第134話 最後の戦いへ:カラスウリが導く
『フェブラリー・スキャンダル』によって、統合軍内の組織図は激変した。防人王我の死によって空いた元帥のポストをはじめとして、役職に新顔が次々と就任したのだ。単純に汚職によって立場を追われた者もいれば、今回の騒動で力不足を認識して自ら降りた者もいて、結果的に組織の新陳代謝ができたと言えよう。
元帥の座にはアベールの父親、ノヴァ・オーシャンが就いた。
「親父さん、元帥になったんだってな」
「みたいですね」
「なんだよ、嬉しくないのか?」
「嬉しいですけど、変な目で見てくる人も増えますからね」
ノヴァ氏は王我の派閥でも、それと対立していた派閥でもない、穏健派と呼ばれるタイプの軍人であった。
本来であれば王我亡き後には王我派の軍人が後釜に就くはずだったのだが、苛烈とも言える王我の運営に批判が内外問わず噴出したため、健全な運営を目指すべく穏健派の中でも内部からの評価が高いノヴァ氏に白羽の矢が立ったのだ。
ノヴァ氏が元帥になってから始めたことは二つ、それまで統合軍が請け負っていた各種施設に駐在させていた軍人たちを本部に引き上げ、その代わり民間にそれらの防衛を依頼したこと。それと王我の方針を部分的に継続して実施すること。
前者は駐在で遊ばせておくのではなく、本部に集めることで結束力を高め、より質の高い訓練を課し練度を上げるための施策だ。同時に統合軍の損耗を防ぎ戦力を増やしていく目的もある。それらすべては後者、すなわち王我が考えていた対デシアン用攻勢作戦を敢行するため。
その効果はてきめんと言う他なかった。汚職軍人たちが激減したことで軍事費が透明化し、金が真っ当に組織中を巡るようになったことも後押しした。軍備拡張に費用の多くを費やし、かつ民間に警備を投げたことで雇用の増加にもつながった。結果的に民間が疲弊するということも起きたが、結果的に各社の懐は潤ったためその疲弊は黙殺された。
ノヴァ氏の元帥就任から約1か月で、オペレーション・セブンスクエア発動直前の約8割まで戦力を戻すという偉業が達成された。それはつまり、決着の時が近づいてきたということでもあった。
統合軍が民間に警備を託したと言うことは、つまり警備会社であるアメツチにも影響があったとも言える。繁盛していたため上から下までとにかくせわしなく動き回っていた。
ホロンの下で働くスノウも例外ではなく、この一か月とにかく書類仕事と格闘し、スクランブルにも対応した。
そんな風に忙しくしていた3月上旬のある日、スノウが最後の書類の処理を終えた時にホロンは言う。
「終わったか」
「はい。これで今日の分は終わりです」
「じゃ、お前明日から仕事しなくていいから」
「……どういうことですか」
毎日一緒に仕事をしていればホロンがどれだけ忙しいかわかる。そんな中、仕事しなくていいとは、不可解な話だと思った。
するととっくに空になったカップを持って、ホロンは説明する。
「言葉足りなかったな。
統合軍内の浄化がある程度終わったことで、お前を狙う連中はいないだろう。もうサンクトルムに戻ってもいいってことさ」
「……なるほど」
そもそも、スノウがアメツチで働いていたのは、怪しい連中からスノウを保護するためというのもあった。そういう意味では確かにホロンの言うこともわかる。
「仕事の方はいいんですか」
「心配すんな、最近ウチも景気がいいんだ。追加の人員を要請すりゃいくらでも寄こしてくれる」
「……僕はお払い箱ということですか」
「そうじゃねえよ。来月からお前も2年生になるんだろ。今のうちに復学しておかないと後々面倒だぞ」
「そうですが」
「それにお前が断ってももう無駄だぜ。もうお前の休職届出しちまったからな」
「ついでに……」と前置きしてからホロンは引き出しから封筒を取り出してスノウに投げる。
「これは……」
「サンクトルム行きの船のチケット。明日の朝一の便だからとっとと帰って支度しな」
「……了解」
随分と準備がいいので何か裏を感じたものの、反論はせず立ち上がる。
「では、お先に失礼します」
「おう。悪いが晩飯だけは作っといてくれ」
「はい」
頭を下げてスノウは執務室を出て行こうとする。
「あ、ちょっと待った」
「まだ何かありますか?」
「……一つ聞きたい。
俺やレンヌと一緒にいて、何か発見はあったか?」
「なぜそんなことを」
「いいから答えろ」
有無も言わさぬ口調のホロンに、内心首を傾げつつも答える。
「……おぼろげながら、見えてきたものはあります。お二人のお陰です」
「ならいい。後はそれをちゃんと言葉できるようにするんだ。……できれば早めにな」
「わかりました。
……では、失礼します」
「おう」
扉が完全に閉まった音を聞いてから、それまで黙って仕事をしていたレンヌが言う。
「ちゃんと説明してあげればいいのにー」
「なんのこったよ」
「んー? 統合軍になんか動きあるんでしょ? 昨日色んなところに連絡していたのはその関係でしょ?」
「………………」
「で、そのためにサンクトルムに帰そうとしてんじゃないの? 今のウチじゃ忙しくてそっちの対応はできないもんね」
ホロンは何も言わず仕事を続ける。
「あ、やっぱりそうなんだ。図星ってやつだね。そっか、だからあんなこと聞いたんだ」
「……さっさと仕事に戻れ」
「はーい。ヌル君がいないしたまーには頑張んないとね」
ホロンの本心に気が付いてはいるものの、それを指摘することなくレンヌは活字が並ぶ文章とのにらめっこを始めた。
3月に入って春休みを迎えたことで多くの学生が帰省してしまい、幾ばくか寂しいサンクトルム。
休職してから数日後の朝、スノウは寂しくなったサンクトルムに帰って来てすぐ学長であるゲポラの元へ参上していた。
「復学を許可していただき、感謝しています」
応接セットの椅子に座らず頭を下げたスノウに対し、手で座る様に示してからゲポラは微笑む。
「なに、アメツチのCEOには私も何度かお世話になっているからね……。君ほどの優秀な人間を放っておくのは損失も大きい。
負い目に思う……ようなことは君に限ってないだろうが、あまり気にされてはこちらとしても恐縮してしまう」
言葉とは裏腹にまったく恐縮する様子のないゲポラ。
コーヒーを口にして、彼は話を変える。
「挨拶ついでに一つ、聞いてほしい話があるんだが」
「なんでしょう」
「サンクトルムは今度統合軍が行う予定の一大作戦『オペレーション・ソッコク』に参加する予定だ。もちろん、参加してもらうのは学生たちが中心だから任意にはなるが……」
その話を聞いて、話が読めてきたとスノウは思ったが口にはしない。
「スノウ・ヌル君。君にもこの作戦に参加してもらえないだろうか」
「どんな作戦なんですか。詳しく知っておきたいです」
「詳細は後で資料を送るが、簡単に言えば統合軍の総力を挙げて冥王星近海のデシアンの本拠地に二度目の……そして最後のアタックをかけるというものだ」
最後という言葉のチョイスが気になって、スノウは聞き返す。
「最後とは」
「文字通りさ。地球圏の防衛は全部民間に任せて、統合軍の全ての戦力を『ソッコク』にぶつける。負ければもう後はない、古い言葉で言うところの乾坤一擲というわけだ」
オペレーション・セブンスクエアは、王我の派と一部それ以外の戦力でデシアンを討ち果たす作戦であったが、今回はそれをよりスケールアップさせ、全派閥の文字通り全戦力を投じる予定だという。
成功すれば良いものの、失敗した時のリスクが大きすぎることをスノウは指摘する。
「なぜ、そんな大勝負に出たんでしょう」
「セブンスクエアでデシアンの数を相当数減らせたこと、フェブラリー・スキャンダルのお陰でこのタイミングで統合軍の派閥全体の意志をデシアン殲滅に持っていけたこと、そういった理由があるようだ。
……デシアンを本当に殲滅させたければ、いずれはやらねばならなかったことさ。それが今このタイミングになったとそれだけのこと」
「なるほど」
「君も、サンクトルムの学生として参加してもらえるだろうか」
参加しない選択肢はないとスノウ自身は思っているが、気になることがあるので質問をし返す。
「ソル君にはこの話をしたのですか」
「したとも。出てくれるそうだ。今彼は頑張って<プライマル>を乗りこなそうと訓練を積んでいるはずだよ」
「……わかりました。元よりそのつもりでしたが、僕も参加します」
「ありがとう。君がいてくれれば多くの者が励みになるだろう。
代わりと言っては変だが、君がアメツチで乗っていたというあの優美なエグザイムは工房に回してしっかりメンテしてもらうよう計らおう」
「ありがとうございます」
ゲポラとの話が終わり、寮の自室に戻ってくる。
(しばらく戻ってこないつもりだったけど、案外早かったな……)
元々荷物はそんなにない方だが、アメツチから持ってきた本や衣類などをバッグから取り出して整理していると、はらりと封筒が一つ落ちる。
「これは……」
一か月ほど前に再びアメツチへ赴いた時に、秋人から手渡されたものだ。それが荷物に引っかかってバッグの外へ出たのだろう。
(そう言えば読んでなかったな……)
あれから結局忙しくしていたため、中身を読んでいる余裕はなかった。
まだゲポラからオペレーション・ソッコクの詳細資料は送られてきていない。その資料を確認するまで時間の余裕はあるだろう。
荷物を片付けて一息ついてから、スノウはようやく封を切って中の手紙を取り出す。折りたたまれた十数枚の便箋がそこには入っていた。
A4サイズのそれらを一枚ずつ丁寧に読んでいく。休みもせず一心不乱に読んでいく。
全部読み終えたのは1時間後の話だった。しかし、古文書の謎を解き明かすように、すぐに最初からまた読み直し始める。
何度も読み直し、いつの間にか日が落ちかけていた。
スノウは立ち上がり、薄暗くなった部屋から飛び出す。向かう先は雪の部屋。
乱暴に雪の部屋に入り、何かに突き動かされるように備え付けの机の上に置いてあるノートを手に取る。それは花の育て方を書いた、雪がスノウの為に残したノート。
窓際に置かれた植木鉢と見比べながら、ページが破れないようにめくる。
やはり、そこには大抵の花の育て方が書かれていた。たった一つ、雪と別れた9月にはまだ花をつけていなかった植物を除けば。
スノウはその植物が植えられている植木鉢にそっと近づいて膝をつく。
低い位置にいくつもの小さな黄色い花をつけた植物。雫を受け止めるようにその花に手を伸ばす。
(これは雪ちゃんが好きだって言っていた花だ。確か名前はレケナウルティア……)
まだスノウが雪と出会って間もない頃、雪から教えてもらった花だ。彼女が好きだと言ったから少し調べたこともある。
秋から春にかけて小さな花を咲かせ、一部品種は『初恋草』とも呼ばれる。そして、その花言葉は―――。
「……ああ。そうか、そうなんだ」
日が落ちきった部屋で、レケナウルティアは小さく揺れる。優しく笑いかけるように。
スノウがゲポラと会って話した次の日、学校側が声をかけた学生に対してオペレーション・ソッコクのブリーフィングがなされた。
セブンスクエアに参加した者の中では前回の敗走から今回も厳しいとして参加を見送る者もいたが、新しく参加した者を含めればセブンスクエアの時に増して学生の志願があった。
ソルもゲポラの言の通りにすぐに志願を出して、その足でシミュレータールームに足を運ぶ。
(出発は三日後……。先輩たちが改修してくださっているとはいえ、<プライマル>は俺が動かせるようにならなきゃ……)
ソルはカホラたちがどんな改修をしているか聞いていない。そこはもう仕上げてくれることを信用して自分は自分のすべきことをしなければ、という想いだ。
だが、このままでよいのか、という邪念もよぎる。既存のシミュレーターでいくら訓練を積んでも何もかも規格外の<プライマル>を操れるようになるのか。
不安を振り切るように機体を動かすも、汚泥のようにまとわりつくそれはなくなってくれなかった。
一通り訓練を終えて、シャワーを浴びる。更衣室から出て来た時、黒子からドリンクが手渡される。
「お疲れ、ソル」
「ああ、ありがとう黒子」
「訓練中にメルタ先輩から連絡が来ていたわ。地下に来てほしいって」
「わかった。行くとしよう」
黒子と共に旧校舎の地下へ赴くと、目の下にクマを作ったメルタとカホラが死んだようにいつの間にやら持ち込んだゲーミングチェアにそれぞれ座り込んでいた。
恐る恐るといった様子でメルタに話しかける。
「……あの、大丈夫ですか」
「……いちおー」
か細い声に不安を覚えはしたものの、呼び出された以上何か用事があるに違いない。彼女らに一刻も早く休みを与えるためにも早く済まさねば、という使命感がソルに芽生えた。
「それで、どうかされたんですか」
「まだ一人来てない……」
「来てない奴?」
「僕のことだよ、ソル君」
誰のことだ、と思っていると後ろから一か月ぶりの声がする。
振り返るとスノウがそこにはいた。
「スノウ……!」
「来たな……。じゃあアタシから説明すっか」
ピクリとも動かないメルタに変わって、カホラが気だるげにスノウとソルの二人(と黒子)の方を向いて話し出す。
「まず報告だ。<プライマル>の改修はひとまず終わった。つってもアタシたちが『これなら動かせるようになるはずだ』と想定したところまでだから、それが実際にちゃんと動くかどうかはまだテストもできてねえが……」
「じゅうぶんでしょう」
「んで、内訳に関しては後で詳しく話すが……簡潔に述べると二人乗りになった」
「……なんですって?」
素っ頓狂な声を上げるソル。
それでも、メルタとカホラが二人乗りにしたのには理由がある。
<プライマル>はあまりにもできることが多すぎる。それはマシンスペックが異常に高く物理的に装備が多いということもあるし、UIが複雑でセンサーの類も過剰なほど用意されているためだ。UIをメルタが手を入れて改修したものの、使いこなすのは容易ではない。
だから、二人は考えた。宇宙船に船長と副船長がいてそれぞれのミスをカバーしあうように、この複雑なエグザイムも二人で作業を分担して乗ればよいではないか、と。
そうして改修されていくばくかスリムになった<プライマル>がそこには佇んでいる。
「もちろん二人で操縦するわけだから息が合わなきゃ一人乗りの<オカリナ>どころか旧型の<トライ>にも劣るだろうが……一人でコイツを制御しきるまで訓練するより二人の息を合わせる訓練をする方がずっと負担は少ない。
そのためのシミュレーターも借りてきている」
そう言ってカホラが指さす方にはサキモリ杯で使われた特製シミュレーターが。背部から様々な色合いのコードが伸びていて、<プライマル>のコックピットにつながっている。
「よく持ってこられましたね」
「バラした状態で持ってきてこっちで組み立てたんだよ。
ま、そういうわけだから二人で乗ってくれや」
「二人と言われましても……」
ソルは顔をしかめる。
今の自分では確かに<プライマル>を一人で使いこなすことはできない。現実的に考えれば二人乗りにする他に良い運用方法はなかったのだろう。そのことについて、メルタとカホラを責めるつもりなんて毛頭ない。
それでも、やはり自分に託されたものだから、一人で制御しきらなければならなかったのではないか……と責任を感じる。
そんな彼の肩を黒子が叩く。
「そんな顔しないで、ソル」
「黒子……」
「貴方のことだから<プライマル>を扱う責務を一人で抱えたかったのでしょうけど、貴方には私がいるし、仲間もいる」
「しかし……」
「貴方が感じている辛さをみんな一緒に背負ってくれるわ。だから……」
涙目になりながらなおも言葉を紡ごうとする黒子の手を優しく握ってソルは言う。
「……わかってる。ただ、先輩たちやスノウを巻き込んだことに責任を感じてただけだよ」
「ソル……」
「大丈夫。みんながいることは忘れない。俺はサキモリ・エイジの子供だけど……その前にソル・スフィアなんだから」
「なら、いいの」
「メロドラマやってもらっている最中に悪いんだけど、誰を一緒に乗せるの」
スノウ・ヌル、ソルと黒子が二人だけの世界に入っているのをぶち壊すのはこの男。
ムードもへったくれもない現実的な問いについ黒子はこめかみに怒りマークを浮かべる。
「貴方ねぇ……!」
「た、確かに訓練するにも時間がないから、早く決めないとダメだな……。
スノウ、頼めないか?」
「僕か。穴沢さんではなく……」
「私もそれが良いと思うわ。私ではソルをサポートすることができても、ソルの実力を引き出すことはきっと難しいでしょうから」
自分ではどうしてもソルより一歩後ろに下がって支えるようになってしまう。それではソルは安定して実力を発揮することはできても、逆に言えば実力相応の力しか出せない。しかし、同乗するのがスノウならソルの力を高めてくれるはずだ。
そう思って黒子もスノウに頼んだ。
「お願い。私の代わりに、ソルに力を貸してあげて」
「………………」
気乗りがしない、というのが正直なスノウの気持ちだった。
<プライマル>に乗って戦うということは、それはサンクトルムの切り札として、戦力の中核を担って戦うことを意味する。時には足を止めて大軍相手に大立ち回りする必要もあるだろう。
しかし、スノウの目的はただオペレーション・ソッコクを成功に導くというだけではない。冥王星近海のデシアンの本拠地内にいる雪を奪還しなければ、いくら敵を撃墜しようがソッコクが成功しようが勝利ではないのだ。
<プライマル>に乗って戦っていては、雪の元へたどり着けない。かと言って血を分けた兄弟の頼みを拒んで奪還したところで雪はそれを認めるだろうか。
時計の秒針が何周か回るほどじっくり悩んでスノウは答える。
「……ソル君、シミュレーターを使おうか」
「ということは……」
「時間が惜しい。1回でも多く訓練しよう」
「ああ!」
スノウとソルはシミュレーターに向かって駆け出す。
黒子はそんな二人の後ろ姿を見守っていた。
(続く)
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