第120話 遺されたものは:アイの愛

 ホロン指定の宇宙船に乗り、スノウはL1宙域までやってきた。いや、戻って来たというべきかもしれない。

 前々回は雪に、前回はドゥランに任せていた乗り換えも、今度は自分一人で全部やって、防人邸を目指す。

 訪れるのがもう三回目となると慣れたものだが、一つ以前までと変わったことがあった。


「入場目的と滞在理由、日数の記入をお願いします」


 ガードマンにこう言われたのは前回も一緒だが、違っていたのはそれを5回ほど言われ5回ほど記入をしたことだ。前回は1度だけだったのに。これは決してスノウの字が汚いからではなく、先日の王我殺害事件が影響し、よりチェックが厳重になったとそういうわけであった。


(……僕のせいでもあるからな)


 もちろん、スノウがそれを咎めることはない。

 そこから防人邸への道を歩いていく。タクシーで行ってもよかったが、手持ちのクレジットが心もとないのでやめた。

 暦の上では1月のこの宇宙ステーションでは、サンクトルムと同じようにヒトが地球の上にいたことを忘れないために、四季が存在する。寒風が歩道を吹き抜けるたびに、スノウはわずかに体を震えさせる。


(……体はどうも、正直なようだ)


 客観的に寒いことはわかっても、それを不愉快には感じられない。それは一見いいことのようだが、知らず知らずのうちに体の機能が落ちていっていることを自覚できないことでもあるから、早く防人邸につかないかなと思った。

 歩くこと1時間ほど―――少し前にも訪れ、そして今とは違いとても暑い日に初めて訪ねた和風建築が見えて来た。


(……あれは)


 門の前では礼服を身にまとった何名かの男女が何やら頭を下げている。二度の来訪時と異なり先客がいたようだ。

 何事だろうか、と思って遠巻きに様子を見ていると、彼らはすぐにスノウとは反対の方へ歩いて行った。


(元帥と敵対していた人たちではなさそうだけど)


 いなくなってくれたのであれば、遠慮も何もいらない。スノウがそのまま門扉までやってくると、そこには高級そうな和服の防人夫人がいた。


「あら……君は……」

「お久しぶりです。以前、こちらでお世話になったスノウ・ヌルです」

「ええ、ええ。覚えているわ。今日はどうしたの?」

「……元帥の遺言に従ってきました」


 一瞬、適当に誤魔化そうと思ったが、やはり嘘はつけないと考えて真実を告げたところ、防人夫人は穏やかな笑みを浮かべたまま言う。


「そう、あの人の……。どうぞ、あがってちょうだい」

「はい」


 防人夫人の背中について行って屋敷の中、居間へ。


「まずは、あの人に線香をあげていただけませんか」

「はい。…………」


 雪に教えてもらったことを思い出しつつ、すでに何本か線香が立てられている香炉に線香を立てる。そして、目を閉じて手を合わせた。

 少しの間そうした後、立ち上がっておもむろに聞く。


「他の線香は誰が立てたのでしょうか」

「あの人は軍人で、しかも立場は上の方だったでしょう。毎日のように、線香をあげたいと言ってくる人が来るのよ」

「なるほど……」


 では、先ほど見た先客はこのために防人邸に訪ねて来ていたのだ。


(それだけとも、思えないけど)

「ヌルくん、いいお茶が入っているのよ、少し休んでいきなさいな」

「……では、お言葉に甘えて」


 スノウ本人としては、さっさと王我の遺言のブツを回収したいのだが、家に入ることを快諾してくれた防人夫人にそう言われては断れない。テーブルについて夫人が来るのを待つ。


「……はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


 出された緑茶を一口。いいお茶らしいが、スノウにはどう違うのかわからなかった。

 夫人も席について、御茶菓子をつまみながらお茶を飲む。のんびりとした時間が流れる中で、夫人はやおら口を開く。


「あの人の遺言を聞いたということは、今は学校に通っているわけではないのね」

「はい。公的には行方不明ということになっているはずです」

「そうなの。あの人、そういうことは私に教えてくれなかったから」

「……普段は、どういうお話をされていたんですか」


 思えば、スノウは公人としての王我しかほとんど知らない。しかし、彼も人間である以上、私人としての顔もあったはずだ。それを夫人にしか見せなかったとしても。

 そこが気になって尋ねると、夫人は苦笑しつつ言う。


「そんなたいした話でもないわ。あの人、盆栽が好きだったからその話や、うちの庭の花がどうだとか、そんな話が多かった。私にはあまり自分の仕事の話をしたくなかったんでしょうねぇ」

「……なんででしょう?」

「わからないわ。今はもう答えを知るすべはないけれど……そうねぇ、多分私には戦いとは無縁でいてほしかったんじゃないかしらね」

「……!」

「代わりにあの人は私のたわいのない話をよく聞いてくれていたわね。それに―――」


 夫人はそれからいくつか王我との思い出を話していたが、それらはスノウに届かなかった。スノウは別のことに集中していたからだ。


(……雪ちゃんと同じだ。だとしたら、僕は夫人と同じようにしないといけないのだろうか)

「ひどいのがあの人、結婚記念日を忘れてて―――」

「あの、お伺いしたことがあります」


 そう思ったから、スノウは夫人の話を遮って尋ねたかった。それが無礼だとは気が付けなかった。だが、夫人は気分を害した様子はなく、首をかしげるだけ。


「何を聞きたいの?」

「その……元帥があまり軍のことを言わなかったという話がありましたが……それで不満じゃなかったんですか」

「もちろん不満はあったわ。あったけど、他にも不満なことがあったから、そのうちどうでもよくなっちゃったわ」

「それでも、一緒にいたんですか。それはなぜ……」

「さあ? 結婚して随分と経つから忘れちゃった」


 あっけらかんとそう言われて、スノウとしては肩透かしを食らったのだが、夫人は笑顔で言う。


「そんなものよ、結婚というのは」

「…………」

「……あら、もうお茶がなくなっちゃったわ。どうする? まだ飲む?」

「いえ、もう大丈夫です」


 それより、スノウはここに来た目的……王我の遺言の話をすることにした。


「元帥の部屋に行ってもよいでしょうか。そちらが済めば、僕はお暇します」

「……あの人が最期にそう言ったのね? なんて言っていたか教えてもらえる?」

「……屏風の裏のものを受け取れ、と。ただ、それだけでした」

「……そう」


 夫人は瞑目する。その目尻から一筋、涙が頬を伝う。

 亜門にだけに遺言が向けられたことが、やはり悲しいのだろうか、とスノウは思った。しかし、そうではない。夫人にはすべてがわかっていた。王我が今際の時まで何を想い、何を遺そうと思ったのか。


「あの人らしいわ……」

「…………」

「パイン、聞いているわね? 今すぐ持ってきて頂戴」


 全部わかったから、義弟にどこか似ている目の前の若者に託すことに迷いはなかった。

 数分後、王我に仕えていた従者のパインが姿を見せる。


「お久しぶりです、ヌル様。ご所望の物はこちらになります」


 恭しく彼女が差し出したのは、手のひらに収まるサイズの、スマートフォンでも中身が見られる情報記憶媒体であった。


(これが、元帥の言う『すべて』……)

「防人王我に変わって、これを貴方に託します。中身をどう使うか、それもすべてお任せします」

「……はい、いただきます」


 これが何をもたらすのか、それはスノウにはわからない。だが、スノウはそれを背負うことにした。しっかりと情報記憶媒体を手に取って、ジャケットの内ポケットに入れる。


「確かに受領しました」

「……ありがとう。それから一つ、私からもお願いをしていいかしら」

「なんでしょう」

「雪ちゃんを、よろしくね」

「……約束はできませんが、努力はします」


 スノウは頭を下げる。それこそが今の彼ができる精一杯のことであった。

                                  (続く)

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