第94話 本の読み方:白詰草物語
『オペレーション・セブンスクエア』の参加申請の締め切りまでの1週間、説明を受けた学生たちは色々考えてしまって悩んだり、即申請したり、逆に参加しないことを表明し自由に過ごしていたり、本当にさまざまであった。
秋人ら、いつものメンバーも相当考えて、そして全員参加することに決めた。やはり思惑は色々あったが、雪が参戦するであろうからわずかでもその助けになりたいという気持ちは共通していた。
しかし、その例外……スノウだけはやはり不参加を決め込んでいて、申請最終日の昼頃にシミュレーターの中にいた。
『敵機全滅。トレーニングを続けますか』
「続ける」
ひたすら最高ランクのトレーニングを上から順にクリアしていく。次のメニューは味方3機で敵の拠点を制圧するという内容のものだ。
今はひとりしかいないので、残りの2つの僚機はAIに任せようとした時、通信が入る。
見知った名前だったのでそれを繋ぐと……。
『よっ、ヌル。お前、セブンスクエアに参加しないんだってな』
「…………繋いで早々にそれを言いますか、ホロンさん。それに、レンヌさんも」
『やっほ。面白そーなことしてんじゃん、混ぜてよ』
「…………ちょうど3人なので構いはしませんが」
『じゃあさっそく始めよ』
『俺とヌルが前衛、レンヌが後衛だな』
『えー、ワタシも前衛がいい~』
『じゃあ三枚で行くか』
「………………」
『何呆けてんだ、さっさと始めるぞ』
スノウが閉口している間にモニターには仮想空間が映し出される。センサーには目標の拠点と、多数の敵性反応。
早速やってきた<DEATH>の集団に切り込みつつ、ホロンは言う。
『にしてもセブンスクエアに参加しないとはねぇ。お姫様の気持ちを汲んでやるのもわかるっちゃわかるがな』
『でも時には強引に自分の我を通すのも大事よ。なんだかんだあの娘はそういう男が好きなんだろうし』
レンヌ機はブロードブレードでホロンが刻んだ敵機にとどめを刺していく。
やることがなくなったので、ふたりの後ろについていきながらスノウは言う。
「…………何の話をしているんですか」
『あ? だからお前を想って<ディソード>に乗っているんだろ、北山雪は。迎えに行ってやるのもお前の株をあげるのに大事って話さ』
当然ながら、スノウはこのふたりに何も話していない。雪が<ディソード>に乗っていることも、どうして乗っているのかも、候補に選ばれたことも、自分がオペレーション・セブンスクエアに参加しないことも、何もかも。
しかし、このふたりときたらまるですべての事情を知っているかのようにこちらに話しかけてきている。スノウはただなぜ知っているのかと疑問を感じているだけだが、常人だったら気味が悪く思うに違いない。
『ま、他人の事情で生まれたからって他人の説得に耳を貸す必要はないがな。俺が勝手にそう思っているだけだ』
「…………どこまで知っているんですか、おふたりは」
言い方からしてスノウの出自についてもこのふたりは知っているようだ。どうしても隠さないといけないわけではないとはいえ、普通の学生くんだりが調べてわかるようなものではないので、情報源はどこなのか不思議に感じていると、それに答えるようにレンヌが言う。
『ワタシにもワラシなりの情報網ってのがあんの。
…………いや、正確にはワタシのじゃなくてホロンのだけど』
『お前ももっとちゃんと諜報員を使うってことを覚えろ』
「おふたりにも特別な背景があるということはわかりました。
しかし、シミュレーターの通信内容は全部保存されているのに、そんなこと言ってしまっていいんですか」
『後で消しておくさ。今は雑談としゃれ込もうぜ』
そう言いながらもホロンは次々と敵を撃墜していく。
後で消しておく、とサラリと言うあたりやっぱり普通の人じゃないな、と思いながらスノウも目の前の敵を確実に倒していく。
『さすがに腕がいいな』
「ありがとうございます。…………おふたりも優秀なパイロットですね」
『ふっふっふ、ワタシは天才なのでね』
「おふたりはセブンスクエアに参加しないんですか? それだけの腕があれば呼ばれているでしょうに」
こう話している間にホロンとレンヌはまるで何十年も連れ添ってきた夫婦のような息の合った連携を見せつける。
自分よりもこのふたりこそ作戦に参加すべきだとスノウは思ったが、ホロンはため息混じりに言う。
『卒業が近いってタイミングなのに命かけてられるかい。就職先も決まってるしな』
『ホロンがいかないからワタシも参加しなーい』
「そうですか」
『そうだ。統合軍のために俺の人生を使ってやるつもりはない』
サンクトルムにいるのにそんなこと言っていいのか、と思ったが思っただけで何も言わなかった。
代わりに質問を投げる。
「ならホロンさんの人生はレンヌさんのために、ですか」
『そりゃそうよ。ホロンはワタシにぞっこんだもの』
『…………そうなんだが、本人が言うことじゃねえぞ』
「………………」
『まあでも、お前の言うことは正しいな。レンヌのために俺は俺の人生を使いたいと思う』
『うーん、そういうことサラリと言われちゃうと何も言えないわ』
「…………そうですか」
スノウ機が拠点内の最後の敵を撃墜し、ステージクリア。
シミュレーションの終了手続きを始めながらスノウは言う。
「僕は用事を思い出したので、お先に失礼します」
知りたいことはいくつかあった。彼らの情報源は何処からきているのか、そもそも彼らが何者なのか、そういったこと。
だが、それ以上にスノウはふたりから一番知りたいことを聞くことができた。それは暗闇の中にいたスノウに一筋の光を与えてくれるものだったので、その光の正体を確かめるべく次の行動に移ることにした。
スノウはシステムを完全に終わらせて、シミュレーターから出ていった。
残されたふたりはあっけにとられることもなく、普段通り会話をする。
『行っちゃったねえ』
『そーだな。流れに乗じて勧誘するつもりだったが、どちらにせよあんな様子じゃ話を聞いてはもらえなかったろう』
『あんな様子って?』
『簡単に言うと、夏休みの読書感想文が書けない小学生って感じだ。
読書感想文なんざ書き方さえわかってりゃ大した時間かからないのに、書き方がわからないから苦労する。
ヌルは書き方がわからないで悩んでいるって感じだろう』
『なーんも簡単じゃないやい。どういうこと?』
『わかんなきゃわかんないでいい。
あいつ、俺の話を聞いてたぶん本の読み方ぐらいはわかったんだろうからな』
楽しそうに言うホロンに、ちょっと不機嫌そうにレンヌは言う。
『なーんかホロンって彼に甘いよね』
『ヤキモチか?』
『はい。この後慰めてくんなきゃしばらくこのままです』
『そりゃ大変だな。それはまあ思う存分慰めてやるとして……そうだな、同病相憐れむってやつかな』
『まーたワタシの知らない言葉使ってぇ』
『後で意味は教えてやるよ。
さて、ヌルもいなくなったことだし俺たちもここから出るとするか』
『はーい』
ふたりの声が消えて、シミュレータールームはとても静かになった。
シャワーを浴びてからスノウはある人物に連絡を取った。連絡がきたことにその人物はたいへん驚いたが、すぐに承諾してくれたので、スノウはその人物の部屋の前までやってきた。
呼び鈴を鳴らして待つこと15秒、その人物が顔を見せた。
「や、やあ、ヌル」
「こんにちは、スフィア君」
ソルは意外な訪問者相手になんとか顔を引きつらせることなく部屋にあげた。
ソルの部屋はスノウの想像通り……しっかりと片付いていて居心地が良さそうであった。スノウの部屋と決定的に違うのはテレビやその他の娯楽品が置いてある点だ。
「そこにかけてくれ」
「了解」
指し示られた椅子に座って待つと、対面にソルが座る。
「突然だったから何も用意してないぞ」
「おかまいなく。…………穴沢さんはいないんだね」
「四六時中一緒にいるわけでは……」
「一緒にいるわけではない」と言いかけて、しかしスノウにそう思われてもしょうがない程度には確かに一緒にいるので、苦笑いしながら言う。
「ないことも、ないか。
今日は友達と出かけている」
「ならちょうどいい。何も言われないから」
「いつも黒子が失礼なことを言ってしまって申し訳ないな」
「気にしてない。僕が君を脅かしかねないと本能的に理解しているんだろう」
「…………? それはどういうことだ?」
首をかしげるソルを無視してスノウは話を始める。
「君も忙しいだろうから単刀直入に言う。
君は穴沢さんとどんな風になりたいと考えている? ただ恋人のまま終わるわけじゃないだろう」
「…………えっ?」
我が耳を疑うとはこのこと、ソルはスノウの言ったことが理解できないでいた。正確には内容は理解できているが、スノウが言いそうもないことだったので空耳を疑わざるを得なかったのだ。
「俺が黒子とどうなりたいかって? そう聞いたんだな?」
「そうだけど」
「何か悪いものでも食べたか? それともどこかに頭をぶつけたとか……」
「何もないよ」
「そ、そうか。君が色恋沙汰の話をするなんて、どこかおかしくなってしまったのかと思った」
「…………ま、自分でも似合わないこと言っているとは思うけどね」
自覚しているぐらいのことなのにわざわざ口にしたということはスノウにとって重要なことなんだろうとソルは思った。
(この男は無意味なことを言ったり、無駄口は叩いたりしないからな……。どうしても聞きたいことなはずだ)
実のところ、どういった形であれ頼られることは嫌ではない。ことスノウ相手だともともと嫌われていたという自覚がある分、彼に認められた気がしてくるからだ。
コホン、とひとつ咳払いして話を始める。
「そうだな、どうなりたいかという話だが……俺にとって黒子は一緒にいて当然という意識が少なからずある存在だ」
「というと」
「幼馴染だからな。小さなころから今に至るまでずっと付き合いがある。明確な恋愛対象だと思ったのは……ってここまで言わないといけないか?」
「できれば」
「…………うーむ」
自分の恥部とも言える話なのでちょっと話しづらい。しかし、目の前の男は口外しないという信頼があるし、笑いもしないだろうから、ソルは自分にそう言い聞かせて続ける。
「まあ、そういう対象だと思ったのは思春期に入ってからだな。そのころになると親の付き合いで様々なタイプの女子と会う機会があったが、どの娘も何か足りないように感じた。それがなぜかと考えたときに黒子があまりにも良い娘だとわかって、それから意識をし始めたといった次第だ」
「親御さんの付き合いということは、統合軍や政府のそれなりに良い身分のお嬢様ばかりだったろうに、それでも穴沢さんが良かったのか」
「俺にとってはな。…………俺の両親のことを知っているような口ぶりだな」
「君は覚えてないかもしれないけど、幼いころに僕と君は会っているからね」
「そ、そうだったのか!?」
指摘されている通りまったく覚えていない。だから、あまりにも衝撃的な突然の告白に驚きを隠せなかった。
「いつだ? どういうときに会ったんだ?」
「本題と関係ないからそれは後で」
「駄目だ! 俺は自分の話をしたのに、君が君の話をしないのは不公平だ!」
「…………まあ、今の君にならいいか」
言わないと話が進まなそうなので、珍しくスノウの方から折れた。
「親御さんが実の親じゃないことは知っていると思うけど……」
「それは知っている。幼いころに両親が施設から引き取ったと、15の時に教えてもらった」
「なら話は早い。その施設に僕もいたんだよ。15歳ぐらいまでね」
「同じ15歳か……」
フェアルメディカル事件が報道されたことを受けてソルの両親が真実を話そうと決意したため、ソルが親から真実を教えてもらった時と、スノウが保護された時が同じ15歳なことは決して偶然ではない。しかし、その真実は今のふたりにとって重要なことではない。
「君が親御さんに引き取られている場面を僕は見ていたってわけさ」
「君が俺のことを一方的に知っていたのはそういうことだったのか……」
サンクトルムで再会したころにスノウがソルに厳しい面があったのは、他の子どもたちを差し置いてフェアルメディカル関連施設の厳しい実験から一足先に逃げたことに対する一種の嫌悪によるものだった。もちろんソルの責任ではないし、スノウもそれはわかっていたが、死んでいった子供たちが浮かばれないとそう感じていたが故の厳しさだった。
そのことに関しては、スノウはソルに対してよくないことをしたという自覚がある。
「…………嫌悪しないでこちらから歩み寄るべきだったね」
「確かにちょっと君は近寄りがたい雰囲気だったが……今、こうしているんだからいいじゃないか。過去のことを気にするなんて、君らしくない」
「………………」
「…………すまない、俺が知ったような口をきくべきではなかったな」
「いや、いい。君の言う通りかもしれない」
「あー、ゴホン。話を戻すか」
嫌な空気を感じて、わざとらしく咳をするソル。そして、議題はスノウの最初の疑問へ。
「黒子とどうなりたいか、だったな。
俺は父のような立派な軍人になりたい。そして、その上で黒子を伴侶とし、人生を生きていきたいと思う」
「…………結構、はっきりと言うね」
「これまでずっと一緒だったんだ。もう一緒にいるのが当たり前なのさ。
…………黒子には、まだそこまで言ってないけどな」
「早く言いなよ。彼女も待っているだろ」
黒子のソルへの依存具合を見るに、言えば断られることはないだろうに、なぜためらうのか……とスノウは思った。
しかし、ソルはそれに気分を害するどころか、少し余裕がありそうに笑う。
「俺には俺のペースがあるのさ。
君こそ、大事な人を待たせてるんじゃないか?」
「…………何が言いたいの」
「北山さんのことさ。<ディソード>、彼女なんだろ?
彼女を放っておいて、君はなぜここにいるんだ」
「…………それをどうすべきかわからないから、君に聞いたんじゃないか」
「君の心がその答えじゃないのか?」
スノウは首を横に振る。
「約束があるんだ。彼女と次会うときにまで見つけないといけないものがある。それがわからない以上、会うわけにはいかない。
君に聞けば答えが見つかるかと思ったけど、やっぱり言葉だけだ」
「…………その約束とやらも、君が何を見つけたいのかも、わからない。
だけど、一番大事なのは君自身の気持ちなんじゃないのか」
「………………」
「約束が君の気持ちを縛るなら、それは彼女にとっても君にとっても邪魔なものなんじゃないのか」
ソルにそう言われても、スノウには納得しがたかった。約束はお互いを思いやるために決めることなのだから、たとえ苦しいものであっても履行すべきものなのではないか、と考えたからだ。
納得いっていない様子のスノウに、ソルは続けて言う。
「黒子が北山さんの立場で、俺が君の立場だったとしたら、どんな約束をしていようが来るなと言われていようが黒子のもとへ駆けつける」
「…………なぜ?」
「俺の人生には黒子が必要だし、黒子の人生にも俺が必要だと思うからだ。さっきも言ったが、一緒にいるのが当たり前だから」
「………………」
「っと、すまない。偉そうな言い方だな。君と北山さんの関係は、俺が口を挟めることじゃないのに」
「いや」
スノウは立ち上がる。その動きには緩慢さがなく、明確な意志が感じられた。
「君のお陰でひとつ確かめないといけないことができた」
「答えが見つかったのか?」
「そっちも見つかりそうだけど、まだ……。だけど、もしかするとそれより大事なことかもしれない」
「そうか。役に立てたようでうれしいよ」
「ありがとう。このお礼はまたいずれするよ。じゃあ、また」
ソルはスノウが「お邪魔しました」と扉を閉めるまでずっと背筋を伸ばしていたが、見えなくなった途端体を楽にした。
「…………重苦しいのが苦手というわけではないが、彼を前にすると嫌に緊張するな」
それは先ほどスノウが告げた、昔一度会っていることと関係があるのだろうか。その時のソルとスノウの関係によってはあるいはその可能性もあるかもしれない。
状況が落ち着いたら聞いてみるかな、と思ってソルは肩の力を抜いた。
ソルの部屋の扉を閉め終わるとスノウは寮から飛び出し、サンクトルムの校舎内、学生課へ転がり込む。
「すみません、お尋ねしたいのですが……」
夕立のように突然やってきたスノウに目を丸くする学生課の事務員に対して言う。
「『オペレーション・スクエア』の参加申請はまだ受け付けていますか?」
「え、えー、確認いたします」
事務員が端末で確認している間、一日千秋の思いで待つスノウ。
十数秒経って事務員が口を開く。
「まだ、大丈夫です。受け付けています」
「では、参加申請をさせてください」
(僕は確かめないといけない。僕の本当の気持ちを。君のそばで、君の近くで……)
雪から出された宿題の答えは未だ出せない。だが、雪の近くに行けば、きっとそれは見つかるはずだ。自分の気持ちを確認できるならば……。
スノウは事務員から差し出された端末に記載された注意事項を読み飛ばして、サインを書いた。
(続く)
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