平身低頭ロマンチカ



「待って!貴女誰ですか!?」

「きゃあっ!?」

「へあ!?」



 瞼を開ければ、視界いっぱいに美少女の顔があったものだから、時緒はびっくりしてしまった。


 芽依子だった。


 芽依子の驚いた顔ーーその見開かれた琥珀色の瞳に時緒自身の阿呆面が映っていた。



「…め、芽依子さん?」



 芽依子の姿を確認したくて時緒は身を起こした。


 ここで、時緒は自身が病室らしき部屋のベッド上に寝かされていた事を知る。


 薄い黄緑色の壁には子供向けディフォルメされた犬やら牛やら兎やらのイラストが貼られ、時緒に笑いかけている。


 ふきだしには『なかずにしんさつよくがんばったね!』とのコメントが……。


 余計なお世話だと、時緒は思った。


 左腕に違和感がする。見れば左腕関節部に点滴の針が打ち込まれているではないか。


 管の先を辿り見れば、【スマートブレイン製薬 ブドウ糖注射液】と印された液体パックが釣り下がっている。


 時緒はパックを呆と見上げた。


 点滴を打たれたのは時緒が中学三年生の時、北海道へ修学旅行中に盲腸炎になり、緊急手術を行って以来だ。時緒にとっては嫌な思い出だ。


 しかし何故……?


 何故自分がベッドに寝かせられている?


 何故自分が点滴で栄養補給を受けなければならない?



「時緒…時緒くん…」



 芽依子が時緒を見つめていた。


 いや……怒りに震える眼で、睨んでいた。



「芽依子さん?僕は何を…」

「貴方は…大馬鹿者ですっっ!!」



 ぱちん!


 乾いた音が部屋に響き、時緒の意思に関係無くその視界が真横にスライドした。


 『みんなでなかよくあそぼう!』とコメントしている狐のイラストと目が合った。



「……はい?」



 しばらくして左頬に痺れが奔り、痺れが痛みに変わり始めた頃にやっと、時緒は自身に今何が起きたかを認識する。



 芽依子に、頬を引っ叩かれたのだ。平手で。




「わ…私が…私達が…っ、どれだけ…貴方を心配したと…っ!」

「…ぇ?」

「エクスレイガは修理すれば元に戻りますがっ!時緒くんは…時緒くんの…人間の身体は…っ!」

「…ぁ…」



 時緒は血の気が失せた、青白い顔で芽依子を見た……。


 頬の痛みがじくじくと、時緒の蕩けきっていた記憶を結び固めてゆく。


 ”敗北”の記憶を呼び覚ます。


 そうだ。自分は。


 ルーリアのロボットに、敗けたのだ。


 いや、戦って敗けたのではない。


 更に酷い。


 昏倒して、自滅したのだ。



(…この戦い、一時預ける…)



 時緒の頭の中で、ルーリアロボのパイロットだったルーリア人の声がリフレインする。


 確か名前はなんと言ったか?


 そうだ。


 シーヴァンだ。



 《シーヴァン・ワゥン・ドーグス》



 彼の心遣いで、そのお陰で今自分はこうして芽依子に会えた。と、時緒は思う。


 改めて、時緒はシーヴァンの器量の大きさを思い知った。


 自らの浅はかさを思い知った。


 悔しかった。


 悔し涙で視界が歪む。



「…ごめんなさい…」



 すっかり萎れてしまった時緒は、涙声で芽依子へ頭を垂れて謝罪した。


 嗚呼、情けない、情けない……。


 時緒は、今ほど自分が嫌になった事はなかった……。



「………」



 芽依子は時緒を殴った手を握り締め、伏せたその長い睫毛を涙に濡らしている。


 彼女の目にも今の自分は酷く矮小な男として映っているのだろうか。


 そう思うと時緒の自虐の念は増してゆく。涙が後から後へと止め処なく溢れてくる。




「うるせえぞ?青少年ども」



 すると、部屋のドアの開放音で静寂を打ち破り、一人の男が入ってきた。



「け、卦院けいん先生!?」



 現れたのは白衣を纏ったその長身の男。名を甲斐 卦院かい けいんと言う。


 猪苗代町に小さな個人医院を営む医者で、猪苗代で産まれた子供の殆どは彼の世話になっている。勿論時緒もだ。


 因みに、卦院は真理子と同い年の幼馴染みである。


 卦院はニヤリと笑って時緒を見下ろした。



「よう時緒クソガキ。派手にやらかしておいて半日もグースカたぁ、良い御身分じゃねえか」

「卦院先生…って事は…ここは?」

猪苗代クリニック俺の城だ。どれ…」



 卦院は時緒に芽依子に向かって、手を払う仕草をした。



「退け芽依子。気持ちはわかるが、今この時緒バカは俺の患者だ」

「……すみません」



 芽依子の肩を優しく叩いたのち、卦院は時緒の額へと手を当てる。


 外見とは裏腹にごつごつと硬い卦院の手の感触が、今の時緒にはとても心地良い。



「…よし、熱も下がったし…点滴はもう必要ないな」


 卦院は慣れた手つきで時緒の腕から点滴の針を抜く。針が抜かれる時特有の痛みは感じず、改めて時緒は卦院が優秀な医師だと知る。


 母と同様口は悪いが……。


 そう考えた所で、時緒はふと疑問に思い、首を傾げた。



「先生…さっき”派手にやらかしておいて”って…もしかして…、」



 針が刺さっていた箇所に絆創膏を貼りながら、卦院は再び笑う。



「エクスレイガの事だろう?知ってるよ。俺も協力者の一人だからな…っと!」

「あ痛っ!」

「ざまぁ見ろ。お前のお陰で計画が滅茶苦茶だ」



 時緒の額を爪先で弾くと、卦院は白衣のポケットから携帯端末を取り出し、耳にかざした。



「……よぉ真理子クソマリ。俺だ。卦院だ。つい今しがた時緒が目を覚ました。……っああ分かってるよ。ぎゃあぎゃあ吠えるな。今そっちに芽依子と一緒に連れていくからよ。じゃあな」



 舌打ち一つして卦院は端末をポケットにしまい、時緒に向かって笑いかける。


 それは清々しくも、サディスティックに歪んだ笑みだった。



「二人とも、外に出てろ。戸締りして、車出してくるから」

「……」

「時緒、愛しのママンが首を長〜くしてお待ちだぜ」

「はぃ…」


 今、母がどんな顔をしてるか、どんな心境か……。


 想像しただけで、時緒の股間はきゅうと縮み上がった。







 ****






「こ…っの、馬鹿野郎デレスケがぁぁぁぁっ!!」



 時緒たちが夜の廃ビル、いや、エクスレイガの秘密基地に着くや、待ち構えていた真理子の怒号が響き渡った。



「喰らえ!」



 真理子渾身の拳骨が時緒の頭頂へと炸裂する!



 ゴッ!!



「「ぎゃあああぁぁ!あ痛ぁぁぁぁあ!!」」



 頭を抑えた時緒と拳骨を抑えた真理子が、リノリウム製の床を転げ回る。


 時緒の頭は岩石の如く硬く、一撃を見舞った真理子にもダメージが回ってきたのだ。


 安っぽいコント劇の様相を醸し出す椎名母子を、麻生、牧、卦院、嘉男と薫の水島夫妻、キャスリン、そして芽依子は只、間抜けた呆れ顔で眺めるしかない……。



「ま、まあまあ真理子、そのくらいにせんか…」



 しばらく経って、顔を渋くした麻生が真理子をたしなめる。



「馬鹿息子っ!本当にっ!お前はぁ!」

「ごめん……」

「時緒!真理子も芽依子も…皆も!お前の事を心配していたんだぞ!…ばかもんが!」

「ごめんなさい、麻生のおじさん…皆も」



 時緒は真理子や麻生たちに謝り続けた。


 彼等の瞳に宿っていたのは只の怒りだけではない。


 憐憫と安堵を微かに含んだ彼らの視線に、時緒は自分が恥ずかしくて顔を上げる事が出来なかった。




「ちょっと良いかい?」



 すると、突然牧が挙手し、真理子達の注目を集める。



「でもな?時緒、お前の行動が決してマイナスになった…とは言えないんだな。これが」



 そう言って牧はタブレットを操作し、会議室の天井に大きな立体モニターを展開させた。



「……!」



 モニターに映っていたのはは倉庫に格納されているエクスレイガであった。


 隻腕となったエクスレイガは膝立ちで佇んでいた……。よく見れば機体各所に細かな傷が見られ、その痛々しさに時緒は息を呑む。



「取り敢えず、エクスレイガの現状だ。今回の戦闘で機体の三十三パーセントを損失……」

「森一郎、修復の方は目処立つか?」



 麻生の問いに牧は力強く頷く。



「大丈夫です。内部フレーム、リンクナーヴ、装甲全て予備パーツを揃えておきました。俺の工場の若い衆を動員させますので、四日…いえ、三日で完全に修復出来ます」

「頼むよ、牧センパイ」

「任せろ真理子。だが…」



 牧がタブレットを叩いた。



「重要な話はここからだ」エクスレイガの映像から一転、モニターにグラフ図が浮かんだ。



「何のグラフですか?」嘉男が首を傾げる。



「エクスレイガのルリアリウム・レヴの出力波数を経過時間ごとにグラフ化したものだ」



 すると、グラフの左から右へ赤い線が走る。線は緩やかに上昇し、半ばあたりで水平になった。



「この線は起動実験中、芽依子が乗っていた時の波数だ。出力は非常に安定している。そして……」



 今度はグラフに青い線が現れ、赤い線を追いかけるように走る。



「アッ?」青い線の動きを目で追っていたキャスリンが小さく声をあげた。


 青い線は暫く赤い線の下を動いていたが、急に赤い線を突き抜け急上昇、赤い線の遥か上で小刻みな波線を描き、そして消えた。


「青い線はもしかして?」と薫が眼鏡越しの瞳を輝かせた。



「ご想像通り、…時緒の波数だ」



 牧を除いた、会議室にいた者全員が驚愕に目を見開き、モニターと時緒を交互に眺めた。



「高出力だが非常に不安定で危うい。しかし、ここまで高いレベルの波数を叩き出せたのは想定外だった。勿論、良い意味で…」

「何が言いてえんだ?センパイ?」



 表情を険しくする真理子に、牧はウィンクを一つ。



「オーケイ真理子。二十年前、受験シーズンだったのにお前の率いる暴走族…いや珍走族に無理矢理加入させられた時のお返しだ。単刀直入に言ってやろう」



 真理子のナイフめいた視線をのらりくらりと受け流し、牧の顔は笑みを消して能面のようになる。



「エクスレイガのメインパイロットを

「な…!?」

「…ぇ…!?」



 牧の言葉に真理子が、そして芽依子が絶句した。


 牧 森一郎。この男はいきなり何を言い出すのか、といった顔で……!



「マ、マジ言ってんのかよ?森兄さん?」卦院が引き攣った笑みで牧を見た。



「マジもマジだ。第一エクスレイガのルリアリウムはもう時緒にしか反応しない。反応しなくなった。仕組みはよくわからないがな」



「で、ですが…!牧おじさまっ!」肩を竦める牧に、芽依子は哀しげな表情で食って掛かる。



「危険だと言ったではないですか!?現に…時緒くんは…今回の戦闘で…倒れて…っ」

「ルリアリウムの事を学べば十二分に通用すると俺は思っている。それに、危険なのは芽依子…君も変わりない」

「…え?」

「俺達が気付かないとでも思ったか?エクスレイガが完成してから、芽依子…君がどれだけ無理してるか…どれだけ切羽詰まって行動してたか。一日どれだけ働いている?休憩も取ったか?睡眠時間は?」

「…そ、それは…」



 牧の真っ直ぐな視線に芽依子は狼狽えた。


 助け舟が欲しいとばかりに、芽依子は真理子を見遣るが…。


「……」


 何か思い当たる節があるのだろう。真理子は芽依子をフォローする事なく、眉をひそめて俯いた……。



「真理子、芽依子、良いか?タラレバは嫌いだ。だがあえて言っておく。時緒をエクスレイガのパイロットにすれば…お前の、お前達の”計画”はきっとより効率良くなる。きっとだ」



 真理子は無言で牧を睨みつけた。反論したいが言葉が見つからず、只睨みつける事しか出来なかった。



「さて…と」ややすっきりした顔となった牧は軽快な歩調で、時緒の元へと歩み寄る。



「時緒」

「…はい」

「いつまで…そうやって俯いているんだ?俯いてれば誰かが慰めてくれると思ったか?」

「……」

「お前の”誰かを助けたい気持ち”は、こんな…たった一回の失敗で挫けてしまうものなのか?そんな粗末なものなのか?」



 喋りすぎたせいか、それとも会議室の空気が乾いているせいか、牧は自身の唇にリップクリームを塗りながら時緒を見下ろす。


 優しい眼差しで。



「一昨日、戦闘に巻き込まれただけなのに…エクスレイガのパイロットに志願した時の…あの胸のすくような…あのかっこいい時緒はもういないのか?只のハリボテだったのか?只かっこつけたかっただけなのか?」



 違う。違う、違う、違う。


 牧の言葉に時緒は歯を食い縛った。


 敗北の悔しさは消えず。


 自身に対する侮蔑の念は減らず。


 だが…。


 闘志の炎は、今も時緒の心の奥底で燻っている。


(次は…は…君と心ゆくまで戦いたいものだ…)



 シーヴァンの言葉が脳裏をよぎる。


 単なる世辞かもしれない。だが、彼は時緒との再戦を望んでいた。


 ここで挫けてしまえば、シーヴァンをも裏切る事になる。勇猛に戦った、かの気高き異星人の心意気を踏み躙る事になる。


 それは時緒にとって決して許してはならない事だった……!



「どうなんだ?時緒…お前の正直な気持ちが知りたい…!時緒!」



 牧の言葉が時緒の背中を押した…。



「…っうぅぅっ!」



 一唸りして時緒が駆ける!芽依子へ向かって!



「時緒っ!?」

「トキオ!止まりなさイ!」



 真理子とキャスリンが時緒の行く手を阻んだが、時緒はスピードを緩めない。


 掴もうとする真理子の手を躱し、近くのテーブルを踏み台に跳躍、二人の頭上を飛び越え、くるりと宙返り。


 そして、芽依子の目と鼻の先で音も立てずに着地するや…。



「時緒く…、」

「申し訳ありませんでしたぁっ!!」



 たじろぎ後ずさる芽依子に向かい、時緒は膝を折り、床に手を添え額を付ける。


 平身低頭の姿勢!



「勝手な事してごめんなさい!心配かけてごめんなさい!でも!でも!」



 勢い良く時緒は頭を上げ、真っ直ぐな眼差しで芽依子を見る。



「改めてお願いします!僕を…僕を!エクスレイガの!パイロットにしてください!!」

「ぇ…!?」



 芽依子はもう時緒の事が分からなくなった。芽依子にとって今の時緒は得体の知れないものになった。


 この少年は何を言っているのか?


 何故、あれ程酷い目に遭ってもなお、パイロットになろうと思うのか?


 どれだけ自分を心配させれば気が済むのか!?



「……怖くないのですか…?」



 だから、芽依子は問うてみる。



「今日と同じ目に合うかもしれないのですよ!?いい加減にしてください!!」



「…怖いです!正直!」怖いと言っておきながら、時緒の視線は揺るがない。



「なら!何故!?」

「やらなきゃいけないと思ったからです!!それに…」

「それに?」

「…シーヴァンさんに、情けをかけられたからです!!」



「シーヴァンさん?」真理子が首を傾げる。



「紫色のロボットに乗ってたルーリア人…。僕が気持ち悪くなって倒れたら…、勝負を預けるって…!身体を休めろって…ルリアなんちゃらを学んだら…また再戦しようって…!七日後に!」


 時緒の言葉に真理子達がざわめいた。


 七日?


 七日後か!


 町役場に非常食類の再補填を!


 総理への連絡は?


 俺の方でやっておこう!



「だから!!」大人達の喧騒を掻き消すように、時緒は叫ぶ。



「僕は、きたい!征かなきゃいけない!シーヴァンさんと…また戦わなきゃいけないんです!僕を見逃してくれたシーヴァンさんに…恩返しをしなきゃいけないんです!だから…だから!!」

「時緒…く…、」

「だから!母さん!芽依子さん!皆さん!お願いします!僕を!エクスレイガのパイロットに!正パイロットに!してください!!お願いします!!お願いします!!」



 声帯がくたびれ、がらがらになった声で時緒は叫び、再び頭を床に擦りつけた。


 ……。


 ……。


 会議室が、静寂に包まれた。微かに聞こえるのは、廃ビルの周りに生えている熊笹が夜風に揺れる音。


 誰も彼も発言をしようとしない。


 只々、土下座する時緒を見つめていた。いや、決意の土下座をした時緒に見入ってしまっていた。


 ……。


 ……。



「……もう、うんざりです」



 静寂を打ち破ったのは、芽依子の震えた声だった。



「私は…今度こそ…今度こそって…思ったのに…!私の…気持ちも…貴方は…何も知らないで…!」



 哀しみを絞り出すような声を残し、芽依子は会議室を駆け出て行った。



「追いかけろ!」



 真理子がそう叫ぶのと、時緒が芽依子の後を追い走ったのは……ほぼ同時のことだった。




 ****




「芽依子さん!待って!」



 電灯が切れて真暗になった階段を時緒は駆けた。啜り声を震わせ駆ける芽依子のシルエットを追いかけて!


 がちゃりと音がした。


 芽依子が最上階のドアを開けたのだ。


 途端に、流れ込んできた冷えた空気と山の香りが時緒の肌と鼻腔をくすぐる。



「芽依子さん待って!待っ…て!!」



 やっと、時緒の手が芽依子の腕を掴んだ。


 ビルの屋上、満天の星空の下でーー。



「…………」



 芽依子が振り返る。


 泣いていた。


 頬を伝う涙が、星の光を反射させていた。



「…貴方が…!」



 涙を溜めた瞳で、芽依子は時緒を睨んだ。



「なんで…貴方が…小さい時の記憶が無いか…教えてあげましょうか…?」

「え…?」

「貴方は!大怪我をしたんです!遊んでいたビルが火事になって!瓦礫の下敷きになって!…|瓦礫の下敷きになりかけた!!」



 芽依子の叫びが時緒の頭を殴りつける。


 肌がざわりと鳥肌を立てた。


 火事?大怪我?そんなこと、母からは一度も教えられていない。



「…大火傷を…大怪我を負って…時緒くんは…貴方は…。大事な…お友達だった時緒くんを…私は怪我させたんです!命に関わるような怪我を!させたんですよ!」

「め…い、こ…さん?」

「エクスレイガのルリアリウムが時緒くんにしか反応しない?それがどうかしましたか!?私がやります!私がエクスレイガに乗るんです!時緒くんにまた危険な事をさせるのなら、私は…私は…!」



 一際大粒の涙が光って落ちた。


 その光景を見て、時緒の中の何かが弾けた!



「……すみません!」

「きゃ……っ!?」



 掴んだ腕を引き寄せて、時緒は芽依子を抱きしめた。


 何故そうしたのか、時緒自身にも分からなかった。


 そうせずには、いられなかった。


 そうしないと、芽依子が自身の悲しみに揉みくちゃにされて、消えてしまうのではないかと思ってしまった。



「芽依子さん…大丈夫です…。僕は…ちゃんとここにいます…!猪苗代で…ちゃんと生きてます!」



 震える芽依子の吐息が、時緒の耳朶を撫でる。抵抗は、しなかった。



「…僕は…今の僕は…記憶が無くなる前の僕とは…芽依子さんが知る僕とは違うかもしれません。貴女が今まで…僕をどう考えていたのかも…知りません」

「…そんな…こと…」

「でも…でもですね?芽依子さん?」

「……」

「小さい時の僕は、満ち足りていたと思います。芽依子さんを庇った?いやいや、芽依子さんを守れたんですから。芽依子さんが下敷きになるなんて…そんなの…死ぬよりも辛いことだったんですよ!」

「……っ」

「僕だって…今の僕だって勿論嫌です。そんなの…!」



 芽依子の指が時緒のジャージを掴んだ。


 すがるような……力で……。



「昔の僕…!芽依子さんは元気だぞ!良かったな!…なんちゃって!」



 時緒はおどけたつもりで夜空に向かって叫ぶ。


 芽依子を笑わせたかっただけの理由で……。



「う…あ…あぁぁぁぁぁぁぁ!あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」



 しかし、芽依子は泣いた。


 今まで身の内にしまっておいたもの一切合切をぶちまけて。


 芽依子は泣いてしまった。


 しかし、悲しみだけが理由で泣いたのではない。


 なんとなく、時緒はそんな気がした。



「芽依子さん…僕は大丈夫です。だから…僕を…パイロットに…貴女のお手伝いをさせてください…!」





 ****






「…時緒…くん?」



 約五分間、泣いて泣いて、泣き通した芽依子は、時緒の胸に顔を埋めながら、そっと呟いた。



「時緒くん…服…臭い」

「……やっぱり臭いですか?」

「臭いです。汗臭いです。今度私を抱きしめてくれる時はもう少し考えてください」

「はい…気をつけま…え?今度?」



 おずおずと時緒は顔を下げる。


 芽依子の顔が……あった。



「…何故かしら?…すっきりしました」



 顔を真っ赤にして、涙まみれの、くしゃくしゃの芽依子の笑顔がそこにあった。



「時緒くんは…昔の…時緒くんのままでした。元気で明るくて…ちょっとお馬鹿で…いきなり抱きしめてくるくらいエッチで…」



「…エッチですと?」時緒は顔をひくつかせた。



「はい。スカートめくりを何回もされました。酷い時は下着もずり下ろされました」

「なんてやつだ…!昔の僕め!」




 すると芽依子はゆっくりと時緒から離れて、深呼吸をする。


 大きく息を吐いて、吸う。吐いて、吸う。吐いて、吸う。



(…お母様…どうか…時緒くんを護って…)



 芽依子はそう小声で呟くと、時緒の肩へその細く……微かに震える手を添えた。



「時緒くん……分かりました……ハァ……」

「…………」


 

 芽依子は何回か深呼吸を繰り返し……。


 腫れた目で、時緒を真っ直ぐに見て、宣った。




「時緒くん、貴方に……エクスレイガを……お任せします……!」




 続く

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