芽依子の拳
「暴力でしたら僕にどうぞ!正々堂々、勝負させていただきます!」
時緒の澱みの無い一声に、あこぎな青年達は一瞬呆気に取られてしまった。
煙草のヤニにまみれた歯を覗かせ、ぽかんと時緒を眺めている。
「う〜っ!うぅ〜っ!」
必死にもがき、気の抜けたノブさんの手から逃れた男児は、「君!こっちおいで!」と手招きする時緒に従い、一目散に、一心不乱に時緒目掛けて走った。
そして、時緒の背後から現れた芽依子に、ひしと抱き止められた。
「もう大丈夫ですよ!可哀想に…!」
「う…うわぁ〜〜〜〜ん!」
芽依子の柔らかな胸に飛び込み、温かい安心感に包まれた男児は、堰が切れたかのように泣き出した。
「…………」
男児を手放した青年達は、さして残念な顔をしていない。
今、自分達の目の前に。
小さく脆い子供達よりも、殴り甲斐のありそうな
「「ぎ…ぎゃ〜はははははははははははははははひぃ〜ははははははははははははははははははははははははぶはははははははははははははははははははははァ!!!」」
我慢も限界、といった感じに青年達は時緒を指差し、大いに嗤った。
下卑た笑い声が、猪苗代の綺麗な夕景を汚していく。
「ぎゃははは!聞いたかお前ら!?」
「正々堂々だってよ〜!ウケる〜!」
「しょーぶさせていただきましゅ〜!ダッセー!!」
「ハイ!オマエぶっ殺しけってーね!」
「カッコいいでちゅね〜!何のマンガの真似でちゅか〜?バッカじゃね〜のォ〜?」
威嚇と嘲笑の津波と化した馬鹿笑いを、時緒は黙したまま真っ向から受ける。
だが、その眼光に揺らぎは無い。
「…ちっ!」時緒の視線に内面を見透かされた気がした取り巻きの一人が、居心地悪そうに時緒に詰め寄った。
「オラァ!」
「…っ!」
詰め寄って来た取り巻きの青年が吐きかけた息が余りにも臭く、ここで初めて時緒は眉をしかめた。
この者は一体何を食べたのか?それとも内臓が不調なのか?
時緒は何となくこの青年の体調が心配になってしまう。
「オイ中坊!」
「すみません、僕高校生です」
「んな事ァどうだっていいんだよ!良いのかなァ?俺たちにケンカ売っちゃって?そんなヒョロイ身体一瞬で骨折しちゃうよ?その女みてぇな顔グチャグチャにするよ〜ん?」
舌カビで白くなった舌を出し、威嚇しながら青年は時緒を嘲笑い、仰々しい態度で背後でにやにや笑っているノブさんを指し示す。
「こちらに在わすノブさんはなァ……かつてここいらの暴走族を纏め上げた伝説の鬼総長”椎名 真理子”の一番弟子なんだぜェ?椎名 真理子だぞ!?どうだァ?恐えだろ?ひゃはははは!」
「おいおいやめろよォ〜?俺の武勇伝?そのガキブルっちまって心臓止まったらどうすんだよォ〜〜?ぎゃはははははは!!」
ノブさんが鼻高々と胸を張り、それに吊られて取り巻き達も再び笑いだした。
「…………」
「ひゃはははははは!見てくださいノブさん!あいつ、ノブさんの強さに恐れなしてビビってますぜ!」
青年達の嘲笑など時緒にはもう聞こえない。
子供たちを怖がらせ、虐めた輩の戯言など、聞く気にもなれなかった。
「………」
「はい?」
ふと、ジャージのフードを引っ張られる感触がした。
時緒が振り返ると、芽依子が心配そうに見上げているではないか。
「時緒くん、時緒くん」芽依子がこしょこしょと時緒に耳打ちをしてくる。
微かにバニラの香りがする芽依子の吐息が耳をくすぐり、非常にこそばゆい。
「先程、あちらの方が
「嘘です」時緒がきっぱりと否定した。
「母さん公認の一番弟子は【
そう断言する時緒を見て、芽依子はにこりと笑顔を咲かせた。
「そうですか。なら、あの方々をどうこうしたところで、おばさまにご迷惑が掛かる訳ではないのですね。安心しました」
「この子をお願いします」そう言うと、芽依子はひらりと髪をなびかせながら、時緒の前へと躍り出た。
「おっ?」
「おぉ〜〜?」
芽依子が姿を現した途端、青年たち浮き足立つ。
「ノ、ノブさん!女ッスよ!オンナ!」
「え!?良くね!?レベル高くね!?」
「デカパイにデカケツ!そ、そそるゥー!オカしてぇ〜!」
「やっべ…!勃ってきた…!」
彼等の卑猥な眼差しと笑み、下劣な野次に晒されながらも、芽依子は時緒と同様に凛とした姿勢を崩さず、真っ直ぐに青年たちへと歩む。
「芽依子さん!?何を!?その人達の相手は僕が…、」
芽依子の行動に驚いた時緒は、足にしがみつく男児を優しくさすりながら声をあげる。
すると芽依子は無言のまま振り向いた。
「……」
芽依子の口元は笑っていたが、その瞳からは慈愛の光は無くなっており、鋭い威圧感が静かに放たれている。
まさしく、氷の微笑であった。
「時緒くん、貴方のその武腕はルーリアの騎士達と…誇り高い戦士達と戦う為にあるものです。あのような不埒な輩に振るって良いものではありません」
「ですが…!」
「御心配なく。私もそれなりに武腕には自信があります。それに…」
芽依子は小首を傾げ、にこりと笑った。
「お恥ずかしながら私、今…少々イライラしてるんです…。お腹が空いてしまって…」
そう呟いて、芽依子は再び歩を進める。
彼女の背中から放たれる静かで重苦しい怒気に、時緒は口を閉じざるを得なかった。
****
「お、おいっ!どけっ!!」
「ギャッ!?ノ、ノブさんっ!?」
取り巻き達を乱暴に押し退け、ノブさんは自身達へと接近してくる芽依子の前へと立ちはだかった。
「へぇ〜…おほっ!」
芽依子の肢体、その頭頂から爪先までを舐め回すように暫く眺めたのち、ノブさんは鼻の下をだらしなく伸ばす。
「…貴方が頭領格の方ですね?子供たちを虐めるような真似…どうかお止めくださいな…」
「うっせ!こんなおもしれぇ事止められっか!それよりもよぉ……?」
ノブさんは芽依子の顔を見てうんうん頷くと、芽依子の鼻の先でぱちりと指を鳴らした。
「お前気に入ったわ!今日からお前オレの
「さすがノブさん!良いオンナゲット!!」
取り巻き達の喝采の中、ノブさんは鼻息を荒くして、卑猥な笑みで芽依子を見下ろす。
「…誠に申し訳御座いません。慎んで、御断りさせていただきます」
屈強で柄の悪い男達に囲まれる。
普通の女性ならば恐怖してしまうような状況の中、芽依子は柔らかな微笑を顔に貼り付け、仰々しく拒絶の意を示した。
「ハァァ!?」芽依子に拒絶されたノブさんは憤慨。
まさか、自分に恐怖せず、ましてや反意する女がいたとは。
かつてない屈辱にノブさんは拳を震わせた。
「お前バカァ〜!?これはお願いじゃねぇの!命令なの!め・い・れ・い!男尊女卑って知ってる〜!?この世のルール!オンナは俺みてぇな強いオトコに従わねえといけね〜の!!」
「……」
周囲に唾を散らしながらまくし立てるノブさんに、芽依子は全く動じない。
そんな芽依子の態度が、ノブさんたちの苛つきを更に加速させる。
「痛い目見ないと分からないワケ?オレ、オンナにも容赦しないぜェ?何てったって最強だからなァ〜!」
「「うひょ〜!ヤっちゃってくださいよノブさん〜!!」」
「応よ!前歯二、三本折っときゃ言う事聞くだろ!そしたらラブホ直行だゼ!」
サディスティックな笑みで指の骨を鳴らしながら、微笑む芽依子へとじりじりと近付きーー
「食らいなァ!!」
!!!
その拳を、芽依子の顔面へと打ち付けた!
「…っっ!?」
「うわ〜ん!おねーちゃぁん!?」
息を呑む時緒、その足下で男児が泣き叫ぶ。
「「やったッ!さすがノブさんッ!!女にも容赦しないっ!そこに痺れる憧れるぅッ!!」」
耳障りな大声で、取り巻きたちがノブさんに拍手喝采を浴びせる。
……だが。
「…あ…あァ…!?」
当のノブさんは青ざめた顔で、殴りつけた芽依子を凝視していた。
打ち付けられたノブさんの渾身の拳を、芽依子はしっかりと受け止めていた。
しかも、片手で。
「…うふふ」
美しい亜麻色の前髪で目元を隠した芽依子が、嗤う……。
ぼきり、と何かが砕けた音がした。
「ぎっ!?ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」
突然ノブさんが悲痛な悲鳴をあげ、尻餅をついた。
見れば、芽依子を殴った手の指が、全て別々の方向にひしゃげている!
「ひぃっ!?い、痛いっ!?お、オレの指っ!ゆびがぁぁぁぁ!?」
歪にひしゃげた指を涙目でさするノブさんに、芽依子はゆるりゆるりと近付いてゆく。
「…大変失礼しました。”最強”と仰られていましたので…少し力を入れましたら折れてしまいましたね…。それにしても随分脆いのですね?カルシウムはちゃあんと摂られているのですか…?」
「ひっ…!?」ノブさんが呻いた。
「…痛いですか?怖いですか?あの子達も…子供達も同じ気持ちだったのですよ?」
「ぅ…うるせえェェェェ!!!」
微かに生まれた恐怖心を必死に振り払い、ノブさんはなんとか立ち上がる。
そして、ジャケットの胸ポケットから鈍く銀色に光る物体を取り出した。
折りたたみナイフだ!
「卑劣なっ!!」感情を剥き出した時緒が叫ぶ。
「うるせェッ!!お、オンナのクセに…ぶ、ぶっ殺してやるッ!!」
ナイフを構え、ノブさんは芽依子へと突撃する。その目は制御しきれない殺意で血走り、口の端からは唾液が泡となって垂れ落ちている。
正気な沙汰ではない!
「め、芽依子さん!今助太刀いたし…、」
「来ないでください!むしろ邪魔です!」
「邪魔…えぇ〜…!?」
加勢しようとした時緒を一喝して退かせると芽依子は溜め息一つ。
そして再びノブさんを見据えた。
「…どこまでも…愚かな人」
芽依子は腰を低く屈め、右拳を構える。
呼吸を落ち着かせ、瞳を閉じーー
「しぃぃねぇぇやぁぁぁぁぁぁあ!!!!」
「…何度も…死ねだの殺すだの…覚悟もないのに…」
突き出されたノブさんの凶刃を、芽依子は瞳を閉じたまま難無く躱し、彼の懐へと入ってーー
「訓騎院初級格拳術……基本型壱式……」
その白く美しい拳を、弾丸めいた速度でノブさんの鳩尾へと撃ち込んだ……!
「ぎっ…!?」
ノブさんの身体に衝撃が波の如く伝播する。
筋肉が波打ち、骨格が軋んで…。
ひと瞬きの、のちーー
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーー!!!????!!」
公園全体にリング状の衝撃波を奔らせて、芽依子の拳を受けたノブさんは凄まじい速度で後方へと吹き飛んでいった。
「「ノ、ノノブさギャアァァァァァァァァ〜〜〜〜!!??」」
重量およそ百キログラムの質量弾と化したノブさんは取り巻き全員を巻き込んでもなお止まらず、白い空気の壁をも突き抜けーー!
!!!!!!
地響き!
轟音!
かつて彼等自身が爆竹を鳴らしていた砂場へとーー
着弾!衝撃に砂埃が天高く巻き上がった!
****
「矢張り…時緒くんに貴方がたの相手をさせないで正解でした…。なんと手応えのない…。裏庭の青竹に打ち込みさせた方が…千倍万倍有意義でした…」
濛々と立ち込める砂煙の中、芽依子は虚しそうに立っていた。
やがて、土煙が晴れ……砂場で白目を剥いたままぴくぴくと伸びているノブさんと彼の取り巻き達が姿を表す。
ノブさんの股間に染みが形成され、次いでその下に水溜まりが形成された。
「あ!あのこわいひと、おもらしした!」
時緒にしがみ付いていた男児がノブさんを指差すと、それに呼応するかのように遠巻きで見ていた子供達も声をあげる。
「ほんとだ!おもらしだ!」
「おもらしだ!おもらしだ!」
おーもらし!おーもらし!おーもらし!おもらし〜!!
恐怖から解放された子供達の凱歌が響く中、芽依子は気絶したノブさん達を生ゴミを見るような、軽蔑の眼差しで見下ろす。
「『雌雄同格』…この宇宙のルールです。御粗末様でした…」
誰かが通報したのか。遠くからパトカーのサイレン音が聞こえてきた。
芽依子は気絶したノブさん達に、スカートの端を摘んで一礼すると、トートバックと男児を抱えたまま、顔を夕陽色に染めている時緒を見詰め、ふわりと優しく微笑んだ。
「さぁ時緒くん、帰りましょう!おばさまもお帰りになる時間です」
聖母の様な笑顔。
子供を慈しむ包容力。
そして、悪業には無慈悲なまでの勇猛さ。
凄まじい戦闘力!
そんな芽依子の勇姿に堪らず感動した時緒はーー
「芽依子さん…、お…お…御見逸れしましたーー!!」
「しました〜!」
恥ずかしそうな顔をする芽依子へ、男児と共に深々と頭を下げた。
続く
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