第101話 心も体も:アカマツのふたり

「抵抗もあり得るから、細心の注意を払って独房にブチこめ。後は俺から上に報告しておく」


 アメツチの駐屯地に戻ってきたスノウは<ナッツ>のコックピットを出た後、やはりホロンの部下たちに誘導されて格納庫で武装したアメツチの職員に指示をするホロンのところでやってきた。

 ホロンは職員を見送ると、スノウを見る。


「戻ってきたか。

 エスターテ、フリューリング、ご苦労だった。それぞれの職務に戻ってくれ」


 ホロンに一礼して部下たちは去っていく。


「じゃ、行くか」

「…………次はどこへ?」

「決まってんだろ、汗を流しにだ」



「ふいー、極楽極楽……」

「………………」


 スノウの視線の先、湯気の向こうでホロンが浴槽に体を沈める。ホロンの体積分のお湯があふれて排水溝へと流れていく。


「シャワーで軽く汗を流したら入って来いよー」

「………………」


 その言葉通り、スノウはシャワーのコックを閉じてからホロンも入っている浴槽へ足をゆっくり入れていく。

 ここはアメツチが社員への福利厚生で設置した大浴場。今はホロンとスノウが貸し切り状態で使っている者の大人がゆうに10人は入れる浴槽のほかに、サウナや水風呂なんかもある。

 ホロンは頭に乗せたタオルで顔を拭きながら言う。


「いやーやっぱ出撃した後の風呂は最高だなぁ。体の汚れと共に魂も洗われるようだよ……」

「そんなものですか」

「なんだ、お前風呂は初めてか? 半分は日本人なのにもったいないぞ」

「…………お詳しいんですね」

「まーそれだけウチの諜報員はやり手ってことだ」


 タオルを丁寧にたたんで頭に乗っける。もちろん、湯船にタオルは浸けない。


「仕事柄、色々なことを調べて備えておくのさ。敵を知り己を知れば百戦危うからずってな」

「………………」

「ま、ゆっくりしてけよ。最近ずっと独房に入れられていたからシャワー浴びるのなんて久々だろ」


 スノウを独房に入れたのはホロンなので、随分と勝手な言い草と思われても仕方ないのだが、スノウはそのことはたいして気にしなかった。

 ホロンがそうしているようにスノウもまた肩まで湯船につかる。


「………………」

「どうだ?」

「…………いいものですね」

「だろ?」


 戦闘機動で凝り固まった筋肉が温水によって温められ、緊張がほどけていく。理屈で言えばそれで心地よいと感じるのだが、ただの理屈ではない安らぎをスノウは感じた。

 ここ最近ずっと裏切った雪のことを考えていたが、この時だけはその安らぎに従って考えないようにした。

 スノウのその名の如く色素の薄い顔が少し紅潮してきたところで、ホロンは言う。


「なあ、ヌル。ひとつ聞いていいか?」

「…………なんでしょう」

「お前なんでサンクトルムに入学した?

 いやな、お前の経歴は一通り知っているんだ。バンクに遺されていたサキモリ・エイジの精子から生み出され、非合法な施設で実験と訓練の毎日を過ごした……。だが、その後は一般的なハイスクールに通っているじゃねえか。そのまま普通の人生だって歩めたろうに、なんでまた戦いの道にと思ってな」

「………………」

「ま、見ず知らず……ってほどでないにしろ、上官でも友達でもない奴に話すような話でもないならそれでいいんだ。無理に聞こうなんて思わないし、お前が話さないからってお前のここでの立場が悪くなることはない」

「…………そこまで気にかけるのは、懐柔のつもりですか」


 ホロンは首を振る。それに合わせて水面が少し揺れた。


「三流営業マンでもあるまいし、そんなことはしねえよ。

 同病相憐れむ……まあ、俺はお前ほどではないがね」

「…………どういうことですか」

「似た境遇の人間に対して同情するって意味の言葉だ。

 とはいえだ、余計なことは考えなくていい。俺は俺のしたいようにしているだけだ。これまでも、これからもな」

「………………」

「義務、使命、責任。人間社会で生きていく上では確かに必要なもんだが、そればかりってのもつまらんだろ。人生万事塞翁が馬、風呂に入ってゆっくりしている間だけでも楽~に考えたいもんだな……」

「………………」


 十数分後、ホロンがあがるというので一緒にスノウも大浴場を後にした。

 パイスーのままでは動きづらかろうということで用意された服を着て、更に手錠と目隠しをされてホロンに引っ張られていく。そして、何やら乗り物に乗せられ移動させられる。

 次に目隠しを取ってもらったのは、どこかの玄関についた時だった。


「…………ここは」


 右手に見える靴箱、三和土たたき、そしてチェックのカーペット。一般家庭の玄関そのものの光景にスノウは身構える。

 しかし、ホロンはその肩をポンと叩いて言う。


「安心しろ。俺の家だ」

「ホロンさんの……」

「厳密には俺の親父が建てた家だが……まあ、そんな些細なことはどうでもいいんだ。あがってくれ」

「はい」


 ホロンに続いて靴を脱いで――スノウは洋風建築の家に住むことが多かったので靴を脱ぐというのに少し手間取る―――スリッパに履き替える。


「さっきの出撃の後で非番だし、もう夕食時だからな。ついでにお前も招待ってわけだ」

「ご相伴にあずかります」

「ついでに泊まってけ。というより、わざわざ戻るのが面倒だから是が非でも泊まっていってもらうが」

「了解」


 オノクス家のリビングにやってきた。すると、食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐる。


「あ、おかえりー」

「ただいま」

「それといらっしゃ~い」

「お邪魔します」


 キッチンからはエプロンをつけたレンヌが出てきた。戦闘から戻ってきた後、ホロンやスノウより先にシャワーを浴びてこっちに戻って来ていたのだ。

 ホロンはスノウにダイニングテーブル備え付けの椅子に座るように指し示すと、レンヌに言う。


「何か手伝うか?」

「時間かかるから大丈夫。だいたい20分~30分くらい?」

「なら、任せていいか?」

「いいよー」

「悪いな」


 そのままホロンはキッチンから湯飲みを3つ、それと急須を持ってきて緑茶をつぐ。そして、スノウに湯飲みを差し出す。


「粗茶だがな」

「…………いただきます」


 ホロンは粗茶と言ったが、口の中にほどよい渋みとわずかな甘みを感じた。きっと良いお茶なのだろうとスノウは思った。

 自らも椅子に座って緑茶をすすりホロンは言う。


「しばらく生活はここか、アメツチの駐屯地でしてもらうことになる。家の中であれば自由にしてくれ」

「…………サンクトルムに戻れるようになるにはどのくらいかかるんですか?」

「ほう、知りたいか。さっきはそういう質問をしなかったのにな」

「アメツチの内部では言いづらいこともあるでしょう」


 ホロンの立場上、アメツチの施設内ではうかつなことは言えない。だが、ここはホロンの家……つまりプライベートな場所だからある程度自由がきくだろうと踏んでスノウは発言したのだ。そして、それはおおむね当たっていた。


「まあな。俺にもそれなりの立場ってもんがある。

 どのくらい経てば戻れるか、か。時期は読めない、というのが正直なところだ」

「そうですか」

「本当に何も知らない、何もない一般的なサンクトルムの学生ならここのことを口外しない旨の念書を書かせりゃ問題ないんだがな、お前は色々特殊だ」

「サキモリ・エイジの遺児だからですか」

「それもある」


 空になった湯飲みにまた緑茶を注ぎ、ホロンは口をつける。


「サキモリ・エイジの遺児、フェアルメディカル事件の生き証人、それと<シュネラ・レーヴェ>の処女航海での活躍もあるな。

 お前がそういう奴だってことはアメツチを含む統合軍の一部の人間は知っている。それ以外の非合法な組織の連中も知っている。とすると、お前が野に放たれてしまうと面倒だ。お前の血や能力を利用する奴が出てくる。ただ広告塔にするならともかく、フェアルメディカルがサキモリ・エイジの精子からお前やお前の兄弟を作って非合法な実験や売買をしたのと同じように、非合法なことをする連中はこの世にごまんといる」

「…………まあ、いるでしょうね」

「浜の真砂は尽きるとも、この世に盗人の種は尽くまじ……ならぬ、悪党の種は尽くまじってな。

 そんなことをされるぐらいなら、アメツチが新入社員ってことで確保した方がよっぽど有効活用できると踏んだわけだ」

「つまり、アメツチも僕の血や能力を利用したい者たちの一部、と」

「まあな」


 ニヤリと笑うホロン。


「そこを隠すつもりはねえよ。前にも言ったように、俺はお前を買っている。ただし血はどうでもいい、だがその能力は欲しい。

 ウチの上層部もそうだ。血のつながりだのなんだので統合軍で冷遇された連中が集まる組織だからな、そういうのは嫌いなんだ」

「正直に言いますね」

「重要な話を本音で話さない奴の下につきたいか?

 アメツチがお前を利用するように、お前もこちらを利用してくれていい。

 少なくともサンクトルムにいたんじゃ……北山には近づけねえぞ」

「………………」


 それはそうかもしれない、とスノウは思った。

 サンクトルムは統合軍がメインスポンサーをしている組織だが、あくまで教育機関なので軍の作戦に加わる必要は原則なく、基本的に軍の一戦力とされることは少ない。オペレーション・セブンスクエアは本当に稀な例外のひとつなのだ。

 となれば、今後統合軍がオペレーション・セブンスクエアのようなデシアンの本拠地を攻撃する作戦を立てて実行するにしても、それにサンクトルムが関わるという保証はない。その場合、デシアンについた雪と接触する方法はないと言える。

 それを考えた場合……サンクトルムに戻る必要はあるか。


(…………ない、こともないか)


 スノウの頭の中に浮かんでくるのはサンクトルムで得た友たち。彼らはまだ自分が生きていることを知らないはずだ、ならば帰って無事を伝えたいとも思った。

 雪を取るか、友たちを取るか。スノウは真剣に悩んだ。心が軋むくらい、頭が焼き切れるぐらい、とにかく考えた。


(だけど、僕は……僕は雪ちゃんに会わないといけない。雪ちゃんの真意を知りたい)


 天秤が傾いた。それはスノウの人生では初めて、『断腸の思いで』と表現するに相応しい決断だった。


(ごめん、みんな……)


 心内で友たちに謝るスノウ。

 すごく悩んだことがホロンにもわかったのか、慮るように言う。


「ま、なんだ。仮にサンクトルムに帰らないんだとしても、仲間に無事を知らせるぐらいはいいだろ。なんらかの連絡手段を用意してもらえないか上には掛け合うよ」

「………………」

「俺たちもいずれサンクトルムに戻るからな。俺はもう単位を取る必要ないが、レンヌはまだ講義に出ないといけないし、俺も一応顔は出さないといけない。その時は一緒に行くとするか」

「…………はい」


 その後、レンヌがキッチンから夕食を持ってくるまでは、スノウもホロンもただ黙っていた。

                                  (続く)

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