会津若松スクールデイ

 


 猪苗代駅から自動運転の電車に乗り、揺られる事三十余分。


 終点である【会津若松あいづわかまつ駅】から、自動運転バスに運ばれる事これまた十余分。


 名城たけきその景色。


 かつて百年ほど昔、会津戦争の折に新政府軍と旧幕府軍との激戦地と化した【鶴ヶ城天守閣跡】、そのお膝元。


 陽光を浴びて白く輝く城を見上げる、【会津聖鐘せいしょう高等学校】。


 其処が、この春からの、時緒の新しい学び舎ーー。



【一年三組】のやや殺風景な教室の中に、かりかりと鉛筆やシャープペンシルが紙面上を滑る音だけが微かに響いていた……。


 その音が余程心地良いのか。一年三組担任にして現国担当(ついでを言うと、コンピュータ部顧問)の”小関 圭介こせき けいすけ”教諭は、教卓横に置かれたパイプ椅子に腰掛け、うつらうつらと舟を漕いでいた。



 「「……………………」」



 木村 伊織。


 椎名 時緒。


 神宮寺 真琴。


 田淵 佳奈美。


 丹野 律。


 平沢 正文。


 猪苗代の仲良し六人組(例外有り)を含む、男子十五名、女子十四名から成る一年三組生徒は皆、無言で机の上の問題用紙を……抜き打ち実力テストの用紙を睨みながら、筆を走らせる……。


 


 やがて、終業を告げる鐘の音が校舎に鳴り響き、五十八の瞳達は安堵もしくは後悔の溜め息を吐きながら筆を置き、くたびれた顔を上げた。


 甘辛いテリヤキソースをたっぷりかけた超巨大ハンバーガーにかぶりつく夢を見ていた小関教諭もまた、名残惜しそうに目を覚ます。



「くぁ〜…、む!テスト終了〜!用紙集めて〜!」



 小関教諭は自身の無精髭を撫でながら、だらしのない欠伸を一つ。


 そして、ゆっくり立ち上がると悪戯小僧めいた笑顔で教え子達を見回した。



「お前達〜疲れた顔をしているな〜?お疲れお疲れ!実力テストもこれでしゅ〜りょ〜だ!この後は楽しい楽しいお昼御飯の時間だ!今日は五時限目のホームルームで終わりだから、もう少しの辛抱だぞ〜!じゃなっ!」



 そう言うと、小関教諭は集められたテスト用紙を回収。爽やかな笑顔で親指を立てると、四十路を過ぎた男にしてはえらく軽快かつ無邪気なスキップで教室から去っていった。



「おいおい…『起立、礼』やってねえぞ…」

「腹空いてたんじゃねぇの?」

「どんだけテキトーなのよあの先生」

「私好きだよ?ああいう先生」

「あ〜!連テス疲れたよ〜ぅ!」



 一転して、教室は学業から解放された生徒達の賑やかな声に包まれる。



「時の字、時の字」

「うん?」



 背後の席に座っていた正文が背中をつついてきたので、時緒は椅子の背もたれに腕を回して振り返る。


 正文の鋭い瞳が時緒を見詰めていた。



「テストの具合はどうだ?」



 正文の問いに時緒は首を傾げながらーー



「…良くて満点。悪くて…八十五点てところかな?」



 と応えた。



「流石だな、我が友にして永遠のライバル時の字」

「正文は?」

「問題ない。満点の自信がある」

「良かったじゃん」



 笑う時緒の顔を、正文は真摯な目で暫くじいと見てーー



「…だが…、名前を書き忘れた…!」

「…駄目じゃん…」



 ファッション雑誌の読者モデルに選ばれた程の二枚目な顔を渋く歪ませながら、窓から見える鶴ヶ城を眺める正文に、時緒は遣る瀬ない表情で首を振った。



「よぉどうだった?俺まあまあ〜。八十点はいけんじゃねえのって感じ〜?」



 気怠そうに肩の骨を鳴らしながら、伊織も時緒たちのもとへとやって来た。


 そんな伊織もまた、正文のテストの件を聞くや「…駄目じゃん…」と俯いた……。



「まあ良い。過ぎた事はくやまん。俺様、平沢 正文はそういう豪快な器量の男だ」



 得意げに胸を張る正文に、時緒と伊織は思う。


 ちょっとはくやもうぜ大将たいしょう……と。



「くっくく…!ははは…!やはり天罰というものは当たるものだな?愚か者!」

「り、律ちゃん…そんな言い方しちゃ駄目よ…」



 勝ち誇った笑いを上げながら律が近づいてきた。


 背後におろおろしている真琴を伴って。



「…そ…そういう貴様は…どうなのだ…?」



 周囲に悪寒を感じさせる程の怒りを放ちながら、正文は律へと問う。


 したりと、律は愉快げに片眼を細くした。



「お前と違って抜かりはないさ。印刷ミスが発見されたが、そんなもの…この丹野 律の前には障害にもならない」



「「印刷ミス?」」時緒と真琴が首を傾げる。



 はて?印刷ミスなどあっただろうか?



「最後の問題の解答欄がなかったのだ。まあ、答えは用紙の裏に書いた。問題ないだろう?」



「解答欄?……?」時緒は腕を組んで唸る。



 最後の問題の解答欄がない?


 それは?


 もしや?


 時緒は恐る恐る口を開く。



「律…もしかして…さ?」

「ん…?」

「律…それ多分印刷ミスじゃないぜ?律が間違えて一問ずつずらして解答しちゃったんだよ」


「…………」



 律が硬直した。きりりと整った、異性よりも同性受けの良い顔が、青ざめていく……。



「…はっ!御立派な巫女様だ!」



 今度は正文が嘲笑わらう番だった……。




「し…しまったぁぁぁぁぁぁぁ…!!」


 

 がくりと、律は失念に膝から崩れ落ちる。



「あ、ありえない…!そんなミス…ありえない!」



 眼をぐるぐる回しながら頭を抱える律を見て、正文はけたけた大笑い。



「ありえない!高校初日…油断ならぬよう朝四時に起きて禊を行なったのに…!膣や尻の穴まで丹念に清めたのにぃ…!」

「生々しい発言はやめろォ!!」



 顔を真赤にする真琴を庇うように叱咤する伊織の声を右から左へ受け流し、律は不定形生物のように床へとへばりついたまま、さめざめと後悔のどん底へと沈んでいった。



「……まぁ、律は仕方ないとして……」



 すっかり萎えてしまった律をよそに、時緒は黒板のある方角を見遣る。


 最前列、教卓の真ん前の席に、佳奈美が座っていた。


 中学時代の佳奈美ならば、授業が終わるや、真っ先に時緒達のもとへ駆け寄って馬鹿笑いをするのに……。


 だが、今現在の彼女にそんな素ぶりはない。


 ただちょこんと席に座っている。


 微かに、身体がゆらゆら揺れている。


 時緒は確信した。



「佳奈美も…赤点ダメか…」





 佳奈美は綺麗な姿勢で椅子に座る様を他のクラスの生徒がそれを見れば、彼女をとても真面目な生徒だと思うのだろう。


 授業が終わっても尚、椅子に座って黒板を見詰めているのだから。


 だが、現実というものは得てして珍奇なものだ。



「うっ!」



 黒板を綺麗に清掃していた厚眼鏡の男子生徒が、佳奈美のその様を目にして絶句した。



 佳奈美が、白目を剥いていたからだ……。



「…ァ〜〜ゥ…テスト〜ゥ…ワカンナカッタ〜ゥ…」



 柳の様にゆらゆら揺れながら、佳奈美はからからに乾いた口から生臭い息と共に死霊めいた呻きを発していた。



「源氏物語ッテナニ?エロ小説?太宰治?川端康成?ドイツモコイツモ命ヲ粗末ニシヤガッテ〜ェ…ワカルカアンナ問題〜ィ」



 先程の試験問題に対する文句を、佳奈美は地の底から響くような声色でぶつぶつ呟く。


 かなり気持ち悪い光景だ。



「ね、ねぇアンタ、大丈夫?」

「顔色悪いよ?保健室行く?」

(あ、もしかして生理アレ?キューラックあるけど飲む?)



 佳奈美の背後で最新コスメティック商品について論戦を繰り広げていた小麦肌のコギャル三人組が心配そうに佳奈美の顔を除きこんできた。



「ゥ〜〜…テスト〜ェ…」

「なーんだ!テストかー!」

「アタイらもあんま出来なかったんだよね〜!」

「そーそー!あんま悩まなくていーよ!」



 コギャルたちは陽気に笑いながら佳奈美を励ますが……。


 佳奈美は首だけ回転させてコギャルたちを見上げるや、「クヒヒ…」と不気味な笑いを浮かべた。



「クヒヒ…、タトエ実力テストデモ…赤点取ッタラ…オ小遣イ…減額ダッテ…オカアチャンガ…」

「「「うげっ…!?」」」



 ”小遣い減額”。その語句が放つ恐怖に、流石のコギャル達も戦慄し、小麦肌を土気色にした。


 やがて、佳奈美は浮くように立ち上がり、千鳥足で歩いていった……。



「ほ、ほんと元気だしなよー!アタイらもアンタも高校生活始まったばかりなんだからー!」

「…ゥェ〜〜ィ…」



 コギャル達の声援に佳奈美はか細い声で返事した後、足音一つ立てず白目を剥いたまま時緒達の方角目指して漂い歩く


 その様は、さしずめ見えない糸に動かされている哀れなマリオネットだ。



「…クヒヒ〜……アタシノテストノ具合聞キタイ〜〜…?」



 ゆらゆら揺れながら剥かれた白目から涙を流す佳奈美に、時緒と伊織は下手物げてものを見るような表情で首を横に振った……。







 ****





「あ〜〜!絶対赤点だ〜!絶対怒られる〜!お小遣い減らされる〜!夏場に【焼き肉 たぶちおうち】の前で特製タレ焼きうどんの実演販売させられる〜!」



 授業を終え、猪苗代へと帰る電車の中、やっと正気に戻った佳奈美は、西に傾きつつある陽射しを受け、真黒のシルエットになりながらわんわん喚いた。



「佳の字…うるせえな…」隣で寝ていた正文が顔をしかめた。



「仕方ないよ…受験終わってから勉強しなかった佳奈美が悪いんだから…」

「時緒〜そんなご無体なコト言わないでよ〜!困ってる人助けるの好きなんでしょ〜?」

「佳奈美ちゃん、今度一緒にお勉強しよ?ね?」

「うあーん!するする!まこっちゃん大好きー!!」



 猫撫で声で真琴に抱きつく佳奈美の調子良い姿に、時緒は肩を竦めた。



「あ」



 携帯端末でニュースを観ていた伊織が不意に声をあげる。



「大阪がとうとう陥落したってよ。ルーリアに」

「え?嘘?」



 時緒は身を乗り出して、伊織の端末の画面を覗いた。


 伊織の言うとおり、画面には大阪城の真上に、キノコ型をしたルーリアの大型戦艦が浮遊している映像が映り、その下には『橋上はしがみ府知事、政治機能をルーリアに一時譲渡』とテロップが流れていた。



「ドイツは三日で落ちたのに、大阪は二週間もよく保ったな…」

「防衛軍は開戦三時間で壊滅したけど、それ以降は大阪下町の人達が頑張ってたみたいだね」



「凄まじいな…ナニワ魂…いや、トラ魂か?」時緒と伊織の間に割って入った律が感心して頷く。


 ニュース画面では大阪の府知事と、狼の様な耳と尻尾を生やしたルーリアの偉い人(占領区統制官と呼ばれているらしい)が固い握手を交わしていた。



「今さらだけど…何だか…戦争って感じしないね…」



 時緒を見ながら、真琴がこそりと呟いた。



「誰も死なない…。地球の都市を占領しても、物を搾取したり、市民を奴隷にしたりしない。だけど戦う。地球と戦争する。…それって何だか…」



 時緒も、伊織も、佳奈美も、正文も、律も、黙って真琴の言葉に集中する。


 今、地球で起こっている事に。ルーリアとのこの奇妙な星間戦争に一般女子高生がどう思ってるのか、興味があったからだ。



「何だか…みたい…一緒に切磋琢磨しましょうって…言ってるみたい…」



 そう瑞々しい唇で真琴が言の葉を紡ぐ。


 時緒達は何も言わない。疑問に思ったのではない。


 ただなんとなく、言い得て妙だと納得してしまったのだ。



『オーサカの方々の精神力、戦闘力には度々驚かされていました!我々の機動兵器に生身でよじ登って来た時はびっくりしました!!』



 画面の中でルーリアの統制官が流暢な日本語で嬉しそうに言っていた。



『私はこれまで五十の惑星に行きましたが、こんなに面白い経験は生まれて初めてです!オーサカの方々!良き戦争でした!ありがとう!』



 大阪の府庁舎前で声高に叫び、頭を下げるルーリア統制官とその部下と思しき十数人のルーリア人に、集まった人々は万来の拍手を浴びせた。



『ルーリアはん!ウチらも面白かったで!』

『ウチらの事、宇宙中に宣伝してや〜!おもろいやっちゃで〜ってな!』

『ルーリアはんウチの店のタコ焼き食べてや!今日はルーリア記念日や!全品半額やで!!』



 端末のスピーカーから聞こえる人々の笑い声ーー。


 それを真琴は微笑ましそうに聴く。



「…神宮寺さん?」時緒は真琴に訪ねてみた。



「神宮寺さんはルーリアについてどう思う?」



 時緒の問いに真琴はしばらく俯き、「笑わないで聞いてね?」と頬を紅潮させた。



「うん」

「OKだぜ!」

「笑わないにゃ!」

「大丈夫だ、真の字」

「笑うものかい」



 時緒達五人が頷くのを確認すると、真琴はもじもじしながら咳払いを一つ。



「…ルーリアの人達は良い人達だと思う。おじいちゃんの事も助けてくれたし…。大阪のルーリアの人みたいに礼儀正しいし…。でも…、でもね…?」



「でも?」と時緒は首を傾げる。



「…私…猪苗代に来るまで転校続きで…友達作れなくて…。でも…猪苗代で椎名くんや皆と会えて…友達になれて…とても…とても嬉しかったんだ…」



 伊織と佳奈美が照れ臭そうに頭を掻いた。



「だから…昨日みたいに…ルーリアとの戦争で…避難する事になって…。…皆との…日常が…思い出が…変になっちゃうのは…ちょっと嫌かな…って…」

「…………」

「じ、自分勝手だよね…私、こんなご時世に…」



 言い終えて、真琴は自嘲気味に笑った。


 真琴の思いを聞いた時緒は、心の中が暖かいもので溢れていく気がした。


 真琴は自分達を友達と、大切な存在と見てくれた。


 嬉しくて嬉しくて堪らなくなった。


 制服の内側に隠したルリアリウムが、時緒の感情に反応して翡翠色に輝いた。



「神宮寺さん、大丈夫さ」

「椎名くん?」

「僕達はずっと友達さ!楽しい思い出ももっと増えるよ!ルーリアの襲撃くらいじゃびくともしないくらい増えるよ!」



 時緒の根拠のない、しかし力強い言葉。


 真琴の顔が更に赤くなっていく。まるで夕陽のようだった。



「うん…!うん!…ありがとう椎名くん…!良かった…!椎名くんと…皆と友達になれて…本当に良かった!」



 本日一番の笑顔で、真琴は頷いた。


 彼女の目端で何かが光る。


 それは、真琴が掛けた眼鏡のフレームが陽の光を反射したものなのか。それとも"別の何か"なのか……。


 知る者は誰もいなかった。


 誰もーー。




 続く

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