ハングリーハート



「おいぃこのぉ!とっととパトカー乗れよ!ミスター小便小僧とその不愉快な仲間達ィ!」

「ひいぃ!おまわりさんお願いです!せめてそこのコンビニで替えのパンツ買わせてぇ!!」

「こ、ここ腰が…腰が抜けた…」

「ノブさぁん…!猪苗代ここは…ここは戦闘民族の住処だったんですよ…!」

「あのオンナがメチャ強かったんだ…!最初の中坊もきっと…、いや…あのガキ共ももしかしたら…ぶるる…!」

「………あぁ…オンナに殴られる事が………こんなに気持ちイイコトだったなんて…うふふ…お空綺麗…」




 ****




「ぅ……!」



 芽依子が小さく呻きながら膝をついたのは、ノブさん達を乗せたパトカーが走り去って直ぐの事だった。



「め、芽依子さん!?」


 時緒は慌てて芽依子に駆け寄り、芽依子に肩を貸す。



「やっぱり…何処か怪我を!?」



 時緒の問いに、芽依子はいやに青白い顔で首を横に振り、否定の意を示した。




 ごろろろろろ……



 ふと、周囲の空気を震わすかのような重低音が聞こえてくる。



「……雷?」

「やだ。かみなりこわいよぅ」



 遠雷かと思った時緒と男児は天を仰ぐ。


 しかし、蒼と橙のグラデーションがかった空が広がるばかりで、雷雲など何処にも無い。



 ごろろろろろ……



 まただ。また謎の音が聞こえてきた。



「「……?」」



 時緒と男児が互いの顔を見合わせながら首を傾げていると……。



「…ぁ…あのぅ〜〜〜…」



 先程の鬼気迫る勇姿が嘘幻であったかのように、芽依子は青白い顔で弱々しく挙手をした。



「…雷じゃありません…。私の…、私の……です…」

「「おなかのおと」」



 異口同音。時緒と男児は目を丸くしてしまう。


 ごろろろろろ


 ごろろろろろ


 ぎゅるるるる



 確かに、耳を澄ませばこの重低音は芽依子の体内から聞こえてくるようだ。


 時緒に注視されているのが恥ずかしかったのか、芽依子は腹を押さえ、前のめりにうずくまる。



「ご…ごめんなさい…。た、体力を使い過ぎて…お、お腹が…お腹が空きました…。めまいが…あ、歩けません……。と、と時緒くん…ご、ごめ…う〜〜ん…」



 とうとう芽依子は目を回し、時緒に身を委ねるように崩れ落ちてしまった。



「わぁぁ!?芽依子さ〜ん!?」

「おね〜ちゃ〜ん!?」




 ****




「……ふむ」



 その老人は鼻下の整えられた髭を撫でながら、夕暮れの公園を遠目に見ていた。


 否、正確にはある一点。


 長い亜麻色の髪の少女を背負った一人の少年を見ていた。



(…阿呆餓鬼がいると聞いたから成敗してやろうと来てみれば…、成る程成る程…面白い物が見れたわい…)



 ほくそ笑みながら、老人はジーンズのポケットから長方形の紙を取り出す。


 写真だった。


 写真には浴衣姿の少女を中心に彼女の友人らしき者達が、皆楽しそうに笑っている。


 その中、少女が見つめる先で特撮ヒーローのお面を頭に付けながらタコ焼きを頬張っている少年に目を落とす。



「かかっ」老人は笑った。



 写真の中の少女、老人の孫娘と一緒に写っている少年と、今、亜麻色の髪の乙女を背負っている少年が同一人物だと確信したからだ。



 やがて、小さな男児が手を振る中、少年は乙女をおぶったまま走りだした。



「うあー!これも鍛錬ー!!」などと少年が叫んでいる。


 彼が両手に持っているトートバックにはたくさんの食材が入っているのに、その重さを感じさせない程の猛スピードだ。



(…あのぼんが椎名 時緒か…。成る程…中々面白そうな小僧よ…)



 みるみるうちに小さくなっていく少年、時緒のシルエットを見送りながら…。



 老人は、《神宮寺 喜八郎じんぐうじ きはちろう》は、御機嫌な口笛を吹いて公園を後にした。


 快調な足取りで。



(真琴よ〜、お前の恋路〜、ちと面白い事になるかもだぞ〜!悔いのないようにな〜!儂超楽しみ〜!ふっふ〜〜ん!)




 ****




「待ってろ芽依ぃ!今肉焼いてやっからな!肉ぅぅぅ!!」

「母さん!豚汁とおひたし完成!お米ももうすぐ炊けるよ!」



 椎名邸の台所は、てんやわんやの大騒ぎ。


 時緒から芽依子が『お腹を空かして倒れた』と連絡を貰った真理子は、エクスレイガが格納された廃ビルから法定時速ぎりぎりの速度で車を走らせて帰宅、すぐさま夕飯の支度へと取り掛かった。



「よし!切った玉葱フライパンの中へインしてくれ!イン!」



 居間でうずくまっている芽依子へ、早く夕飯を出してやりたいと焦った真理子は勢い良くフライパンの上蓋を開けた。


 !!!!!


 それがいけなかった。


 蓋に付いた水滴がフライパンへと落ち、肉から染み出した熱々の油が破裂音と共に激しく跳ね、真理子の顔面を直撃する。



「ぎゃあぁぁぁぁぁ!?あっつうぅぅぅ!!」



 真理子は顔を覆い悶絶する。


 突き抜ける激痛をなんとか誤魔化そうと手足を激しく動かしてもがく



「あ痛ぁぁぁぁぁ!?」



 振り回された真理子の足が時緒の尻にクリーンヒットした。



「何すんのさァ!?」

「うおぉぉ!目が!目がァァ!!」



 時緒は涙目で尻を摩る。


 流石はならず者にも一目置かれている母真理子。やぶれかぶれの蹴りでもすこぶる痛い。


 その時ーー



「うわっ!?」



 台所の床を何かが這っているのが目にとまり、時緒は驚愕した。


 傍目に亜麻色のモップめいた物体が床をずるずると這っている。



「…ぅぅ…」

「…って…め、芽依子さん!?」

「芽依ぃ!?」



 物体の正体は芽依子だった。


 芽依子が床を弱々しく這っていたのだ。


 モップに見えたのは芽依子の乱れた長髪であった。



「ぅぅ…時緒くん…おばさま…ぁ」



 呻き這う芽依子の姿が、以前伊織達と観に行ったジャパニーズホラー映画に登場する女幽霊みたいで、時緒は戦慄した。



「時緒くん…おばさま…私も…お手伝いを…ぉぉ!」

「寝・て・ろ!」

「もうすぐで出来ますから!」

「…そんな…そんな…!お二人とも…このままじゃ…私は食べてばかりの駄目人間に…食っちゃ寝のろくでなしに…ぅぅ…う!」



 床に突っ伏し、芽依子はさめざめと嘆く。



 どどぎゅるるるる……



 そんな芽依子の腹の音は最早遠雷ではない。


 スタート直前のF-1カーのようだった。




 ****





 豚バラ肉の生姜焼き。


 豚汁。


 里芋と大根の煮物。


 ほうれん草のおひたし。



「…!…!…!!!!」



 芽依子は一心不乱に食べる。食べる。食べる。


 その光景に時緒は唖然とした。


 驚くのはその量だ。速さだ。


 山を築くように盛られた生姜焼きや煮物が、瞬く間に芽依子の口の中へと消えていった。



「芽依、ご飯のおかわりは?」

「いただきまひゅ!」

「ほいほい!いっぱい食えいっぱい食え」



 顔面絆創膏だらけの真理子が芽依子の椀に白飯を盛る。


 いや、正確には椀ではない。


 ラーメン用の丼だ。


 丼に、一昔前のギャグ漫画の如くうず高く盛られた白飯をーー



「!!!!!!…!!!!」



 凄まじいスピードで芽依子がかき込んでいく。


 ここで時緒は合点がいった。


 今日買った大量の食材は、芽依子の為のものであったという事を。


 生姜焼き、煮物、共に消滅。


 そんな芽依子にバキュームカーをイメージしてしまった時緒は思わず「ぶっ!」と豚汁を吹いてしまった。



「……!」



 芽依子の箸が止まる。


 ぎちぎちと、ブリキ人形のような動作で芽依子が時緒を見た。


 時緒と芽依子の視線が絡み合う。



「「…………」」



 なにやら変な空気になってしまったので、時緒は話のきっかけを作る事にする。


 時緒が素直に思った事だ。



「芽依子さん、大食いなんですね!かっこいいです!」

「〜〜〜〜〜〜〜〜!!」



 四杯目の白飯を平らげた芽依子の顔が、みるみる真紅に染まっていく。


 唯一白いのは、口元にくっついた御飯粒のみ。



「…ばかやろ。女の子に向かって大食い言うんじゃねぇや…」



 溜め息を吐きながら、真理子は時緒手製の豚汁をずいと啜った。



「…お…美味えな…」



 

 ****




「…私、すぐお腹空いちゃうんです…。そのくせたくさん食べて…情けない限りです…」



 芽依子が恥ずかしそうに呟く。



「兄からは『燃費が悪過ぎる』って笑われたり…、妹は『うゅ〜!お姉ちゃま!これも食べて〜!』って嫌いな食べ物押し付けてきて…」



 浴衣の上から半纏はんてんを纏った芽依子は縁側に腰掛け、風呂上がりで微かに水気をふくんだ髪を夜風に揺らした。



「389、390…情けなくなんかないですよ…!391、392!」



 庭で竹刀の素振りをしながら、時緒は笑う。


 雲の隙間からこぼれる月光が、時緒の汗を真珠色に煌めかせた。



「いっぱい食べれるって事は元気って事ですよね!元気は大事です!元気最強!元気万歳!僕も見習わせて下さい!393!394!」



 うんうんと頷きながら時緒は素振りのスパートを上げた。


 首に掛けたルリアリウムが仄かに光り出す。時緒の上昇する精神力に感応しているのだ。



「…時緒くんは…本当に…真っ直ぐに育ってくれたんですね……」

「396!397!…はい?何か、言いました?398!399!400!」



 悪戯っぽくと笑って、芽依子は「なんでもありません」首を横に振った。


 同じことを二度言うのは小恥ずかしいし、何より時緒の精神を乱してしまいそうで嫌だったからだ。



「時緒くん。今日の鍛錬はここまでにしましょう。お疲れ様です」



「はい!今日一日、ありがとうございました!」時緒は芽依子に向かって深々と礼をする。


 ーーと。



「芽依子さん?」

「はい?」

「公園の時に見せてくれた、芽依子さんの超強力パンチ、僕にも教えてくれませんか?」

「訓き…ごほん…格拳術ですか?…ちょっと難しいですよ?…まず臍下丹田せいかたんでんに力を集中させ、全身の氣の流れを……」

「ふむふむ…」



 ………。


 ……。




 およそ三十分後……鋭い風切り音と共に、椎名邸の庭からリング状の衝撃波が空へと迸った。


 時緒の歓喜の声と共に。



「やった〜〜!出〜〜来た〜〜〜〜〜〜!!」

「…あらら…時緒くんてば本当に出来ちゃいました…。2、3年は練習が必要なのに…」






 続く

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