第92話 疑念と覚悟:互いのアルメリア
雪が休学して2週間。遠征の時からは考えられないくらい平和な日々が続いていた。
その平和を象徴するように雪の部屋では色とりどりの花が咲いている。
「…………ええと、この花とこっちの花には水をやったはず」
指さしして水をやった花をチェックするスノウ。
雪が頼んだ通りスノウはほぼ毎日、雪の部屋に来て花の手入れをしていた。もちろん寮母の許可はもらっている。
今はほとんど家具の類が機能していないとはいえ、男子が女子の部屋に入ることに抵抗を示す者も一定数いたが、雪が寮母に言付けしていたことと、スノウの性格を知る一部の学生たちが説得した結果、今や彼の水やりを咎めるものはいない。
「これでひと通り終わったかな。
…………この植物はそろそろ花を咲かせそうだけど、なんという花なんだろう」
細長いブラシのように葉っぱを伸ばす植物。鉢植えに収まったそれを見てスノウは手元のノートをパラパラとめくる。
そのノートはスノウが初めて水やりのために彼女の部屋に訪れた際、机の上に置いてあったものだ。中には雪が育てている花のイラストと世話の仕方が書かれている。全部雪が書いた、世界でひとつだけの説明書だ。
しかし、そのノートにも該当の植物の情報は書かれていない。
(…………書き損ねたのかな? それとも何か意味があるのか)
落丁されている理由は考えてもすぐにわかりそうもない。とりあえず、他の花と変わらないぐらいに水を与えておくことにした。
雪の部屋の植物の水やりを終えて、今度は学生寮前の花壇へ。
今は10月で、晴れている日でも肌寒い。花壇の植物たちも心なしか元気がないように見える。
(この花々のためにも冬を迎える前に
そんなことを思いながらじょうろを傾けて小雨のように水をやっていると、見知った顔が話しかけてきた。
「よ、スノウ。今日も水やりか」
「雪ちゃんが帰ってくるまではね。
秋人とナンナはどこか行ってきた帰り?」
「ちょっと買い物にな。
父の誕生日が近いから、秋人にプレゼントをどうすべきか意見を聞いていたんだ」
「それ以外にも野暮用をいくつか……って感じだ」
「なるほど」
会話しながらもスノウはてきぱきと水やりを続けていく。
「ふたりが選んだものが、お父さんのお眼鏡にかなうといいね」
「毎年なんだかんだ喜んでくれるが、さすがに今年は親元を離れた最初の年だからな。きちんとしたものを選んだと信じたい」
「秋人が選んだものなら大丈夫じゃない」
「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。お前の誕生日の時も期待していいぜ。
…………そういや、スノウお前の誕生日っていつだ?」
傍らのナンナにも目で聞いてみるが、ナンナも首を振る。スノウと近しい秋人が知らないものをなぜ私が知っていると思うのか、と言わんばかりに。
そんなふたりにスノウが言う。
「知らない。生まれが特殊だから誕生日とかないよ、たぶん」
「生まれが特殊って……まあそれはいいや。
それなら年はどうやって数えてるんだよ」
「年が明けたら年を取るようにしている」
「つまり、元旦を便宜的に誕生日にしているというわけか?」
「そうだね。書類上もそうなっているはず」
この書類というのはスノウの本当の名前や生年月日を記載したものではない。フェアルメディカルの施設にいたスノウを保護した男性が引き取った際に急遽作成されたものだ。
だから、スノウが本当は何歳で誕生日がいつなのか、本人も知らないし、誰も知らない。施設にいたころは名前なんてなかったので、それすら後付けだ。
とはいえ、今更本当の誕生日を知れたとして、どうでもいいとスノウは思っている。自分の正確な年齢がわかる、ただそれだけだから。
「でも別に祝ってもらう必要ないから」
「いや、この間俺の誕生日にプレゼントくれただろ。それはさすがに悪いよ」
「なら期待しておくよ。
…………さて」
水やりを終えて道具を片付け始めるスノウ。
「水やりが終わったから、僕は退散するよ」
「このまま立ち話しても私たちは一向にかまわんが?」
「道具をすぐ片づけたいし、何よりここまでわざわざふたりで来ているってことはこの後僕がいたら邪魔になるだろ」
「………………」
秋人とナンナが仲良くふたりで珍獣を見たかのような顔をしていたため、スノウは尋ねる。
「変な顔してどうしたの」
「いや、お前そういう気遣いできたんだなって……」
「ああ……男女がどうのというのに興味ないのかと思っていたが……」
「見知らぬ人ならどうだっていいけど、ふたりとも僕の友達だからね」
「なんか悪いな」
「別に。またアベールと僕と遊んでくれればいいよ。それじゃあ」
スノウはふたりに背を向けて道具を元に戻しに行く。
その途中、ふと思った。
(雪ちゃんは今頃、どうしているかな……)
スノウのその疑問には次の日、思わぬ形で答えが出ることとなった。
『さて、本日の演習の内容だが……その前に諸君らにはニュースがある』
シミュレーターを使った演習の講義のイントロダクションにて、青葉梟護が事務的な口調で言った。
「昨日、デシアンの前線基地と思われる木星圏の施設への攻撃作戦……通称『オペレーション・レクイエム』が実行された。
防人元帥の肝いりである本作戦は成果をあげ、見事に施設の破壊及びそこに待機していたと思われるデシアンの殲滅が完了した」
シミュレーターのディスプレイに詳細なニュースリリースが表示される。
「今回の作戦の成功を受け、デシアンの本拠地への攻撃作戦が実行されることになった。
ここからが大事な話だが、その作戦は非常に大規模なものになるため、サンクトルムの学生の中からメンバーを選抜し、遊撃軍として参加してもらうとのことだ。
…………もちろん、まだ1年である諸君らが選抜される可能性は高くない。だが万が一ということもあるため、覚えておくように。
何か質問があれば私に与えられた権限の範囲で答える」
ざわざわと学生たちがざわめき始める。朝一番に『オペレーション・レクイエム』の情報が公開されたため作戦については知っている学生もいたが、そのあとの遊撃軍の選抜については突然聞かされたのだから当然とも言えた。
そんな状態だったため、大半の学生は戸惑うばかりで何も発言できない中、ひとりの女子が声をあげる。
「穴沢です。質問よろしいでしょうか」
穴沢黒子の凛とした声が学生たちの耳朶を打つ。
「主に2点うかがいたいことがあります」
「言ってみろ」
「まず1点目。仮にメンバーに選抜されたとして、参加することは強制なのでしょうか」
「私が知る限りでは強制ではない。…………だが、全学年を対象とした選抜に関しては前例のないことだ。それだけは覚えておいてほしい」
1900年代なら選ばれた時点で参加意思の有無にかかわらず徴兵されていただろうが、今や人類が宇宙に出て幾世紀。無理矢理参加させられるのでは人権問題になりかねない。
とはいえ、非常時には人権というのは無視されるものだ。デシアン殲滅というお題目の前では人権や倫理というのはすべて無視される可能性も捨てきれない……、護はそう考えているし、暗にそういうように伝えた。
黒子はその意図をくんだのかこの件については深く突っ込まず「…………わかりました」とだけ言った。
「では、2点目ですが……遊撃軍に参加するメリットはあるのでしょうか。もちろん参加することで大きな経験を積むことはできるとは思いますが、それ以外に何かあれば教えてください」
「報酬が出ることはわかっているが、それ以外は私も知らない。…………この答えでは不満だろうが、私が言えるのはこれだけだ」
「…………そうですか」
きっと口止めか何かされているか、あるいはそれ以外何もないのだろう。そう思って黒子はやはり追及しなかった。
「ほかに質問は―――」と護が切り出した瞬間、今度はアベールが発言した。
「オーシャンです。質問よろしいでしょうか」
「構わん」
「ニュースリリースには<ディソード>の活躍があった旨が書かれていますが、あれは本物なのでしょうか。仮に本物だとしたら……どこにあったのでしょうか。
所在地には色々な憶測があり、そのどれもが確実性に欠けるものでしたが、統合軍が最初から管理していたのでしょうか」
アベールにしては珍しく矢継ぎ早に質問を浴びせたことで護は少し戸惑いながら言う。
「少し落ち着け、オーシャン。気になる気持ちはわかるが、私も今朝それを知って驚いているところだったんだ。今の貴様と同じようにな」
「…………失礼致しました。少し冷静さを失っていました」
「気持ちはわかると言っただろう。…………だが、俺からいえることはない。申し訳ないがな」
「いえ、教官がご存じではないということは、今の僕たちが知るべきことではないということがわかりました」
「そう言ってくれて助かるよ。
…………他にはないか? では、いつも通り演習を始める」
いくつかの疑問が残りつつも、誰もそれ以上踏み込まないまま演習が始まった。
…………ただひとり、ニュースリリースの映像を食い入るように見つめるスノウを除いて。
(この<ディソード>の動きは……)
我が目を疑うとはこのことだと、スノウは生まれて初めて体感した。しかし、画面の中で動き回り的確な射撃を当てる<ディソード>の姿には見覚えがあった。
(君なのか、雪ちゃん。これに乗っているのは……!)
そんなことは信じられない、だがそのエグザイムの動きと脳裏に浮かぶエグザイムの動きは完全に一致していた。
どれだけ見てもその考えは覆らなかったので、スノウは自分の目を疑うのをやめて、護が話しかけてこようが、友人らが心配しようが、演習が終わるまでずっとニュースリリースを見ていた。
「凄まじい力ですな、この<ディソード>は。まさか一撃で数百のデシアンを撃墜するとは」
「フン、そのぐらいやってもらわないと困る」
統合軍の工房にて、<ディソード>を見ながら王我と取り巻きの軍人が言葉を交わす。
「しかし、戦えるのがわずか10分程度とは。…………これは致命的な欠陥ですぞ」
「確かに欠陥だ。だからこそ、ああして訓練を課している」
視線の先の<ディソード>のカメラアイに光が灯る。
「機体に異常なし。…………<ディソード>を起動します」
コックピットの中で、雪がひとつひとつ手順を確認しながら<ディソード>を起動していく。
そして、起動の最後のプロセスを終えた瞬間、雪の頭の中に直接ノイズがかかった声が響く。
『キナサイ……キナサイ……』
「うっ……ぐ……やめて……」
頭を押さえて絞り出すような声を出す雪。
絶え間なく、呪詛のように声が流れてくる。最初のうちは我慢できるが、それが1分……2分……と経過していくうちに、雪の顔に脂汗が浮かんでくる。
『キナサイ……キナサイ……』
「………………」
ヘッドホンを装着した状態で最大ボリュームの雑音を延々と聞かされるかのような逃れようのない苦しみは今回が初めてではない。
慣らしとしてテスト搭乗した時も、先の作戦の時も常にこの不思議な声を聴いている。
そして、それはきっかり10分経過すると突然音量があがり……。
『コチラヘ コイ! コチラヘ コイ!』
「やめて……! あたしの中に入ってこないで……!」
『コイコイコイコイコイコイコイコイコイコイコイコイコイコイコイコイコイコイコイコイココココココココココココココココココココココココココココココココココ』
「あ、あああああああああああ!!」
脳内を支配するノイズをかき消すように、頭を押さえて雪は叫ぶ。この苦しみから逃れられるなら喉が潰れてもいい。命を絶ってもいいとすら思えた。
<ディソード>に乗って10分経つと、正体不明の声が脳内をとにかく暴れまわる。それがためにわずかな時間しか戦闘ができないのだ。
モニターで雪の様子を見ていた王我がすぐさま部下に指示を出す。
「外部から強制的にシステムを落とせ!」
「りょ、了解!」
部下が何やら入力すると、<ディソード>のカメラアイが消灯する。
「はあ……はあ……」
肩で息をする雪の脳内から、ノイズはすっかり消えてなくなっていた。さっきまであんなに苦しかったのに、今はもうなんともない。
胸に手を当てて生きている実感を得ていると、王我の声が聞こえてくる。
「無様だな。せめてあと5分は耐えられないと使い物にならん」
「…………はい。申し訳ございません」
文句を言うなら自分で乗ってみればいいんだ、と内心思いながら雪は首を垂れる。
「貴様が私の要請を受けると言うから連れてきたのに、その体たらくでは期待はできないな」
「…………申し訳ございません」
「謝るだけなら誰にだってできる。
…………おい、貴様」
王我は心底失望したと言いたげな表情で近場の部下を呼びつける。
「は、いかがしましたか」
「奴は使い物にならん。今すぐスノウ・ヌルをここに連れてくる手配をしろ」
「やめて! …………やめてください、伯父上。粉骨砕身の覚悟でやりますので、何卒スノウだけは……」
雪はみっともないほどに頭を下げて懇願する。ノルマが達成できない営業マンだってここまでやらないだろうというほど、とにかく頼み込む。
それを見て、王我は冷たい表情で言い放つ。
「では、今日中に20分は耐えられるようになるんだな。スノウ・ヌルが大事ならば」
「…………了解しました」
学祭の日、王我が雪を呼びつけたのは、彼女を<ディソード>に乗せるためだった。あの場で<ディソード>が手に入ったこと、それを乗るにはサキモリ・エイジの血を持った者でないといけないこと、<ディソード>を使った作戦を実行する予定なことを雪に話した。
その時、王我は脅すように……いや、実際に脅した。「雪が乗らないのであれば、スノウ・ヌルを連れてきて乗せる」と。
雪はそれを聞いて、スノウがサキモリ・エイジの血縁者であることを知っているのに驚いたが、それ以上に強い使命感を覚えた。スノウをこのことに巻き込んではいけないと。
王我から<ディソード>に乗ることを要請されたら、スノウは断らない。だけど、遠征で散々傷ついたのだから。スノウにはしばらく平穏な学生生活を送ってほしい。
だから、雪は王我の要請を受けた。愛するスノウを守るため、覚悟を決めたのだ。
しかし、王我はまたスノウを巻き込もうとしている。それは雪には許せないことだったので、再びコンソールを操作し起動する。
『キナサイ……キナサイ……』
「ぐ……」
『コチラヘ コイ!』
「ううううう……!」
脳裏にスノウを思い浮かべて必死にノイズに耐える。
(スノウ……。スノウ……! あたし、頑張るから。スノウが戦わなくて済むようにもっともっと……!)
そんな雪の決意をあざ笑うかのように、ノイズはより強く、より激しく響き渡るのであった。
(続く)
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