第112話 兄弟:ピンクバーベナ故に

 来客との面会まであと数分を切って、ゲポラは珍しく憂鬱そうにしていた。


「ふう……」


 人払いは済んでいる。学長室には自分ひとりしかいない。だから、いくら溜息をついてもそれを不安に思う者はいない。


(またいきなりだ。いつも急なんだあの人は……)


 心内で毒づいてコーヒーをすすると、内線が学長室に響く。


「どうした」

『学長、防人元帥がお見えになっています』

「通してくれ」

『承知いたしました』


 まもなく、兵士を数名引き連れて王我が校内にやってきた。彼は以前と同じように外に兵士を待たせて、単身学長室の中に入る。


「久しぶりだな」

「そうでもありませんよ。私と貴方の忙しさを思えばね。

 私とて仕事がある。そう何度も事前に連絡もなく訪ねてこないでほしいものです」

「俺との面会以上に重要な仕事などあるまい」

「…………どうぞ」

「うむ」


 コーヒーが入ったカップを王我に差し出して、ゲポラは応接セットの普段の位置に座る。


「ただ私のコーヒーを飲みに来たわけでもないでしょう。本題に入ってください。

 もっとも、何を言い出すかはだいたいわかっていますが」

「ほう、当ててみろ。当たっても商品はないがな」


 王我が口の端を釣り上げてそう言うのと対照的にゲポラは心底くだらなそうな態度でコーヒーをすすり、王我以外には誰もいないというのにささやくようにその名を出す。


「…………プライマル」

「正解だ」


 王我は全く心のこもっていない拍手を送る。


「あるんだろう、校内ここに。それを提供してもらいたい」

「接収の間違いでしょう」

「望み通りそうしてもいい。その場合、見返りはない」

「また、北山雪と同じことを繰り返すんですか?」


 ゲポラは王我の言葉に答えず、そう問うた。手に持ったコーヒーの水面がわずかに揺れる。


「馬鹿がやることだそれは。英雄で駄目なら旗にして人心を動かすまでだ」

「人はそれほど馬鹿じゃないですよ。セブンスクエアが失敗した時点で、そんな手はもう人々に通用しない」

「お前と問答をしたいわけではない。

 具体的なプライマルの引き渡し日時を―――」

「いい加減にしろ、王我さん!」


 バン、と机を置いて立ち上がるゲポラ。コーヒーカップが倒れて、中身がこぼれる。だが、ふたりともそれに目もくれない。お互いの間にある見えない壁だけをただ感じている。


「プライマルを手に入れた後はまた子供を犠牲にするのか? 今度は春樹君か?

 それとも、また別の子供を見つけたか?

 貴方のしていることを亜門が知ったら、きっと失望しますよ!」

「…………の名を出すな」

「いいえ、今回ばかりは言わせてもらいます。

 貴方は亜門のことを想ってやっていることかもしれませんが、亜門を体よく使って、言い訳にして暴挙を働いているだけです! それを自覚なさい!」

「途中で逃げ出したお前に何が言える!」


 大地を割らんばかりの一喝が学長室を震わせる。ゆっくりと立ち上がり、ゲポラの胸元をつかんでグイと引き寄せる。


「弟を死に追いやった屑どもに裁きを与えるには、力が必要だ。サキモリ・エイジにも負けぬ、偉業という名の力が。

 それをなすための暴力ちからはサキモリ・エイジと同じ<ディソード>以外ありえん!

 そんなことをわかっていながら、貴様はぬけぬけと軍をやめ、ここでぬるま湯に浸かっている……!」

「連中のいる世界で生きるより、亜門の子供たちが健やかに生きられる世界を作る方が大事だと思ったからです。それが、亜門の友人であった僕の務めだと―――」

「ならば、亜門の無念は誰が晴らす!? 俺しかいないだろう! だから、プライマルを、<ディソード・プライマル>が必要で、そのために今日俺はここに来たのだ!」

「…………お帰りください」

「なんだと?」

「僕は、地球統合軍の防人王我元帥との面会をしたいのであって、復讐に捕らわれた哀れな男を相手にしたいわけではありません」

「貴様……!」


 王我は胸倉をつかんでいない方の拳を固めるが、ゲポラの頬を伝うものを見て、胸倉を離した。


「フン、興が醒めた」

「………………」

「…………次は、良い答えを期待している」


 そう吐き捨てて、王我は学長室を出て行った。

 残されたのは、友の無念を晴らす勇気がない、力もない、哀れな男だけ。

 男は数年ぶりに声をあげて泣いた。



「…………ふう」


 シミュレーターを使ったトレーニングを終え、シャワーを浴びたソルは一人思う。


(シミュレーターだけでは何か足りない気がするな……。何をすればヌルに追いつけるだろうか)


 脳裏に浮かぶのは人々を守りながら丸腰でデシアンとやりあっていた白いエグザイムの姿。

 スノウは謙遜するだろうが、ソルからすればやはり超人的な腕のように見えた。


(経験の差はあるにしても、それだけではないはずだ。彼と俺の決定的な違い、それを理解しないといけないだろう……)


 そんなことを考えていたからだろうか、気が付けばソルは見知らぬ場所に来てしまっていた。

 雰囲気からして校内なことは間違いないが、しんとしていて、人の立ち入りを拒んでいるようにも思えた。

 ここは学生が立ち入ることを禁止されているエリアであり、学長を含めた一部の上役が利用する場所だ。重要な会議をしたり、特別な資料が置かれており、校内のトップシークレットと言ってもいい。

 入口に特に警備員がいるということがないため、入ろうと思えばだれでも入れる。ただ、リアルタイムで監視はされているし、入った結果どうなるかは保障できないが。

 そんなことをソルは知る由もなかったが、雰囲気でまずい場所に来たことはわかった。だから、慌てて来た道をそのまま戻ろうとするが、その前に正面に見えた人物を見て目を丸くする。


(サキモリ元帥!? なぜここに……)


 相手も気が付いたのか、脇を固めていたSPがソルの前までやってきて拳銃を抜く。


「動くな、手を挙げろ!」


 目の前に拳銃を突き付けられたら従う他ない。言われた通りにした。

 すると王我はSPに拳銃を下ろすようにジェスチャーしながら言う。


「そうピリピリするな、ここの学生だろう。

 …………貴様、名前は?」

「…………ソル・スフィアと言います」

「ほう、君がスフィア殿の息子か。噂はかねがね伺っているよ。

 …………む?」


 王我は眉間にしわを寄せて、ソルの目の前に立つ。


「な、何か?」

「…………なるほど」

(な、なんだ……。急に態度が……)


 ゾッとする笑みを浮かべた王我に困惑するソル。そして、その困惑は驚愕に変わる。


「お前も、スノウ・ヌルと同じということか。それも奴より強く血を引く……」

「…………どういうことです?」

「お父上に聞くのだな。もっとも、すぐにまた相まみえることもあるだろうが……。

 行くぞ、すぐに戻らねばならん」


 謎の言葉を残して王我とそのSPは去って行く。


(俺が、ヌルと同じ? 血を引く……?)


 そこから考えられる可能性は一つある。だが、それは口にすれば、どころか一度明確に脳に浮かべてしまえば、真実になってしまう気がした。それでも思わざるを得なかった。


(俺とヌルは兄弟、なのか?)


 その答えを今すぐに知りたいと思った。それを知っているであろう人物は、すでに見えなくなっていた。

                                  (続く)

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