんに呼び捨てで呼んで貰いたいです…。”やい真琴!”って…」



 一方で台所では、芽依子と真琴がクッキーを焼きながら、乙女同士の談話に花を咲かせていた。


 皆それぞれ、勝手に行動。


 騒々しいが、皆、自由。


 暖かい日光が淡く満ちる居間の、皆がいる、緩く混沌としているその空間が、時緒は堪らなく愛おしく感じられる。



「おい椎名!二十三巻だよ二十三巻!どこだ!?」



 背後から律が小突いてきたので、時緒は呆れた溜め息を吐いた。



「ちょい待ってて、二十三巻は昨日トイレで読んでたから多分トイレの棚に……」

「ぅげ……トイレだとぉ?」



 律が心底嫌な顔をした、その時である。


 〜〜〜〜♪


 間伸びした電子音が廊下に響き渡った。


 何者かが玄関の呼び鈴ボタンを押した合図だ。



「あ、ごめん律、代わりに出といて?」



「あぁ?」律はまたも顔をしかめた。



 時緒は申し訳ない顔で手を合わせる。



「僕か母さんに用あったら速攻教えて!僕ちょっと尿意が…!しつこいセールスだったら呪って良いから!」



 そう言って、時緒は廊下とトイレ、脱衣所を仕切る暖簾の向こうへと、そそくさと姿を消した。



「ち…仕方のない奴だ」



 舌打ち一つ、漆黒のポニーテールを翻し、律は玄関へと向かう。


 途中、居間を見遣る。


 家主である真理子は佳奈美への説教に夢中で呼び鈴に気づいていない。



(やれやれ…どいつもこいつも…。この私がちゃんとしないと駄目なのか?)



 律はふふん、と得意げに鼻を鳴らすと、玄関の戸を開ける。



「どちら様ですか?くだらんセールスだったら毎晩金縛りにさせますよ…?私巫女なので…、そういうの得意なので…?」



 得意の脅し文句を言おうとした、律の動きがはたりと止まる。



「…………」



 玄関の前で、長身の青年が一人、深々と頭を垂れていた。


 赤毛の三つ編みが、そよ風に揺れている。



「失礼、トキオ殿の御屋敷がこちらと聞きまして……」



 青年の美声が音の波となって律の鼓膜をくすぐる。


 普通の女子ならば魅入ってしまいそうな美声だ。


 だが律は眉を顰めて、ただでさえ強気な目つきを更に鋭くした。



「…確かにここは椎名の家ですが…どちら様ですか?」



 律の問いに、青年の口元がにやりと歪んだ。



「我はルーリア銀河帝国…ティセリア騎士団所属騎士…カウナ・モ・カンクーザ!」



 そして、青年はゆっくりと頭を上げる。同時に青年のシルエットが一瞬ぼやけた。



「…っ!?」律はびっくりして、思わず後ずさる。



 目の前の青年の服装が変わっていく。


 煌びやかな真紅の装束、現代日本のデザインとは到底思えない独特の格好。


 律は見覚えがあった。


 色は違うが、かつて会ったシーヴァンの格好と同じだった。


 服装だけではない。いつの間にか青年の側頭部からは牛のような耳が生え、ゆっくりと開かれた瞳の瞳孔は細長くなっている。



「ル、ルーリア人…!?」

「左様に、カウナ・モ・カンクーザ。トキオ・シイナ殿は御在宅ですか?エクスレイガと…美しき戦争をしに、」



 律の視線と、カウナの視線が交錯する。


 刹那。



「……っ!!」



 カウナが、律の手をがしりと掴み、強く熱く握り締めた。



「な……っ!?」

「こ…こんな気持ちは……初めてだ!!」



 熱く。熱く。真っ直ぐに。


 カウナの視線が、律を見つめるカウナの視線が、更に熱を帯びていく。



「……其方は……美しい!我の恋人となってくれまいか!?」



 カウナは頬を紅潮させ、キザなポーズを棒立ちの律へと投げつけ続ける。


 

「…………」



 ゆっくりと深呼吸をして……。苛立ちを抑えて……。


 律は、頬を染め自分を見つめるカウナを、睨み付けた。



「…………エクスレイガじゃなくて救急車呼んでやろうか?」

「律〜?どちら様〜〜?」



 トイレから聞こえる、時緒の間延びしたが、律を一層腹立たせた。





 続く

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