第121話 王の記憶:それはモンステラ

 王我と防人夫人から謎の情報記憶媒体を託されたスノウはパインに裏口を案内されて防人邸を出発した。どうやら新しい客が来るため、彼らにスノウと密会している様子を見られると怪しまれてしまうからというわけだった。元々長居する予定はなかったスノウとしては渡りに船というわけでもないが、特に不満を感じることなく宇宙港へ戻ってくる。

 宇宙港で手続きを済ませた後は、今度はサンクトルム行きの宇宙船へ乗り込む。ガラガラなエコノミークラスの席に座り、どうせサンクトルムに行くまで暇だからと情報記憶媒体を差し込んで中身を確認する。


(……たくさんのデータがある)


 テキストデータから、ドキュメント、画像データ、スマートフォンでは見られないデータまで色々詰め込まれている。それらが日付ごとにフォルダ分けされていて、最新のデータはあの日の一日前、最古のデータは30年前のものだった。

 古い順でフォルダの中身を見ていくと、最初のうちは容量の軽いテキストデータだけが格納されているのがわかった。


(サンクトルムへの入学、亜門さんを通しで学長と出会ったこと、結婚、姪が生まれたこと……これは日記か)


 テキストデータはすべて若き日からつけられてきた日記であった。内容は本当にささやかなもので、穏やかさを感じさせる文体からは苛烈で知られた元帥としての姿はまるで想像できない。

 しかし、ある日を境にそれは狂気をはらんだ内容に変わっていく。その日付は約4年前の12月30日。雪の両親が亡くなった日。

 日記という体の、一人の男が最愛の弟を殺した相手をいかに殺してやりたいか書かれた犯行予告をスノウは最後まで読んだ。王我がこんな自身が壊れていく様をただ記したとは思わなかったから、現代文の読解のテストで答えを探すように、その意図を探った。


(……これを僕に託して、どうしたかったのだろう。元帥に変わって犯人を殺すことを望んだのだろうか)


 日記の後は画像データをスクロールしていく。最初の方は古い家族写真ばかりで、スノウにとって何も心を動かされるものではなかったが、日記と同じように途中から家族以外の人間の写真や映像ばかりになっていく。それが意味するところは、スノウにはさっぱりわからなかった。


(……この辺りはホロンさんに共有して、意見を聞いてみよう)


 元々そういう約束であるし、自分だけではわからないことが第三者にはわかるかもしれない。残りのデータには手を付けず、スノウは日記以外のデータをすべてホロンの元へ送った。

 送ってから時計を見ると、宇宙ステーションを発ってからもう何時間も経っていた。活動時間を考えると普段ならとっくに寝ている時間だった。


(もう寝よう。目的地まではまだ時間があるから……)


 シートを倒して目を閉じる。スノウの意識はすぐに眠りに落ちていった。



 年を明けたサンクトルムでは冬期休暇が終わり、防人王我が死んだというビッグニュースはあったものの以前と変わりなく平常通り講義が行われていた。

 しかし、日常に戻れない一部の人間はいた。

 共通科目である経済の講義が終わり、次の講義のために席を外したり、ラウンジや食堂へ移動する学生たちに混じって、廊下を歩いている秋人はやおら口を開く。


「……あー、最近なんかつまんねえなぁ~」

「どうしたんですかいきなり」


 隣のアベールが呆れたようにそう言うと、さらにその隣のダイゴが言う。


「わかるぞ。退屈というのはちょっと違うけど……何か物足りない感じがある」

「まあ、確かに言わんとしていることはわからないでもないですが」

「なんだよ、わかるんじゃねえか」


 正直なところ、アベールもここ最近どこか空気が抜けてしまったタイヤのような張り合いのなさを感じていた。その理由はというと、やはり衝撃的なことばかり起きたあの遠征の日々と比較してしまうからだろう。

 できることなら、あの日々はもう二度と来てほしくはない。だが、寝ても覚めても迫りくる死神から逃げるべく必死になっていたあの時間は良くも悪くも刺激的なものだった。あの戦場のリアルを感じてしまえば、いくら最新のシミュレータと言えど所詮は命のやり取りを介さない遊びに思えてしまう。今しがた受けた共通科目の前に、操縦科の実技の授業もあったが、特になんてことなくクリアしてしまった。それは秋人もそうであるし、ダイゴの隣を歩くソルもそうであった。


「ソル、貴方はどうですか?」

「………………」

「ソル?」

「……あ、すまない。少し考え事を……」


 そう言ってアベールの方を見ているものの、どこかアベールを焦点に捉えられていない様子のソルの様子に秋人が心配そうに言う。


「お前、なんかおかしいぞ。冬期休暇で嫌なことでもあったか?」

「いや、そういうわけじゃないんだが……」


 自身の出生の秘密。スノウとの関係性。育ての父から聞かされた衝撃的な真実はソルを惑わせていた。

 実技中は気がまぎれて普段通り振る舞えるのだが、講義中となるとついそのことばかり考えてぼーっとしてしまう。今のような友人同士の語らいでもそうだ。

 そんな様子のおかしいソルを気遣って黒子も色々と世話を焼いてくれるのだが、それを申し訳なく思う余裕すらないほど、ソルは悩んでいた。


(俺は、どうするべきなんだ。サキモリ・エイジの子供で、ヌルとは兄弟であることをみんなに話しておくべきなのか。

 ……俺は、どうすればいいんだ)


 答えの出ない自問自答をここ数日ずっと繰り返しているのだ。秋人がおかしいと指摘するのも当然の話だった。

 明らかに悩んでいるソルに対し、優しい声をかけるアベール。


「悩み事なら、相談に乗りますよ」

「……すまない。これは、人に言ってどうにかなるわけじゃない……と思う」

「そうですか……」

「ちょっと一人にさせてくれ……」

「ソルがそう望むなら、そうしましょう」


 もう一度「すまない」とだけ言って、ソルは友の輪から抜けていってしまった。その後ろ姿を見ながら、秋人は頭をかく。


「……なんかよ、似てるよな」

「何がですか?」

「スノウに、だな。一人で抱えて、俺たちに相談してくれないあたりが」

「あー確かに」


 ダイゴは苦笑する。


「でも、違うところもあると思うぜ。ヌルの場合は相談するよりやった方が早いと思っているからで、スフィアの場合は俺たちに迷惑かけたくないって気持ちからだろうし」

「そういうところはありますね、二人とも。

 それにしてもスノウ……今頃何をしているんでしょうね?」

「さーな。生きていることすら言わなかったんだから、たいそーなことでもしてんだろーよ」

(まだ根に持ってますね、これは……)


『次世代型ニューエグザイムお披露目会』でスノウとわずかながら会話を交わした直後、秋人はアベールたちにスノウから頼まれた言伝を告げた。それ以外のことは何一つ説明しなかったことも。

 その時の秋人の怒り具合は相当だった、とアベールは記憶している。今は表立って怒ることはないが、それでもアルコールが入れば愚痴を吐くぐらいにはまだスノウの秘密主義に対して怒りを感じているようだ。

 そして、アベールとしてもそのことを批判できない程度には、スノウに対して思うところがないわけでもなかった。


(何か事情はあるのでしょうが……それでも友達がいのない、と少し思ってしまいますよ、スノウ)


 もし周りに誰もいなければ口にしていたかもしれない不満をアベールは胸の内に抑え込んでいた。



 秋人らと別れてから、ソルはあてどなく歩きながらやはり考え続けていた。


(……サキモリ・エイジの子供として俺にはやらなければならないことがあるんじゃないか)


 フェアルメディカル事件は人類の暗部と言えるものだ。そして、ソルはその暗部によって生み出された子供たちの一人。だが、彼らに何の罪もない。当時、評論家や政治家たちがこぞってフェアルメディカル社が行っていたおぞましい行為を、生命への冒涜だと批判したが、それがなければソルは生まれてこなかったのだ。

 故に。生命倫理に反する出自の意味。スノウが自身に課した責任と使命を見つけられなければ、ソルはずっと答えの出ない問いを自身に続けることになる。

 その答えの時が―――ソルの前に顔を出した。


「おっと」

「うっ」


 ソルは曲がり角で誰かとぶつかる。倒れることはなく少しよろけただけで、ぶつかった相手を見る。


「学長……! す、すみません」

「いえ、こちらこそ」


 ソルがぶつかったのはゲポラだった。いつもの穏やかな表情はわずかにソルを安心させた。

 ゲポラは綺麗なお辞儀をして謝るソルを見て苦笑する。


「そうかしこまらなくても良い。ぶつかったのはお互い悪かったということで手打ちにしよう。だが、それとは別に尋問せねばならぬことがある」

「というと……?」

「ここは一般の学生が出入りしてよい場所ではない。なぜ君がここにいるか、ということさ」

「え、ここがですか?」


 あたりを見渡すと、少し建物は古びているものの、特に入っていけない場所には思えない。口から出た疑問に、ゲポラは答える。


「ここは学生たちの間では俗に旧館と呼ばれる場所だが、その名の通り老朽化が進んでいてね。入口のところに立ち入り禁止の表示があったのが見えなかったかね?」

「すみません、考え事をしていたものですから……」

「それでここに入り込んでしまったわけか。ならば、仕方ない―――いや? 違うな」


 ゲポラは顎に手を置いて呟くように言う。


「私がここにいるときに、彼と出会ったことは―――天の思し召しかもしれん」

「学長?」

「ああ、すまないね、考え事だよ。私もね……。

 時にスフィア君、真面目な君が立ち入り禁止の表示をも見落とすぐらい何を考えていたと言うんだね?」

「それは……」


 露骨に話をそらされたことにソルは気が付かず、ゲポラの質問にどう答えるべきか考える。黒子や友人らに打ち明けられないことをどうしてゲポラに打ち明けられようか。上手い言い方はないかボキャブラリーから探していると、ゲポラは笑う。


「君ぐらいの年齢の若者の悩みはだいたいわかる。友人関係か、恋か、家族か―――」

「…………」

「家族、か。やはりな」

「!」


 家族と言われて一瞬ソルの目が泳いだのをゲポラは見逃さなかった。そして、悩みの大枠さえ絞れれば、ゲポラにとって悩み事を当てることは教科書を持ち込みが可能なテストと同じようなものだった。


「スフィア夫妻の実子ではない、と知ったのかな? それともその先―――君自身の根源を知ったか」

「……いくら学長と言えど、学生のプライベートなことまで聞く権利があるんですか?」


 反抗的な言葉と裏腹に、ソルはとても焦っていた。何せ誰にも話をしていない出自について知っているかのような口ぶりでゲポラが言ったからだ。

 不安を隠すように口は回る。


「そもそも、考え事をしていたのはそうですが、なぜ勝手に家族のことだと決めつけるのです。家族のことで悩んでいると一言でも俺が言いましたか?」

「目は口程に物を言う―――ニッポンという国で使われた昔の言葉さ。サキモリ・エイジもニッポン人の血が濃かったと言われている。すなわち、君も少なくとも半分はニッポン人ということだな」

「……なぜ」

「なぜ、そのことを知っているか、と言いたいのだろう。その答えはここで言うべきではないな。ついてきたまえ」


 ゲポラはソルがサキモリ・エイジの実子であることを知っている。ソルはそう確信した。だが、なぜそれを知っているのだろう? そして、何を知っているのだろう。ゲポラの言う通りついて行けば答えは知れるのだろうが、ついて行けばもう引き返せないと直感が告げる。

 偉人と呼ばれる者が岐路に立たされた時にある決断をしたことを歴史が動いたと呼ぶのであれば、今のソルがその状況であった。伸るか反るか。ソルの一人の決断で運命は動き出す。


「……行きます」


 自身に課せられた責任と使命、それを知りたいと思ったから、ソルの足は真実へと向かう。

 ゲポラは自身の生徒が難問を解き明かした時のような優しい笑みを浮かべた。

                                  (続く)

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