第130話 名前:お互いの雪白のキク

 アメツチの本社のある宇宙ステーションに戻って来たスノウは、次の日から業務に戻ることになった。本来はもっと懲戒休職は長いはずだったのだが、反社会組織の活動もにわかに増えてきたということもあり、予定を繰り上げて早期の復帰となったのだ。

 もっとも、それ以外にも理由はあって……。


「ホロンさん、予算申請はこの額でいいんですか」

「もっと増やしとけ。どーせそれより減らされるんだから、最初からゲタ履かせた方が結果的に多くもらえる」

「エスターテさんの業務報告の承認は……」

「していい。あいつに限って杜撰なモン作っているとは思えねえ。フリューリングの方は誤字脱字をちゃんと見とけ!」

「了解」

「あーもう! 俺に新入社員用の資料作らすんじゃねえよ!」


 ホロンは忙殺されていた。アメツチが計画する例の作戦の準備に彼は関わっていないが、彼の上司たちが動いている都合で上司たちの仕事の一部を回されている他、現場の作業をよくわかっているということで人事部から来年度の新入社員に配る教育用の資料のチェック・修正ならびに一部内容の作成を頼まれているからだ。

 そんな状況では普段の業務などできそうもない。それの穴埋めのためにスノウが必要とされたということだった。

 猫の手も借りたい、てんてこ舞い、そんな言葉が似合う現状を嘆き、ホロンは叫ぶ。


「ていうかなんで同い年の連中の教育資料を俺が作るんだよ! おかしいだろ!」


 ホロンはこの春にサンクトルムを卒業するので、やはり同じタイミングで卒業しアメツチに来る新入社員の中にはサンクトルムの同期も含まれる。老々介護ならぬ、若々教育。

 もっとも、それを言うなら年齢が一つ下のレンヌや書類上では三つ下のスノウがここで働いていることもだいぶおかしいのだが、人はなかなか足元の小さな花に気が付くことはできないものである。

 仕事が一段落ついたころ、スノウはホロンに尋ねる。


「指示された作業がまもなく終わりますが、他にやることはありますか」

「そうだな……なんかあったかな……。

 ……後は全部俺がやんなきゃいけないやつだな。頼める仕事ねえから今日はもうあがっていいぞ。俺も一段落したら帰る。レンヌにはそう伝えてくれ」

「了解。では、先に帰ります」


 一礼してスノウは執務室を後にする。もう帰り道は案内してもらわなくても大丈夫。勤怠情報を入力しオノクス邸への帰路につく。

 アメツチからオノクス邸までは徒歩でも行き来できるほどの距離だ。日が落ちてあたりが暗くなっていても街灯が優しく道を照らしてくれる。

 オノクス邸まで後5分程度、というところでスノウは街灯の下に誰か人が立っているのを目にした。ロングコートを着た長身の男性だ。街灯の光だけではそれが誰かはわからなかったし、見えたところで誰かわかる保障もない……と思っていたのは実際に顔が見えるまでの話だった。彼は意外な人物だった。


「……ドゥラン二尉。なぜここに」

「今はもう二尉じゃないがね。ま、好きに呼んでもらって構わない」

「……なぜ、ここに」


 改めてそう尋ねるとドゥランは帽子の位置を直しつつ苦笑する。


「答えるわけないだろう。もう同じ組織の人間じゃないし、俺は……テロリストなんだぞ」

「そうですか」


 そう言うやいなや、スノウは無造作に肩にかけていたバッグを軽く投げつける。


「む?」


 それを咄嗟にキャッチしたドゥランの足めがけてローキック。しかし、ドゥランは軽くジャンプしてかわす。


「顔に似合わず荒っぽいな」

「なぜテロリストなぞに」

「言えば攻撃をやめてくれるかい?」

「やめるかもしれません」


 言葉を交わしながらもスノウは小ぶりな攻撃を重ねていくが、そのどれもドゥランは回避したりスノウのバッグで受けたりしていなす。

 埒が明かないと思って一旦距離を取るスノウ。


「俺はまだ理由を話してないぞ」

「続けてほしいんですか」

「いや、前にも言ったが俺は君のように若くはないんでね。これ以上のラッシュは勘弁願いたい」


 そう言う割には息は整っており、余裕を感じさせる笑みが浮かんでいる。


「だから、少しだけ話そう。

 アメツチのやり方では、統合軍の腐敗は取り除けないと思ったからだ。さりとて、統合軍に戻ったところでアメツチ以上に無理だろうしな」

「テロリスト以外に道はなかったんですか」

「なかった。少なくとも、俺の目的を果たすには今の立場が一番だとようやく気が付いたんだ」


 ドゥランの言葉を聞いて、スノウは首を横に振る。

 テロリストの道を選ばずとも、アメツチのやり方でできることがある。それはホロンの言う通りであれば水面下で動いていることだけども、ドゥランにこれ以上悪道を進ませないために明かす。


「……もうすぐ統合軍は変わります」

「ほう? いかなる手段で?」

「防人元帥が遺したデータが統合軍の腐敗を終わらせてくれます」


 スノウは断言した。

 防人王我ほどの人間が遺したものが世界を変えられないはずはない。王我と話し、彼の家族と話し、彼の人となりに触れたからスノウには遺されたものの重さがわかっていた。データ容量的なそれだけではない、執念とも呼ぶべき想いの重量。共ににいたドゥランにそれがわからないとは言わせない。そういう意図での断言であった。

 スノウの言葉を聞いて、ドゥランは口角だけ上げてニヒルに笑う。


「改めて言おう。うらやましいよ、君が。防人元帥からそれだけ純粋なものを受け取れる。

 なんでも入れられる空白、はたまた新雪のようなまっさらな心―――スノウ・ヌル。これ以上に君に相応しい名前はあるまい」

「何が言いたいのですか」

「君は元帥から未来を、俺は過去を受け取った。それだけのことさ。……ほれっ」


 ドゥランはバッグをスノウにパスする。スノウはなんてことなく胸で受け止めた。


「ではな、スノウ・ヌル君。前に言ったこと、実は割と本気だったぜ」


 そう言って踵を返す。スノウが追撃してくると思ったので、背後の警戒は怠らなかったが、いくら歩いてもその気配はない。

 ドゥランは帽子を目深にかぶる。


(さらば、アメツチ。俺に居場所をくれた者たちよ)


 夜の街をドゥランは歩く。帰れぬ日々を振り切るように、早足で。

 残されたスノウは、その背中が見えなくなっても、しばらく闇を見つめていた。

                                  (続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る