第102話 ひとり想う:ふたりグラジオラス

 レンヌが作った夕食を食べた後、家の中の案内の後、最後に来客用の寝室に案内されてからスノウは自由の身になった。

 自由の身と言っても、どこかへ逃げ出すことはしない。この家の所在地がどこかわからないし、持ち物はすべてオペレーション・セブンスクエアの作戦前に<ロート・レーヴェ>内に置いてきてしまったため、財布もスマートフォンも何もかも持っていない状態で外に出るのに危険が伴う。

 それにホロンもレンヌも今のところスノウに友好的であるし、この場から離れるメリットがない。そうして総合的に判断した結果、しばらく厄介になることにした。

 食後に軽く運動をして、シャワーを浴びて(家の中のものは基本的に自由に使っていいと言われたのだ)、寝室に戻ってくるとスノウはベッドに横になった。疲労感はないが、ここ数日で環境が激変したため、休める時にしっかり休もうと考えたのだ。ゆっくり目を閉じると、すぐに眠りに落ちた……。



 翌朝、朝日が昇るのと同じタイミングでスノウは目が覚めた。

 ストレッチをして体をほぐした後、リビングへ行っても誰もいない。だから、とりあえずポッドから湯飲み1杯分のお湯を出して飲んで、冷蔵庫をのぞく。


(居候するんだからこのぐらいはするべきだ……)


 卵やハムがあったのでそれでハムエッグを作り、適当な野菜を切ってサラダにする。

 そんな風に朝食を作っているとあくびをしながらホロンがリビングにやってきた。


「ふわぁ~ねみーなぁ」

「おはようございます」


 ホロンは寝ぼけ眼で椅子に腰を掛ける。


「もう朝食ができてるってのはいいもんだな……。味はいまいちだけど……」


 そしてスノウが用意した朝食をもそもそと食べ始める。スノウも対面に座って食べ始める。

 しばらくして、脳が動くようになったのかホロンはしっかりとした顔で言う。


「そう言えば、ヌル。お前今日はどうすんだ」

「どうするとは?」

「1日中家にいるつもりか? それじゃ暇でしょうがないだろ」

「いろと言われればいますが」


 特になんてことないように言うスノウ。


「…………俺の聞き方が悪かったよ。

 お前には俺の目の届く範囲にいてほしい。だが、俺には仕事があって家に1日中いるわけにもいかないし、仮にいられるんだとしてもずっといたらカビがはえちまう」

「と、なると駐屯地へ僕も行きますか」

「そうしてもらいたい。

 とはいえだ……移動のたびに目隠しと手錠と耳栓をされたんじゃお前も嫌……とは思わないな。うん、何も言うな、お前がそういう奴だってのはわかっている。

 いちいち拘束しないといけないのは俺が嫌なんだ。面倒だしな。

 そこで……この書面を見てほしい」


 ホロンはバターロールを持っていない方の手でタブレットを取り出し、画面が見えるように見せる。

 そこにはアメツチの施設内である一定の行動の自由を認める代わりに、人権に反しない限り上長(この場合はホロン)の指示に従うことを示す文章が書かれていた。その下にはサインを書く箇所もある。


「…………契約書のように見えますね」

「まあそんなとこだ。

 今のところアメツチに入るつもりはないんだろ?」

「それはそうです」

「なら外部協力者として登録しようと思ってな。上に昨晩かけあったら許可を貰えたから、益があると思ったらサインしてくれ。

 外部協力者は社員ほど自由にできるわけじゃないが、それでもあの駐屯地の大抵の部屋に出入りできる。社員じゃないから労働時間も短めだ。もちろん、給料も出る」

「そうですか」

「興味なさそうだな。

 まあ、詳しい内容や規則、罰則の詳細はそこに全部書いてある。知りたければ読んでくれ」

「はい」


 スノウはホロンからタブレットを受け取り読み始める。朝食はもう食べ終えたので、行儀が悪いということはない。

 ひと通り見て、特に理不尽な内容がないことを確認すると、スノウはサインを書いてホロンに返す。


「書きました」

「お、書いたのか? それなら俺としてもありがたいが……。

 にしても、あまりうまい字じゃねえな」

「上手と言われたことはないです」

「逆にその方が筆跡として信頼ができるよ。

 じゃ、これで登録しちまおう」

「う~、ねむい~」


 リビングにレンヌが目をこすりながら入ってくる。大きめのTシャツ1枚だけ着た、ともすれば扇情的なファッションと言えるが、レンヌの体つきではなかなかそうは思えないのが現実であった。

 ぼさぼさの髪を振りながらのっそり歩いて、座っているホロンの後ろから手をまわして抱き着く。


「ねむい~」

「まだ寝ててもいいぞ。俺はこれから外部協力者の登録作業をしないといけないし……」

「やだー。寝るならホロンと寝るー」

「わかったわかった、すぐに終わらすから先に寝室に戻ってろ」

「あい……」


 気の抜けた返事をしたものの、レンヌは一向にその場から動かない。ホロンの耳元にスースーと規則正しい寝息がかかる。


「…………寝ちまったか」

「ここで、ですか」

「本当はもっとベッドで寝たかったけど、俺がいなかったもんだからわざわざ探しに来たんだろう」


 ホロンはレンヌに気を使いつつ立ち上がり、ゆっくりと彼女を抱っこする。そして、そのままリビングのソファに寝かせた。


「ったく、可愛い奴だ」

「………………」


 レンヌの髪の毛をすくようになでてやるホロンを見て、スノウはふと学祭の夜のことを思い出す。雪がスノウを求め、受け入れたあの夜のことを……。


『…………雪ちゃんのことは、好きだと思う。可愛い娘だと思うし、こうしていられることは幸運なことだとも。

 だけど、今の質問は……ただそう思っているかというより、恋人として付き合う、さらに深く言うなら一生の伴侶として共に生きていけるかということを聞いているんだと考えている』

『…………うん。いずれは、スノウとそうなりたい。

 世間一般で言うところの、結婚を前提にお付き合いしてくださいってやつ』


 未だに共に生きていくということがよくわかっていない。


(…………共に生きていく、か)


 しかし、スノウがその答えを見つけるのはそれほど遠い未来の話ではなくなりつつあった。




 六畳ほどの部屋の中は真っ白で、数学の問題集に出てくる立方体を思わせる様子だった。その中央にたったひとつだけ置かれた装置……人がひとり分だけ入れるサイズのカプセルの蓋が開かれる。

 そこからはアンダーウェアだけを身にまとった雪が出てきた。顔色は悪く、剣呑な表情をしている。だが、それはメンタルの問題であって体の方はすこぶる快調であった。

 それは今しがたまで入っていたカプセルのお陰だ。1日に1度、1時間だけでもこのカプセルに入っただけで食事や睡眠、排泄がいらなくなる―――世の理から外れたものと思わざるを得ない装置だ。

 原理がわからず、自分の体を好き勝手されているように思えるそれを使うことに嫌悪感を覚えている雪は真っ白な壁に手を伸ばす。壁に触れた手は、まるで水に手を入れるかのように飲み込まれ、そして何かを掴んだ。引っ張ると壁からやはり水の中から取り出した時のように黒いパイスーが出てくる。壁がその余波で波打つ。

 慣れた手つきでパイスーを着用し終えると、脳に直接声が響く。


『目が覚めたか』

「…………脳の中に直接話しかけるのはやめてって言ったでしょ」

『鼓膜を通したコミュニケーションは相互理解に不確実。正確に理解をするためには必要』

「………………」


 雪は反論せず、その部屋から出る。

 部屋の外はデシアン本拠地の中枢につながっていた。というより、今まで雪がいた部屋はモノリスの中にあったのだ。

 モノリスの前で片膝を立てて停止している<ディソード>を雪は見上げる。


『<ディソード>の修理及び強化は完了した』

「…………デシアンの量産機の方は?」

『そちらがセブンスクエアと名付けた作戦による損害分の補填はあと2週間かかる予定』

「わかった」

『そちらの望みを果たすには時間がかかる。焦らずとも今はこちらに任せればよい』


 言葉こそ雪を気遣うようであったが、脳に直接響く声に優しさはない。ただ、より確実な方法を事務的に伝えるだけ。

 ほんの僅かでも人間味があれば雪が選んだこの道―――すなわち、人類に刃を向ける選択が少しだけ報われた気になるのに。

 雪は大理石のような床を蹴って一直線に<ディソード>のコックピットにたどり着いて、そのまま中に入る。


「…………数日ぶり、かな」


 <ディソード>に乗るのはあの日以来だ。グリップを握ると大量の艦隊と<リンセッカ>を斬り刻んだ感覚がよみがえってくる。

 直前までその戦いを繰り広げていたかのように寸分たがわないその感覚は雪の罪悪感を刺激した。


(あたし、たくさんの人の命を奪って、スノウを叩きのめして、ここにいるんだ……。ううん、それをわかったうえでやったこと)


 すべては人類のため、スノウのため。そう思うことで18歳の少女が背負うには重すぎる罪を誤魔化すことにした。


(もうデシアンだけじゃ人類の脅威になりえないなら、あたしが人類の脅威になって、人類を強くする。そうすれば、人類は滅びないし、スノウも自由になれるんだ……)

『準備はできたようだな。それでは、本日の指導を開始する』


 雪の脳内におびただしい量の情報が流れてくる。それはデシアンがこれまで集めてきた記録であったり、デシアンの各兵器に利用されている技術であったり、これからの雪に必要なものであった。

 雪はこれまでこのコクピットでしてきたのと同じように歯を食いしばって情報の暴力に耐える。その先に希望があると信じて。

 しかし、人類のためスノウのためと思うものの、そんなことをスノウが望むわけがない。一番大事なそのことを雪は理解できないでいた。

                                  (続く)

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