僕のフレンズ



「それではみなさん!お手を拝借!いただきまっす!!」

「「いただきます!」」



 真理子の号令に従って芽依子と、学生服に着替えた時緒は手を合わす。


 卓袱台ちゃぶだいに並ぶのは、香り豊かな朝食の品々。


 ふっくら艶々と炊き上がった白飯。


 ほんのり浮かぶ焼き色が食欲をそそるメバルの焼魚。


 汁物に葱と油揚げの味噌汁。時緒と芽依子の味噌汁には半熟卵が落とされていた。


 極め付けは、コップに注がれた真理子特製野菜ジュース(無糖)である。



「母さんの料理、何だか久しぶりで嬉しいなぁ…!」

「エクスの組み立てや調整で最近作ってやれなかったからなぁ〜〜……ほれ!食え食え!」



 申し訳なさそうな苦笑顔の真理子に促されるまま、時緒は焼魚に箸を伸ばす。


 箸で魚の身を割りほぐし、口の中へ放り込むめば、途端に魚の脂と旨味が口いっぱいに広がり、時緒は思わず目を細めた。


 そのままに味噌汁を啜る。しゃきしゃきとした葱、味噌汁と卵の黄身が染み込んだ油揚げの食感が時緒の食欲を更に増進させる。



「うんうん!美味い美味い!」と白飯をかき込む時緒の顔を見ていると、真理子も芽依子も思わず頬が緩んでしまう。



「時緒さぁ、美味しく食ってくれるのはありがてぇがもうちょい落ち着いて食えや」

「そうですよ時緒くん…と言いたい所ですが、おばさまの御飯本当に美味しいです……!」



 朝の食卓に三人の笑い声が響き渡る。


 賑やかな空気にすっかり嬉しくなってしまった時緒の箸は、朝食中、止まる事はなかった。





 ****






 野菜ジュースを飲み干し、一足早く朝食を終えた時緒は、教科書や筆記用具が入った鞄を肩に掛け、履き慣れたスポーツシューズに両足を入れた。



「勝手に出るから、二人は朝御飯食べてて」と、時緒は居間に向かって言ったが……。


 いつの間にか真理子と芽依子は縁側からサンダルを突っかけて外に出ており、時緒が玄関を開けて出てみれば、二人は門前で手を振っていた。



「時緒〜しっかり勉強してくるんだぞ〜!いおりん達にもよろしくな〜!」

「いってらっしゃい時緒くん。お勉強も、お友達との交流も、精神力の大切な鍛錬に繋がりますからね〜!」



 

 二人の声は朝の猪苗代に心地良く響き渡り、垣根越しから、おしゃべり好きで近所では有名な隣家の中年婦人が顔を覗かせ、嬉しそうに眺めていた。


 少々小っ恥ずかしいが、こうやって見送られる事はありがたい事なのだと、時緒はしみじみと考えた。



「じゃあ二人とも、行ってきます!芽依子さん、帰ったらまた鍛錬宜しくお願いします!」

「はいはい!お待ちしています!」



 時緒は芽依子に向かって敬礼すると、流星号のペダルを思い切り漕いで、猪苗代駅へ向かって町中を駆けていったーー。



 …………。



「やれやれひと段落…おっと!【今日のにゃんこ】見ねえとっ!」



 時緒の姿が交差点の右端へと消えてゆくのを確認すると、真理子は背伸び一つしながら家の中へと入ろうとする。



「…………」



 ふと真理子が振り返ると、芽依子はまだ時緒の消えていった交差点をじいと見詰めていた。


 そんな芽依子の姿が、何だかいじらしく可愛いらしくて、真理子はついつい芽依子の頭を、子どものように撫でてしまっていた。



「芽依、寂しくないか?お前も学校行ってみるか?」



「い、いえいえっ!」芽依子は顔を真赤に染めて首を横に振った。



「私はもう学習過程は修了しましたから……」

「”地球こっち”の学校も面白いぞ〜?」

「…でも…ご厄介になっているのに…そんな我が儘まで…」



 どこまで芽依子この娘は遠慮がちなのだと、真理子は溜め息を吐く。



「お前はもう少しのびのびとしてろよ。猪苗代ここはそういう所だ。でかい山でかい空うまい食材!我慢してたら勿体無いぜ?」



「…はあ…」と、芽依子はもじもじ俯く。



「まぁ良いや!ゆっくり考えな!お前の我が儘だったら大歓迎だからよ!」



 そう言いながら、真理子は居間の卓袱台をーー



「…我慢と言やあ、あっちもか…」



 飯粒一つ残ってない芽依子の茶碗を見る。



「ちっ!私が馬鹿だった…!もうちょい米炊いときゃ良かった!あれっぽっちじゃお前の小腹の足しにもならねぇな!」


「ご…ごめんなさい…」芽依子の顔が更に赤くなっていく。


 ぎゅるぎゅると、芽依子の腹が鳴った。


「気にすんな!話は聞いてる!夕飯は期待してろ!もっと作るからな!」



 ガキ大将のようにかんらかんらと笑って、真理子は芽依子の肩を叩く。



「話…?おばさま?誰からその話を…?まさか…お父様が?」

「いんや。お前の…



 真理子は頭を掻きながら言うが……。


 対する芽依子は、険しい表情で空を睨んだ。



「…っ!いつもいつも…あの愚兄は…余計な事を…!!」




 ****






 椎名邸を出立して数分後……猪苗代駅へと辿り着いた時緒は駐輪場へ流星号を停めると、急ぎ早に駅の戸を開けた。


 ガラガラと音を立て、戸をくぐるとーー



「や、やった!フルコンボ…!」

「まこっちゃん音ゲー上手いなぁ!最高難易度だぜ!」

「この前椎名くんがやってるところ見てたから……」

「うにゃー!六千円も課金したのに星五出ないってどーゆーことなのー!?アーサー王ピックアップなんでしょー!?」

「……オメーどうすんだよ?まだ今月始まったばっかだぞ!?」

「お小遣いスッカラカンになっちった……どうしよ……」



 駅出入り口に立った時緒から向かって右側、窓張りの小部屋となっている待合室から、何やら賑やかな声が聞こえてきた。


 聞き覚えのある声。


 見れば、時緒と同じ制服姿の少年が一人、白を基調としたセーラー服の少女二人、楽しげに談笑している。



「…ぁっ!」



 待合室の扉を開ける時緒に、少年少女三人の内一人が気づいて、小さな声を上げた。


 神宮寺 真琴であった。



「椎名くん!」

「時緒だって!?」



 真琴の声に少年も振り向く。


 木村 伊織だ。



「神宮寺さん…伊織、昨日は…ゴメン!お陰様というか、なんというか…ピンピンしてます…、」

「時緒〜〜!心配したぞこんにゃろ〜!!喰らえ〜!!」



 感極まった伊織が突進、時緒へヘッドロックを仕掛けようとした。



「ふんっ!」



 だが、掴みかかろうとした伊織の手を時緒は払い除け、容易く伊織自身の背中へ回し締め上げる。



「ぎゃああああ!?ギブ!ギブアップ!!」



 澄ました顔で伊織を捩じ伏せる時緒に、真琴はおずおずと歩み寄る。



「…椎名くん…!良かったよ…無事で…!」

「…神宮寺さん…ありがとうね」



 伊織を解放すると、時緒は真琴へと深く頭を下げた。


 朝焼けの雲に似た色の、真琴の瞳が微かに潤んでいる。



「ありがとう…!ありがとう…!」



 心配してくれた事が、想っていた事が、嬉しくて申し訳なくて、時緒は何度も頭を下げた。


 そんな時緒の姿が、何故か凛々しく見えてしまった真琴は、頬を赤らめながら萎縮してしまった。


「し、椎名くん?な、何だか…今日の椎名くん…大人っぽい…?」

「時緒ーーっ!!」


 ほんのりとした空気をぶち壊す少女の声一つ。


 声の主は待合室の椅子を飛び越え、ひるがえるスカートからレモンイエローの下着が見えてしまっている事に気にもかけず、時緒めがけて突進してきた。



「時緒!私も心配したよー!いやはや心配心配!!にゃはははははは!!」



 ややふんわりしたショードボブヘアーのその少女は、爛漫な笑顔で時緒の手をがっしりと握り、乱暴に振り回した。


 時緒は引きつった笑みで少女を睨む。



「佳奈美、手え離して。痛い痛い」

「にゃははははは!本当だよ!心配したんだからね〜!」



 時緒の怪訝な表情も気にかけず、少女は馬鹿笑いを続けた。


 少女の名は《田淵 佳奈美たぶち かなみ》。


 伊織と同様に、時緒とは小学生時代からの友人である。


【元気】の意味をそのままに具現化させたような快活な少女。いや、快活過ぎる少女だ。



「時緒!私ったらマジ心配したんだからね!!もー夜も眠れないくらい!!ね?まこっちゃん?」

「あ、あはは…」



 何かにつけ、佳奈美は心配、心配と連呼する。


 瞳を輝かせながらそう凄む佳奈美に真琴はやや辟易した苦笑を見せた。



(佳奈美…何か企んでるな)



 およそ八年間、佳奈美の人となりを見てきた時緒の勘がそう告げた。


 ちらりと伊織を見れば、彼の瞳もまた(佳奈美その女を警戒されたし)と告げている、ように見える。



 時緒は深呼吸一つしてーー



「…言え佳奈美!なにか企んでるな!」



 佳奈美をじろりと睨んで言ってみる。



「うげっ!?」一瞬にして佳奈美の笑顔は崩壊した。


 喉をひくひく鳴らし、目は回遊魚の如く泳いでいる。


 分かり易い。明らかに動揺している。


 やがて……。


「うあーん!時緒!心配した!心配したから………、お礼にチョコとポテチとグミとジュース奢ってぇ〜〜!!」

「はぁ!?」

「お願い〜!助けて〜!今月のお小遣い全部スマホゲーに課金しちゃってもうないんだよ〜!!」

「なにやってんのよ!?」

「助けて時緒〜!あ、ご主人様って呼んであげる!時緒ご主人様〜!チョコとポテチとグミとジュース〜!!あと週刊少年スキップ!!」

「…………」



 無理矢理取り繕ったようなウィンクを連発する佳奈美。


 時緒は開いた口が塞がらない。


 先日、自身にエクスレイガを強奪された時の芽依子もこんな気持ちだったのだろうか?


 そう思えば思うほど、時緒はそんな事をした自分自身が恥ずかしくてしょうがなくなってしまった。




 ****




「…あれ?」



 待合室の売店で購入したチョコレート菓子を佳奈美の大きく開けられた口に放り込みながら、時緒は周囲を見回す。



「正文と律は?」



「…あっち」伊織がうんざりした表情で駅ホームの方向を指差した。



「…またアレ?」

「…そうアレ」

「…何だか…今日は朝から二人ともピリピリしてて…」

「まこっちゃん気にしなくて良いよ〜。あいつらの戯れ合いみたいなもんなんだから〜」

「そんな…佳奈ちゃん…」



 駅ホームのある方向を、真琴は心配そうに眺める。



「時緒、ちょっと行ってあの二人黙らせてきてよ〜?」

「僕がぁ?」



 チョコレート菓子を頬張りながらもそもそ言う佳奈美に、時緒は嫌な顔をしながら自身を指差した。



「時緒人助け好きでしょ?お願〜い!二人の"マジの戯れ合い"を止められるの時緒くらいだもん!」

「う〜〜ん…」



 佳奈美の言いなりになるのは少々癪だが……。


 致し方ない。



「じゃあ…ちょっと行ってくるよ」



 時緒は渋々頷くと、ベンチから立ち上がり待合室を後にする。



「気をつけてね…?」



 背後から聞こえてくる真琴の声に手だけ振って応えると、胸ポケットから定期券が入ったパスケースを取り出し、改札をくぐっていった。




 ****





 僅か百メートル足らずの猪苗代駅ホーム。


 その片隅で。


「…律…」

「…正文…」



 長身の少年と少女が見詰め合っていた。


 二人とも美しい……特に少年はテレビドラマで主演を張れるような、端正な顔立ちに鋭い目付きの美少年だ。


 側から見れば、まるで少女漫画のワンシーンめいたロマンティックな光景だが……。



「「てめぇ〜〜……」」



 二人の周囲を取り巻く空気は、悍ましい程張り詰めていた。



「律…お前みたいな人でなし、もううんざりだ…!」

「黙れ正文…恥知らずのこん畜生めが…!」


 

 "見詰め合って"いるのではない。


 "睨み合って"いるのだ。


 

 長身の少年の名は《平沢 正文ひらさわ まさふみ》。


 黒く艶めくポニーテールヘアーの少女の名は《丹野 律たんの りつ》。



 正文と律の二人は、まるで互いが自身の親の仇でもあるかのように睨み合ったまま微動だにしない。


 その眼光は正しく標的を前にした猟兵のそれであった。


 偶々通りかかった野良猫が、二人の放つ殺気に充てられ、ふぎゃあと悲鳴をあげて逃げていった。



「お前みたいなアンポンタンが巫女とは…【丹野神社】の面汚しが…!」

「貴様のようなドスケベが由緒ある【老舗旅館 平沢庵】の跡取りとは…世も末だな…!」



 カッッ!!!!



 二人の足下のアスファルトにひびが入る。


 互いの罵詈雑言が互いの堪忍袋の緒をぶった斬り、怒髪天の正文と律は距離を取る。


 その表情はら悪鬼羅刹の如く……!



「もう良い…律…お前は…!」

「正文…今日こそ…貴様を潰す!!」



 一触即発。


 二人は腰を低くし、互いに手刀を形成すると。


 !!!!


 脚に力を込め跳躍!一気に距離を詰める!



「「塵芥と成り果てろ!!」」



 正文の手刀が律の身体を。


 律の手刀が正文の身体を。


 今斬り裂かんと振り下ろされようとした。



「そこまでぇ!」



 正文と律の手刀がせめぎ合おうとしたその瞬間、二人の間に時緒が割って入る!



「な…!?時の字!?」

「椎名…!?」



 残像を発生させるほど速い二人の手刀、そのことごとくを時緒は捌き、受け流し、そして二人の手を握り止めた!



「二人とも!喧嘩の原因は何!?」



 時緒の叫びに、正文の奥歯がその口惜しさにぎしりと鳴った。



「時の字…我が心の友よ、聞いてくれ…その女の非道な仕打ちを…!」

「騙されるな椎名…!その男は屑だ!屑がヒトの形を取った存在だ!」



 時緒は息を呑む。


 何故ここまで?何が正文と律を怒らせたのか?


 どれほど悲痛な理由があるのか……!?





「聞いてくれ時の字…その女は…その女は……シャリシャリくん(氷菓の名称)は辛子明太子味が一番美味いと言うのだ…!!シャリシャリくんと言えばビーフステーキ味だろう!!」




「………は?」



 時緒は、目を点にした。


 それ見たことかと、律はほくそ笑む。



「見ろ正文!貴様の世迷い言に呆れた椎名の顔を!!何が心の友だ!小学二年生から合流したぽっと出が!!一年生の頃から仲良しこよしだった私こそが友…!友の中の友…!椎名も辛子明太子味の虜に決まっているだろうが…!!」



 むせぶ正文。


 狂笑する律。


 あまりの馬鹿馬鹿しさに、時緒は目の前が真っ白になった。


 なんと言えば分からない。


 どこからどう突っ込んで良いか分からない。


 ふと、時緒は振り返る。


 真琴、伊織、佳奈美。


 そろそろ電車が来るだろうとやって来た三人も事の顛末を聞いたのだろう。


 皆呆け面で、棒のように突っ立っていた……。



「時の字!そんな事は無いだろう!?お前もビーフステーキ味派の筈だ!そうだろう?そうだと言ってくれ…!!」

「椎名…貴様は優しい。きっと正文の戯言に同調してしまうだろう…!だが、言うべき時に言うことが真の優しさだろう?さあ椎名!私と共にこの愚か者を断罪しよう…!シャリシャリくんは辛子明太子味こそが至高だと…!!」

「ビーフステーキ味…」

「辛子明太子味…」

「ビーフステーキ味…!」

「辛子明太子味…!」

「ビーフステーキ味!」

「ビーフステーキ味…じゃなかった辛子明太子味!!」



 時緒の我慢は、限界へ達した。



「本当にどうでも良い!周りの迷惑だからやめなさいよ!!やめろよ!!」




 掠れた時緒の心からの叫びが春空に溶けていった。


 身に付けていたルリアリウムが時緒の心情に反応し再び輝く。


 まるで虹のような、眩ゆい輝きであった……。




 ****




「…ねえ?佳奈ちゃん?」

「あい?」

「平沢くんと律ちゃんて…本当に昔だったの?」

「うん。まこっちゃんが転校してくる前、中一の時に一ヶ月くらいね〜」

「…い、一ヶ月…」

「最初はさ、普通に付き合ってたんだけど…見ての通り二人とも我が強いじゃん?MAXじゃん?もの凄い喧嘩別れして、今あんな感じ!」

「……はぁ……恋って……色々あるんだなぁ……」





 続く

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