第116話 月輪をまとう雪の花:月下美人

 スノウとドゥランがL1宙域に出発する直前、格納庫で白い機体を見上げるスノウにホロンは言った。


『ヌル、お前にこいつを預ける』

『僕が半壊させてしまったエグザイムですよね、これ。

 なぜ僕に渡すんですか?』

『俺やレンヌには専用機あるし、他の連中も乗りたがらねえからな。

 お前しか使う奴がいないんだ』

『………………』

『それに、経験に裏打ちされたお前の操縦技術はやはり高い。<ナッツ>じゃお前の腕を引き出しきれない。だから、新しいマシンをお前に宛がう必要があるのさ』


 ホロンも白い機体を見上げる。


『俺たちが技術の粋を集めて改造した良いエグザイムだぜ、こいつは』

『なんて名前なんですか?』

『名前? ああ、機体の名前か。開発中は<マスカレイド>って呼んでたけど、お前が乗るんだから、相応しい名前があるよな』

『なんだっていいですが……』


 スノウがそう言うと、ホロンは首を横に振る。


『馬鹿言うんじゃねえよ。氏曰く名は体を表す、大器には相応の名前が必要ってもんさ。

 そうだな、奇しくもお前の元の相棒の<リンセッカ>と同じ白い色だから、それにあやかって……<ゲツリンセッカ>ってのはどうだ』

『<ゲツリンセッカ>……』

『古来のアジア人の言葉に「雪月花」というのがあってな、それは雪・月・花、それぞれをまとめたもので、季節の美しさを例えた言葉だとされる。

 <リンセッカ>の中に雪と花はあるからな。それに月を付け加えてやったというわけだ』

『………………』


 <リンセッカ>、それはスノウのために造られ、雪によって命名されたエグザイムだ。

 新しくスノウのために造られ、そして<リンセッカ>の魂を受け継ぐ機体として……ホロンの考えた<ゲツリンセッカ>という名前はとても相応しいように思えた。

 だから、スノウは頭を下げる。


『ありがとうございます。とても良い名前をいただきまして……』

『気に入ってくれたなら何よりだ。ついでに言えば、その古来の言葉には月の輪のことを月輪と呼んでだな……』

『ところで<ゲツリンセッカ>の肩部スラスターからワイヤーが伸びていますが、あれはなんですか?』


 ホロンの講釈が長くなりそうだと思ったので、早々に打ち切ってもらうべく質問を投げる。先ほどから気になっていたのだ。

 雑学を語る機会をなくし、若干不満げなホロンはワイヤーを指さして言う。


『腰まで伸びてるやつのことだよな? ありゃ<ゲツリンセッカ>の特殊機能で……まあ詳しくはマニュアルがあるから、道中で見ておいてくれ』

『了解』




 <DEATH>に連れられてやってきたのは防人邸のある宇宙ステーションの近海、どうやったのかは不明だが<ディソード>もまたここに来ていた。

 用意されていたパイロットスーツを着た雪は<ディソード>に飛び移り、コックピットの中へ。


(早く帰らないと。計画外の戦闘はご法度だ……)


 手早く<ディソード>を起動させると、その瞬間にアラートが鳴る。


「な、なに? こっちにやってくる……?」


 アラートが示す方向の映像を拡大すると、白いボディにレモン色の指し色が入ったエグザイムがたった1機でこちらに向かってくるのが見えた。


「まさか……」

『そのまさかさ』


 その通信はこの世界でたったふたりしか知らないはずの秘匿回線からだった。だから、雪は泣きそうな顔でその相手の名前を口にするしかなかった。


「スノウ……」

『久々……ってほどでもないね』


 白い機体……<ゲツリンセッカ>が<ディソード>の前で停止する。デザインはまったく違うが、白いボディで巨大な肩部スラスターを備えた姿は雪自身が命名したエグザイムを思わせた。


「その機体は……」

『新しく受領したエグザイムだよ。…………まあ、それはどうでもいいか。

 どうする、雪ちゃん。帰ってくる?』


 抑揚が抑えられているようで、その言葉の節々に希望がにじみ出ているように思えるのは自惚れだろうか。雪はスノウが自分の帰還を期待していることに少し救われつつも、しかし、戻りたい気持ちをぐっと抑えて言う。


「…………スノウ、お願い、見逃して。

 あたしはスノウと戦いたくない」

『なら、帰ってくればいい』

「それはできないの。…………わけは言えないけど、スノウのためだから」

『………………』


 短い沈黙の末、スノウはため息をついた。


『遠征で僕が最後に戦った時、あの時の君が僕に抱いた気持ちが、今なら少しわかる。確かにこれなら怒っても仕方ないか』

「…………スノウ?」

『まあいいや。なぜ帰ってこないのか、何が僕のためになるのか、それは今は大事じゃない』


 スノウがそう言うと、<ゲツリンセッカ>は右アームでブロードブレードを、左アームでアサルトライフルを腰部から取り出し構える。


『僕は、泣き落としするほど優しくはない。力尽くで保護して、それから話は聞かせてもらう』


 それはまるで瞬間移動だった。じゅうぶんに取れていたはずの間合いが一瞬で縮み、目の前にはブロードブレードを振りかぶる<ゲツリンセッカ>がいた。


「くっ!」


 長剣を構えて何とかガードする。その間にそれまで静観していた<DEATH>が<ゲツリンセッカ>に襲い掛かるのが見えたが、<ゲツリンセッカ>はあくまで冷静な様子で、<ディソード>と刃を交えていた右アームのブロードブレードを手放し、もう1本のブロードブレードを取り出して投げつける。それは正確に<DEATH>の右アームを切断した。そして、がら空きの胴体にアサルトライフルを連射する。

 その隙を見て、<ディソード>は近接戦闘から離脱する。


(強いことは知っていたけど、相手になったら……これほど怖いの?

 …………ううん、弱気になっちゃダメ!)


 雪は自分の手がわずかに震えていることに気が付いた。しかし、それを意志で抑えつけて、強くグリップを握り込む。

 その間に<ゲツリンセッカ>はアサルトライフルで<DEATH>をハチの巣にしている。そして、それがただのスペースデブリに変わった後、腰部から伸びるワイヤーを手繰り寄せて、投げつけたブロードブレードと<ディソード>を切りつけたそれを回収した。

 アメツチが開発した他の機体と同じく、<ゲツリンセッカ>の手持ち武器の全てがワイヤーで接続されている。だから、武器を手放してもロスすることがなく、また回収を容易に可能としているのだ。

 手放されて宇宙に浮かぶ2丁のアサルトライフルと、手に持った2本のブロード。そして、巨大な肩部スラスター。それらを操る白きエグザイムに、雪は幼き日に父に教えてもらった古代アジアの守護神――阿修羅と呼ばれる守護神の姿を見た。

 剣を構えた阿修羅が動く。


『―――ッ!』


 <リンセッカ>を超える速度で動き出した<ゲツリンセッカ>が<ディソード>の両腕を斬り裂こうとする。が、すんでのところで避ける。

 だが、その次の瞬間には損傷軽微を知らせる旨のアラートが鳴り響いた。


「な、なにがあったの!?」


 モニターは装甲が一部損傷したことを示していた。様子から見て斬撃に当たったのではなく、アサルトライフルの攻撃によるものだとはわかったが、今の<ゲツリンセッカ>は両手にブロードブレードを持っている。銃撃ができるはずがなかった。

 謎のまま一方的に攻められるのを嫌い、雪は叫ぶ。


「やめて、スノウ!」

『…………力尽くだって、言った』

「このっ……!」


 <ディソード>は長剣を振るって斬撃を飛ばす。だが、<ゲツリンセッカ>はそれを軽々と避ける。

 そして、肉薄し刃を<ディソード>に突き立てようとして、その間に割り込むものがいた。


『<COFFIN>か』


 <ディソード>のピンチを感知してか、<COFFIN>がワープしてくる。その数、計4機。


『その盾は厄介だけど……』


 スノウがタッチパネルを操作すると、肩部スラスターが縦に180度回転する。そして、露出した持ち手をしっかりとアームでつかむと、ロックが外れ肩部スラスターを自由に持って動かせるようになった。サメの胸ヒレのような鋭利なスラスターがそのままナックルガードになり、トンファーのような手持ち武器となったのだ。


『これを試してみよう』


 肩部スラスターを手に持ったまま、スラスターを吹かす。両腕も一緒に火を噴き、尾を引いて<COFFIN>に迫る。


『せいっ!』


 <ゲツリンセッカ>の勢いを見て巨大な腕でボディをかばう<COFFIN>だったが、スラスターの勢いをそのまま乗せた肩部スラスターの鋭利な刃が、三日月のような弧を描いて腕を真っ二つにし、そのまま胴体も一緒に斬り裂く。


(これが『ギロチンドロッパー』か)


 マニュアルに記載されていた説明を一瞬だけ思い出して、すぐさま他の<COFFIN>も始末する。

 結局、1分にも満たない間に全ての<COFFIN>が沈黙した。


『…………これで君を守るものはいなくなった』

「………………」

『戦いたくないなら、今すぐ降りろ。僕も君を痛め傷つけたいわけじゃない』


 <ゲツリンセッカ>が迫ってくる。


『もしデシアンに降ってまでやらなければならないことがあるなら、僕を倒していけ』

「…………本気で言っているんだよね、スノウのことだから」


 自分の知るスノウなら。愛するスノウなら。こんな時に冗談なんて言わない。ならば、やるべきことはひとつ。


「わかった。スノウ、貴方を倒す。倒して、最新型でもあたしと<ディソード>には勝てないってことを教えてあげる」

『………………』


 ギロチンドロッパーを肩部に戻し、再びブロードブレードを二刀流で構える<ゲツリンセッカ>。

 片や幾千幾万ものデシアンを葬ってきた長剣を正眼に構える<ディソード>。

 両機が最初の一撃ですべてを終わらそうとスラスターの予備動作を完了させた瞬間―――それぞれのコックピット内に無差別に通信が入って来た。


『むっ』

「なに?」


 通信の送り主は宇宙ステーションの駐在軍所属の防衛隊長で、デシアンの数が多いため応援を求めているという内容だった。

 それを聞いて雪は思う。


(あたしを助けるために戦力を投入しているんだ。離脱する時間を稼ぐために……)


 一方のスノウは矛を収めて反転する構え。


「行っちゃうんだ」

『今君とここで戦わなくていい大義名分ができたからね』

「…………らしくないね、スノウ。前までのスノウなら、そんなの構わずあたしに襲い掛かってたんじゃない?」

『…………僕はまだ、答えを見つけられていない。本当は、まだ君と会うべきじゃなかった』


 宇宙ステーションへ向けて、<ゲツリンセッカ>は動き出す。


『次会う時までに、答えを見つけておく』


 その言葉を残して、通信は切れた。そして、あっという間に<ゲツリンセッカ>は一晩だけ降ってすぐ溶けてしまう春の雪のように目の前から消えて行ってしまった。

 残された雪は、指の一本ずつグリップから引きはがしながら、スノウの言葉の意味を考えていた。


(…………『答え』。スノウはあたしとの未来を今でも考えてくれているんだ。デシアンになったのに? 裏切ったようにしか見えないのに?)


 それは、スノウがまだ雪を想っていることの証左であった。

 次会った時に何を言われてもいい、軽蔑されてもいい、スノウが救われる世界ができるのであれば。そう思っていたのに、まだ彼は自分が出した難題への答えを探していたのだ。

 スノウの為に、あえて決意したスノウと戦う覚悟が一気にしぼんでいく。代わりに生まれたのは虚しさ。愛しているのに、心から望んでいるのに、すれ違うしかないふたりの選択に対する虚しさ。


「…………なにやってんのかな、あたし」


 ヘルメットを取って放り投げる。背面にこつんとぶつかる間に、コックピット内に水の玉が少し浮かんだ。

 しばらくして、英雄機はL1宙域から音もなく消えた。

                                  (続く)

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