第四部 時代の子供たち
第119話 雪は天より地に落ちる:旅立ちはピンクバーベナの後に
防人王我が死んだ、というニュースは瞬く間に広がり、人々に衝撃を与えた。
彼の死因については混乱を与えないために秘匿され、表向きは事故で亡くなったことにされた。
大々的に行われた国葬に訪れた人々は数万人とも数十万人とも言われているが、一般人はともかく、アメツチ、サンクトルムといった王我と深くかかわっていた組織の重役たちはこの突然死を不審に思い、独自に調査を進めることとなった。また、軍内部では王我の死因を詳しく調べているところであった。
王我が死亡してから1週間、スノウは統合軍から現場にいたことに関することや死亡状況について聴取を受けた後、帰還してからは長時間拘束されてアメツチの重役たちに経緯を説明していた。その間に彼は書類上の19歳になっていたのだが、それを祝う暇も与えられず、最後にホロンのところへ連れていかれた。
ホロンの執務室にて直立不動のスノウに対し、ホロンは言う。
「ヌル、お前には懲戒休職の処分を下す。期間は1か月……後で詳細を送るから詳しくはそっちを見るように」
「………………」
懲戒休職。会社に損害を与えた者に対し、指定された期間出勤を禁ずる処分である。今回の場合の損害とは、説明するまでもなく統合軍の最重要人物のひとりであり、クライアントであった防人王我を守れず死なせてしまったことだ。
大人物であった護衛対象を守れなかったことは、ただ仕事に失敗したというだけではなく、会社の信用を大きく損ねることだ。
それはスノウもわかっていることなので、反論も言い訳もせず、ただ黙って処分を受け入れた。
やりきれなさを感じつつも、ホロンは続ける。
「申し開き、および質問はあるか? なければ、速やかに自宅……じゃねえや、俺の家に帰宅しろ」
「ガイ二尉はどうなりましたか」
「やっこさんは辞職するってよ。あっちも懲戒休職処分だったんだが、それを告げたらすぐに辞職の意思を示したんで、今は荷物をまとめているところだろうな」
「そうですか……」
「引き留めたんだけどな。意思は固いようで、そのまますぐ辞表を出したよ。
…………他は?」
「他にはないので、帰ります」
回れ右をして執務室を後にするスノウ。扉が閉まった後、ホロンは背もたれに体重を預けてため息をついた。
その一部始終を書類仕事をのんびり片付けながらも見ていたレンヌが言う。
「お疲れ、ホロン」
「…………ああ」
「言っちゃえばよかったのに。頑張ってお願いしたけど、懲戒休職は免れなかったって」
「…………言ってどーすんだよ」
当初は正社員ではないスノウをさっさと懲戒免職にしてしまえ、という幹部もいた。そして、先方の指示だったとはいえ、スノウを重要な仕事に宛がったホロンに対する責任追及もあった。
ホロンとしては、責任を問われるのも当然と思っていたので、自身に対する処分は甘んじて受け入れようとしたのだが、スノウに対する処分については徹底的にかばった。表向きはいつかホロンがスノウに対して語ったスノウが野放しになった際に利用されかねないということやパイロットとして優秀なため確保しておきたいという観点で、本音は今回の状況では誰が護衛についていても守り切れなかったため、責任を問うのは無理筋だと考えていたためである。
だが、言葉を尽くしたところで懲戒休職まで減刑するのがせいぜいであった。しかもホロンの査定が悪くなったオマケ付きである。事の重大さを考えれば、それでも有情な処分だとホロンは考えており、それを誇るつもりも恩を着せるつもりも、そしてスノウを恨むつもりもない。
だから、そういうことをスノウに言う必要はない。
「そんなもん言う必要はねえ。今のあいつには無駄な情報だ」
「じゃあ無駄じゃない情報って?」
「あいつの探しているもの、そのヒントかな」
「んー? じゃあワタシができることある?」
首をかしげるレンヌに対してヒラヒラと手を振るホロン。
「お前は普段通りにしてりゃいい。それがヌルにとって一番いいことだ」
「? ならいいけど」
「…………あ、普段通りつっても仕事はサボんなよ。この件で次のボーナスが減額になりそうだから、その分ちゃんと働いてくれ」
「へーい。稼ぎの少ない旦那を持つと大変ですわ」
「………………」
「ごめんごめん、冗談だって! 機嫌直してよ~!」
ホロンが黙って仕事に戻ったから、レンヌは平謝りする羽目になった。
その日の仕事を終えて、ホロンとレンヌが帰宅しリビングに入ると、美味しそうな香りが空腹を刺激した。
「お、なんだ、今日はお前が飯を作っているのか」
「はい」
キッチンから顔を出したスノウに、レンヌは顔をほころばせる。
「家に帰ったら食事がある生活ってのはいいもんだね~」
「何を作ったんだ?」
「仕上げがすんだらテーブルに並べます」
キッチンから何皿か持ってきて、テーブルに並べる。その間に手を洗ったり、荷物を片付けたホロンとレンヌは盛り付けられた料理を見る。
「…………なんでブイヤベースなんだよ」
「食べたくなったので」
「なんで作れんだよ」
「友人に教えてもらったので」
「ま、おいしそうだからいいんじゃない。…………やっぱりおいしい」
レンヌはお行儀が悪く、席にもつかずスープをすする。
「やめなさい、はしたないぞ」
「はーい」
ホロンに促されてレンヌが席に座ったのを合図に、三人は手を合わす。
「「「いただきます」」」
こうして夕食の時間が始まったのだが、しばらくブイヤベースや備え付けの薄切りのパンを食べてからスノウが言う。
「ところで、お二人に相談したいことがあるのですが」
「…………時々、お前のその無神経さには救われるよ」
「褒めてますか」
「半分はな」
ホロンからすれば、スノウはさっきまで会社にいて、自身が休職処分を下した相手だ。同じ家に住んでいるからこそ、変にギクシャクしてしまわないか少しは不安に思っていたのだが、当の本人がこれである。公私混同はよくないとはいえ、こうもあっさりと切り替えらたら反応に困ると言うのが正直なところだ。
さて、相談とはなんぞや、ということできちんと居住まいを正して話を聞く。
「で、相談ってなんだよ。言っておくが懲戒休職をなくすとか、そういうのはできねえからな」
「その懲戒休職中に、しばらく外に出歩きたいのですが」
「出歩く? 仕事の不始末による処分とはいえ、常に反省していろとかそういうわけじゃないが……どこへ行くんだ?」
「L1宙域に、です」
「へえ、元帥のお墓参り?」
レンヌの問いかけにスノウは首を横に振る。
「いえ。でも、元帥の家には行きます」
「…………目的はなんだ?」
「………………」
「前にも言ったが、お前自身の身柄も狙われている可能性がある。だから、目的を明かさない限り許可は出せない。目的次第では明かしても許可は出さないがな」
沈黙してただお互いの顔を見る。
ただレンヌが食事する音が数分流れて、根負けしたのはスノウだった。
「受け取らないといけないものがあります」
「何をだ?」
「わかりません。でも『そこにすべてがある』と彼は今際の際に言っていました」
「…………初耳だぞ、それは」
「言ってませんから」
しゃあしゃあと言ってのけたスノウに対して若干の怒りがわかないでもなかったが、それは飲み込んでホロンは務めて冷静に尋ねる。
「まあ、いい。だが、防人元帥がそうまで言うものを受け取りに行かせるのはな……」
「僕が託されたものです。だから、僕が取りに行きます」
「駄目だ。お前ひとりで行って、またあの連中に襲われたらどうするんだ」
「あれだけのことを起こした直後に、動くとは考えられません。今でさえ怪しまれているのに」
「それは絶対に動かないという理由にはならない。行くなら何人か連れていけ」
「お断りします。大勢で行くと逆に感づかれます」
「ならお前は行かせない。選抜した社員をひとりで行かせる」
「僕に行かせてもらえないのであれば、どこにあるか言いません」
平行線となってしまったそれぞれの意見がまた沈黙をもたらす。
ヒリヒリとした空気を第三者が感じていたとしたら、食事が喉を通らなかったに違いない。だが、そんな空気の中でものんきに夕食を頬張っているレンヌは口に食べ物を入れたまま、二人の間に割って入る。
「
「お前なぁ……。どうしてそう思うんだよ」
「んー? だってヌルくんは正社員じゃないし、正社員だったとしてもプライベートに干渉できる権利ないんじゃない?」
「それはそうだが……」
「黙って出ていくこともできたのにしなかったのは、ヌルくんなりの……えっと、こういう礼儀をしっかりすることを何て言うんだっけ?」
「筋を通す、か?」
「そうそうそれ。そうだよね?」
レンヌはスノウに確認する。彼は頷いた。
「ほら。なら、ホロンの方が筋が通ってないことにならない?」
「…………だとしても、認めねえからな!」
ホロンはそう捨て台詞を残してダイニングから出て行ってしまった。テーブルには食べかけの食事が残される。
「もー、もったいないなぁ」
「冷蔵庫に入れておきます」
「お願いね」
スノウがホロンの食べ残しの食器を片すため、キッチンの方へ引っ込む。そのスノウにレンヌは言う。
「ホロンこと怒んないでやってね。君を心配しているんだけど、冷静でいようとするあまりああなっちゃってるだけだから」
「僕を心配してくれていることはわかります」
「そ。君が素直な子でよかったよ」
キッチンから戻って来て、着席。しかし、スノウはフォークもナイフも手に取らない。
「…………」
「どったの」
「レンヌさんは、ホロンさんのことをよく理解しているんだな、と」
「まあね」
へへ、と子供のように笑う。
「まー6年? 7年も付き合ってりゃだいたいはわかるよ~」
「なるほど」
スノウはこれまでの自分の人生を振り返るが、それほど長く付き合ってきた人はいない。かつてハイスクール時代の恋人であったシエラですら3年程度だ。そのシエラの気持ちすらついぞ理解できなかった。そんなスノウでは、やはり雪の考えを理解することなど無理なのだろうか。
しかし、レンヌはあくまで楽観的に言う。
「大丈夫だって。ちょっと前までの君ならともかく、今ならわかるようになるよ」
「…………はい」
「L1宙域で元帥の形見を受け取ったら一旦サンクトルムに戻りな。北山雪との思い出を振り返るといいよ。そしたらもっと早くわかるようになるかもしれない」
「しかし、ホロンさんは反対するでしょう」
「するだろうね。だけど、ワタシから言っておくし、なんなら返事待たずに黙って朝早くに出ちゃいなよ」
あっけらかんと言うレンヌ。そういう人だとはわかっていたので、それ自体は驚きはしないが、疑問に感じたこともある。
「なぜ、そうも僕に優しいんですか。ホロンさんは同病相憐れむと言っていましたが」
「ん~? わかんない。でも、そういうもんじゃない? なんて言うんだっけな、こういうの」
この場にホロンがいたらレンヌの言いたいことを教えてくれただろうが、彼は席を外している。だから、レンヌはうんうん唸って考えて、しかし答えが出なかったので誤魔化すように言う。
「とにかくそういうわけだからさ、善意には乗っちゃいな」
「……ありがとうございます」
スノウは頭を下げた。
レンヌがシャワーを浴びて寝室に戻ると、寝間着に身を包んだホロンがダブルベッドに体を投げ出していた。しかし、目は閉じておらず浮かない顔で天井をただ眺めていて、レンヌにはそんな状態のホロンのことがよくわかっていた。
ホロンのすぐそばに腰を掛けて笑う。
「何辛気臭い顔してんの~。もう気持ちは決まっているのに悩むことなんてないでしょ」
「……そうは言ったって、ただ認めるわけにもいかんだろうが」
「もー意固地だなぁ。公と私で板挟みなのはわかるけどね」
「……子供ができたら、こんな気持ちになるのかもな」
「へえ、子供のことまで考えてくれてるんだ」
「そりゃそうだろ」
真剣なホロンの口ぶりにレンヌは心内では喜びつつ、同じように真面目に言う。
「私だったら、子供のやりたいようにやらせてあげたいかな」
「……そうだよな」
自分だってそうだ。本人が考えて出した答えなら、それを尊重してやるのが、彼よりも少しだけ早く生まれた人間の務めなのだろう。
ホロンは体を少し移動させ、レンヌの膝に頭を乗せる。
「ありがとう、レンヌ」
「どういたしまして」
いつもの天真爛漫な様子は鳴りを潜め、慈母のような微笑んでレンヌはホロンの頭を撫でた。
次の日の早朝。日も出ていない時間にスノウは荷物を持って玄関へと向かう。抜き足差し足……というほど警戒はしていないが、極力音は出ないように気を付けて。
(……ホロンさんには迷惑かけるけど、それでも行くしかない)
王我より託されたものは、自分以外に渡すわけにいかない。それが恩を仇で返すのだとしても。
靴を履いて、ドアノブに手をかける。その瞬間パッと廊下に電気がついた。
「よう、早起きだな。出かけんのか」
「……おはようございます」
「調子狂うな……」
スイッチに手を置いていたホロンは頭をかいて言う。
「元帥の、取りに行くんだろ」
「はい。止めるなら―――僕にも覚悟があります」
ファイティングポーズで構えるスノウ。それに対しホロンはひとつため息をついてから、封筒をスノウに投げつける。
「これは……」
「もう止めねえよ。止めても無駄なようだし……お前がやりたいって決めたことだからな。ただ、条件が二つある」
「……なんでしょう」
「一つ目。そこには俺が手配した宇宙船のチケットがある。その航路でL1宙域まで行け。
二つ目。元帥の遺したもの、それがなんだったか後で情報を共有してくれ。お前個人に関わることなら別にいいがな。
これらの条件が飲めないなら―――」
「わかりました、約束します」
飲めない条件なら一か八か即座に扉を開けて逃げ出すつもりだったが、なんてことない内容だったのでスノウは頷いた。
そんな風に快諾されるとは思わなかったので、拍子抜けした様子でホロンは言う。
「……いいのか?」
「はい。異論ありません」
「……お前が素直な奴で良かったよ」
(レンヌさんと同じこと言っているな……)とスノウは思ったが言わなかった。
ともかく、これでホロンから外出の許可を得られた。スノウは改めて身なりを整えてホロンに言う。
「では、しばらく出かけてきます」
「おう、行ってこい。気をつけてな」
「はい」
こうして、スノウはまだ暗い外へ飛び出していく。
防人王我が遺したものは何か、それをスノウはまだ知らない。それを確かに目指すはL1宙域、防人邸―――。
(続く)
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