ルリアリウム・メカニズム
〜〜〜〜〜!!
「わぁぁぁぁぁぁ!?」
神経を引っ掻く強烈なホイッスルの音に、時緒は布団から飛び跳ねるように起床した。
男子の匂い漂う枕……その側に置かれた目覚まし時計は午前四時五十分を指している。
障子の向こうの外界は未だ暗く、鳥の囀りすら聞こえない……。
目を白黒させ、去年の大晦日に替えたばかりの畳に足を取られながら、時緒は襖をがらりと開けた。
「時緒くん!おはようございます!鍛錬を始めますよ!」
「………」
……芽依子がいた。
くすんだ小豆色のジャージを身に纏い、きりりと口元を引き締めた表情で。
時緒の目の前、真っ暗か廊下の真ん中に仁王立ちでいたのだ。
「………」
「むぅ〜…!」
現状が理解出来ず呆けている時緒に、芽依子は眉を吊り上げ、首から下げたホイッスルを再び思い切り吹き鳴らした。
〜〜〜〜〜!!
「ひぃーー!」
極至近距離で発せられる音の
「時緒くん!ちゃんと朝のご挨拶をしましょう!ルリアリウムを操るのは強い精神!強い精神はちゃんとしたご挨拶から!はい!おはようございます!」
「ルリアリウム…?はっ!…」
時緒は思い出す。
昨晩、芽依子が言ったことーー。
『エクスレイガについて、ルリアリウムについて…教えられることは私が教えます…!』
そうだ、自分には使命がある……!
時緒は惚けていた意識を無理矢理引き締め、背筋をしゃんと伸ばし芽依子へ向けて頭を下げた。
「すみません芽依子さん!改めておはようございますっ!!」
「
一転し、はつらつとした時緒の挨拶に、芽依子は満足げに微笑む。
すると、時緒の部屋の真向かいの襖が開いてーー
「何ら今の笛はァ〜!?カルト教団の
半ば夢うつつの真理子が現れた。
「……んぁ?」
顔に美顔パックを貼り付けたまま、能面めいた面構えの真理子は寝惚け眼で時緒と芽依子を交互に見た。
「おはようございます、おばさま」
「母さん、おはよう」
「…はよーさん二人とも…。…?あぁ…成る程…トレーニングか…?行ってこい行ってこい。朝飯作って待ってっから…ふぁ〜〜」
真理子は大きな
「…うりゃ」
「!?ちょっとっ!」
去り際に、顔から剥がしたパックを時緒の背中に貼り付ける悪戯をして。
****
「いっち!にぃ!さんっ!しぃ!」
朝焼けの光の中に立つ影は、時緒である。
スポーツメーカー【
やがて身体が温まり、先ほどまで寒かった外気が些か涼しいとまで感じてきた頃。
ちりんちりん、とベルの音を立てて、時緒の自転車【流星号】に乗った芽依子がやって来た。
「時緒くん?調子は如何ですか?」
「やる気満々です!!鍛錬には心得がありますから!!」
時緒は瞳にやる気の炎を燃やす。
その姿に芽依子は満足げに二度三度頷くと、尻のポケットから何やら光る物を取り出した。
「では時緒くん。これを…時緒くんに差しあげます」
それは、翡翠色をした六角形の宝石が取り付けられたペンダントだった。
「へ?なんか…凄く
「勿論です。これは時緒くんに必要な…、持っていて貰いたいものです。どうぞ…」
人の善意を無下に出来る程時緒は無粋ではない。
「では…御言葉に甘えて…」そう言って差し出した時緒の掌にペンダントが渡される。
「え…っ!?」
時緒は驚きに目を丸くした。
ペンダントが手に触れた途端、宝石が淡く輝き出したのだ。
目を凝らしてみると、宝石の内部には超極小の幾何学模様が刻まれており、一定のリズムで光が宝石中央部から外側へと、模様をなぞるように奔っていくのが見える。
「これ…只の宝石じゃ…ない…?」
「時緒くん、ご明察です」時緒と同じように宝石内部を覗き込みながら芽依子が言う。
「その石が…その石こそがエクスレイガの心臓部…【ルリアリウム】。持ち主の精神力を力場に変換する…エネルギー結晶体です」
「ルリアリウム…。これが…シーヴァンさんの言っていた…」
ルリアリウムの使い途を学べーー
シーヴァンの言葉を思い出した時緒は、その表情を険しくする。
「…では参りましょう時緒くん。シーヴァン卿が来るまであと六日…。時間はあまりありません。まずはそのルリアリウムを身に付け、軽くご町内をジョギングしてみましょう!」
「はい!!」
時緒はペンダントを首に掛け、鍛錬を指導してくれる芽依子に今一度深く礼をする。
ふとーー時緒は疑問に思った。
(…あれ?今、…シーヴァン卿って…?)
****
「ふっ!…はっ!ふっ!…はっ!」
「時緒くん!少しペースが早くなっています!焦らないで!自分のリズムを意識して下さい!」
「はい…っ!」
淡いオレンジに染まりつつある
その一メートル程後方を追走する芽依子の指導を聞きながら。
時緒は昂ぶる。やはり身体を動かすのは気持ちが良い!
どんな辛い鍛錬だろうが耐えてみせよう。
強くなり、ルーリアと戦ってみせよう。
「…………」
時緒は自身の胸元にかかったペンダントを見遣る。
ペンダントのルリアリウムはまるで時緒の荒い呼吸に合わせているかのように明滅していた。
そして、ルリアリウムが輝くたび、微かにだが、腕や足が重くなっていく感覚がする。
走り始めてからおよそ二十分。町内の半周も走っていないのに、まるで町を二周くらい走り回ったかのような疲労感を時緒は感じていた。
「時緒くん?」
「はいっ?」
「走りながら聞いてください。身体の調子は如何ですか?」
時緒は自身の状態を包み隠さず芽依子へと報告してみる。
「なんか…身体が少し重いように感じます…!」
〜〜〜〜!
時緒がそう告げるや、芽依子はホイッスルを吹き鳴らし、流星号を停めた。
偶々側を通りかかっていた早朝出勤のサラリーマンがホイッスルの音に驚いて、「およっ!?」と肩を竦めた。
「…距離は約2.5キロ…。始めてにしては保った方ね…うん」
芽依子は携帯端末を見ながらうんうんと一人頷いて、流星号のバスケットから【椎名 時緒 鍛錬帳 巻之壱】と書かれたノートに何かを記入した。
そしてーー
「時緒くん!即刻鍛錬を終了します!帰りますよ!」
と声高に宣言したのだ。
「へ!?め、芽依子さん!?もうお終いですか!?僕まだ走れますよ!?」
時緒は素っ頓狂な声をあげてしまう。
何故鍛錬を辞めてしまうのか?確かに少々辛いが、辛いのが鍛錬だ。ここから徐々に鍛える事で強くなるのではないのか。
「駄目です。帰りますよ?時緒くん?」
しかし、芽依子の意思は頑なだ。
「は…はい」
昨日、芽依子には迷惑をかけた故、反抗する勇気は今の時緒にはない。
よって時緒は、芽依子の命に従い、不完全燃焼のまま帰路に着くことにした……。
(こんな鍛錬で……本当に勝てるのかな……?)
****
「身体が重く感じるのは、時緒くんの精神力がルリアリウムに吸収されているからです」
「吸収…ですか?」
椎名邸へと帰ってきた時緒と芽依子は、郵便受けに突き刺さっていた新聞を抜き、玄関ではなく中庭へと向かった。
微かに、優しい味噌汁の香りがした。
「最初は強い倦怠感を感じます。なので最初は軽い運動と共にルリアリウムを所持し、順応してゆきます。そうすれば徐々に倦怠感も薄らぎ、ルリアリウムを制御する事が出来るのです」
「ふむふむ」
「……ですが、慣れもしないうちにルリアリウムの力を無理に引き出し、精神力を吸われ過ぎると…」
「……」
「重度の精神衰弱障害を引き起こし…失神。最悪の場合…廃人化…若しくは…死にます…」
「…ぅ…」
昨日、エクスレイガの操縦席内で昏倒した時を、時緒は思い出した。
死という語句に、時緒の顔がさっと青ざめる。
「じゃあ…さっきも…あのまま走り続けていたら…」
「今日のジョギングは、時緒くんがどのくらいルリアリウムに順応しているか診る為のものですから。大丈夫です…まだ走ると聞かん坊な事を言っても…殴って気絶させて無理矢理連れ帰りますから…」
そう言って、芽依子はニヤリと笑った……。
彼女から沸き立つ重苦しい威圧感に、時緒の背中を冷たい悪寒が奔る。
竹林さざめく中庭に着いた二人は、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる……。
未だ雪が残る山間部から降りてきたであろう冷たい朝風を思い切り吸い込めば、雄大な自然の力が酸素と共に体内を循環していく気がして、時緒は嬉しくなった。
「時緒くん、今朝の鍛錬はここまで。時緒くんが学校から帰ってきましたら、また同じメニューを行いましょう」
「…わかりました」
肯首はするが、矢張り時緒は納得がいかない。
こんな単調な鍛錬で、果たしてシーヴァンに勝つ事が出来るのだろうか?
時緒の頭の中が、そんなネガティヴな疑問でいっぱいになっていった。
「…時緒くん」
時緒の心情を女の勘で察したのか、芽依子が時緒の肩に優しく手を添えた。
「前回のエクスレイガの戦闘データや時緒くん自身の体術を見て確信しました。これはその場しのぎの世辞ではありません」
「はい?」
「時緒くん…貴方の今の技量ならばルーリアと互角に渡り合えるでしょう」
「…ですが…」芽依子の眼光が一瞬鋭く光る。
「問題は…時緒くんのその技量とルリアリウムに吸収されるべき精神力の均衡されていないのです」
「きんこー?…」
首を傾げる時緒に、芽依子は人差し指をぴんと上に向ける。
「時緒くん。ゲームはお好きですか?」
「はい!大好きです!ストリートバトラーとかウルトラロボット大戦とかラストファンタジーとか!一日二時間半くらいやります!!」
「やり過ぎです…!ゲームは一日一時間にしてくださいね…!」
「一時間じゃ…一クエスト出来るかどうか…」
項垂れる時緒をジト目で睨みながら、芽依子は説明を続ける。
「ロールプレイングゲーム等で、キャラクターが高威力の技を繰り出す際、何かしらのポイントやゲージを消費する事がありますね?…ゲームあまりやらないのでよくわかりませんが…」
「マジックポイントや技ゲージですね?」
「時緒くんの精神力はまさにそれです。時緒くんの高い技量をエクスレイガは高出力の技としてフィードバックする事は出来るのですが、技を使用するゲージが少ない……多様出来ない」
「技を多用するにはゲージを増やさなければならない…。つまり、僕の精神力をこのルリアリウムとを上手く順応させなければならない…」
芽依子がにこりと笑った。
「理解が早くて助かります。流石時緒くん」
「勉強は出来る方だと自負してます。”勉強出来るヤツが馬鹿じゃねえとは限らない”と、母さんの弁ですが…」
時緒の滑稽な言いぐさに、芽依子はつい吹き出してしまった。
朝日の眩しさが一層強くなり、呼応するかのように一際強い風が吹いた。
時緒と芽依子、二人の影を山吹色に染め、ざあざあと鳴る竹林と共にはためかせる。
「「あはは」」
芽依子の、その眩しさが何故か嬉しくて、時緒は笑った。
時緒の濃い栗色の髪がなびく様が何故か可笑しくて、芽依子は笑った。
互いに笑い合う。
それは、今の時緒にとっては初めての事であり、今の芽依子にとってはとても久しぶりの事だった。
****
「時緒くん、最後に一つだけ…お教えしたい事があります」
「なんですか?」
「ルリアリウムを握って向こうを向いてください。私が良いと言うまで振り向いちゃ駄目ですよ?」
「…?わかりました」
取り敢えず、芽依子に言われるように、時緒はルリアリウムを握り締め、芽依子に背を向けた。
目の前には青々とした竹林。
よく見れば小さな筍が見える。
今年も真琴や伊織、友人達を誘って椎名家恒例の筍取り大会をやろう。今年は芽依子もいる。きっと彼女も楽しんでくれるぞ。と、時緒はにまにまと考えた。
「時緒くん、良いですよ」
「は〜い」楽しいイベントを想像していた時緒は間抜けな返事をしながら振り向いた。
「な……っ!?」
しかし、時緒のそんな揚々とした気分はーー
振り向いた途端に視界に入った、草刈り鎌を時緒に向けて構えている芽依子の姿に霧散した。
「め…い…!?」
「せぃ……っ」
仰天する時緒に、芽依子は鎌を思い切り投げつけた。
勢い良く回転しながら時緒目掛けて鎌が飛ぶ。
その軌道は、明らかに時緒の顔面を捉えていた。
当たればただでは済まない。
「ーーーー!?」
時緒は恐怖に鼻水を噴きながら身構える!
!!!!!
刹那、時緒の握り締めていたルリアリウムが激しく輝き出し、内部から翡翠色の粒子光が噴き出した!
何と不可思議な光景……!
「え……!?」
石から溢れた光は時緒の周囲に翡翠色の粒子光の球を形成し……芽依子が投げつけた鎌を時緒の目の前ーー宙で包み受け止めーー
!!!!!
次の瞬間、軽い破裂音と共に、草刈り鎌は粒子光によって分解された。
木製の柄は粉々に弾け、錆びきった鉄製の刃は砂状に崩壊して、消滅した……。
「な…!?なに…?なに…!?」
何が起きたのか、時緒はさっぱり分からない。
「…それが…ルリアリウムの力です。知的生命体の精神力を超エネルギーに変える神秘の石。ルーリア銀河帝国が無敵にして一騎当千たる所以」
「…………!」
「絶対破壊。絶対防御。持ち主の精神に感応し…破壊したいものを壊し、護りたいものを護る。ルリアリウムに対抗出来るのは、ルリアリウムだけ。勝つのは…精神力の強い方…!」
砕けた鎌の粒子が宙を舞い、時緒の視界を曇らせる。
その向こうに、淡々と説明する芽依子の姿が見えた。
「ごめんなさい…!驚きましたよね…?ごめんなさい…!」
芽依子は安堵と申し訳なさが入り混じった顔で、先程まで鎌を携えていた手をパタパタと振った。
「せ……」
恐怖に抜けそうな腰を必死に抑えて、時緒はがちがち鳴る口を開く。
成る程。芽依子はルリアリウムの力とやらを自身に実体験させる為に鎌を投げつけたのだ。
他意は無いだろう。
絶対……。
多分……。
「精神力を…き、鍛える為には…ど、どうしたら良いっすかね…?」
顔をひくつかせながら問う時緒に、芽依子は目を細め、溌剌と答えた。
「それは勿論、健康的な生活です!食べて、寝て、運動して、遊んで、勉強して、笑って、泣いて、そしてルリアリウムと順応するのです…!」
そして芽依子は、時緒の鼻水をハンカチで噴きながらーー
「大丈夫!時緒くんならきっと大丈夫です!さあ時緒くん、朝御飯を食べに行きましょう…!」
「は……はい」
笑う芽依子を見て、時緒は何となく思った。
多分、
続く
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