第106話 開かれるもの:心、ストレプトカーパス

 半ば融解した<壌無>のコックピットから救助されたホロンはすぐさま医務室へ連れていかれた。

 凄まじいまでの熱にさらされたことによる脱水症状で意識を失っているものの、適切な処置さえすればひとまずは死に至ることはないと聞かされ、一安心したレンヌは医務室を後にする。

 すると、医務室近くで待機していたエスターテとフリューリングがレンヌに駆け寄る。


「ベラン二尉!」

「一尉の容体は……」

「へーきへーき。命に別状はないってさ」


 そう伝えると、エスターテとフリューリングは胸をなでおろす。

 ふたりともいてもたってもいられなかったのだろう、いまだにパイスーのままだったのでレンヌは指示を出す。


「ふたりとも休んじゃっていいよ。もちろん休む前には次の担当者に声かけてね」

「了解。二尉は?」

「ワタシも適当なタイミングで休むよ」

「ならお先に休ませてもらいます」


 ふたりは敬礼して去っていった。


「こりゃ今晩は久々にひとりかぁ」


 エスターテとフリューリングの後ろ姿を見送ることなく、レンヌはシニヨンにしていた髪をほどきながらつぶやいた。



 スノウもまた休憩に入ったが、ホロンが無事なのかを確認するために普段着に着替えてからすぐに医務室へと足を運んだ。

 ベッドに寝かされ点滴を受けているホロン。傍らにはやはり普段着のレンヌが座っていた。


「おっ、キミも来たんだ」

「ホロンさんが無事かどうか確かめるために来ました」

「見ての通り。命に別状はないって。

 バッカだよねぇ、いくらワタシがいるからって自分から危険なことするなんて」

「<壌無>が凄まじい速度で動き出したあれですか」


 スノウがそう言うと、レンヌはうなずく。


「ワタシの<天窮>とホロンの<壌無>はそれぞれアメツチの試作品を積んでるんだけどさ、<壌無>の方は高出力の……動力? なんかを積んでるんだって。詳しく知らないけど」

「それであれだけの速度を」

「そそ。でも、基本的には開発の人もホロンもフルパワーは使いたくないみたいなんだけど、まあ今回はしょうがない」

「特殊部隊とデシアン、両面から来たならあれは良い判断だったかと思います」


 その言葉にレンヌは苦笑いして「それもだけど」と前置きして語りだす。


「統合軍に手を払われたことがあまりにもショックでキレちゃったんだよ」

「…………協力を拒まれただけでショックを受ける人には見えませんが」

「そりゃキミがホロンのある一面しか知らないから、そうは見えないのさ」


 確かにレンヌの言う通りだった。ずいぶん長い付き合いだと錯覚しているが、スノウとホロンが出会ってからまだ1、2か月程度しか経っていない。彼がホロンのことをほとんど知らないのも無理はない。


「戦術的な理由だけではなく、感情的な理由も多分に含まれるわけですか」

「まあね。ホロンって案外ロマンチストだから、裏切られるとわかっていても統合軍を信じたかったんだよ」

「…………裏切られるとわかっていて、ですか」

「統合軍は民の味方、人類の味方……ってだけじゃないからさ」

(『統合軍とて一枚岩ではない』か。統合軍内での派閥争いは常なのは知っているけれど)


 レンヌらしからぬシリアスな言葉を聞いて、スノウは王我の言葉を思い出していた。


「それでも、人命がかかっているならエゴを見せずデシアンと戦うはずだ、とホロンは思いたかったわけ。結果はああだったわけだけど」

「そうまでして思わなければならないぐらい、ホロンさんは統合軍に恨みがあるんですか」

「そりゃアリアリ。モハメド・アリ」

「そうですか」


 淡泊な物言いなので、レンヌは目を丸くする。


「ありゃ、どうしてかは興味ない?」

「僕が詳しい事情を知ったところで、ホロンさんの気持ちもやることも変わらないでしょうから」

「北山雪にも同じこと言うんだ?」


 レンヌの指摘に、回れ右しかけていた足が止まる。


「………………」

「ヌル君さ、キミのその……なんていうか……人の気持ちに左右されないところはきっといい点だってホロンは言うと思うけど、ワタシはそう思わない。

 少なくともワタシはワタシがつらい時に、解決できなくても寄り添ってくれる人が好きだし、寄り添ってくれない人は嫌い」

「………………」

「北山雪がなんでデシアンあっちについたかは知らないけど、その理由も聞かず戦う? それで仮に取り戻したとして、北山雪は嬉しいって思うかな?

 ワタシが同じ立場だったら絶対嫌だけどね」


 スノウは感情をあまり出さず、たとえ個が犠牲になるのだとしても必要なことや全体にとってより良いことを躊躇なく選べる理性の怪物である。

 そのため、理屈よりも感情を優先し、楽しいことを優先するレンヌだからこそ、その言葉は的確にスノウを責めた。スノウは何も言い返せなかった。

 そんな彼に、レンヌはそれまでよりは少し優しい口調で言う。


「キミはさ、もっと人に興味を持った方がいいよ。少なくとも、君へ心を開いている人の分ぐらいは」

「…………善処します」

「試しにホロンの目が覚めたらホロンの話聞いてみな。ほれ」


 レンヌは立ち上がって、今しがたまで自分が座っていた椅子を指し示す。


「ワタシは席外すからさ」

「ホロンさんのそばにいないのですか」

「ホロンがここにいて、ワタシがここにいちゃ部下たちが大事な時に動けないでしょ。

 面倒だからやりたくないけど、ホロンがいない間ぐらいはね」

「………………」

「じゃ、ホロンのこと頼んだよ」


 そう言ってレンヌは医務室から出て行った。

 スノウはそれを見送ることもなく、椅子に座ることもなく、黙って今のレンヌの言葉の意味を考えていた。




 12月中旬の今、サンクトルムは恐ろしいくらい平和であった。その間、遠征やオペレーション・セブンスクエアに参加したことによる講義の遅れを取り戻すべく、ソルたちは忙しくしていた。忙しくしていれば、その時だけは世の動きだとか、スノウの安否だとか考えることなく気がまぎれた。

 講義を終えて、食堂で駄弁っているときやおらアベールが話題を変える。


「ああ……そう言えば、二人とも今週末お暇ですか?」

「暇と言えば暇だなー」

「俺も特に予定はない」


 秋人とソルがそう答えると、アベールは嬉しそうにうなずく。


「でしたらちょうどいい。

 ちょっと遠出しませんか? 実は父からこういう案内が来ていまして……」


 スマートフォンに表示された案内を見て、秋人が首をかしげる。


「なになに……『次世代型ニューエグザイムお披露目会』? なんだこりゃ?」

「ああ、俺も先日父から話を聞いた。軍内や出資者向けのイベントだろう?」

「はい。例えば家電メーカーが卸売業者や小売店向けに新商品のお披露目をするでしょう。これはそのエグザイム版だと思っていただければ」

「…………わかるような、わかんないような」

「とにかく、一般に先駆けて関係者は次世代エグザイムが見られるわけです。

 しかも、ここに出展されるエグザイムは、当然正式採用されないものもあるので、その意味でも貴重な機会と言えます。

 せっかくなので遊びに行きませんか?」


 先に語ったように、二人とも用事はないのでその誘いに快諾した。

 いつ集合し、どんな荷物が必要か詳細を詰めた後、ソルは自室に戻る。


「ただいま」

「おかえり、ソル」


 中には当然のように黒子がいて、室内のキッチンを使って何か作っているようだった。

 手に持った包丁から目を離さず、黒子は言う。


「そう言えば、ソル宛に何か郵便が来てたわ。テーブルの上」

「わかった、確認する」


 確かにテーブルの上に封筒が置いてあったので拾い上げる。


(なんだ? 差出人のない封筒?)


 今時珍しい封筒に入った手紙のようだった。差出人が記載されていないことを不審に思った。


(怪しいな……。とりあえず、明日になったら学生課に問い合わせてから、この手紙をどうするか決めよう)


 そう考えて、ソルは手紙をバッグにしまい、そのまま忘却してしまった。だから、その手紙の文頭にスノウの名前が記載されていても気が付くことなく、時は流れていった。

                                  (続く)

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