シーヴァンはすき焼きがお好き?

 


 夕暮れ、椎名邸の居間にてーー。


『はいそんなワケで!ルーリアの占領下となった大阪のヤシモト芸能本社からお送りしました〜〜!ほな〜〜!!』

『あはははは!地球の笑芸士ゲラーは最高ですねー!!』




 テレビから聞こえてくるルーリア人統制官の陽気な笑い声を背に浴びながら、帰宅した時緒はエプロン姿の母真理子へと詰め寄った。



「芽依子さんが転入してくるなんて、聞いてないよ!?」

「言ってねーもん」



 しれっと真理子が言うものだから、時緒は開いた口が塞がらない。



「な、何故に!?何故に言わない!?」

「そっちの方がおもしれーから」

「ふが…!?」



 これまたしれっと真理子は言い切った。


 罪悪感もへったくれも無い母の言動。まるで霞を斬るような手応えの無さ。『暖簾に腕押し』とはまさにこのことだ。


 段々、時緒は怒ることが馬鹿馬鹿しく思ってきた……。



「ああ〜〜もぅ…」



 時緒は卓袱台へと突っ伏す。学校で男子からの攻撃と女子からの質問責めを躱していた疲労が、今になってどっと押し寄せてきた……。


 真理子の手伝いをしていたシーヴァンが、そんな時緒を見て表情を険しくする。


「むむっ!トキオ…!お行儀が悪いぞ…!」

「シーヴァンさ〜ん、だって母さんが〜…」

「ほらほら退いてくれ…!チャブダイが拭けないじゃないか…!」



 しょっぱい表情の時緒をやや乱雑に退かして、宇宙の騎士はせっせと卓袱台を綺麗な布巾で拭いていく。


 すると、居間の戸がするりと開いた。



「時緒…くん?」



 半分開いた戸の向こうから、ジャージ姿の芽依子が顔を右半分だけ出して、時緒を見ていた。



「……時緒くんは…、私が…私と学校行くの…嫌ですか?」



 そう言って、芽依子は悲しげな瞳で時緒を見つめた。



「そんっ…!」


 時緒は動揺ぎょっとする。



 違う違う。そうじゃ、そうじゃない。


 カラオケで得意な曲のワンフレーズを思い出しながら、時緒は首を横に振る。


 無論、芽依子が転入してきたことが嫌なのではない。


 真理子が転入の旨を言わなかったことが、嫌だったのであって……。



「あ、いや、ちょ…」



 しかし、弁明しようと焦れば焦る程、時緒の舌は上手く回転してくれない。


 何とも格好の悪い音のみが、口から漏れるだけであった。



「…嫌ですか?」



 芽依子の潤んだ視線が、時緒を貫いた。



「さァ馬鹿息子、どうするどうする?」



 背後から真理子の心底嬉しそうな含み笑いが聞こえた。興味深々なシーヴァンの気配も感じ取れる。




「〜〜〜〜っ」



 こうなっては仕方がない。


 時緒は、正直な心のままに、芽依子へと首を垂れたのだった。



「嫌な訳無いでしょう。とっても嬉しいですよ。ちょっとびっくりしただけです」

「…本当ですか?」

「本当です」

「…本当に?」

「本当です」

「……」

「嬉しいです」



 ひゅう、真理子が口笛を鳴らした。


 真理子に習ってシーヴァンも、ふひゅ、と下手な口笛を吹いた。



「嬉しいですよ。一緒に学校行けて」

「良かった…!」



 途端に、芽依子はころりと表情を変えた。


 健康的な、芽依子の満面の笑顔。


 まるで満開の桜めいたその笑顔に、時緒は思わず見惚れてしまった。



「さあ時緒くんにシーヴァンさん!ご飯にしましょう!お腹ぺこぺこです!」



「おうよ!!」真理子が景気良く卓袱台にカセットコンロを置いた。



「…………」



 芽依子には敵わない。決して。


 そう時緒は心中で悟った。


 そんな、猪苗代の夕飯時だった。





 ****





「「「いただきまーす!!」」」



「これは…っ!?」シーヴァンは驚きに目を見張った。


 卓袱台上の鉄鍋の中では、飴色に煮込まれた肉を始め、一口サイズに切られた白菜に春菊、エノキに椎茸、長葱、シラタキ、カマボコがぐつぐつと湯気を立てている。


 居間を満たす甘く豊かな香りに、シーヴァンの口内は瞬く間に唾液でいっぱいになった。


 このような料理を、シーヴァンは今まで見た事がなかった。



「この料理は一体…?」

「すき焼きですよ。シーヴァンさん」

「スキヤッキー…だと…!?」



 聞いた事のない料理名を言う時緒に、シーヴァンは首を傾げて見せた。



「とっても美味しいんですよ!」

「う、うむ…美味そうだ…。しかしながら、食べ方が分からん」



 すると芽依子が、シーヴァンに溶き卵が入った小鉢を差し出した。



「シーヴァンさん、鍋の中の具材をこの溶き卵に浸してお召し上がりください」

「は…はっ!恐悦至極に存じます…!」



 芽依子から小鉢を受け取りながら、シーヴァンは思う。


 何故かは分からないが、芽依子と話をすると、つい畏まった態度を取ってしまう。


 別に芽依子を意識した訳ではない。そういう訳ではないが、つい条件反射で受け答えてしまう。


 まるでルーリアの皇族と接しているようだった。


 一体何故……?



「う〜ん!美味い!!」

「おばさま…!最高です!!」

「みんなじゃんじゃん食え!肉も野菜もたくさん買ってきたからな!!ほれほれシーヴァン君も!」



 シーヴァンがそうこう考えているうちに、時緒たちは箸を忙しなく動かしながら幸せそうに舌鼓をうっている。


 シーヴァンも負けじと、鍋の中に箸を入れた。



「 では……イタダキマス 」



 時緒がやっている事の見様見真似で、シーヴァンはロース肉を掬い……。



「……」



 肉を溶き卵に浸けて……。



「……」



 意を決して、口の中へと放り込む。



「っっっっ!!」



 瞬間、稲妻めいた衝撃がシーヴァンの身体を突き抜けた!



美味うんまぁい〜〜〜〜〜!!」



 シーヴァンは叫んだ。


 恥も外聞も、思春期を経て構築した生真面目で思慮深い性格キャラクターをもかなぐり捨てて、シーヴァンは心のままに叫んだ。



「こ、これがスキヤッキー!美味い!美味すぎる!!甘辛い汁とコクのある卵黄が絡まった肉が!口の中で旨味と脂を迸らせながら蕩けていく!!汁を吸ってクタクタになったこの植物の茎も美味い!!この植物の名は何と言うのだ!?トキオ!?」

「ね、葱です……」

「ネギ!ネギが美味い!!こんな美味いものはルーリアにもない!!美味い…美味い…!!この騎士シーヴァン…感激だ!!」



 肉、葱、シラタキ、カマボコ!あらゆる具材をせっせせっせと取りながら、シーヴァンはすき焼きを、鼻の穴を大きくしながら口へと放り込んだ!



「美味い!美味いぞ〜〜!!」

「…シーヴァンさん…ミスター味っ子みたいになってる…」

「面白え子だなぁホント…」




 真理子と時緒、椎名母子の可笑しそうな視線なぞ何のその。シーヴァンは恍惚の表情ですき焼きを堪能し続けた。



「あらゆる食材がこのナベなる容器の中で煮込まれ…互いの旨味を助長し合っていく…!」



 そして、シーヴァンは突然目をかっと見開いた。



「そうか…!スキヤッキーとは騎士道!ルーリアの騎士道そのものだ!様々な星々と戦い合い、様々な人々と手を取り合って鍛えられてきた騎士道だ!スキヤッキーとはルーリア…いや、全銀河の戦士たちの縮図なのだ…ッ!」



 ロース肉とかまぼこを頬張りながら、シーヴァンは一人で感動していた。


 感激の涙に潤む瞳の煌めきは、さながら満天の星空の如く。


 肉の脂に艶めくその唇は、初めて恋をした少女の如く。



「マリコさん…!ゴハンオカワリ…ッ!」

「いいぜぇシーヴァン君!男ならば食らえッ!!」

「はい…ッ!」


 

 シーヴァンは今、至福の絶頂に在ったのだった……。





 ****





 これは全くの余談である。


 地球とルーリアとの戦争が終結してから約半世紀後。


 騎士としてだけでなく、美食家、文豪としても名を馳せたシーヴァン・ワゥン・ドーグスは著書【銀河美食紀行・太陽系編】に於いて、こう書き綴っている。



 『ルーリアの、いや、銀河の騎士たるもの、地球へ訪れた際には、兎にも角にもスキヤッキーを堪能すべし!』


 と……。






 ****





「ふぅぅ…」



 水洗トイレの水を流した時緒は、すっきりと息を吐いた。


 芽依子とシーヴァンからは行儀が悪いと苦言を呈されたが、尿意とは是即ち生理現象。如何ともし難い物である。


 時緒は手を良く洗い、正文の生家である【老舗旅館 平沢庵】で購入した暖簾を潜る。



「……?」



 何処からともなく、りいりいと鈴の鳴るような音が聞こえてきたので、時緒ははたと足を止めた。


 はて?鈴虫が出て来るには随分季節外れだ。


 耳を澄ませば、時緒の部屋から聞こえて来るようだが……?



「……」



 時緒は如何なる気配も逃すまいと、感覚を研ぎ澄ましながら自室の戸を開けた。


 音の発生源が分かった。


 折りたたみ式のテーブルの上、時緒がシーヴァンに貸し与えた携帯ゲーム、その横に置かれた腕輪が鈴の音と共に淡い光を放っていたのだ。


 シーヴァンの腕輪だった。


 シーヴァンに届けた方が良い。瞬時にそう決断した時緒は腕輪を取ろうと手を伸ばす。



 「 あ 」



 液晶めいた腕輪の中央部に、時緒の手が触れてーー



「…………」

『…………』



 時緒は目が合った。


 狐の様な耳を生やした銀髪の幼い少女と、目が合った。



 一瞬時緒は、(こんな女の子、家にいたっけ?)と思ってしまった。



 余りに突然の出来事に、時緒の脳が頓珍漢な思考を構築してしまったのだ。


 その為、目の前の少女が宙に投影された立体映像だと理解するのに幾分が時間を要してしまったのだ。



「…………」

『…………』



 二人は目を真ん丸にして、お互い阿呆面で見つめ合い。


 時緒は……。


 は……。



 遅れてやってきた”驚き”に、二人共々その身を委ねたのだった。





「うわーーっ!?君は誰だーー!?」

『うぴゃーーっ!?おまえはだれだぅーー!?』





 続く

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